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2017年8月

2017年8月30日 (水)

ワタシ、メシ、クテクル。

 早朝帰国して、出張中は電源オフにしていた自分のスマホを再起動したら、ヤッフーから「ミサイル!」とかいうのが来た。
 ようやく朝貢新聞本社屋か共産党本部に落ちたか、島国の夜明けが来たか、と思い、眠い目をこすってニュースを観たら襟裳岬?
 絶滅危機のマリモを無慈悲に粉砕して、自国製を高く売りつけようとでもいうのか(いやあれ阿寒湖だから。エリモとマリモ関係ないから)。
 
 チキンレースってのは聞いたことがあるけど、あれは勇気(蛮勇?)を競う意味であって、チキン(へたれ)同志のレースって意味ではないよな。
 
 それ以前にヤッフーからしか通報が来なかったのはなぜだろう。まったく気にしてないけど。
 
 飛翔体が飛んでくると、島国政府が悪いんだそうだ。核武装していないのが悪いからだろうか。先制攻撃力を準備しないからだろうか。
 大陸が「皆殺し」、半島が「性奴隷」を大好きでしょうがないように、島国は「先制攻撃」が大好きだ。
 この島国は、近代のほとんどすべての戦争において、宣戦布告前に攻撃を開始している(最後まで宣戦布告していない場合もある)。剣術のなんとか一刀流ではないけど、「先手必勝」の発想が染みついている。
 
 平和を愛する諸国民(笑)の公正と信義に信頼して(笑)、平和憲法(笑)を不磨の大典、九条を金科玉条として、あるいは魔除けの護符として崇め奉る、今の平和ボケ状況では信じられないことに、戦前のこの島国の行動は、「国際条約、国際協定、なにそれ意味わかんない」という発想に貫かれていた。
 足下の事態がこのまま続くことに耐え切れず、そうした本性がいつ露わになるのだろうか、という点にあたしの興味の対象は絞られるということだ。
 
 国書刊行会のレム・コレクション「短篇集」を読んで以来、スタニスワフ・レムにやみつきになり、とうとう旧作を集め始めた。一部は中古で探さなければならないのは、もちろんハヤカワのボケが再版をかけないからだ。もっとも「短篇集」こそ、波蘭愛読者の選抜したベスト・セレクション(一部他翻訳版があるので割愛されている)であるそうだから、面白さからいったら抜群であることも納得できる。
 
 ところがこの「面白さ」ちうのも表現するのが難しい。一般に言われているらしい「社会風刺・人類批判」とか、ある時期から傾倒したという「メタ・フィクション」傾向とか、そんな思考停止的な説明では、この「面白さ」が伝わるわけはない。作品によっては、宇宙ほら男爵物語、コズミック・ドン・キホーテ(あのディスカウント・ショップ関係ない、つうか宇宙ディスカウント・ショップなんてアイデア、レムがいかにもお家芸にしそうだけど)のお話と言えば、多少は接近することが可能かもしれない。
 
 もっとも、そう呼ばれうる作品は、他の多くの著者もたくさん書いていて、ハインライン以降その系列は枚挙にいとまがない。有名どころでは映画にもなった「銀河ヒッチハイクガイド」があるし、ラファティの諸作品がそうだし、まさにそのラファティが語ったように<サイファイ>は畢竟「ほら話」なわけだから。
(そういえば、"Guardians of Galaxy Vol.2"(2017、居眠りしながら観た、○)が妙に面白かったのも、その路線のノスタルジーを刺激してくれるからかもしれない。)
 
 そうした多数の作品とはどうも違う、一緒くたにしてほしくない。その気持ちを示すためには、レムの適当な作品を取り上げて、そのどこでもいい、できれば特にハイ・テンションな一節(というか大抵の短編は全篇ハイ・テンションなのであるが)を引用するのが最も手っ取り早い。例えばこうだ。(以下、「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」から引用)
 
 ドンダ教授の父親であった女性は、誘拐犯人の隠れ家を爆破したと同時にパンアメリカン航空機事故を引き起こした罪で終身刑判決を受けていた。彼女は誘拐犯人のアジトに笑気ガス入り爆竹を投げ込む手はずになっていたが、これは警告として計画されたものだった。そのため彼女は合衆国からボリヴィアへと飛んだ。空港の税関検査の最中、彼女は化粧用具ケースと近くにいた日本人のバッグを取り違え、その結果、誘拐犯たちは爆破されてしまった。なぜなら日本人のバッグにはだれか別人を狙った本物の爆弾が入っていたからである。空港職員のストライキによって引き起こされた別のミスのおかげで日本人のバッグを載せて離陸した航空機は、離陸直後に墜落した。パイロットが大笑いして方向舵を制御できなくなったためである。ご承知のようにジェット機は換気することができないのだ。不幸な判決を申し渡され、ほかの人ならいざ知らず、この娘に限っては子供を持つ機会を奪われたように思われた。ところがどっこい我々が生きているのは科学の世紀なのだ。(引用終わり)
 
 島国赤軍などテロリストが跋扈する前の時代で、どうして爆弾犯として島国人が登場するのか不明であり(黄色い猿ならどれでもよかったのかもしれない)、また今であればパイロットが笑い死にしようがどうしようが、オートパイロットの航空機が離陸直後に墜落するなんてことは、副操縦士の気でも違わない限りないだろうけど、そんなことはどうでもよい。
 父親が「女性」であることについては、この後にカンペキな科学的な「ロジック」が示されるから、それもどうでもよい。問題は、こんな長々と続くお話が本編にまるでなんの関係もないところだ。
 いや、それは確かに言い過ぎだ。なにしろこの短篇は「科学の世紀」に「手違い」から生まれた男のお話なのだから。といっても、だからといって、どうして誘拐犯が爆死し、パンナム機が乗客を載せたまま墜落しなきゃならんのか、そこにまるで意味はない。それと、「手違い」から生まれた? 誰か「手違い」からではなく生まれたヒトがいるのなら、ぜひ教えてほしい。
 
 とにかく、こうしたどうしようもない「わけのわからなさ」と、「一見したところ」どころか、深く考えても変わらない「意味のなさ」こそ、レム作品の真髄であると思う。
 ところで、空想世界を舞台にするサイファイは、現実世界のみにコミットする哲学とは違うと散々聞かされ、そのとおりであるとわかっていながら、レムの作品からそこはかとなく「哲学的」な風情が醸し出されるのはなぜだろう。
 
 結局、どれだけ必死に頑張っても、この世界のことなんてわかりはしないし、わかったつもりになるのは傲慢以外の何物でもない。とはいえ、頭割れるほど考えなければ、何がどこまでわからないのかさえわからない。
 まだ読んでもいないのにエラそうに語ると、(ある壮大な目論見が)「なんだ、結局何にもならない、ダメだったじゃん!」みたいなお話がいくつもあるようだ。狂騒的なまでの饒舌さの裏に、「語ることのできないことについては、沈黙するしかない」という例の名言が示す世界(のなさ)があるのかもしれない。
 
 (レム本人もある意味でお手本にしていたという)よく比べられるボルヘスも、同じように「わけのわからない」、「意味のない」作品を多数書いている。とはいえ、そこには神話的、宗教的な味わいこそあれ、哲学的風情を感じることは稀だ。レム自身の「主観的」ボルヘス批評(「対立物の統一 ―― ホルヘ・ルイス・ボルヘスの散文」)によれば、その答えは明々白々であるそうだ。いわく、ボルヘスが展開しようとしているのは「幻想的な哲学」である。ボルヘスが代弁する架空の哲学者たちが探し求めているのは「真実」ではなく、「驚異」に過ぎない。ところが、そうした虚構の存在論を本当の(歴史的に有効な)哲学から区別する本質的な違いなど存在しない。つまりわれわれの、人類の「真面目な試みとして認められている存在論的・哲学的なさまざまな概念とは、要するにわれわれの宗教や哲学の体系に他ならない」。その体系の「外」にあるものは、いかに理路整然としていても(ボルヘスの作品はそうだ)、決してまともには受け取られない。
 
 では、レム自身の作品はどうなのか。本人は、作家としての手の内を明かすことを当然嫌うという。それでも、「秩序」と「偶然」といった概念が人間の生において何を意味するのか、どうやらオブセスされているのはそのあたりであるようだ。(「偶然と秩序の間で ―― 自伝」)
 とはいえ、まだこの自伝ですらぜんぜん読んでもいないのに、勝手に結論づけるのはやめにして(今後の発見の楽しみが減るから!)、とりあえずあたしの作業仮説として置いておくことにする。
 
 わが島国で、作品の「わけのわからなさ」と「意味のなさ」を作中でも公言していたのは、他でもない筒井康隆先生だ。
 
 レム・コレクションが完結した同時期に、筒井先生の短編集が(忌々しいことにハヤカワ文庫から)出ていた。正確には島国SF誕生(の年を故・星新一デヴューの年と考え、そこから数えて)60周年を記念して、60年代から70年代にかけて発表された作品群を作家ごとに選抜するという趣向のシリーズ第一弾だ。
 もっとも、「デヴュー60周年を記念すべき」星新一の作品群は新潮社が版権をガメていて、このハカワヤ・シリーズに転載することがかなわないそうだ。ざまあみろ。
 
 この後、小松左京など「黎明期」?の他の作家5人の選集がそれぞれ刊行される予定とのことだ。あくまで筒井先生の一ファンであって、島国SF信者でもなんでもないあたしにとって他の作家は一切関係ない。だいたい、なにかの基準でひとくくりにできるメンツでもない(ヤハカワが出す以上、「SFマガジン」掲載作家という、あまり意味のない「くくり」はある)。
 
 そうは言っても、ガキの頃アホみたいにサイファイばかり読んでいたあたしは、他の5人の作家たちの作品も大部分は読んでいると思う。たとえ読んでいなくても、あたかも読んだことがあるようにエラそうに語ることに違いはないのだが。
 
 当時ヴィデオゲームなんて、わざわざ街のゲーセンに出向いたり、通学路にあるボーリング場のアーケードに仲間と入り浸ってプレイするものだったし、当たり前のように全部「ナイトメア」難易度設定で、いたいけな少年たちのなけなしのコインが片っ端から吸い上げられるスピードは目にもとまらなかった。
 一方で、今にくらべると書籍(特に文庫)の価格は安く感じられた時代であったし、電子図書ではわりと難しい(できないことはない)、必殺「回し読み」という制度(笑)もあったので、お金かけずに空想に浸る世界には事欠かなかった。
 
(もっとも、これには異論もある。「名目」価格だけでいえば、確かに書籍の価格はオイルショックを契機に(実はそれ以前から)どんどん上昇してきているのは間違いない。これに対し(一人当たりGDP比、国民所得比、可処分所得比などで補正する)「実質」価格は実はかなり下がっているという説もある。コンピュータライズによって出版コストが激減しているのも一因だろう。なんとなく昔のほうが安かった気がするのは、かつてはリファレンス価格(お財布の中のお小遣いを取り合う他の娯楽用途のコスト、今でいえばヴィデオゲーム、映画・ライヴなどエンターテイメント、スマホアプリなど)に乏しかったせいかもしれない。例えば現在の文庫本が千円だとすると、60年代70年代の書籍は実質八千円、ちょうど今のヴィデオゲーム一本分くらいするという計算もあるようだ)
 
 余談が過ぎた。筒井先生の作品は片っ端から読んでいたので、この「日本SF傑作選1」に収録されている初期作品はいちいち懐かしい。
 その中で「マグロマル」は、ちょうど読んだばかりのレムの惑星連合議会を扱った短編と同工異曲、味わいこそ違え、どちらも国際会議のわけのわからなさ、意味のなさを描いた傑作だ。 
 ふと、両作品の時代が気になり調べて見たら、驚いたことにいずれも1966年だった。当時の国際連合(UN)はいったいどんな状況だったんだろう。
 
