フォト
無料ブログはココログ

Dragon Age Inquisition

2017年9月17日 (日)

DA: Knight Errant #4、#5

 うっかりしてたら、DAコミックスが完結していた・・・。
 んまあ、期待はしていなかったけどね。

Ke4
 相変わらず表紙はいいのだが。

Dake4
 中身がショボすぎて、一枚選ぶのも一苦労。

 ヴァイカウント・ヴァリックと、プリンス・セバです。一応ね。
 ちうか、出世しとるなあ。 意外な二人が。

 記事数稼ぎたかったところだけど、面倒なんで続けて最終巻。

Ke5_2
 相変わらず表紙はいいのだが。

Dake5
 とっても残念なことに、将来の物語をほのめかす部分はごくわずか。

 テヴィンター帝国がレッド・レリウムにご執心とか。
 少なくともDAIの(DLCの)最後には帝国がメンションされていたし、レッド・レリウムは、これからもずっと引っ張るネタだろうし。特に目新しい展開でもないですね。

 んまあ、ML曰く、「次作はDA4なんて言ってねえし」だそうなんで、やっぱ予想どおり、次回作はDA カードバトル、"Dwent"でしょうかね。他人のふんどしで相撲を取るようになってしまったから、BioWareも。 

2017年7月19日 (水)

帝国の逆襲か、新しい希望か。

 週末、FFXII/TZAを口半開きでプレイし続けてました。プロット・シナリオを、こんなにも"Star Wars"シリーズ(エピソード4-6及び1くらいまで)からパクってることについては、以前は気がつかなかった。つうか、ぶっちゃけると「まんま」です。

 オリジナルのPS2版(2006)は、旬を過ぎてからだけど、わざわざ液晶画面(ブラウン管TVはもう壊れてた)にアップストリーム・コンヴァーターで繋いでプレイした。それでも画面は相当しょぼかった。そのせいか、アルティマニア全部買ってる事実はあるのに、内容の記憶が断片的にしかない。もしかすると、一度も最後までプレイしなかった疑惑さえ湧き上がる。
 今回、PS4でプレイすると(フェイシャルは普通の意味でも「どうかなあ」と思うけど)、さすがに画面がしょぼいということはないので、それが理由でやる気が失せることはない。ただし、ダラダラしたコンバットに辟易した記憶があって、それは今回もあまり変わらない。長時間プレイしていると、寝落ちの危険がある。「せっかちな人は倍速・4倍速にできまーす」というのは、「改良」ではなくて開発の敗北ではないのか。

 BGなどのインフィニティ・エンジン・ゲームで用いられた簡易AIの発想をパクリ、今度はMLがDAOでパクり返したのではないかと思われる、簡易AI(ではなく実際にはシークエンシャル)ガンビット(ギャンビット)さえ、せっかくのプレイ効率化の仕掛けなんだから、もうちょい工夫してほしいと思った。(「余談だが」と、書き始めたらとてつもなく長くなったので、別記事にとばす)

 とにかく、"Star Wars"をここまでパクってしまっているのは一体どうなんだろー、スクエニ減退期を象徴する作品というのにもやはり理由があったのかなー、と思ってしまった。

 だいたいのオタクは、Star Warsシリーズの中ではカーシュナーのエピソード5を推す。最初、その手の議論には「なわけないだろう、やっぱルーカスのオリジナル、エピソード4だろう、低予算で画像しょぼいけど」と反感を抱いていた。だいたい「暗い」トーンの作品が名作だ、名作とは「笑わない」中身のものだというバイアスがかかってるんだよ。それもクリスチャニティー的罪悪感の発現なんだよ、挫折があるから青年は成長するという、某国営放送的「青年の主張」なんだよ。
 そうやって喧嘩腰で見直してみて、まー、やっぱカーシュナーは上手いねとさくっと宗旨替えした。10秒以上続く場面がほとんどない、ものすごいテンポを維持していながら破たんしていないとか、監督の職人芸については今までも色々書いた。でもシナリオもいいんです。スター・デストロイヤー同志のニアミス・シーンなんて、あまりに素晴らしすぎて、意表をつきすぎていて、「やられた!」と今でも思ってる。

 そして任務失敗の都度、ベイダー卿の手で次々と処刑されていく帝国艦隊の提督や艦長たち。信賞必罰、どんどんリプレイスされていく。まるでアメリカンの大企業か、誰かの大統領の政権か。もっとも、米軍ちうのは昔から信賞必罰の組織なんですけどね。某都知事が、本と言えばそれしか読んでいないらしい「失敗の本質」によれば。
 最後のシーンもいいですねえ。ルークたちを逃がしてしまって、当然自分も処刑されるだろうと、卿の様子を窺って待ち構えている(最後の)提督の観念した顔。(彼も、エピソード6でスーパー・スター・デストロイヤーとともに宇宙の塵となって果てますが)

 まあ、そういうことです。BioWareのアラン(フリン、BioWareモントリオール・スタジオGM兼BioWare副社長)が職を辞した。
 ME3リリース後に「一身上の都合」で同社を退職していた、元クリエイティヴ・ディレクター(最後にはエグゼクティヴ・プロデューサーまで出世したかも)のケーシー(ハドソン)がアランのリプレイスとして約三年ぶりに復帰した。(アランは副社長でもあったようなので、それも引き継いだとなると、ケーシーは退職時より格上として復帰したことになる。

 アランは同社勤続17年。ME:Aの業績不振・大赤字の責任をとった、あるいはME:Aの評判が悪くて「人前に出るのが、もうやんなっちゃった」という以外に理由がないでしょう。むろん、外からはわからない。
 ケーシーも退職したときは勤続10年以上であった。開発中だったME3のエンディング・リーク問題と、それに伴い改変された「信号機エンディング」への「自称ファン」どもの囂囂たる非難を受け、責任をとった、または「やってられるか」と匙投げた、あるいは「自家用機飛ばしているほうがずっと楽しい」と思ったか、それはわからない。

 FFでもDA/MEでも、あたしを含めた部外者たちは、作品の出来が悪いのは「プロット・シナリオが悪い」からだと、一番わかりやすいところを責める。きまってライター衆を責めます。あー、FFのあの、シナリオに口出すキャラクター・デザイナーはあたしも許さないけど。
 でもライターなんて、マネジメント上ではぜんぜん下層なんですよね。単なる一デザイン部門。リード・デザイナーのしもべ。
 やっぱ、ディザスターの責任とるのはトップなんですねー。

 さてケーシーは、果たしてMEのサルベージのため復帰したのでしょうか? クオリアンのアークとか難破船になってるし。いや、それよりも何よりもフランチャイズ全体のサルベージが必要だけど。
 それとも、退職前には自分でお膳立てまでしていたという「Anthemやらせろよ」と、ベイダー卿ぢゃなくてEAマーケにねじ込んだのでしょうか。
 そして、スタジオGMということは、Anthemのみならず、DAシリーズにも責任を負うということでしょうか?
 SWTORは、たしかオースティン・スタジオが担当なんで、モントリオールとは独立したマネジメントがあったんでしたっけ?
 SWTORごめん! DAには新しい希望がもてそうだわ!