 波蘭はもちろんれっきとした「戦勝国」であり、UN設立時(1945年)のオリジナル・メンバー(すなわち連合軍を構成した連合国と、一部の中立国)約50か国に含まれる。バトル・オヴ・ブリテン(英国上空の戦い)では亡命波蘭軍(Polish Armed Force in the West)のパイロットが空中戦を戦い、ノルマンディ上陸作戦時にはカナダ軍など戦勝国・英連邦軍に続いてゴールド・ユノー海岸に上陸し、戦勝国・連合軍の左翼として戦い続けた。有名な戦いにはたとえばファレーズ・ポケット(Falaise pocket)の包囲戦がある。
 
(ただし、波蘭領であったガリツィア地方のルヴフ(英:Lviv)でユダヤ人の医師の家に生まれたレムの場合、事情は複雑である。同地方は先の大戦では一時ナチス支配下となり、ナチスに加担する義勇軍さえ生んだ。第二次大戦後から現在に至るまではウクライナ(ユークレイン)領。レム自身は家族とともに戦後すぐクラクフ(英:Krakow)に移住し、以来2006年に没するまで、その地に住んだ)
 
 敗戦国・島国がUNに加盟したのは、戦勝国・露との国交が回復した1956年で80番目。1966年には加盟国約120か国となっていた。戦勝国・中華民国が正式加盟しており(1971年に追放)、分裂した敗戦国・東西ジャーマニーはまだ加盟していなかった(1973年に加盟)。
 1960年代(ウ・タント事務総長時代)は、ちょうど、「植民地独立付与宣言」が決議され、米露いずれの陣営にも属さない国家群が多数派となり、結託して先進国の意向に反する議決を目指した時代だった。
 
 ユーラシア大陸をはさんだ二人の作家が、このUNのゴタゴタした状況から同じ着想を得たのは、間違いないだろう。
 
 だからといって、昨今のUNの、あまりの無力さ加減に話をつなげると思ったら大間違い。あんなものがまるで機能するはずがないのは、今更あげつらう必要もないくらい自明だ。平和を愛する諸国民(笑)の公正と信義に信頼して(笑)、上納金をこれでもかと巻き上げられている島国は、なんのプレゼンスも示すことができていないし、なんのご利益も受けていない。UNICEFなんてアクネスの思うがまま言いなりだし。ああ、はいはい、あれ実はUNICEFとは違うものなんでしょ、知ってますよ。
 あとは世界遺産(笑)とやらを決めるのに、賄賂づけ接待づけでずぶずぶなのとか。なに、あれはUNESCO? 知らんがね。オリンピック誘致で賄賂づけ接待づけなのは違うのか? あれはFIFA? FIA? いちいち別々に賄賂とか接待とか面倒くさいから、いっそそこらへん全部一緒にしたらどうなんだろうか。
 
 なんだ、よく考えたら、サイファイよりよっぽど面白いじゃねえか。 
 
***
 
 "There's nothing."
 "I know. Have a good Journey, Mr. Wayland."
 
 「何にもなかったな」
 「ですね。ではよい旅を、ウェイランドさん」
 
(不老不死を求め、エイリアン・テクノロジーの探索に巨額の富を投じ、自らも星間航行に乗り出した大富豪。そのいまわの際の言葉に、相槌を打つアンドロイド)
 
 --------- Prometheus (2012)
 

2017年8月24日 (木)

Very well, Dallas. We are history.

 ME:A開発活動の終了(MPのみ継続)については、すでに告知されていた。
 
https://www.masseffect.com/news/mass-effect-andromeda-update-from-the-studio
 
 もはやこの場末のブログでさえネタにするに値しないと切り捨てた話題であった。ところが、ツイートで教えてもらった下のリンクの記事を読み、しばらく忘れていた憎しみがまたこみあげてきました。
 
http://www.pcgamer.com/amp/eas-patrick-soderlund-thinks-mass-effect-andromeda-criticism-was-a-little-unfair/
 
 PC Gamerが引用しているGamereactor UKの記事によれば、EAのEVP(上級副社)のおっさんが、次のように語っている。
 
1.ME:Aについて、お前らちょっと色々悪口言い過ぎ。まあ、たしかに「もうちょっとなんとかなったんじゃないかなあ」という点はあるかもしれないけど、本日たった今買えば「グレート」なゲームであることに変わりはない。
 
⇒ わざわざ事前に予約までして、リリース直後に正座してプレイした人たちのことはどうでもよい。釣った魚に餌はいらん。
 
 つうか、本日たった今買ったところで、オリジナルのバグとかテクニカル・イシューズが減って、フェイシャルが多少ましになって、あと何が変わったんだっけ?
 
2.これだけ大きなファンベースがあり、EAとついでにBioWareに多大な貢献をもたらしたMEフランチャイズに、金輪際戻らないなんてことがどうしてあるだろうか。
 
⇒いい加減年だとはいえ、この牝牛からはまだ搾乳(milking)できるはず!
 とはいえAnthemの動向次第。あれがうまくいったら、何言ったか忘れたふりしよう。
 あれが思わしくなかったら、ツートップの一角がJade Empireじゃ弱すぎるし、新IP立ち上げようとするたびにライターだの、スタッフだの続々辞めて行っちゃうし、MEを倉庫から引っ張り出すしかないだろう。
 
 むしろAnthemがうまく行かなかったら、BioWareは、あのなんとかいうねえちゃんの新スタジオ(Motive?)に吸収合併されるんちゃうの? 
 
 PC Gamerの記者は、「しかし、全銀河規模の殺戮を阻止するため戦ったその後に、一体なにを取り上げるというのだろう?」とまっとうな疑問を投げかけている。
 
 ところがあたしは、答えはすでにME:Aが出していた気がする。リーパーズ襲来後の銀河再建・復興テーマで十分だったのではなかったか。
 
 その場合、唯一の問題が、あの信号機エンディングだ。あれをどうコンプロマイズするのか、頭割れるほど考えるべきだった。あるいは信号機エンディングの選択分岐を図々しくサクッと無視して、「赤」の場合でやりまーす、と宣言したほうが、誰も知らない新銀河で、わけのわからん種族と、よくわからない目的地を争って小競り合いを繰り返すより、ずっとましだったはずだ。
 
 もちろん、開発スタッフが同じであれば、テクニカル・イシューズも、フェイシャルの問題も、ME:Aと同じように発現したかもしれない。そうであっても、EVPのおっさんが上で言っているとおり、「そんなもんは時間かければなんとかなっぺ」だ。
 そして、コンバット回りは、手を入れるべきところもあまりないだろう。
 
 問題は,(オープンワールド風味の良し悪しは別にして)シャビーなプロット、絵に描いたようなお遣いクエスト、おざなりな敵役、誰だったかよく覚えていないNPC、それどころか、いまいちとらえどころのないクルーたちのほうにあった。
 
 リーパーズ襲来後、銀河復興の線でケーシーがやり直すというなら、一口乗った。そうでなければ、また「フレッシュでエキサイティングな環境」がどうたらいうなら、ただ単にME:Aの轍を踏む可能性のほうが高い。
 
 表題は、"The Hunt for Red October"(1990、忘れた、○)の知る人ぞ知る名セリフ。
 YouTubeで探すと、長さは4分とちと長いけど、状況がわかるのでこれがよいかもしれない。
 
 https://www.youtube.com/watch?v=O33FK3xWFRU 
 
 かくいうあたしは、この映画を公開直後に新宿でダチと一緒に観た。とはいえ夕方からふたりで遊びまわった後に深夜興行の映画館に突入し、おそらく途中で居眠りしていたので、その時は良さがいまいちわからなかった。のちにレンタルで観直したときに改めて感動し、レーザーディスク(笑)まで買ってしまった。
 
 映画館ではところどころ寝ていたので、このセリフの字幕がどうだったか覚えていない。試しにネットで調べてみると、「ちょっとニュアンス違うんじゃねえの?」みたいな訳が出てくる。
 "very well"は作中でしつこく繰り返されるように、「結構」、「了解」、「承知」程度の意味だ。"Dallas"は、作中で"Big-D"と呼ばれる、US海軍のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦「ダラス」。
 問題は、もちろん、"We are history."の部分で、「あとはよろしく!」とか、「任せた!」とか、なんだか知らんが島国の連中は、やたらポジティヴな表現にしたがるみたいだ。
 
 主人公ライアンは、元マリーン、現CIAアナリスト。後の作品では、とある事件の結果、US大統領に就任する。作中演じているアレック・ボールドウィンも今では大統領役で有名だ、つってもドナルドだけど。
 
 ベルリンの壁崩壊前の1984年。露の新型ミサイル原潜「赤い十月」は、ムルマンスク近辺から大西洋に出航後、不審な挙動を繰り返す。「赤い十月」艦長の意図が「亡命」にあると推理したライアンは、国家安全保障補佐官の極秘特命により、付近の海域に展開中の空母「エンタープライズ」から、US海軍で唯一「赤い十月」の追尾に成功している「ダラス」に乗り移り、「赤い十月」艦長とのコンタクトを図ることになる。
 一方、新型原潜の亡命意図に気がついた露側も、北大西洋に全海軍力を投入して「赤い十月」の撃沈を試みる。東西双方の海軍力が北大西洋に密集し、たったひとつの小さな過ちでさえ、第三次世界大戦を引き起こしかねない一触即発の危機が訪れていた。
 
 上の映像の1:10あたりからの部分。荒天の中、「ダラス」との接触がかなわない輸送ヘリのパイロットは、燃料不足のため間もなく空母への帰投が必要になると通告する。ライアンが「予備の燃料があるだろう」と質すと、パイロットは「戦時以外は使用禁止だ」と答える。
「今、ダラスに接触しなければ、その戦争がはじまるんだ!」
 そう叫ぶライアンを見つめるパイロットの視線が語るのは・・・。
 
 「誰だ、このキ印載せたのは?」しかないじゃないですか。
 
 あとはご覧の通りで、「ダラス」に接触したヘリから、ワイヤーで吊り下げられたライアンは、潜水艦橋への移乗に幾度か失敗した後、自らワイヤーのフックを外し、氷点下の海中に飛び降りる。
 表題は、その直後のパイロットの台詞だから、(あたしに似合わない)穏当な訳にすると、こんな感じではないか。
 
「了解、ダラス。こちらはお役御免だ」
 
 ニュアンスは、「あとやることない」とか、「もう帰っていいよな」とか、「これでせいせいした」とか、全然前向きなものじゃない。少なくとも、このシークエンスを全部観たうえで、「任せた!」とか「よろしく!」とか、そんなポジティヴなセリフは出てこないだろう。
 
 ME:Aの開発終了宣言に対して発するなら、例えばこうでしょうか。
 
「はい、撤収、撤収」

2017年8月23日 (水)

<サイファイ>は生きている。

 その日は、他にも山の手方面に外出する用事があり、実は一旦渋谷に電車で戻ってきた。ところがかねてから言っているとおり、ハチ公から半径1キロ以内には結界があるので、あたしは巫女がいなければ一人では入れない。だからその駅前の書店には行くことができない。電車を乗り換える駅構内はいいのかというと、そこは潜水するように息を止めて速足で駆け抜けることにしている。
 
 新宿界隈には、昔相当入り浸っていた時代もあった。今では年に数えるほどしか行かない。東口からさほど離れていない、例の大型書店が手っ取り早いだろうと思い、レム・コレクションのフェアが開催されていることを確認したうえで向かった。
 
 見つからない。数階建てとはいえ、それぞれのフロアが大して広いとはいえない店内であるにも関わらず見つからない。新刊のコーナーには、コレクション完結となる第六巻が山と積まれているのは発見したものの、例の無料冊子も置いていなければ、残りの五巻の影も形もない。
 わりと混雑している店内をやみくもにぐるぐる回り続けるのも格好が悪い。午後まだ早い時間だから冷房の効いているはずの店内も結構暑いし、年を取って短気になってきているので、こらもたん、店内検索システムで速攻探し出そうと思った。
 
 ところが、お客様用には一台しかないその端末を、何を探しているのか知らないが、あっち関係風の、いかにも新宿のおねえちゃん的な女性が延々と独占している。もしかしたら、何を探しているかさえわかっていないのではないか、それとも実は島国語が読めないのではないか、あるいは、書籍検索ではまったくない何か違う用途のマシンと勘違いしているのではないか、と思えるくらい長時間佇んでいる。
 