***
(After choking Captain Needa to death)
Apology accepted, Captain Needa.

You have failed me for the last time, Admiral! Captain Piett?
Yes my lord?
Make ready to land our troops beyond their energy field, and deploy the fleet, so that nothing gets off the system.
(Beside Piett, Admiral Ozzel falls over dead.)
You are in command now…, Admiral Piett.
Thank you, Lord Vader.

Yes, Admiral?
Our ships have sighted the Millennium Falcon, Lord. But it has entered an asteroid field and we cannot risk…
Asteroids do not concern me, Admiral! I want the ship, not excuses!

----- The Empire Strikes Back (1980)

2017年7月18日 (火)

DA: Knight Errant #3

 先の記事の結末をまとめるのに時間がかかりそうなので、気晴らしにこれでも。

 "Knight Errant"の一巻目、二巻目は、Dark Horse Comicsのトップに、横長のバナーが用意されていた。今回はあたしが見逃した? あるいはそういうPR方針? それとも、やっぱ売れていない?

Ke3
 この酔っ払いのおっさんが何者は、この際あまり関係ない。

 ゲイダーさんが言っていました。自分が創造したキャラクターを、他人が勝手に(二次創作などで)いじるのを見ていると、どうしてもイライラしてしまうそうで。そうは喋らんだろう、そうは動かんだろう、ということですかね。

 これも、一種の「嫉妬」でしょうね。「うちの子になにさらしてくれんねん!」というだけなら「親の愛」なのだろうけど、どちらかと言えばむしろ、「娘を(息子を)他所の男(女)にとられた父親(母親)」の憎悪に近いんだろう。あー、インクルーシヴィティには配慮していません(笑)。

 DAI開発時のゲイダーさんは、リード・ライターの仕事があまりに多忙で、自ら小説"Asunder"で創造したキャラクターであるコール(の台詞まわりのシナリオ)を、パトリック(ウィークス)に引き渡さなければならなかった。そのときの「苦悩」ぶり、「狼狽」ぶりが、手塩にかけて育てた子をよそ様の家に出す感じそのものだったので、思わず笑っちゃいました。

 このコミックのシナリオは、DAのライターが書いているのではない。今回のヴァリックは、本編(担当はゲイダーさんではなくメアリー)や、ゲイダーさんがコミックで描いた人物とは、ちょっとばかりキャラが違い過ぎる気がします。

 表紙のナイトのおっさんを、"Muscles"と綽名で呼んでいるのには受けましたけどね。

 ずばり、「脳筋」!

 それよりもなによりも。

Ke32_2
 このお方、どちら様?

 いや、オリージャンのドワでもフェラルダンのおっさんでもねえよ。
 アーマー見りゃ分かんだろうが、つうか、これってコスプレイヤー? 

 この、イザベラが鏡台代わりに使ったという、ぴっかぴかのシルヴァー・アーマー。 
 おまた付近にアンドラステのお顔がついている。
 スタークヘイヴンのプリンス(公王)、セバスチアアアン・ヴェイル殿下に決まってるではないですか。(スタークヘイヴンは、領主がプリンスのプリンシパリティ国家)

 どこのヴィジュアル系バンドのヴォーカルかと思いました。キャラ違い過ぎる・・・。

 とにかくこれで三巻目。ふつう全六巻くらいでしょうか。この手のコミックのいつものノリで、物語進行はまったりもったり。一体全体、何かのクライマックスに辿り着けるんだろうかと心配になってきます(うそ。実はなにも感じていない)。

 出オチかなーと思っていた、冒頭カークウォールの(元)騎士団長メレディスのピンクの像も関係あるみたいで、次巻が待ちきれませんね!(毎回毎回、リリースされたの気づかずに、しばらく放置してんぢゃねえのかい) 

***

Sebastian: You've been watching me all day. It's getting a little... distracting.
Isabela: Merrill's right. Your armor is shiny. I can see myself in it. Look!
Isabela: Shit. Oh, shit. Is that a wrinkle? Is that a wrinkle between my brows?
Sebastian: Um. I don't see—
Isabela: Hold still!

「今日一日中、君は私のことを見ていたね。ちょっと気になってしまうのだけど」
「メリルの言ったとおりね。あなたの鎧てばぴっかぴかだわ。あたしの顔がすっかり写ってるもの、ほら!」
「え、うそ、やば! これって小じわ? え、この眉の間のって小じわ?」
「ううーん、よく見えないけど・・・」
「ちょ、動かないで!」

***

Anders: Is that supposed to be Andraste's face on your crotch?
Sebastian: What?
Anders: That... belt buckle thing. Is that Andraste?
Sebastian: My father had this armor commissioned when I took my vows as a brother. Anders: I'm just not sure I'd want the Maker seeing me shove His bride's head between my legs every morning.

「その、おまたのやつってアンドラステの顔かい?」
「何?」
「その・・・、ベルトのバックルのやつ。アンドラステかい?」
「父上が注文してくださったのだ、私が聖職に入るときに」
「メイカーがどう思うかあんまり考えたくないな、彼の花嫁の顔を、毎朝股の間でぐりぐりいじってる姿を見られたら」

 (新訳ブームらしいんで、過去記事参照せず、訳も新訳で(笑))

2017年7月 2日 (日)

【DA4】もの言えば

 PC Gamerの記事。
 
http://www.pcgamer.com/biowares-dragon-age-team-is-currently-hiring-a-lot-of-people-says-creative-director/
 
 MLがポッドキャストで、「DAチーム、今めっちゃ人雇ってますわ」とのたまったそうな。
 
 わー、なんだろー、"Dragon Age Tactics"かなー。"Dragon Age Heroes"のRTS版かなー。題して"Age of Dragons"(まんまやん)。
 それとも、あちみたいにこっちもシューターにしちゃうのかなー、"Dragon Age Horizon Z(略)"。
 あ、わかった。"Dwent Card Game"だ。
 んまあ、"Anthem"に人手持っていかれたのかどうなのか知りませんけど、今から雇うってんだから、やっぱ2020年3月リリース説あたりが固いんぢゃないですかね。
 
 しかし、この記事のキモ、ツボはそこではない。MLが"Jade Empire 2"について触れている部分だ。
 ML自身がBioWareライター時代(マジ)、鼻水たらしながら(マジ)シナリオ書いていた、血と汗と涙の凡作"Jade Empire"の続編のことだ。
 過去からずっとその企画については議論の俎上に乗っていたそうです。"Dragon Age 2"関連の開発(エキスパンションのことか)を優先するため、先送りになったんだそうだ。
 
 しかし、テン・ミリオンなんて絶対狙えないと思われるこんなRPGタイトルの話題をわざわざ引っ張り出してきたのはなぜなのか。
 ひとつには、ご本人にはやり遂げた感、達成感があったのかどうか知りませんけど、端的にノスタルジア。ただ思考を弄んでいるだけで、結局(常識的に考えても)現実にはならない。
 もしそうでないのであれば、つまり実現させようとしているのであれば、これは由々しき事態と考えた方が良いかもしれない。
 
 "Anthem"が成功するかどうかは知りませんが、少なくともあれはRPGとは呼ばないでしょう。"Titanfall"と共食い(カニバリズム)になるのかならないのかも、よくわかりませんけど。
 
 やはり、もうひとつのRPGタイトルであったMEのあの惨状に影響されているとしか思えない。「MEは死んだ」。EA的にはあのタイトルは"written off"、もはや価値のないものとして帳簿上消された(滅却された)扱いなのではないだろうか。
 ちなみに、ME:AにはシングルプレイヤーDLCは「ない」。え、なんで今頃言うの? もう知ってたよね?
 
https://www.gamespot.com/articles/mass-effect-andromeda-not-getting-single-player-dl/1100-6451345/
 
 喩えるなら、って喩えが良くないけど、ツー・カー・エントリーのF1チームのドライヴァーがひとり欠けたので、三人目のテスト・ドライヴァーが引っ張り出されたという感じでしょうか。テスト・ドライヴァーはレースに出ることなんて最初から期待されていない立場だ。"Jade Empire"はその三人目。
 
 あるいは、MLとしては、ライターとして携わったJEについてはOBづらしてものが言える(なんだかんだで、DAIの中にも、JEぽい場面っていくつかあるのですよ)。DAでは現実に親分のひとりなのでものが言える。
 一方でMEについては、もの言えば唇(略
 SWTOR(略
 
 なんとかして! 口に出せるタイトルがどんどん減っていっちゃう!
 あー、あとSONIC(笑)
 

2017年6月17日 (土)

DA: Knight Errant #2

 出ていたのは知っていたのですが、どうにも気乗りしねえなあ、としばし放置してました。 

Ke2
 タイトル画は、ほんと良いのですけどねえ。

Ke21
 全何巻なのか知りませんけど、進行がちょっとね、遅いの。

 あたしは本当にアメコミ・リテラシーがないんだろうな。
 ここまで、お世辞でも「面白い」とは言えない。
 なんだかんだで次巻、主人公(エルフのスクワイヤ、実はシーフ)と、彼女が付き従っているナイト様は、ここカークウォールから、近隣の別の都市国家スタークヘイヴンに向かうそうだ。 

 あのDA2(DLC)の彼が登場するのだろうか?(あんまし、どうでもいい)

2017年5月24日 (水)

DA新ライターは大西洋のあっち側。

 DA4のライターが、ロンドンからリクルートされた?
 ゆうてもユーロゲーマーの記事なんで、あたしに信憑は判断できない。各自ご判断ください。
 
http://www.eurogamer.net/articles/2017-05-19-writing-the-next-dragon-age

 お読みになればおわかりのとおり、ロンドン在住のライターが、ロンドン在住のまま、DAライターにリクルートされたとのこと。
 ライター衆を、ライターズピットなる部屋に閉じ込めて、ワイガヤでシナリオを作り上げていたのが、少なくともゲイダーさんがリード時代のDAチームのやり方。もう彼もいないので、今後は大西洋を挟んだリモートオフィスでやるということなんでしょうか。

 彼氏が過去手掛けたゲームは知りません。テキストベースのスマホゲー、ウェブゲーなんでしょう。ライターとしての素養を認められるには、うってつけの舞台と考えて間違いなさそう。
 さらにユーロゲーマーは、彼のスタイルからして、DA4はクナリが前面に押し出された内容になるのではないか、と予想している。
 
 素養がどうとか、スタイルがどうとか、リモートオフィスがどうとか、こちらに判断する材料はありませんので、そこはユーロゲーマーの予想に乗っかるしかない。
 
 ME:Aでは、開発中にかなりのスタッフがカナダを去って大陸の南に戻った。やはりUSに比べれば、カナダのどいなか感は半端ない。特にエドモントンはなにもないところで、かつ冬が寒い。といっても、中にはシアトルに戻っただけのスタッフもいたくらいだから、ただ国境を跨げばよかっただけなんでしょう。

 ロンドン在住であれば、同じことが成り立つ。どうやら子育てもしているようで、わざわざコモンウェルスの中心から僻地に移住する必要もあるまい。それがBioWareにも認められているようだ。

 思い出すのは、FF12、それ以前はタクティクスオーガ、FFTや、ベイグランドストーリーを手掛けたあのお方。
 あのお方が繰り返してきた経験を、こちらの大西洋を挟んだ人もやるのではないのか、
途中でどうにも本隊と反りが会わないとか言い出すんじゃないかと、心配つうか予感のようなものがするんですよね。
 しかも、新IPなるえたいの知れないものもうごめいていて、どうやらそちらの見切りがつかないとDAのPJが本格化しないとなるのなら、DAのスタッフたちまで助っ人として巻き込まれてしまう恐れもあるわけで。

 もし、それらはただの被害妄想、DAのPJが新メンバーとともにまもなく本格始動するのだとしたら。
 オーレンとゲイダーは、DA物語舞台であるセダスのグランドデザインを、企画の当初から完成させていたのかという論点になる。これについては、ゲイダーさんが再三にわたり、ラフなものは完成させていると述べていた。少なくともDAIからDA4に繋がる部分は、MD、ML、パトリックとは共用されているはずで、大枠部分を一からうんうん捻り出す必要はないはず。

 ME:Aがやっちまった、新規蒔き直しの種がアンドロメダの土壌では育たなかった、というようなリスクは、DAにはなさそうです。ある意味やることは決まっていて、しかるべきライター陣を揃えて、細部をいかに書き込むかというところに注力すればいっちょ上がりのような気が、まったくしないところが問題なのですが。

 もちろん、ゲイダーさんが言っていたとおり、ライター部門はデザイン部門の単なる一部であり、先鋒でもないし、中心でさえない。開発負荷の大部分は、より技術的な部門のほうにかかっていく。とはいえME:Aでは、テクニカルな部分と同様に、あるいはそちらはいずれ修復可能であるが故、それ以上に、シナリオ部分のプアな出来映えがやり玉にあげられた。

 あたしたちには、祈るしか手がない。FF12のリメイクでもプレイしながら、気長に待つしかない、ってゾディアックもうすぐ来んのかい!