 諦めて(年とると我慢が効かないのだ)、これはもう最寄りの店員に尋ねるしかあるまいと思い、先ほど発見した第六巻を手に取って、手すきになったと思われる女性店員に、「あのー」と話しかけた。その瞬間、その彼女の肩越しに、フェアの棚を発見することになった。
 
 店員に声をかけた瞬間に自分で発見するという、ばつの悪さというか、お前の目はどこについてんだ的な、何を探しているかすらわかっていなかったんじゃないか的な、きまりの悪さをこらえつつ、「あ、あった、いいです」と言って逃れたつもりではあるものの、しどろもどろ感爆発で、お前島国語わかんのか的に、どこかの怪しいエイジアンではないかと疑われたのかもしれない。いっそ「♪探すことをやめたとき~♪」とでも一節唸ったら、事態は好転したのかもしれない(しないと思う)。
 
 だいたい、そんな片隅のわかりにくいところに設置してんじゃないよ、とブツブツ言いながら、まず無料冊子を速攻ゲットした。山ほど積んであるので、「なくなったら終了」の心配はどうやら最初からなかったようだ。んまあ、新刊である第六巻も、さっきはものすごい数が平積みされていたけど、そんなに売れるわけないだろうしねえ。
 
 取り敢えず「来た、見た、無料冊子得た」でミッション・コンプリート。「ただいまより帰投する」でもよかったのだけど、せっかく来たのだから、お布施代わりに一冊くらいお金払ってお土産代わりに買って帰ろうと思った。
 
 ところが高い。まあ、買う人少ないから高いというのもあるだろう。高いっちゅうても、あの忌まわしいマイリグ更新さえなかったなら、あたしのバランスシートが毀損していなかったら、六冊丸ごと買ってもよかったくらいのお値段だ(持って帰るのは重そうだけど)。といっても全巻衝動買いしたところで、読むことができる時間は今のところ限りなくゼロに近いだろう。
 
 フェアの棚の前で、ひとりでうんうん唸りながら、ああでもないこうでもない言いながら、怪しいニセ島国人としてケーサツに通報される事態に至る前に、結局、コレクションの第五巻目にあたる「短編集」を買って帰るという、とても安易な結論に至った。だって、少しづつ、一篇づつ読めばいいじゃん。
 
 というか、第五巻が出たのは2015年、実に2年も前だ。なんで今買ってんだっけ。やっぱ「フェア」って怖いね、「ハレ」って怖いね、祭りの喧騒にうかれ舞い上がって、大事なものを喪ってしまうひと夏の経験ちうやつの一端を垣間見たような気がした(うそつけ、今思いついただろう)。
 
 いつもの本屋帰りであれば、買ってしまった本を大量に抱え、帰りがけにそこらのサテンにでも入って、コーヒーでもすすりつつ、一冊づつ戦果(なのかどうか知らないけど)を確認するのが常だ。珍しく一冊しか買わなかったその日は、そそくさと帰路につくことにした。
 
 なに、すれちがい通信はどうした? いまレム・コレクションの話してんだよ!
 
 家に帰ってさっそく読み始めて、とたんに椅子から転げ落ちそうになった。長い間、まるで使っていなかった脳みその、そのしわしわの間にたまった埃くずを、電動ハンドクリーナーかなんかでぎゅんぎゅん吸い出される感じとでも言いましょうか。
 
 一体なんなんだろう、これは。誰かが評して書いていたように、まるで「ラリ」ってる、今風に言えば「キメ」てるのではないか、と疑われても仕方がないくらい、実はわりとよくある普通のサイファイ的な元ネタからはじまることに違いはないものの、そこからの連想というか空想というか、それになんの制約も歯止めもなく、おそらく本人が飽きるまでとか疲れるまで、延々といつまでも、とことん発想をひろげ続けた結果とでも言いましょうか。
 
 今のところは、これ以上言葉で説明しようとしても無理のようだ。あのボルヘス的な「わけのわからなさ」という評もたぶんあたってるのだろう。なによりも、ボルヘス的な「意味のなさ」とは、おそらくかなり似通っている。その点では、ボルヘス以上に哲学的なこともうすうすわかる(「短編集」には、その哲学自体をネタにした短編も含まれていた。今まで読んだこともないような代物であったけど)。
 
 これはやみつきになる。仕方がないので、後日、同じ国書刊行会から出ている「架空書評集」として名高い著作(その発想自体、いかにもボルヘス的)と、ハヤカワがまたしても便乗?抱き合わせ?で出荷しはじめた(コレクションには載っていないものが多く掲載されている)別の短編集とをAmazonに注文した。
 
 脳みそのしわしわの間を、電動クリーナーで吸われる感じ。一回経験すると、なかなか逃れられないんですよ、奥さん。日頃の疲れとか吹き飛びまっせ。いっぺん試しにどう?
 
 そんな短編が詰まっている「短編集」を一気に読むなんてことは、いい加減年取った身ではとてもできない。少し進んでは、息継ぎのため水面上に首を出し、ちょっとお休みする必要がある。そのとき、書籍に挟まれていた「未来の文学」シリーズのリーフレットが目に留まった。
 実はそのシリーズは、これまでほとんどの著作をしこしこ買い溜めてきている(全部読んでいるとは言っていない)。リーフレットに載っている既刊分の表紙写真をぱらぱら眺め、「いいから早く新しいの出せよ」と思ってまた元通り書籍に挟もうとしたところで、一番最後のページに「編集部員の言葉」が載っているのを見つけた。
 
 (国書のこのサイファイ・シリーズが、あまりにニッチ狙いであるという意味で)「サンリオ文庫の亡霊」とか、「ハヤカワのアーカイヴ」とか嘲笑され揶揄されている、という自虐的なジョーク(それで何が悪いという開き直り)にクスリと笑った他、「大したことは書いてねえな」と思っていたら、最後の最後でまた腰を抜かしそうになった。
 
 あたしが、そのシリーズを買い続けるきっかけとなったのはラファティの作品だった。とある講演会で彼が語った言葉が引用されている。
 いわく、小説という形式は、現在の社会に深く影響されるものなので、構造が崩壊した今では存在できず、すでに死に絶えている。生きているように見える<ゾンビ>のようなものである。一方でSF(サイファイ)は、社会の反映などせず、つねに焚火のそばで語られるほら話である。
 そこで、ほかの分野の小説の幽霊が、SFに向かってこんな正しい指摘をするかもしれない。「おまえはあんまり出来がよくねえな、ええ?」
 そのとき、SFはこう答えるだろう。「出来はわるいかもしれんが、おれは生きてるぜ。あんたは死んでいる」
 
 正直、最初に読んだとき鼻水が出た。そして、「サイファイは死んだ。ずーっと死んでいる」と言い続けてきた自分の浅はかさを恥じた。
 
 いや、そうではない。「サイファイ」は死んだ、間違いなく「ずーっと、死んでいる!」のだ。
 だが、<サイファイ>は死んでいない。「生きているし、これからも生きつづけるのだ」(上述の編集部員の言葉) 
 
 そのことにまるで気がつかなかった、そこが浅はかだったのだ。
 
 これは、ニーチェが「神」と呼んだ存在をどう捉えるか、そのダブル・ミーニングに気がつくかどうかと同じくらい興味深い話だと思うし、きっとそうであるに違いない。

「サイファイ」は死んだ。

 今頃になって、サンク(埋没)コストと切り捨てたはずのマイリグ(PC)更新コストの痛さがじわじわときいてきた。
 
 B社のあれが上出来だったら、そんなことはなかった。DAIがそうだったように、のべ1000時間プレイを予想して、旧リグ(今でもぜんぜんふつうに稼働中)ではグラボもしょぼいし、グラフィックのグレードをちょっとあげるとフリーズの嵐だし、これはもうもたんと決心し、それなりのお値段の新型を買ってしまった。
 
 実際には200時間もプレイしないまま、恩讐の彼方、ちゃうわ忘却の彼方へと消え去った。つうか恩讐の「恩」(恩義、情)などひとつもなかった。残ったものはすべて「讐」(恨み、仇)だ。
 もし(まだ影も形もない)DA次回作リリース時点でマイリグがまたしてもスペックアウトになってしまい、買い替えが必要となったら、一体誰を刺しにいけばいいのか。

Sararyder_2
Which casual outfit is your Ryder wearing? @masseffect

Pajamas. 'Cos I haven't played it for a long time.

 あれさえなければ、ヴィトゲンシュタイン全集も、ニーチェ全集も、なんだって大人買いできたのに(きっと読みはしないけど)。その他にも垂涎の的が目の前をとおりすぎるままに、見送りに見送りを重ね、指をくわえにくわえ、我慢に我慢、辛抱に辛抱、忍耐に忍耐を重ね、やっと買う決心がついたのは、今買わなければ即絶版となりそうだった、筒井康隆コレクションくらいだ。

 
 じくじくと膿んで痛んでいた傷のことは、それからしばらく忘れていた。怒りは瞬発的であるし、憎しみ(恨み)を長い間持続させるというのは、本当に大変なことだ。
 
 興味の中心は古典文学にうつっているので、戦後左翼文化体制の破壊、偽りの偶像破壊のため日夜がんばっている光文社古典新訳文庫の作品を、見繕って買っとけばしばらくはよかった。Amazon Unlimitedで全部読めるわけじゃないのがちょっと残念だけど。あと「白鯨」まだですか。
 
 英米文学なら、村上何とか程度のちょっと気の利いた作家が翻訳したって十分だ(というか、やつの翻訳はたしかに優れている。小説は読んだことがない)。ちょっと大きな書店にいけば、英語ほどではないが仏語、独語の教材も豊富に見つかるから、そこら辺もすそ野は広いのだろう。需要はあっても、逆に(翻訳者の)競争が厳しいから食えるかどうかは部外者にはわかりません。食えなくなれば翻訳者なんて誰もいなくなる。それに伴い、自国語ですべての高等教育を受けることができる、世界でも一部の諸国にしか許されていない稀有な環境が、足下から崩壊していく。
 「新訳」の意義は、岩波・朝貢文化破壊(いずれ崩壊するし)というよりも、実は翻訳者コミュニティの維持、そっち側のほうが大きいと思っている。
 
 大きな書店を覗いてみれば、先行者利得に胡坐をかいて、泰平の世の無風状態に安穏としていた江戸幕府、じゃない旧来の「体制側」出版社どもが、ペルリUS艦隊の号砲ならぬ光文社の新刊刊行でうたた寝から叩き起こされ、あわてて旧版を増刷し、こじゃれた装丁の箱なんかに入れて化粧直しをし、必死に押し出し(便乗? 抱き合わせ?)販売しているのがわかる。その様がみっともなくてとても面白い。
 
 数は少ないもののサイファイ、ミステリー、ファンタジーなども例外ではなく、ずっと死んだふりをしていたハヤカワなんぞまで、あわてて旧版の新訳や新装版に精を出し始めた。いやペルリ艦長シリーズ関係ないから。つかあれをいつまでも出し続けるなら、他もさぼらずやれという意見には同意する。松谷先生がおひとりで頑張っておられた初期の頃と異なり(本編より訳者あとがきが面白かった)、今では独語翻訳者の小遣い稼ぎなんだろうけど。
(とはいえ、コードウェイナー・スミスの「人類補完機構」全短編をリニューアル出版したのは褒めてつかわす。どうせ浅倉さんの遺作と伊藤さんのやつを組み直しただけだろ、と思ったら酒井さんの新訳もあったので、金の亡者に成り下がったやつらにも、多少はまだヒトの心が残っているのだろう)
 
 さらには、とっくに死んだ翻訳者たちの旧版を、あたかも平和憲法(笑)のような不磨の大典と崇め奉っているらしい教条主義者(つうか文学ゴロ、翻訳ゴロ、同人ゴロ)どもが、「光文社」の過去の得意ジャンル(あっち系)をことさらあげつらい、訳文に格調がないだの、誤訳が多いだの、ヒステリックに騒ぎ立てているのがあまりに不気味で、もちろんその罵詈雑言自体が格調に乏しく、逆に笑いがこみあげてくるのも事実だ。
 