2017年5月16日 (火)

DA: Knight Errant #1

 Dark Horse Comicsから出ていた、ということだけ淡々とお伝えします。

 ME:Aのあれで、もうほとほと疲れ果てました・・・。

Da_knight_errant1

 表紙だけは、Magekiller同様にいつも素敵。

 DA:Iにも登場した、ベストセラー作家のヴァリック・テスラス先生は、地元カークウォールに戻って、都知事になっています。つか、正しくは「ヴァイカウント」ね。

 札束がいっぱい入るカバンを用意していた方がいいと思います。って、元作家知事って別なのもいた(笑)。嫌なの多いな、都知事。

Dake1

 繁華街の裏道で、ドワ親父がエルフJKとお散歩デートしてるわけぢゃない。

 この娘が主人公らしい。表題の「ナイト・エラント」、遍歴の騎士とは、彼女のご主人のナイト様のことかな。娘は(エルフであるにも関わらず)そのスクワイア、騎士の従者のひとり。

 というか、あたくし、アメコミのリテラシーがないのか、この、一巻目20ページ以上つかってやる設定紹介的な、いつものまったりした滑り出しについていけないんですよね。キャラ紹介で大体終わってます。

 あとはあ、メレディスさんが登場しますね。カークウォールですから。
 DA:Iリリース前に、MDとかMLがファンの質問を受けているRaptrの企画番組がありましたね。このブログのひとつ前のブログで紹介していました。

 そこでの質問の中に、こんなのがあって、MLが答えていました。

Q: Do we get to see what Meredith is up to?
A: Knight Commander Meredith? Er...she's not up to much. (ML)

Q メレディスがどうしているかわかるのか?
A 騎士団長メレディス? うー・・・、彼女は別にどうもしていないが。(ML)

 今回、バッチリ出てきますよ! というか、別にどうもしていませんけど(笑)。

 つか、上の表紙の絵が、あれですかねえ・・・。

 そのほかはアヴェリンでも登場させるつもりでしょうかね、出番はまだなかったけど。

2017年5月 2日 (火)

【ME:A】逢ひ見ての

のちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
 
 「ちはやふる 結び」、映画版完結編が来るそうです。観ないとなあ。
 (といっても、上映から半年経つと、有料とはいえネットで観れる時代なんですよね・・・)
 
 それはともかく、標題から始まる句の解釈、定説は、「思いを遂げた後のこの切ない気持ちに比べれば、それ以前の想いなんてなかったようなものだったのだな(と気がついた)」。「思いを遂げた」はもちろん「エッチした」の意味でしょう。栄華を極めた藤原家の貴族が、惚れた相手にただ会っただけでこんな句を詠むわけないじゃん! 女子高生ぢゃないんだから。
 
 ところが、これから書くことはそれと逆の意味。
 「ME:Aをプレイした後のこの絶望的な気持ちに比べれば、DAIに対する文句なんて、そもそも文句ですらなかった、そのことにようやく気付いた」
 「けり」は、故・大野晋先生によれば、「気がついた」、「気がついて驚いた」の意味だそうです。
 
 実は、ジャールのミッション編を記事に書いて、自分で読み直してみて、「こんなにつまらない記事書いたんだ!」と愕然とし、自分で自分を呪った。
 だが、つまらないのは本当は誰のせい?
 わたし、とマック・ウォルタースが言いました。
 短い納期と少ない人手と足りない才能で、わたしが殺した。
 
 悲しみがとまらない。(これ、当初はこの記事のタイトルに使うつもりだったのですが、念のため歌詞を調べたら、全く別のテーマであることはともかく、島国語がダメ。故・大野晋先生がご存命だったら、きっと怒り出す水準だった)
 あまりに絶望的な気持ちになってしまったので、老後の愉しみにとっておくべきブログ過去記事(DAI編)を読み直して、メンタル・ヘルスを維持していました。小学校のとき、大人になったら開けよう!とかで、庭に埋めたタイムカプセル(笑)を、大人になるまで待てずに開けてしまうこらえ性のないガキみたい。
 
 DAIにも色々文句言ってましたけど、その多くは、まともに動かないDAKとか、プアな実装とか、DLCがあまりに本編から浮いているとか、考えなしのアチーヴメント設定とか、周辺的な事柄ばかりであった。
 やっぱ「セリフ」のしゃれた言い回しなどは、自分で楽しんでいたことが手に取るようにわかった。「レリアナ無双」編などのいくつかの場面では、本当に感動していたことがわかった。なによりも作中NPCを指して「あのババア」とか「くそジジイ」とか呼んでいること自体が、作品への深い愛の表明であることが如実にわかった。
 
 「愛」の反対語は「憎しみ」ではない。愛憎相半ば、可愛さ余って憎さ百倍、あちらではアンビバレンス(ambivalence)というように、そのふたつは同じもの。「愛」の反対語は、実は「無関心」。マザー・テレサだっけ。クリスチャニティ―丸出し(愛とは本来神への、ジーザスへの愛を指す)、かつ、思いっきり政治的(恵まれない子らへのお金集め的)な発言ではあるものの、やはり普遍的真実ではないかと思う。
 
 ME:Aで、「このくそあま!」と思うのは、今のところクロミちゃんの元カノ、京都弁(誰がじゃ)のアサリくらい。アサリは、テクニカリーには「あま」ぢゃないけど。それだってME2の極道アサリの連中とか、ME3のサーベラスに比べればB級でしかない。
 ん? クロミ? だってこの文脈でクロミをくそあま呼ばわりしたら、あたしがクロミを気に入ってることになっちゃうぢゃんか?!(関心が高いことは否定しません、できません)
 
 先に記事にした、爺さん編だって、クローガンに無慈悲な仕打ちをしたヒューマン野郎をしょっぴいたときも、「ふーん」くらいの感想しかなかった。アンドロメダのクローガンが、根絶されてしまう原因をつくるような犯罪であったにも関わらず。
 対してオリジナル三部作では、(クローガンは別に好きでもなんでもないが)サラリアンのことがどうしても許せない気持ちになるように誘導されてしまった。書き手の技術がとても優れていると思った。
 ジャーマニーといえばホロコーストを連想してしまうのと同様、サラリアンといえばジェノフェイジということになってしまうのだ。(おかげで、ME:Aのサラリアンも出てくるとイヤな気持にはなるのですが)
 
(余談)
 ジャーマニーが、今の自分たちは「ナチス」ではないといくらPRしても、決して許さないジューイッシュが反PRを続けているから効果なし。プロパガンダのプロ同士の、あげ足とり、足すくいだけが決まり手みたいな陰惨な相撲を見ているようなものだ。
 島国といえばせいぜいパールハーバー、カミカゼ。ナンキン、セックス・スレイヴなどと誰も思わないのは、ナチスと違って非難自体がねつ造だから。そもそもみなごろし(鏖)はチャイナ、性奴隷はコリアの得意技。島国の得意技はもちろん先制攻撃。
 
 アメリカンなどさらに巧妙で、ヒロシマ、ナガサキなんて最初からなかったみたいに忘れたふりをする。フクシマは(炉がGE製なんで)さすがにまずいと思ったらしく、ロナルド・レーガン(空母だよ、間違うなよ)を派遣したけど、「これに免じてうちに損害賠償請求するなよ」というメッセージだったんだろう。オバマのヒロシマ演説なんて、後世異端扱いされて、歴史から消えていくんだと思う。(余談終わり)
 
 ジャール編の記事読み直してみても、(コンバット以外)本当に飽き飽きしてたんだなあとわかった。ゲーム内的にも、個人的にも、あのジャールを脅迫してきたアラゴンの運命なんて、正直どうでもいいと思った。
 
(以下、本ゲーム唯一最大のネタバレ! 読者諸君、警告はなされた。)
 
 そのように、すべての選択肢がどうでもいいものである、という先入観を植え付けられてしまっていたあたしは、本編最大(おそらく唯一)の重大な選択肢を間違えてしまった。
 「テューリアン・パスファインダーに関する重大な選択」といえば、プレイされた方にはわかるだろう。 
 その場面の映像さえ撮っていないという事実が、あたしが当時いかに軽んじていたかわかる。
 
 その選択がなんの脈絡もなく、クライマックスのある重大シーンに繋がってしまう。

202
 例のこのシーンの。

203
 ここに繋がってしまうようだ。

 もちろん、プレイ当時に何も知らなかったあたしは、アークのキャプテンが「ノゾミ」さんだけに、顔は全く島国系に見えないのはおいておいて、「あー、はいはい、またジャップのカミカゼ特攻かよ!」とイヤーな気持ちになってしまったのだ。

 何を証拠に? セリフ見なよ。"It's been an honor to serve..."(「ここまでイニシャチヴに貢献できて光栄でした」)と言いかけているでしょ。"honor"を重んじるというのがハリウッド流島国人の描き方の定番なんですよ。そして、受けた「名誉」に報いるものは、自らの「命」、「死」しかないのです(と、島国人が誰でもそう思ってると、思われている)。
 BioWareゲーといえば、ジャップはカミカゼ。これもハリウッドがサニー千葉(真一)と一緒に流行らせた、悪しきステレオタイプでしょうね。ハリウッドに限らず、イギリス映画でも、真田(広之)さんが似たようなことやっている(やらされている)。どの映画か言うとネタバレになるので言わない。

205
 「しがない街医者」も島国人のステロタイプじゃないの?

 気がついたあなた偉い。そのとおりで、これもカナダやアメリカでは結構ふつう。

 後になって、テューリアン・パスファインダーの選択いかんで、キャプテンの運命が分岐すると知った。だからといってBioWareを許す気はないのだけど。
 ま、ゲーム冒頭、キャプテンが島国人みたいな名前であることを知った瞬間から、イヤーな予感がしていたんですけど。(うそつけ、タムリン・トミタ@バビロン5を思い出したとか、はしゃいでいたくせに!)

 もし、二周目をプレイするとしたら(その元気が出たとしたら)、本当にやり直したいのはこの選択だけ。

 あと、どこの人口比で選んだのかしらんが、ハイペリオンにエイジアンいすぎ。逆に黒人いなさすぎ。2010年代のカナダはチャイニーズに占領されかかっているそうだから、自国の統計を参考にしたのだろうか。
 深刻な人口不足で、国の存亡の危機まで予見されるという、現代のカナディアンを攻めることはしまい。一方で、建国以来ずっと人種問題に苛まれてきたアメリカンの白人たち。その本心は、このようなイニシャチヴこそ、人種洗浄の絶好の機会と考えるんではないだろうか。人類は兄弟、世界は家族なんつって、平等に載せる発想にたつなんて、到底思えないのです。

 こういうときに数を減らす。 (レズン中尉@逆シ)

(蛇足)もちろん、その方法には、白人だけが載る、白人以外だけ載せるの二通りあります。アメリカン・ファンクの世界では、伝統的に「(本来この星の出身ではない)おれたち(黒人)を拾いに、宇宙からマザーシップがやってくる」という集団ファンタジーを唄ったものが多くあります。マザーシップは、「母性」、「母親としての特性」("mothership"。"fathership"に対応するため編み出されたフェミニスト用語でしょう。どっちも造語)ではなく、「母船」("a mother ship")のほう。

2017年4月13日 (木)

「読んでいない本(以下略」(承前)

 島国文字はだいたい読めるようになったけど、まだちっちゃいガキの頃(小学生の三、四年生くらいかな)、次のように感じた人はそれぞれどれだけいるだろうか。

 たとえば親の蔵書棚(自分の場合、両親ともかなり本好きだった)とか、学校のまたは公共の図書館とか、あるいは大規模な書店などで多数の書籍を目にしたとき、「うわあ、いっぱいあるなあ」だけで思考停止したのか、「一体、自分が生きているうちに全部読めるのだろうか」と考えて「無理かなあ」で思考停止したのか、「そもそもなぜ、人は皆死んでしまうのだろう。本をどれだけ読めるかという以前に、生きてること自体に意味も価値もないんじゃないか」とまで考えて、そこで思考停止したのか、さらに「生きるってなんだろう。そう考える自分ってなんだろう」まで行ってしまって、哲学者になったのか。