 ものぐさなあたしが、珍しくツイートでフォローしている数少ない出版社のひとつに国書刊行会がある。楽しみにしている「未来の文学」の続刊がいつまでたっても出ず(実はもう諦めた?完結した?のかな)、出たらすぐ絶版になりそうなので、仕方なくそうしている。おかげで、「ジャック・ヴァンス・トレジャリー」全三巻も漏らさず入手できた。まだ全部は読んでいない。早く読みたいけど暇がない。
 
 その出版社が、波蘭を代表するサイファイ作家、というか人によっては稀代の世界作家とまで呼ぶスタニスワフ・レムのコレクションを刊行中であることは知っていた。いくら読まずにエラそうに語るあたしだって、「ソラリス」くらいはもちろん大昔に読んでいる。他の著作についてはまとめて読んだことがなかったし、装丁だっておフランスBD作家のオシャレな感じなんで「これはちょっと欲しいなあ」と思っていた(読みたいなあ、とは言っていない)。残念ながら上述の金銭的ダメージがまだ癒えていなかったので、見て見ぬふりをしていた。ちうか、同じ出版社のボルヘス・コレクションだってまだ揃えていない。
 
 あたしの短い夏休みに入る直前、そのコレクション全六巻が完結し、記念フェアが全国の大手書店で開催されていると知った。まずい。これはとてもまずい。
 「サイファイは死んだ」、ニーチェに倣って「サイファイは、ずーっと死んでいる!」と言い続けているあたしでも、レムといえば正真正銘の「最後のサイファイ作家」との呼び声もあり、この流れに乗らずにはいられない。しかも、ツイートによれば、フェア限定特別冊子(無料)が店頭配布されているという。「なくなり次第終了」という、立川のあそこみたいなよくある手口にまんまと乗ってしまい、これは店頭に行かざるを得まいと思い立った。
 
 DQXIの3DS版すれちがい集めがてら、カジュアル・アウトフィットで(笑)、人出の多い新宿あたりにぶらりと行くのが恰好よい。ところが、先日用事があって東京駅に出向いたところ、ちょうど帰省・帰省帰りラッシュでごった返していた構内の、東北新幹線の券売機あたりに一瞬いただけで、すれちがいがものすごいことになってしまった。あれはゲーム内で使っていかないと在庫が溢れてしまう(それ以降すれちがっても無視される)ので、まさかただのおっさんが駅構内のサテンかなんかで3DSをプレイするわけにもいかず(悪いがそのくらいの矜持は残っている)、あー、東海道新幹線の券売機もあったのになあ、このままいたら島国中の3DSプレイヤーとすれちがえたのになあ(なわけない)と悔やみながら、泣く泣く帰宅したのだった。
 
 よって、レム・コレクションを新宿の書店に見に行く(買いに行くとは言っていない)ためには、まずすれちがいの在庫を減らさねばならぬ。ミニゲームをプレイした方ならご承知のとおり、あれは苦行そのものだ。レミングスとかピグミン(これはプレイしたことがない)のモチーフに似て、集めたやつらは次々と死んでいってしまう前提だ。いやレミングスは実質パズルであるから、ほとんどのマップは一匹も殺さずクリアすることだって可能だ。こちらは(よほどやりこんで何もかもわかっているプレイヤーでなければ)「死」が日常、不可避で、しかもかなり不条理な死に方を余儀なくされる。気持ちが落ち込んでいるときにプレイするものではない。
 
 そうは言っても背に腹は代えられぬ。せっかく集めたいたいけな戦士たちを、泣く泣く戦地に追いやる銃後の母の心持ちで、マックス50まで集められる在庫をほぼ一掃した。
 そうして準備も整い、お休みも終盤に差し掛かった八月の暑い日、満を持して新宿の大きな書店に出向くことにした。
 
 長くなったので、記事稼ぎのため続くっ。

2017年8月21日 (月)

ふたつともクリアして(はないけど)何が悪い。

【DQXIネタバレあり】
 PS4版だけ「エンディング」を観た。3DS版は、あそこで停車したまま進んでいない。休み中にすれちがい通信だけ必死にやったので、例のあれの在庫が溢れそうになってる。
 これ以上引き伸ばしていると、また次の出張時期が来てしまう。国民の三大義務のひとつを、いつまでも未達成で終わらせるわけにはいかない。なんとか休みの間に終わらせようと、PS4に特化してガリガリ進めた。
 
 ゲーム内時計は100時間(寝落ち込み)、主人公がレヴェル62(出てきて63)、他は50代でばらつき。
 ちょっと調子にのって鍛治やり過ぎた。それとマップ別のモブ・リストが埋まらないと気になってしょうがない血液型A型なので、必死になって探してしまった。そこら辺でかなり時間がかかりました。
 鍛治については、体感で言うとPS4版のほうが簡単な気がする。「仕様」に差があるとも思えないけど、「実装」レヴェルでは違うものになってるのかな。
 
 あたしの場合、この手のゲームは一般で言われている時間の倍かかるのが常なので、標準は50時間あたりということでしょう。
 
 しばりプレイを設定し忘れたけど(というか最初何言ってるのか意味がわからなかった)、「逃げない」と「装備を店で買わない」は実は達成しているはず。達成したからなんだっちゅう話ですけど・・・。
 
 クリア時間も昭和回帰(FC当時のRPGクリア時間は標準40時間といわれていた)かな、結局どうってことない予定調和的なエンディングだけど、エンディング・ロールのデザインも原点回帰でいいかな、と思った。ところが、途中からずっと気になっていた例の一点だけが、ほったらかしのままだ。
 
(以下、エンディング、ポスト・エンディングのネタバレがあります)
 
 ちまたのRPGでも横行していて、DnDファンだった身としてちょっと許せないのが、Wizard(ウィザード、Wiz)が魔法使えるだけのバカ、魔法脳筋キャラというやつ。DnDでは、生まれつき「血」(大抵はドラゴンの末裔だったりする)のおかげで、野性のままでも考えなしに魔法が使えるSorcerer(ソーサラ―、Sorc)という似て非なるクラスが設定され、区別されている。
 たとえば、DAシリーズのMage(メイジ)はこちらに近い。一種の特異体質扱いで、ドラゴンの「血」は関係ないけど。
 
 DnD魔法の源は、Sorcが「カリスマ」、Wizが「インテリジェンス」。
 ここで、「カリスマ」を「魅力」に訳するとちょっと語弊がある。たしかにドワなど一部種族は、見かけがあれなんで元々カリスマが低く(マジ)、美形がふつうのエルフなどと大きな差がある。これは「魅力」でいいかもしれない。クラスで言えば、バード(吟遊詩人)には高いカリスマが必要だったりするので、これもアイドル性、スター性という意味で「魅力」でしょう。
 DnD世界ではその他にも、パラディン、クレリックなど「神々など超越的存在に祝福された」(悪魔にもカリスマがある)とか、(トールキン・ホビットが明らかに原型である)ローグの「幸運に生まれついた」という意味も付されている。当然、逆の意味で「悪い星の元に生まれた」とか「カルマを背負った」などもある。
 
 ところで、「神に祝福された」者は、「見かけも優れている」。「見かけが優れている」者は「超越的な存在に魅入られている」に違いない。「PならQ」、「QならP」。逆も真なり。DnDに限らずファンタジー世界には、真・美・善という三幅対に基づく西洋哲学の発想が染みついているので、カリスマが高い場合の姿は、やはり美形、偉丈夫、恰幅がある偉容ということになる。
 なお、カリスマの低いドワが「ダメ」だとは一言も言っていない。「PでなければQではない」、「QでなければPではない」(「PならQ」、「QならP」それぞれの「裏」)が真だとは言ってないからね。
 
(余談:とはいえ、とあるDnDのMMO/MOで、カリスマを下げる毒液(つまりかぶると「ブサイク」になる)を浴びた脳筋ドワ専(ファイター)が、半笑いのまま立ち往生していたことがあるので注意が必要だ。当時のDnDでは、(腕力とか知力とか)どのアトリビュート・スタッツでも修正後ゼロを下回ると身動きできなくなるルール。パラディンだったあたしは、クレ様ほどではないが低位の治療魔法が使えたので治してあげた。(思い出すに、そのドワ専は治療用のスクロール(巻物)をわざわざ携行していた。もちろんファイターの自分はスクロールが使えない。クレ様がいない場合でも、スクロールが読めるメンツ(例えばバード、一部ローグ)がいたら渡して読んでもらう、ということだったのだろう)
 
 それでもカリスマが「20」を優に超えている(Palにしたらごく普通)こちらからすれば、ちょっと被ったくらいで一体どうしてそんな事態になるのか、皆目見当がつかなかった。ドワ専がこっそり教えてくれたことには、あらゆるスタッツをDPS向上に回すため、カリスマは許される最低の「5」にしたのだという。毒液一回被ったらおしまいじゃん(笑)。つうか、最初からDPSのためなら「ブサイク」上等ということじゃん(笑)。しかも身動き取れなくなることを想定してスクロールまで準備しているという、まるで陸上イージスのような変な意味での周到さ。「カリスマなんて飾り。脳筋には捨てスタッツですよ!」というプレイヤーも決して許さない、いやらしいデザイナーの作ったゲームでした。余談終わり)
 
 Sorcが、超越的な何かの力を得た存在であるのに対し、Wizはと言えば、ガキの頃から師匠(とかアカデミーの教授)に弟子入りし、頭割れるほど勉強と研究を重ね、じじい(不思議とばばあはいない)になる頃にようやく「何もかもわかった」感じになる。
 
 若いWizが白亜の塔にこもって、埃臭い書庫でカビ臭い書籍に頭を埋めてうんうん唸っている頃、同世代のSorc男女は渋谷あたりでみんな一緒にういーす、ちゃらちゃら、青春を満喫、謳歌している。たまにはやんちゃもやらかすので、ウエポン・プロフィシエンシーには、Wizの使えないショートソードあたりは最初からついているほどだ。
(ちなみに、DAのサークル・オヴ・メイジャイ(Circles of Magi)、あの「制度」は見た目そう装っているような白亜の塔、大学組織ではない(本来の意味での「大学」はオーレイなどに別に設置されている)。あれこそが、フーコーいうところの「学校」、もっと言えば「監獄」である。そこで教えられるのは「規律」(discipline、「抑制」という意味が近い)であり、植え付けられるのはメイジに生まれてしまったことに対する「罪の意識」(a sense of guilt)であり、目的は「去勢」(castration)だ。という深淵な、哲学的なモチーフをDA世界に持ち込んでくれたゲイダーさんも、もういない)
 
 でもって、社会に出てからのできあがりは、実はあんまし変わらない。むしろちゃらちゃらしてたSorcは、読モとかにスカウトされてずんずん有名になったり、見た目だけでジャ☆ーズに入れたりして、生涯年収では平均よりはるかに上に行ったりして。一方Wizは、頭割れるくらい勉強して大学に残ってみたけど、狙っていた教授ポストは有名人にとられ、収入はまるであがらず、声さえゼッタイかけるはずのないブス大生にセクハラ呼ばわりされ騒がれ、妻も子も去って職も追われ、あげく路頭に迷うという、世の中の不公平を体感できるクラスとなっている。
 
 話が長くなった。この手の話ならいつまでも長く書けるけど・・・。
 
 DQXIをプレイしている間、ちょっと感動していたのは、魔法使い(いやジジイじゃねえよ)が本当に「賢い」ということ。敢えてそう描いているのは、DQに限らず珍しいことなので、個人的にはうれしいのだけど、どうしちゃったの、堀井さんと思っていた。案の定、ああいうことになるわけですけど。ああなること自体が、あたしから言わせれば「賢さ」の証明なわけなんですけど。
 
 それでも、「大事な仲間が・・・。そのほうが感動的だから」という手塚ワールドが大嫌いなあたしでも、不思議と腹が立たなかった。そこまでの持って行き方がうまいというのもあるし、そのことを「これでもか」というくらいはあんまし掘り下げないから、んまあ、きっと何らかの方法で救済すんじゃないの、という読みもあった。元は結局「ジャンプ」だし、絵柄は「Dボール」だし。
 それがエンディングまでなかった。
 
 ポスト・エンディングでやるのか。というか、まだ途中までですけど、エンディングって「エンディング」でもなんでもなかったんだね。
 「エンディング」までの前期DQ(昭和回帰)とは打って変わって、ポスト・エンディングは、あのよくわからん(あたしはあんまし良いと思っていない)後期DQ世界がカンペキに戻ってきた。
 
 なんだろう、「クロノトリガー」の成功が忘れられないんだろうか。「いや、もうその手は古いよ」と思いつつも、イタレーション(iteration、一般には「反復」)とか、リカージョン(recursion、一般には「再帰」)とか、あたしらにしてみれば「もう見飽きた、聞き飽きた」というネタであっても、受け手の世代が変われば新鮮な感じがするのかしら。それこそ「回帰」(リカージョン)、またはニーチェが語ったのとはまるで違った意味での「永遠回帰」(eternal regression, eternal recurrence)ということか。
 
 とにかく、100時間でようやく終わったと思ったのは浅はかであった。あとどのくらい続くのか、ごり押しパワープレイが必要であると容易に予想されるので、また100時間くらいかかるのか。鍛治とかモブ・リストのコンプ目指してのんびりやろうとしていた目論みもまた後回しとなってしまうのか。
 それよりも何よりも、ほかってある3DS版どないしよ。
 
(おまけ)
 イタレーションでもリカージョンでもいいけど。

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 ・・・。

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 ・・・。

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 ・・・。

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 ・・・。

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 このネタまで律儀に繰り返すのやめてもらえませんか?