 あたしの場合は、「こんなん一生かかっても読み切れるわけないわあ!」と悟ったものの、哲学者にはならずに思考停止して、「読めるだけ読もう!」とアホな方面に突き進んでサイファイ・バカになってしまった口である。「また、筒井康隆とか、そんなのばっか読んで!」
 いわゆる「本好き」ってここじゃないのかな。もちろん書籍に限らず、映画、音楽、ゲーム、その他ゼッタイ一生かかっても網羅できない何かについても同じことだ。異性関係(恋愛)については、交差点の人混みを眺めて「自分がまだつきあってない女(男)、こんなおるんや!」と叫ぶ、往年の漫才師みたいだからやめておく。

 表題の本「読んでない本について堂々と語る方法」(ちくま学芸文庫)は、(買ったけどもちろんちゃんと読んでいない。流し読み、◎)まさにあたしのような連中へのダメ出しである。
 「オタク」がなぜダメか。「ニワカ」もなぜダメか。そういったことがわかる。とはいえ読まなくていい、というかラカン先生じゃないけど、むしろ読むな。これから、ちゃんと読んでもいないあたしが親切に敷衍してやるというのだ。

 筆者はおフランスの大学の文学部教授だそうだが、職業柄「読んでもいない」または「名前すら初めて聞いた」本についてコメントを求められることが多々あり、そうしたピンチを冷や汗かきながら切り抜ける方法に長く腐心してきたそうだ。本は、その秘伝伝授の「極意書」という形をとっている。もちろん、それは表面上の話であって、中は全然違う。

 社会が、「読んでもいないのに語る」こと自体がタブー、唾棄すべき、恥ずべきことである、というノーム(空気)に支配されている場合、つまり読書は神聖にして不可侵な営みであるという同調圧力がかかっている場合、そこに暮らす者たちは、①(当該社会・文化において)神聖視されている本は読んでいなければならない、②読むなら通読しなければならない、③語るなら通読していなければならない、という三段の縛りに囚われていることになる。実際そのとおり行うことはかなり困難であるので、それらに従うことは偽善的態度ですらある。ところが、読んでいない本について面白いことを語ることは可能だし、むしろ全部は(あるいは「まったく」)読んでいないほうがいいのだ。
 特に内容を説明しようとするとき、読んでいることが弊害を招くことさえあるという。この本は、このことしか言っていないと言っても良い。

 「オタク」が「ダメ」な理由はまずここだ。今日、キャラクター商法でぼったくろうとする売り手側は、あの手この手で、ありとあらゆる周辺作品を出してくる。定義上、その「全部の事物」を把握してなければ「オタク」ではない。別に本とか、アニメには限らない。ものがベースボールでも、サッカーでも、ラグビーでも、ある「世界」または「宇宙」(コスモス)に関するありとあらゆる「事物」を把握していなければ「オタク」ではないし、あてはまらない場合、「オタク」からは自動的に「ニワカ」と呼ばれる。
 そのくせ、「オタク」間の会話は一切成立しない。なに、アキバでもなんとかコンでも、紙袋ぶらさげたキモいのが複数で会話してるぢゃねえかって?

「オタクあれ観た?」
「観た観た」
「いいよね」
「いいよね」
「あそこがいいよね」
「いいよね、あそこもいいよね」
「いいよね」
「いいよね」

 これは定義上「会話」とは呼ばない。「街角の挨拶」でしかない。ただそれを、ひねもす繰り返しているだけだ。
 そもそも「ある宇宙に関する個別の事物を全部把握している」(間違っても「宇宙の全体像」ではないところがポイント)ことのみが「オタク」の存在意義であるのだから、その定義にあてはまる者同志の会話に「付加価値」や「追加的発見」が生まれるはずがないではないか。すべてはトートロジーと、その繰り返しとなるしかない、つうのも冗語(トートロジー)だけど。

 もちろん、本当の「ニワカ」側にもほぼ同じ意味で問題はある。「オタク」と別の意味で「ある宇宙の全体像」がわからない。この「全体像」(これはあたしの言葉だ)のことを、標題の本の著者は「教養」と呼ぶ。排他の関係にある「オタク」も「ニワカ」も、決定的にこの教養が欠けている点で同じであり、排斥しあう関係は近親憎悪の一種と言えるかもしれない。こっちにとっては「勝手にやってろ」でしかないが。

 余談であるが、特にサイファイやミステリーなどのジャンル小説分野で多用される「初心者向けとしてお勧め」という物言いが、あたしは大嫌いだ。島国サイファイはそういう発想が蔓延したことが原因で死んだ、とさえ思っている。身体的テクを要するゲームならまだしも、アニメに「初心者向け」なんてあるか? 大森望みたいなのはほっといて、そうやって人に奨めるバカがいるか? なぜ小説だけにある?(あることにしたい理由は知っているが、教えてあげない)
 14歳になったら本は自分で選べ。えーと、「読まない本」は自分で選べ、か。

 書籍の話に戻ると、この宇宙の全体像(教養)について、著者はある作品中で用いられた「全体の見晴し」という言葉をヒントに「共有図書館」という発想を導入する。これはすなわち全体像を指すものだから、問題は個々の「要素」を把握すること(オタク!)ではなく、それぞれの要素間の「関係」を把握することである。だから本を読んでいないことは大した問題とならない。
 一方で教養とは、個々の書物の内部で自己の位置を知る能力でもある。ある書物の細かい箇所に埋没することなく、ある程度突き放して、全体像を把握する(真の意味を見極める)という意味だ。
 
 「読んだ」と「読んでいない」という言葉の境界はあいまいだ。著者は、「読んでいない」状況をいくつかの段階にわけて示す。前の記事に示した「未読」、「人から聞いた」、「流し読み」、「読んだけど忘れた」などの「分類」がその具体例だ。そして著者は「読んでもいない」本に、平気で「未読、◎(とても良いと思った)」という評価をくだすのみならず、作中作品、つまり小説の中に登場する(大抵はタイトルだけ示される)架空の小説にさえ、「未読、◎」とか「未読、×」とかつけてしまう。
 「人から聞いたことがある本」の例では、エーコの「薔薇の名前」(流し読み、◎)の作中作品について触れられている。主人公は件の本に関する人々の話を聞きながら、読んでもいない本の中身を推理し、殺人犯の動機を推理し(そしてそれは間違っていて)、事件を解決に導く。