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 スパンク・ミー! ヒット・ミー! ビート・ミー!

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 ま、あたしはこれが見れただけで満足かな。

(「女子豹変」ネタにはもれなくハマるくらい弱い)

2017年8月18日 (金)

ふたつとも昭和で何が悪い。(2)

 さすがに毎回タイトル考えるの億劫になった。
 つうか、すでに「ふたつとも」は進めていないし。3DS版は、あそこでずっと停車中。すれちがい用に特化しつつある。
 
 大方の予想に反して(といっても、検索ロボット以外、読者はほとんどいないと思います)、あたしはこのパレードのネタはわりといけてると思います。 
 
 どっかに元ネタあった気がするなあ、と頭割れるほど脳内サーチかけたけど、「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る」(1964)しか思いつかなかった。なんでかな。

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 これもれっきとした「昭和」です。

 浅草です。

 ファンクぢゃなくて、ブラジリアン・サンバだけど、まあ許そう。

 ちなみに「サンバ」のリズムに、これといって決まったものはない。あの四分の二拍子のノリであれば、たいていサンバに含まれる。

 あと、「マツケンサンバ」はあれぜんぜん「サンバ」ちゃうから。四分の四拍子ぽいし、なんでサンバなのに、コンガとかボンゴとか登場するのか不明。これはタモリも半笑いで指摘していた。「お嫁サンバ」も似たようなもの。「テントウムシのサンバ」とか、さらに微妙です。

 大場久美子の「スプリング・サンバ」(1979、昭和!)はリズム的には合ってる(YouTubeは下)。ドラムはシャッフルだし、とってもいい感じで夏にぴったり!(「スプリング」言ってるだろうが)。
 でもって、やたらフルート絡んでくるじゃないですか。こいつが当時の「ファンキー」の正体なんすね。なんかスナフキン的なとっぽい感じを出そうとしてんでしょう(ところがあいつはギター、ハーモニカ、アコーディオン、クラリネットとか、ありとあらゆる楽器を弾けるみたい)。当然、ファンクとは似ても似つかない別物。

https://www.youtube.com/watch?v=gM1MOaO9lZ8

 いやビキニ関係ねえから。歌が下手とかいうな! 勇気出して生で歌ってんねん! 「キラキラ星あげる」(コメットさん、1978、昭和!)なんてもっとすごいねんぞ!

 あたしも調べて驚いたんだけど、浅草サンバカーニバルの発祥は昭和56年(1981年)。実は、もっとずっと前かと思っていた。バブルにはちと早いけど、第二次オイルクライシス(イラン革命)の影響も軽微ですんだ。島国がだんだん浮かれ始めてくる頃だったんでしょうね。

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 主人公をあからさまにイケメンにしちゃったから。

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 同じ格好で、こうなっちゃうのは必然。

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 昭和バブルを彷彿とさせるのは、このファンのせいではないかな。

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 リーダー、リーダー、ちゃんと後ろ見ねえと!

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 おまんら、エレクトリカル・パレードみたくちゃちゃっと来いや!

 ちんたらやっても残業代でーへんで!(ディスニーと一緒)

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 このおっさんは誰かっちゅうとNPC(笑)。

 ゲーム中最悪のむさい野郎パーティー。

 と思ったら、実はあたしはロウ(爺)をリクルートするの後回しにしちゃってた。
 悔しい。四人そろってこそ、正真正銘の最悪パーティーだったようだ。 

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 ほんとにこの格好で戦うんだ!

 PS4開発チームの情熱。ゲーム・クオリティへの並々ならぬこだわりに、プレイしているこちらの胸まで熱くなってきてしまいます。

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 昭和バブルは、やっぱねーちゃんが踊らないとね!

 ボディ・コンシャス(死語)で。

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 てめえ、どこに目つけてんだよ。(て、出っぱってますがな)

 他人を評価する資格一切ないだろ。

2017年8月16日 (水)

ふたつとも昭和で何が悪い。

 正直、こんなこと書いている場合ではないのだ。

 休み短し ゲームれ おとな。
 
 DQXI、ようやくあそこまで行った。もう、プラットフォーム同時並行プレイなんて続けていたら、いつ終わるのかわからないことがわかった。3DSのほうはあそこで一旦お休み、PS4のみ進行中。
 
 昭和の香りが息苦しく、もはや酸欠レベルにまで達しているのではないかと思われる。その絶好の証拠となるネタもあるのだけれど、あまりに強烈なネタバレとなってしまうので、しばらく取っておく。
 PS4オンライン(トロフィー)統計によれば、あたしの進捗状況まで進んだプレイヤーは、全体の40%くらい。あたし自身が出張のせいでカンペキに出遅れたとはいえ、途中リタイア組が続出するのはゲームの常。まずまずの数字と言うべきか、DQなのに、発売から半月経過しているのに、ちょっとこの数字はひどいとみるべきなのか。
 
 ところが、3DSすれちがいで経験したのは、犬食いのためには、さらりまんのあんちゃんねえちゃんが多い通勤時や盛り場が狙い目ということ。ガキはダメ。プレイしてないもん。
 よって、発売から半月経過といっても、ブラック国家のブラック企業勤めご苦労さんですな労働者諸君は、会社のトイレでこっそりすれちがい状況を確認する以外、プレイしている暇などないのだ。ってあたしはトイレにこもってやったりしてねえよ、「し、心外であります! いや皆無とは言えませんが。なによりも、さらりまんのすれちがいの実力に驚きました」(定番引用句の最後まで言わせんなよ)
 
 あたしがガキつうか前途有望な青年の頃は、この島国にはビニ本なるものが存在していた。 ビキニ本ぢゃねえよ、勘違いすんなよ。おいおい、今井とか上原のやつ、今ごろオクに放出すんなよ、節操ねえな。ひとえちゃんどこ行った、とか今関係ねえから。

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 そそそ、こやって取引をね、ってそれ別の違法なやつ。

 街の片隅に、ふつうのエロ本(どんなんだよ)を売ってる狭苦しい本屋がある。そこの店番のばばあに、てきとーに見繕った一冊を渡すじゃないですか。そうすると、無言で店の奥のピンクの、でも薄汚れたカーテンの中に呼びこまれるのね。いや、ぱふぱふぢゃないからね。ばばあがぱふぱふ呼ばないからね。
 
 カーテンの奥の小部屋には、前途多難ちゃうわ、前途有望な青年に道を踏み外させるだけに十分な質と量の「ビニ本」が、すなわち一冊づつ「ビニール袋」に封入された「無修正」なブツが、所せましと並んでいる。んー、ぶっちゃけ違法なんだけど、なぜかケーサツはこないんだよね。たぶん、カーテンがものすごく重要な意味を持っていたのかな。街の〇チンコ屋と同じメカニズムだったのかなあ。
 そのお値段はといえば、ネットでほとんどなんでもすべてが観れる今の時代にしたら「お前アホちゃうか」いうくらい結構しましたね。といっても今でも、諸般の事情でおうちでネットを自由に観ることができない人たちが頼る、リアルの本(DVD付?)もおんなじくらいするかなあ(ずっとデフレだったんでインフレは考えなくていいでしょう)。
 
 あたしが若い頃に、社会勉強の一環として視察に行ったお話でした。
 今どき「エロ本」なんて、あたしらの頃のものよりはるかにレヴェルアップしたものがコンビニでふつうに売ってるし、いたいけなお子ちゃまだって買えるんだし(今それが問題になってんだよ!)、無修正観たけりゃカリブ行けばいいんだし(摘発されたけどね)、DMMでVRだってあるし(3D酔いで嗚咽しながら観るらしい)、ビニ本なんつうものは破綻ビジネスなわけじゃないですか。
 だから、下のネタなんて、いったい何が面白いんだろうと思っちゃうわけなんですよね。
 もうしわけないけどあたしは、ニコリともクスリともせず、「あー、これ昭和だ、ダメなやつだ、外したネタだ」と思って、ただマシンのようにスクリーンショットを取り続けてしまいました。

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 ・・・。

 それからどうした。

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 セーニョん、やっぱさいこー。

 嫁にするなら女学校出たての手垢のついてない、もとい無垢な娘。
 その発想自体、ザ・昭和。

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 マルちゃん、やっぱさいこー。

 こちらはもはや徘徊老人のお孫さんのような感じ。
 「レミゼ」のコゼット色がつかないように、堀井さんも必死ですね。

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 ひろたんかい。

 懲りねえな。
 団塊の世代、くだらねえことにしか金使わんのなら、はやく死ねばいいのに。

 【追加】 リアルタイム・ライヴプレイでお届けしています(笑)。

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 貴様もかい?!

2017年8月13日 (日)

Ghost in the China Shell

 アホみたいにPS4版と3DS版両方でDQXIをまぢめにやっているので、それぞれ時計は50時間を刻もうとしている(寝落ち込み)のに、どちらもさっぱりエンディングに近づく気配がありません。

 おかげでネットも見れず、ツイッターも見ず、幸い身近にプレイしている人はいないので、移動時やサテンで茶してるときにお子ちゃまたち(あとにいちゃんねえちゃん)たちの会話が入り込まないように、ウォークマンでファンクを聴きながら、ノイズキャンセリング・イヤフォーンでブロックする必要があるくらい。

 つうか、土曜日に意を決して、衝動買いしたもののこれまで全く出番のなかったDAエンブレム入りのショルダーバッグ(メッセンジャーバッグのほうは使い倒して、ショルダーバンドなどパーツもかなり交換したし、もう見る影もなくぼろぼろ)にこっそり3DSを忍ばせて駅前まで歩いてみた。ステーション・モールもしばらくほっつき歩いてみた。すれちがわない。ほっとんどすれちがわない。申し訳ないがそれなりにでかい駅だよ、なんでだよ、そこら中にがきんちょいっぱいおったぞ。
 国民的ゲームでもなんでもなくなっちゃったのかなあ。

 女子キャラクター三人に女学園の制服着せて、おたきも顔でにやにやしながら喜ぶんだー、だめぢゃん堀井さん。発想がもろ昭和バブルぢゃん。と言いながら、あたしもやってみましたけど・・・。にやにやはしていない。

Medajo  
 ダメな大人とかいうな。
 田舎の成人式DQNとかいうな。
 ローカルヤンキーの卒業式打ち上げとかいうな。全部あっとるけどね。

(と書いて、ふとブログ編集画面横のNiftyニュースのヘッドライン観たら、セーラー服着たキチ外国会議員が登場している・・・。あー、ダメなおとなの水準が一緒だわあ)

 その他、団塊の世代を彷彿とさせるくそじじいキャラとか、このどうしようもない強烈な昭和臭を、どうとらえるかによって興味の有無がわかれるのだと思います。

 でも普通に考えたら、あの舗装もへぼくてやたら埃臭いくせに、一体いつ降ったか覚えていないくらい前の雨の時できた水たまりがいつまでも残る街角で、「ランニング」(笑)シャツに短パン姿で青っ洟垂らしながら、自分とは圧倒的に身分の違う近所とかクラスのお姫様に一方的にあこがれて忠誠を誓った(いや自分の中だけでね)ことのない、「昭和」を生きていない若者たちに、これっぽっちも受けるはずがないではありませんか。

 なお、「ファンク」の語源とは、なにを隠そう、この強烈な「臭い」、「臭さ」のことだそうです。もちろん、あたしが「ファンク」というときは、JB以降のあの「強烈な、どぎついまでの臭さ」、それを一切隠そうともしない「どファンク」ぶりを言っています。目いっぱい脱色して、オシャレにしようと必死に頑張っても、灰汁が抜ける水準はようやくブーツィー・コリンズ程度です。そらPファンクなんだから、ぜんぜん垢抜けしてませんよね。

 そしてごらんなさい、ホッカイドーやトーホグなどでは、とっぽい奴とかへたれのことを「ふぁんか臭い」と言うではありませんか。(言わねえし、「はんかくさい」だし、それって「生半可」というときの「半可」で、意味は「半端もの臭い」だから)

 出張機内で、ようやく"Ghost in the Shell"(2017)を観た(流した、×)。

 中身については語る言葉があまりない。押井さんてば試写会でこれ観た後に、よく毒舌を我慢したなあ・・・、だいぶお金もらったんだろうなあ。お金もらってないMr.Annoにはボロカス言ってたくせに。

 スカヨコ、ちゃうわスカヨハ・ファンとしては人後に落ちないこのあたしが、途中で飽きました。たけしが苦手な英語を用いない決断をしたのはよかった。でも、だからなんなの。桃井さんどうしちゃったの? ハリウッドからオファーがあったら、なんでもかんでも出ればいいってもんじゃないよ。 

 もっとも、キャスティングの白人化、いわゆる「漂白」(white-washing)問題であちらの一部エイジアンが騒いだらしいが、押井さんは「スカヨコ以外、ありえねえだろ」とキャスティングについては絶賛していた。島国人としてその発言をとても誇らしく思う。つうかあれ義体だし。自由に選べるし。なにが悲しくて、誰がこ汚いエイジアンの顔使うか。

 押井さんアニメへのオマージュらしきものが、当然そこここに登場するのだけれども、どれもがさっぱり効果的ではない。逆にそれだけ、あちらのアニメの壮絶な水準の高さが際立っただけという結果とでも言いましょうか。排水路での光学迷彩を用いた追跡・格闘シーンとか、ラストの「戦車」との対決とか、これはアニメ映画版からではなく「イノセンス」かOVAシリーズへのオマージュのはずですけど、ゲイシャ・ロボットのテロとか、そういうシーンの映画版のクオリティが、比較するに値しないほど低い。

 予告編でもイラついたのは、あのこ汚い街並み。ブリティッシュの監督だから、リドリーのオオサカにならって、おおかたホンコンあたりを手本にしたのだろうけど(imdbで調べたところ、100%ホンコンだそうだ。またリドリーへのオマージュとして、「パンナム」の広告塔が登場するらしい)、あれはどーみても半島あたりのどぶ臭さ。作中の電脳空間、どんだけ解像度低いねんという感じ。トウキョウとは言わないけど、せめて(今現在の)シャンハイでも手本にしたらどうだったんだろうか。

 制作資本も中華が参加、俳優こそ上述のふたりは客寄せとして登場するけど、基本中華。もはやハリウッドにおける島国の扱いは「レガシー」(遺跡)、存在感はゼロに等しい。

 頭にきて、酒かっ食らっても眠れなくなったので、"Guardians of the Galaxy Vol. 2"(2017、居眠りした、〇)を観た。なんだかんだ言って一作目よりはるかに面白くなっていて、一層腹が立った(笑)。
 やっぱ、このくらいデタラメやらんとダメですわ。しょーもない繰り返しギャグのオンパレードにも関わらず、随所で思わず笑ってしまう。

 ただし、一作目でも重要な役割を果たしていたソニーのウォークマン(カセットテープ仕様)が、二作目では悲惨な運命を辿ることになる。元がマーヴェル・ディスニーなんで、「ソニー死ね」ということだろうけど、乾いたアメリカン・ジョークなんだろうけど、笑えない。ひたすら物悲しくなった。
 正直最後どうなったかよく覚えていない。まあどうせ想像はつくけど。結構笑わせてもらったので、途中から心地よい眠りに入ることができました。つか、スタローンてば、ダチのマイケル・ルーカーが出てくるからノーギャラで登場したんでしょうかね。調べるとクレジットされてるので、そうではないかな。場違いすぎて、これも笑いました。

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 You shouldn't have killed my mom and squished my Walkman!

――――― Guardians of the Galaxy Vol. 2 (2017) 

2017年8月 8日 (火)

怒りとはすべて義憤リターンズ(2)

 なんか、自分で納得してしまって、終わったつもりになって(終わったんだけど)、そのうち出張とか入ってDQXIとか来ちゃって、後半を書くのを忘れていた。
 実はもう、本当に書きたい話題は「怒りについて」の先に行ってしまっているし、またしても出張なんでちゃちゃっと終わらせます。
 

 「すべての怒りとは義憤である」の答えが見つかったわけではない。前回書いたように三木清氏のこのエッセイ(ご本人は、受け手の発想を触発する意味で、これに限らず他の著作でも「ノート」という呼び方にこだわっていたようだ)では、「気分的な怒り」が「名誉心からの怒り」と「神の怒り」と区別されてしまっている。「気分的な怒り」が「義憤」であるというのは、どうひねってもこじつけに感じてしまう。家具に足の指をぶつけたときの「きしょうめっ!」という怒りは、「怒り」じゃないことになる。

 ちなみに、先日不肖あたくしも、DQXIで頭いっぱいのとき、自宅で家具に足をしたたかぶつけ、思わず「きしょうめっ!」と言いそうになった。ところが、むこうずねに傷が残るくらいのひどさだったにも関わらず「はて、これは怒りだろうか?」と考えたら自然と平静になりました。「怒り」について考えることの効用が出た。まあ、その怒りを鎮めることが是という発想自体、怒りが「悪」という「思想」にとらわれているのかもしれないけど。少なくとも「やり場のない怒り」(unfocused anger)は、「やつあたり」(misdirected anger)と同じくらい不毛ですからね。ちなみに逆ギレは"misplaced anger"。

 「生理的な怒り」については他にも、「社会と文化の現状は人間をはなはだ神経質にして」おり(この著作が戦前のものであることに注意)、怒りが常習的になり、「本来の性質を失おうとしている」。怒りと憎しみの区別が曖昧になっているように、「怒りと焦燥とが絶えず混淆している」ことも指摘されている。「すべての怒り」の定義が、周辺部分で揺らいでいる、異なっているとしておこう。もっとも、「すべての怒りとは義憤である」と書いた永井均氏の立脚点は、「私憤なんてものは実はない」ということだったのだろうから、考え方の方向が反対なのかもしれない。
 
 また前回、不用意に「『神の怒り』は(人間の怒りではないので除外します」と書いていた。アホですね。「神の怒り」といえども人間が思いついたものであるので除外しようがない。それどころか「神の怒り」は「正義の蹂躙された時」に現れる、「正義」そのものを示しているのだから、その怒りは義憤以外のなにものでもない。単に人間には計り知れない「啓示的な深さ」がある、というだけのことだ。

 最後の区分である「名誉心からくる怒り」については、長々とした説明は不要だろうか。三木氏は、この「怒りについて」のエッセイの前に、「虚栄(心)」と「名誉心」についても書いている。それらも記事何本か書けるおいしいネタなので、本当はここで放出したくない。とはいえ、怒りについて考える一助になる(だからそういう順番で載っている)ので、くやしいけど記しておく。

 「虚栄」とはもちろんフィクショナルなもの。ところが虚栄とは人間の存在そのものであるというから、人間の生活がフィクショナル、人生がフィクション(小説)であることになる。すべての人間的と言われるパッションはヴァニティ(虚栄心)から生まれる。ヴァニティの実体は虚無である。人間は虚栄によって生きるからこそ、知慧が必要だ。人生の知慧はすべて虚無に到らなければならぬ。  虚栄心とは、自分があるよりも以上のものであることを示そうとするパッションだ。そのことは人間の高い性質を示している。それは仮装に過ぎないかもしれないとはいえ、一生仮装を通した者の本性と仮性とを区別することはできないだろう。道徳もまたフィクションではないか。
 人間が虚栄的であるということは、人間が社会的であることを示し、つまり社会もフィクションの上に成立している。そうした社会においては信用がすべてである。あらゆるフィクションが虚栄なのではなく、フィクションによって生活する人間が虚栄的であり得るということだ。

 「名誉心」と「虚栄心」とほど混同されやすいものはない。また、この両者ほど区別の必要なものはない。
 虚栄心はまず社会を対象としている。名誉心はまず自己を対象としている。自己の品位についての自覚である。名誉心と個人意識とは不可分である。個人であろうとすること、それが人間の最深の、また最高の名誉心である。
 
(もうここで、答が出てしまっていると思います。取り敢えず続けます)

 名誉心も社会に向かっているといわれるかもしれない。それでも、虚栄心においては相手は「世間」というもの、アノニムな「ひと」であるのに反し、名誉心においては相手は甲であり乙であり、それぞれの人間が個人としての独自性を失わないでいるところの社会である。
 虚栄心の虜になるとき、人間は自己を失い、個人の独自性の意識を失う。自身がアノニムな「ひと」になり、虚無に帰する。流行はアノニムなものである。
 名誉心をもっている人間が最も嫌うのは流行の模倣である。名誉心というのはすべてアノニムなものに対する戦いである。

 この後も、読んでいると思わず唸ってしまう記述が続きますが、当面の「答え」はすでに出たのでしょう。「すべての怒りとは義憤である」とすれば、怒りとは、あくまで個人であろうとする、自己の名誉心に対する挑戦に向けられるものだ、ということになります。「怒りについて」の中から関連部分を引用します。

「特に人間的と言われ得る怒りは名誉心からの怒りである。名誉心は個人意識と不可分である。怒りにおいて人間は無意識的にせよ自己が個人であること、独立の人格であることを示そうとするのである。そこに怒りの倫理的意味が隠されている。
 今日、怒りというものが曖昧になったのは、この社会において名誉心と虚栄心の区別が曖昧になったという事情に相応している。それはまたこの社会において無性格な人間が多くなったという事実を反映している。怒る人間は少なくとも性格的である。」

 付け加えることはないでしょう。最後に、まさに「流行の」言説を鵜呑みにして、あたかも虚栄はいけない、名誉心(島国人は誇りと混同しやすいが、それこそ虚栄であり虚勢、ひいては傲慢)を持つべきだ、という杓子定規な道徳に希釈してしまって、思考停止することのないよう、以下を引用しておきます。

「人に気に入らんがために、あるいは他の者に対して自分を快きものにせんがために虚栄的であることは、ジュベールのいったごとく、すでに「半分の徳」である。すべての虚栄はこの半分の徳のために許される。虚栄を排することはそれ自身ひとつの虚栄であり得るのみでなく、心のやさしさの敵である傲慢に堕していることがしばしばである。」

「...そして名誉心というのはすべて抽象的なものに対する情熱である。」「抽象的な存在になった人間はもはや環境と直接に融合して(引用者注、模倣と流行に)生きることができず、むしろ環境に対立し、これと戦うことによって生きねばならぬ。名誉心とはあらゆる意味における戦士のこころである。」「名誉心において滅ぶ者は、抽象的なものにおいて滅ぶ者(である)。」「愛は具体的なものに対してのほか動かない。この点において愛は名誉心と対蹠的である。愛は謙虚であることを求め、そして名誉心は最もしばしば傲慢である。」

 虚栄を排すること、名誉心にのみ生きること、そういった軽々しい物言いが、いずれも人間の最大の悪である傲慢に行き着くところにこそ、生きることの面白さを感じていただければいいんだと思います。 

2017年8月 7日 (月)

ふたつとも進めて何が悪い。

 だって倍の時間かかるでしょ。あなた、そんなに時間ないでしょう?
 なんのこれしき、アリサちゃん、エマちゃん、ラウラさんとの腐れ縁が切れない何とかの軌跡が10月発売で(間違い、9月末。10月はDSJ)、それまでは、天気晴朗、視界良好、順風満帆。(つか、これまでに取りこぼしてるのいっぱいあるけど気にしない。P5USもFFXIIもYsVIIIも結局一度はオリジナルやってるしね)

 ただしどう考えてもおっさんなので、ここのところ寝落ちの危険がかなり高まっている。DQXIのPS4版プレイ時間は今のところ40時間なのに、物語はまだおそらく中盤に差し掛かったところ。間違いなく数時間以上の寝落ちロスタイムが入ってる。情けないけどこれが現実。

 途中よく見かける、なにこのうろうろしてるちっちゃい白いの? 近寄れば消えてしまうしといぶかしく思っていた。すれちがい関係であることは容易に想像がついたが、大前ケンイチでもなければ移動時にPS4を持ち歩けるはずもなく、すれちがいって3DS版にしかないに決まってるのに、これってただの飾りなのかしら、それとも3DSの復活の呪文ではじめると何かあるのかしら、と思った以上、特に気にしていなかった。
 
 そういえば、5から6時間プレイしたきり中断したままの3DS版では、すれちがいも始まっていなかった。夏休み期間といえば稼ぎ時じゃないか。これって本体持ち歩いても何の意味もないじゃないか。いつからはじまるんだよ、とふと気になって久しぶりに再開し、主人公が一歩踏み出したところで突然始まった(笑)。なんつうキリの良いところで中断していたんだろう。

 期待していなかったとはいえ、内容はあんなもんでしょうかね。すみませんがあたしには奴らがちっとも「かわいい」とは思えないんです。なんでああしちゃったんだろう。

 すれちがいオンになったので持ち歩くことにして、初めて朝電車に乗ったら釣れる釣れる。さすが国民的ゲーム?
 つっても、各プラットフォームともイニシャル発売数ワン・ミリオンていうのは「馬力落ちたなあ」と思っちゃいました。それぞれ倍はいかないといけなかったのではないのか。コンソール機、ハンドヘルド機自体の戦闘力が落ちちゃってるってことなんでしょうね。

 3DSってターゲットはもうしょうがくせーなわけでしょうし、「昭和の香り」がむんむんしているこのゲームがヒットする世代はずっと上でしょう。PS4もコアユーザーとのミスマッチ感漂ってるし。すれちがってるのは、結局さらりまんのおっさん、おばはんたちっていうことなんでしょうかね。次はスマホゲーになっちゃって、どんどんダメになっていくというのも、避けてほしいとはいえ予想の範疇。

 コメントにも書いたとおり、「永遠回帰」も「昭和の香り」も悪くない。DQといえばファンク。そのファンクなノリが戻っているのは個人的にはうれしい。「ファンキー」ぢゃねえよ、「ファンク」だよ、一緒にすんなよ。

 PS4版については、とにかくやれること、やりたいこと、過去やったことは全部ぶちこむという贅沢なノリのつくりで、他には真似できない王道だなーとは思います。ボウガンみたいに余計なものまで入っちゃったのはご愛嬌ですけど。つかあれ"Fable"シリーズに同じのあったし、そこだけはあっちのほうが面白かったし、こっち時間ばかり食って面白くないし。

 問題は、もう受け手側が「王道」なにそれ?という世界になってしまっていることでしょうね。看板だけでは食えない、むしろ看板が邪魔になって身動きとれなく(飛べなく)なっていく。手塚シンドロームに陥る危険が心配です。ちうか、なんでもそうなっていくのは必定、世の理なんでしょうけど。だからと言ってホストクラブに飛ぶのもどうかと思うけど。

 そういえば、こちらの「女学園」にはさすがに苦笑するしかなかった。やっぱほぼ同世代のあれ(あっちのほうがちょい若い)に嫉妬してたんすね、堀井さん。ヴィデオゲームでは完勝(あっちは「恐怖のエクソダス」)したのにねえ。わかります、悔しさがとってもにじんでます(笑)。

 ともかく、他ではお目にかかれないファンクなノリだけは失わずに、この先も進んで行ってほしいものです。だからファンキーぢゃねえから。わからなきゃどこぞのチ●玉ブクロにでもきいてくれ。  

2017年8月 4日 (金)

【ME:A】Leave Me Alone (Just stop doggin' me aroung: M.Jackson)

 下のネタの英文探すときかな、どっかのサイトで読んだんですけど、島国語さっぱりわかんないガイジンのガキ・・・、えーとお子ちゃまが島国小学校に通ってまっさきに覚えちゃう言葉が、「きもい」と「うるさい」なんだそうです。ホントのガキの話ですから、「むかつく」はまだ登場してないんでしょうね。

 まあ、そこで「きもい」って英語でなんていうのー?みたいなネタに行っちゃうわけで、ガキですから"Disgusting!"なわけなく(むしろあたしなんかは大人なので「朝貢新聞がきもい」というときはこっちを使うべき)、"Creepy!"も「きもおた」ならわかるけど他はちょっと違うし、"Gross!"は、むしろ「さいてー!」だし、"Yucky!"とか"Yuck!"は間投詞だし、オノマトペ(擬音語)ぽいので反則くさいし、匂い、味、色、光景などが「おえっ!」とか「うわっ!」とかいうときでしょ。

 とまあ、いまいち納得できる答えは書いていなかった。書いてるのがガイジンで、「きもい」の本当の意味がわかっていないせいもあるかもしれない。ま、"cool"はどう訳してもクールじゃないのと一緒ですね。

 どうして島国語できないガイジンのお子ちゃまが島国小学校に通っているかというと、これってそっち業界では教師の労働がブラック化している一因ともなっている、相当へヴィーな話題なんで、こんな場でするのはやめておきましょう。

 随分昔に、(記憶では島国に住む)アメリカンのおっさんが、オーストラリアかどっかに親戚を訪ね、まだ学校行く前の小さな姪っ子を連れて散歩することになったときの話を読んだ。年端もいかない女の子が「(あれが)欲しい」と「(それは)いや」と、あともいっこ忘れちゃったけど(文脈上「ありがとう」ではないはず、「プリーズ」だったかもしれない)、たった三フレーズだけで、世間を渡っていけることを知って、おっさんが心底驚愕する話です。だから、ガキの話してんじゃないから。女が(もしかしたら男も)全部そうだと言ってるわけだから。

 最初のネタが、「恐怖」(キモイ)とか「不快」(キモイ、ウルサイ)、「怒り」(ウルサイに、やがてムカツクも入ってくるだろう)という、ヒトの基本的感情に関連しているのに対し、後のネタは「欲望」、(求めるものがほとんど食べ物・飲み物だから)「飢餓・飽食」とかに関連してくるんですね。前者が自己防衛的で、後者が生命維持的。両者の年齢を考えると、まず生きるための意志ありきで、次に外敵から身を守る術を身に着けるという物語。「欲しい」が単純な衝動なのに対し、「キモイ」や「ウルサイ」は文脈というかその「場」、さらにはすでに「文化」までしょっていることになります(「怒り」も当然そう)。

 ここまで↓に書くことの前フリです。自己弁護とも言います。

 人様のツイートって古いものから知らないうちに消えちゃう(読み込めなくなっちゃう)んですね、知らなかった、ってお前どんだけリテラシー低いんだよ、つう話ですけど。
 世界には、10億フォロワーとかいらっしゃる方もおわしますので、当たり前っちゃ当たり前なんでしょう。

 今までほとんど読むだけ、ものぐさすぎてさっぱり発信しない自分のツイートが消えている節もないから心配する必要もなかった。ところが、ここにきて(自分にとっては)ちょっと深刻な問題が起きてきた。

 フォロワー数えるほどのツイートで、今取り敢えず欠かさずやろうと思っていることはふたつあって、ひとつは10月発売予定の「メガテンDSJ」公式から、「悪魔全書」のアクマ紹介ツイートが来るたびに、しょーもない駄洒落をひねり出すというやつ。(アトラスから送られてくる)ツイートがほおっておくと「消えてまう!」と心配したほうがこっち。

 ちょっと考えて見ればおわかりのとおり、サクッと駄洒落が浮かぶものなどほとんどなく、毎日、二、三アクマ分が送られてくるので、ひとつに引っかかってうんうん唸っているうちに、どんどん次が来るという、「わんこそば地獄」状態(いや、あれは食い終わってからしかこねえだろう)。何にも思いつかずにとりあえず後まわしにしたもの数知れず。
 この後回しにした公式のツイートが「あれ? 消えてしまっている!」と恐怖したのでした。どうやら消えてはいないらしいけど、もはや過去分を探すのが超大変になってきた。さすがにアトラスも、公式サイトに「悪魔全書」を一覧として載せることにしたらしい。
 
 もうひとつは、さらにひたすらしょーもないやつ。ME:Aの轟沈を目の当たりにして、とうとうBioWareに愛想を尽かしてしまった(元)亡者として、送られてくるME:A関係ツイート(ほとんどがBioWare発)にネガティヴィティ全開のコメントを基本一行だけで返すというやつ。
 こちらの方の心配は、一言コメントのヴァリエーションがさすがに枯渇してきたということ。よって気がつかないうちに過去用いたものと「被る」危険が出てきました。
 被ってしまったら芸人の名折れ(誰がだ)。メモ代わりにまとめておこうと思い立った。

 まあ、ぐだぐだ説明するよりお見せした方が早い。本来はリツイートしたオリジナルのツイートを載せればよいのでしょうが、こんなしょーもないことでブログ容量を使うのもあほくさい。一部を除き、基本テキストだけとします。また、島国語訳はツイートにはつけていなかったのですが、ここでは入れておきましょう。( )内は島国時間の日付。

@gamespot Mass Effect: Andromeda reportedly not getting Single-Player DLC(7/2)

Who cares?   知らんがね。

@pcgamer BioWare's Dragon Age team is currently "hiring a lot of people", according to its creative director. (7/2)

Again, so what?   これも、だから何?

@masseffect Which Combat Profile is your go to during a fight? (7/5)

Never mind.   ほっとけ。

@bioware Tune in tomorrow at 10am PT to find out what's in @masseffect's Patch 1.09. (7/5)

No can do.   やなこった。

@bioware  Find out what's new in @masseffect Multiplayer in Patch 1.09(7/7)

No way!   いやっ!

@masseffect Breach hostile terrain with APEX in Firebase Magma. Jump into the fray for a chance to unlock the new Batarian Scrapper.(7/7)

No way, no how!!   なにがなんでもいやっ!

@masseffect Are you just waking up from cryo? Get the lowdown on combat and gameplay before you set off in Andromeda(7/9)

Why now?   なんで今さら?

@masseffect What are your favorite moments in Mass Effect: Andromeda? Share your screenshots and tag them with #masseffectandromeda!(7/12)

Hardly any.   まずない。

@bioware What's better than one cosplayer? Four of them. Meet Drack, Jaal, Peebee, and Ryder(7/13)

Dejlpkzuwaapiug

No cosplayers at all.   ゼロ、コスプレイヤー。

@masseffect How are those jokes coming, SAM? (7/13)

How were those stupid scinarios coming, Mac?   あのアホみたいなシナリオどうやって思いついたの、マック?

@masseffect Set a trap for the enemy in an abandoned kett facility. Join the fight with APEX in Firebase Vertigo this weekend. (7/14)

The enemy is within the gate, already.   敵は身中にあり。

@masseffect Fight for a new home in a dangerous galaxy. The Mass Effect: Andromeda Trial is now available on all platforms! (7/14)

Why so serious?   なんでそんな必死?

@bioware Make games with us. We're hiring. (7/14)

Hell no!   やだよ!

@masseffect Who did your Ryder romance? (7/16)

Stay out of my business!   口出ししないで!

@masseffect Last chance to jump into Firebase Vertigo with APEX this weekend. Grab your friends and join the fight! (7/16)

Not for me, sir.   遠慮しときます。

@masseffect In 2819 you woke up in Andromeda. What does your Ryder look like? (7/17)

With a tired face.   「疲れた顔」で。
 
@Aaryn Flynn Thank to you everyone for an unbelievable 17 years! (7/19)
 
Not caring, here.   気にもしない。        
 
@bioware Welcome back, @CaseyDHudson (7/19)

About time.  待ってました。
 
@masseffect The Pathfinder is ready to embark on her next adventure. Get your Sara Ryder Limited Edition Lithograph now!(7/20)

Dfhpeykumaaaum1  

Who, did you say?   え、誰って?
 
@bioware Hey #SDCC, here's how you can catch up with us this weekend.(7/20)
 
Yeah, whatever.   へえ、知らんけど。
 
@bioware July 20th, 1969. The first of many giant leaps.(7/20)

Dfl9lntwsaabdrt

Sorry, but it's American's.   でも、それアメリカのだから。

@masseffect Enemies are attacking Firebase Nimbus. Can you survive until extraction? Grab your friends and join the fight in APEX Multiplayer. (7/21)

Not my circus.   関わりのねえこって。

@masseffect What do you get when you mix an asari and an elcor? (7/21)

An Asari character with almost no facial animations.   フェイシャル・アニメのほとんどないアサリ。

@masseffect Test your mettle against outlaws on Firebase Nimbus. Last chance to grab your friends and join the fight. (7/24)
 
Spare me.   あたしはいいや。
 
@bioware We teamed up with @corn_maze to help you get lost this summer. (7/24)
 
Dfhn5gfxuaqqbcp
 
Don't bother. We've been lost in Andromeda already.     無駄なことを。こっちアンドロメダですでに迷ってるんだけど。 

@masseffect Who did you assist on the Archon's flagship?(7/25)

Dfmkv1vxcaymqet

Did it matter, anyway?   これって、どのみち意味あったっけ?

@bioware ICYMI, gather around for the tale of Corsa the Jackal, an animated short from @DragonAge (7/26)

This is the stupidest story I've ever heard! Also, extremely boring.   今まで聞いたお話の中で一番バカバカしいわ! しかも、とってもつまらないし。

Are you new to the Andromeda Initiative? Visit the Tips Hub to learn about Combat Profiles, exploration, and more. (7/26)
 
Stop bothering me!   もう、構わないでくれ!

Following a lead to Omega, Tiran Kandros is one step closer to uncovering the Andromeda Initiative's biggest secret.

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That's enough! もうええちゅうねん!

@masseffect What was your favorite Loyalty Mission?(8/1)

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Aaryn Flynn's. But mission failed!   アラン・フリンのやつ。でも、失敗しちゃったけど!

@bioware We've made some minor changes to @masseffect multiplayer with update 1.10. (8/1)

Suit yourself.   好きにしてろ。

@bioware Tomorrow the Batarian Vanguard joins the fray. Catch us at 10am PT. (8/3)

Why so persistent?   なんでそんなしつこいの? 

Let the Pathfinder find his way onto your desk. We're giving away two signed Scott Ryder action figures from @Todd_McFarlane. RT to enter. (8/3)

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No room! No room!   満員! 満員!

Head out on a daring salvage heist with APEX, but don't let the enemy get too close. Jump in for a chance to fight as the Batarian Vanguard! (8/4)

Leave me alone. ほっといてくれ。

@bioware Hey @NASA, we heard you’re hiring. We know somebody who's qualified.(8/4)

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2017年8月 2日 (水)

化石化するポストモダン

 石原教授の文芸時評8月号(産経新聞)が面白かった。

http://www.sankei.com/life/news/170730/lif1707300027-n1.html

 文中、「この40年ほどの思想的な流れ」についての東浩紀氏のまとめについて、石原教授が「実に見事というほかない」と書いている。
 「真実などない」というポストモダン的な言説への反動として、90年代、2000年代には「真実」や「エヴィデンス」を求める理性主義と実証主義に回帰したはずなのに、現実にやってきたのは、実にポストモダン的なネーミングの「ポスト・トゥルース(真実)」の時代だった、というのがその「まとめ」だ。
 ところが、これについてはあたし個人は「まあ、そうでしょうね」と特段感動することもなく、(この鼎談の三人は当たり前のことしか言わないから面白くない)、むしろ、これを受けた石原教授の「このまとめ方に納得することが『近代の終わりという大きな物語』の中にいる証拠」という部分に引きつけられた。

 「大きな物語の終わり」という「大きな物語」に対する、石原教授のこうした冷たい見方にはとても共感する。そういう石原教授もあたし自身も、「大きな物語」の中にいることは否定できないのかもしれないけど。

 「大きな物語」とは、哲学者リオタールがポストモダンにおける知のあり方を考察する著作(注)の中で用いた言葉。この著作によれば、真なるものを探究する「科学」は、自らのステータスを正当化するための言説、「哲学」と呼ばれるメタ言説を必要とした。このメタ言説が、「自由」、「革命」、「人間の解放」、「精神の生」などの「大きな物語」に依存している場合、自らの正当化を示すため、そうした物語に準拠している科学を「モダン」と呼ぶ。(物語には、もちろん他に伝統的知を運搬するための物語もある)

(注)邦訳は「ポスト・モダンの条件」(1986、水声社)、この著作が入手困難になっているところが、島国ポストモダンの寒風吹きすさぶ現状を示しているのかもしれない。あたしは運良く、職場付近の書店に埋もれているのを発見してゲットした。こういう誰もが口にしたがる言説が書いてあって、でも実際は誰も読んでいないに違いない著作というのは必ず読んでおくことにしている。だって、偉そうに不用意に口走るやつとか一発ノックアウトできるじゃないか。

 「科学」(科学的知)は、自らが「真」であることを自ら示すことはできない。非科学的知である「物語」(物語的知)を必要とする。例えば「啓蒙」という物語では、すべての理性的精神(人間のこと)の合意(コンセンサス)の可能性がある前提で、倫理・政治的に「良い」目的、すなわち普遍的平和のため、知(という主人公)が尽力する。すなわち「真理」に加えて、「正義」もまた大きな物語に準拠するようになる。
 つまり、知と権力は表裏一体。科学的知(真理)の正当化と政治的(為政者の)知(正義)の正当化は関連していて、同じ「選択」から生まれたものであり、それこそが「西欧」と呼ばれるものだ。

 西部邁氏いわく、「モダン」(英:modern)とは「ほぼ最近の時代」のことであり(ラテン語では「ちょうど今」を意味するからかな)、これを「近代」と訳した奴は、小さな声でいうと「バカッタレ」なんだそうだ(笑)。また、西部氏によれば「モダン」は「モデル」(英:model)、「モード」(英:mode)と語源を共有している。「近代」(仕方がないからこの訳語を用いると)とは、「模倣(模型)」と「流行(様式)」の時代、「型」の時代ということだ。いや西部氏の言わんとしていることは、「『いつの時代』であっても、人は模倣と流行で生きている」ということだろう。ちなみに西部氏は、変わったことしか言わないので面白い。

 ポストモダンとは、科学を正当化していたメタ物語に対する不信感、「大きな物語」の失墜であり、おそらくは大戦後の資本主義の再興と繁栄(共産主義への選択の排除)と、科学技術の進歩の結果だとされる。上述の著作は、70年代までにおける科学技術に基づいての考察であるものの、21世紀の今読み返せば、情報通信技術の進歩、情報の流通すなわち「知の商品化」の重要性はさらに説得力を増すだろう。

 「ポストモダン」は、それ自体そうなりきれなかった「物語」といえるかもしれない。自ら物語になってしまえば、それは「大きな物語」(モダン)の一部でしかないのであるし、「モダン」という価値の否定でしかないのなら、語るものが何も残されないニヒリズム(虚無主義)に容易に陥ることになる。

 もっとも、そんなことを言う前に、科学が自らの正当性を自ら示せない時点で、「真理という科学の要請を、この要請そのものに自己遡及的に適用する」点で、ニーチェの言う「ヨーロッパのニヒリズム」に陥っていることは、上述の著作で指摘されているとおりだろう。
 西部氏に倣って、モダンが「人が模倣と流行で生きている」時代というのであれば、平等を保証された個々人には平等に何の価値もなく、均質化されたそれらの人生には何の意味もなく、それこそニヒリズムそのものが実現しているのではないか、とも言えるだろう。

 石原教授によれば、島国におけるポストモダンは、資本主義の恩恵、高度消費社会を満喫したバブルの産物であった。ドルゥーズ・ガダリの「リゾーム」(中心を有する体系の比喩「ツリー」に対する地下茎)も、バルトの「読者の誕生と作者の死」(ここでも何度か話題にした「作品は誰のものか」、"authorship""ownership"の関係に通じる)も、社会(生活)に多様な選択肢があってこそ、この絶東の島国においてさえも(西欧文化圏の端パイには違いないので)実感され、共感を呼んだというのはそのとおりに違いない。

 一方、(島国では)長い間デフレが続くことによって、「正しさ」(political correctness)の時代になったというのは、どういうことだろう。豊かであれば人はおおむね利他的(寛容)になり、貧しければひたすら利己的(偏狭)になる。社会(経済)が停滞するにつれて、勝ち方は決まり、勝ち組も固定される。トリクル・ダウンなどという胡乱な眉唾(おそらく虚偽)のセオリーを持ち出さなくとも自明の話だ。こういうわりと安直な答えでも、それなりに人を騙して信じ込ませることができるし、浅い部分では大して間違っていないのかもしれない。でも、これはあまりに面白くない。

 おそらく、「大きな物語の失墜」はたしかにあったのだとしても、その「終焉」はないのだろう。

 社会正義、「正しさ」を標榜するカルチュラル・スタディーズ、国民国家論、ポスト・コロニアリズム、フェミニズム、インクルーシヴィティ(島国では性的少数者のみ取り上げられ、教授も文中ではそちらを言っているが、あちらでは本来は、すべての少数者を「包含する」意味)などの「流行」が、あたかも百花繚乱の様相を呈しているかのように見えたとしても(都内の大規模な書店の棚を見渡してみても、とてもそうは見えないけれども)、結局はみな同じひとつの「真理」に寄りかかり、ひとつの「正義」を実現しようとしている点で、まさに生物学でいう「ニッチ」の「すみわけ」でしかないのだろう(書店で「主流」分野の横にこじんまりと並ぶ関連書群の印象がまさにこれだ)。

 

 そしてその「真理」も「正義」も、喪われたはずの「モダン」からの借用にしか思えない。もっとも、「大きな物語」が喪われたというのなら、ただ形骸化(骸骨化)した「真理」と「正義」だけが、彷徨っているだけなのかもしれない。

 

 それとも、もっと下世話に考えて、バブル期に目いっぱい稼いだポストモダンの主流派たちも、デフレ期ではお座敷がかからなくなり、またはご本人たちが疲弊してしまい、あるいは単に本書いても儲からなくなり、ずっと安い予算、稿料で働くベンチウォーマーというか二軍にお鉢が回ってきたということでしょうか。

 こうした「流行」も、「均質を基礎としてきた近代」(別の言い方をすれば、人が模倣と流行で生きてきた社会)にくさびを打ち込む点で、やがては「大きな物語」の一エピソードとして回収されてしまうだろうという、石原教授の予想にも深く頷いてしまうところだ。

 

 最後に、「ポスト・トゥルースの時代」というネーミングは