 次に、「読んでいない」本についてコメントせざるを得ない羽目に陥るいくつかの状況を分析してみせる。ここが個人的には一番面白く、トリッキーな部分だ。自分で書いてもいない本について大勢のファンの前で、自分で読んでもいない本について教師の前で、ある作家の作品について、それを自分で読んでいない作家の前で、恋愛相手の気をひくため、読んでもいない本についてその本が大好きな彼女の前で、などなど、こう書いてるこちらもこんがらがるシチュエーションが並んでいる。

 最後は、読んでもいない本について語るときの心構えだ。気後れせず堂々と、自分の考えを押しつけ、話をでっちあげ、自分自身のことを語る。
 まるでこのブログを書いている自分自身のことを言われているようだ。とはいえ、「本は読まないほうがいい、特にコメントするときは」というテーマも最後にここでまとめられている。結局のところ、本について語ることは、自分自身(自分の内なる書)について語ることであり、あまりに熱心に読み過ぎて、本の内容に引きづられてしまうと、自分を見失ってしまうのだから。

 ご多分に漏れず、あたしの自宅は本で埋もれている。老後に読むという口実で買ってしまったとんでもない数の未読の書籍が大部分手つかずで置いてある。
 そこまでひどくはないが、プレイしたふりだけしているヴィデオゲームも山積みだ。
 BD/DVDなど動画なら、垂れ流しにした画面の前で口半開きで座っていれば、「観たことがある」って言えるのに。(優しいから教えてあげるけど、どんなバカでもアニメに「初心者向け」とかほざかない理由は、実はこれだ)

 これまでは、そういう状況に思いを致せば、じじいになって体が動かなくなったらゲームはできない、読書にも視力と体力は使うからいつまでも晴耕雨読とはいかない、と暗澹とした気持ちになるところだった。
 標題の本を読んでだいぶ気が楽になりました。

 とりあえずは、君らから散々評判聞かされてきたTW3は、もうプレイせんで語ってもええな! 転売屋が消えないSwitchも全然手に入らんから、ゼルダもプレイしてないけど語っちゃっていいよな!
 という風に名前が出る「重要」タイトルは、なんだかんだでやっぱプレイすることになるんだろうなあ。「教養」あるゲーマーとしてはね。

「読んでいない本(以下略」

 「読んでない本について堂々と語る方法」(ちくま学芸文庫)は、先日買ったけどもちろん読んでいません(笑)。でも書いてある内容には自分でも思い当たるところが多々あり、また共感できるところもあります。

 たとえば、DAの小説はオフィシャルのもので5冊出ているはずですが、著者バイヤール教授風に○×をつけると、こんな感じになる。

1. The Stolen Throne(2009) 流し読み、忘れた、評価×(ダメだと思った)
2. The Calling(2009)    未読、人から聞いた、評価×(ダメだと思った)
3. Asunder(2011)      流し読み、評価○(良いと思った)
4. The Masked Empire(2014) 流し読み、評価○(良いと思った)
5. Last Flight(2014)    流し読み、評価×(ダメだと思った)

 後半の三冊は勝手(概要)訳をしてブログにもアップしていたので、「読んだことはない」とは言えないと思う。ところが、バイヤール教授の区分には、「舐めるように読んだ」とか、「熟読した」とか、「翻訳するため一字一句読んだ」などという分類はない。というか分類は上に書いた四つで出尽くしている。(一方で評価のほうは、最高の◎(とても良いと思った)から、最低の××(ぜんぜんダメだと思った)まである)
 なお、この手の本の場合の「人から聞いた」には「あちらのネットで評判などを読んだ」を含み、むしろそれらが大部分を占める。

 分類中、一般的に「読んだ」と表現される行為に一番近いのは「流し読み」だ。原文はおフランス語らしいので、これが本当はどういう意味であるのか残念ながら知らない。島国で言う「流し読み」は英語では"skimming"、"skim reading"とよく言うし、ネイティヴの奴らは普通にやっている。ビジネスの商法としては"speed reading"なんて言いますね。「速読」ですか。
 「斜め読み」は"diagonal reading"というそうだが、島国語がこれの明治翻訳語であるかどうかは調べがつかなかった。
 もちろん上述の本は、「速読法をマスターしよう」などという詐欺まがいのマルチ商法のすすめではない。そもそも「本は読まないほうが良い」というテーマに貫かれているのだが、敷衍するのがかなり面倒な話なので後まわしにする。
 
 BioWareの小説は、DAもMEもゲーム本編の「プリクエル」(prequel)であることが基本で、一部が「外伝」(supplementary story、side story、spin-off)である。

 まずあたし自身、「プリクエル」が好きではない。だから上述の作品群はスタートラインが×(ダメだと思った)となっている。
 「プリクエル」という言葉が生まれたのは1950年代後半だそうで、サイファイ・ファンタジーのパルプ・フィクション由来であり、60年代、70年代に盛んに用いられた。呼称はともかく、形式的にはホメロス(ホーマー)の「キュプリア」(シプリア、Cypria、未読、人から聞いた、×)が「イリアド」(Iliad、未読、人から聞いた、◎)の前日譚にあたるので、発想自体は古くからあった。

 最近であれば、Star Warsシリーズの「エピソード1」(The Phantom Menace(1999)、忘れた、×)から始まる三部作が、「エピソード4」(Star Wars(1977)、忘れた、◎)から始まる三部作のプリクエルにあたるし、「インディアナ・ジョーンズ」シリーズの2作目(Indiana Jones and the Temple of Doom(1984)、忘れた、◎)は、1作目(Raiders of the Lost Ark(1981)、忘れた、○)の前日譚である。またご承知のとおり、前者シリーズには、最近ではRogue One(2016、観ていない、×)など数多くの「外伝」があり、後者シリーズには「ヤングなんとか」という主人公の若い時代の冒険を描いたTVシリーズ(観ていない、人から聞いた、×)がある。プリクエル(または外伝)という手法が、直接的にはパルプ・フィクション由来であることを如実に示していると思う。

 そのことはまた、プリクエルや外伝が、オリジナル本編の「物語」ではなく、主人公及びそのサイドキックなど「登場人物」にフォーカスした作品群であることも暗に示している。
 あたしが、プリクエルを(多くの場合「外伝」も)あまり好きではない最大の理由は、こうしたキャラクター商売が好きではないからだろうと思っていた。オリジナル作品の登場人物について、昔は(若い頃は)どうだったかなどに興味が湧かない。もちろんプロット上の要請などで回想シーンが入ることは理解できるものの、大抵は「わかったから話を早く進めろ」と思ってしまう。
 「シャーロック・ホームズの思い出」または「回想」(忘れた、◎)で、若い時分はシャーロックより兄マイクロフトのほうがずっと賢かったし、実は探偵に向いていた、というエピソードをさらりと紹介しているが、そのくらいが上品で、かつ、物語の「今」でもきっとそうだったんだろうと納得できる出来事を示しているからお見事だ。

 ここまで書いてきて、上述の五つのDA小説に○とか×とかつけた意味が、自分でもわかった。「良い」と評価する大前提は、まず物語が自立している、つまり完結していることである。この点で「プリクエル」は、はじめから相当分が悪い。ふたつめは物語中世界で現在進行中のイヴェントを扱っている、少なくとも物語世界の「今」と密接にかかわりあう物語が語られていることだ。この点でもやはり「プリクエル」は劣る可能性が高い。

 DA2や小説五作目のような「枠物語」の場合、「今」が枠の外か中か、そのどちらであるか見極めるのは難しい面もある。だから言い換えるなら「すでに終ってしまった、死んでしまった物語」でないことが重要だ。上の例で言えば、前者の枠の中の物語は「まだ死んでいない」が、後者の枠内の物語は「とっくの昔に終わっている」、「伝説」だ。

 すでに大人の姿を知っている相手の年少時代の話をされても、話し手が自分の親とか恋人でもなければ、または聞き手が小説家かそのワナビー(志望者)でもなければ、相槌くらいは打つかもしれないが、真面目に聞く耳持たないでしょう。一方で赤の他人の話であったとしても、取調室にいる容疑者が一年前に犯したとされる犯罪をはじめて告白する話には、興味を持ちやすいでしょう。

 最初の二冊は、DA本編(DAO、DAOA)のリリース直前かほぼ同時に発表された作品であり、あたしの点が辛い(×)。本編に登場する人物で、それら小説にも登場する者たち(例えばローゲイン、ダンカン)の過去に対する個人的興味が薄く(理由は上に書いたとおりだ)、知ったところで何なんだろうと感じられた。また、そこで描かれるDAの世界観(例えば「オリ―ジャン・フェラルデン戦争」や「ウォーデンのコーリング」)については、DAのゲーム本編で必要十分に語られているため、今更知らされる必要はない。

 だから、三作目の評価が高い(○)理由は、この作品がDA世界における重要なテーマのひとつである「メイジ・テンプラー抗争」を扱っているからではない。本作発表前にリリースされていたDA2本編で、それはすでに散々描かれていた。そうではなく、DAOの登場人物であるウィン(とそのスピリット)、そしてその実の息子の物語にフォーカスしている点が大きい(コールが登場するゲーム本編(DAI)のリリースは小説発表の後なので、ここでは彼は考慮しない)。つまり三作目は、DAIのプリクエルであるというよりも前に、DAOから続いてきたシリーズのシークエルであったという点が重要だ。なによりも、この物語はエンディングで立派に完結している。

 四作目はDAIのプリクエルとして書かれているとはいえ、むしろ「外伝」である点が高い評価(○)となっている。本編の物語背景を借りている部分が多々あるが、本編からはほとんど独立した物語だ。むしろ受け皿となるべきだったゲーム本編のDAIがうまく取り込めていないが、それはどうでもよい。あくまで本編に影響を与えない形を守る必要があったため、窮屈さは否めないが、独立したエンディングも有している。
 
 五作目は完全な「外伝」である。四作目とは異なり、本編とは実質何の繋がりもない。物語の大部分は大昔に死んでしまった英雄たちの話である。エンディングで明かされる事実は、(もしゲームのプロットに活用するなら)今後の新タイトルで説明すれば事足りる。
 つまり「通して読まなくてもだいたいわかる」。ブログの読者にせっつかれ、もとい背中を押されなければ、おそらく途中までさえも読まなかったかもしれない。これまでの四作と異なり、著者はDAのライターでもないので、公式ファン・ノヴェルと言ったところだろう。プリクエル嫌いと似たような意味で、あたしはファン・ノヴェルが嫌いである。

 CRPGの小説版には、「正典」(canon、キャノン)問題がつきまとうので、プリクエルや外伝となるのは、ごく自然なことである。同時に、読むに値するものになるケースは限られている。ゲーム本編のリリース前に発表される小説は、本編の結末を引き継ぐわけにはいかない(シークエルは困難)。また本編に影響を与えることもできない(予定調和的で、つくりがとても窮屈)。物語の舞台だけ借りて「外伝」とするにしても、オリジナル作品ほどの魅力が生まれることは稀である。(ほとんどが「外伝」であるコミックスは、あたしにとっては押し並べて「忘れた、×」だ。

 スターウォーズのプリクエルがイマイチなのも、着地点を外さないよう「答え合わせ」に汲々としていたからに違いない(さらに、オリジナルがあまりに出来過ぎなので、それに伍すためトリプルアクセル級の難易度も求められたのかもしれない)。
 インディアナ・ジョーンズの二作目が良い点は、描かれている時代が遡るというだけの意味でプリクエルであって、物語が一作目とは全く独立しているところだ。一作目の仇敵ナチスと並んで大島国帝国が敵になるかというと、物語を駆動するためのツール(ヒッチコックがいうマクガフィン)扱いでしかなく、冒頭シーンだけであっさりと忘れ去られ、あとは全く関係ない話が展開する。何の制約もなく、本来のパルプ・フィクションがそうであるように、バカバカしいほどのびのびとした話になった。

 なお、映画・TVドラマなどのノヴェライズ小説は、一般に映画のプロットそのものをなぞる場合が多い。BioWareなら、Baldur's Gateの小説(読んでいない、×)がそれに近い。それはそれで「映画を観たのに、なぜ読むのか」という重大な疑問がつきまとうが、それはここでは置いておく。

 長々と何を書いてきたかというと、MEシリーズの小説は、さらに輪をかけて読んでいない、という言い訳だ。
 上のように表にする必要もない。すべての小説に関して「読んでいない、人から聞いた、×」となるから。
 ME:Aのプリクエルも、注文時点ではまだ自分が「亡者」だと思っていたのだが、到着したものをパラパラとめくっただけで読む気は全く生まれなかった。ネタバレはしないが、"Nexus Uprising"という表題どおり、ME:Aの登場人物たち中心の前日譚だ(読んでいない、×)

 「亡者」の看板は降ろしたかもしれないが、「オタク」としてそういう態度でいいのか。それともお前はなんちゃってオタクか? 「ニワカ」をバカにしているお前自身が「ニワカ」ではないのか?

 実は、標題の本に書いてあることは、まさにその点に関する興味深いお話であるのだが、記事が長くなりすぎた。そのお話はまた次回以降で・・・。 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー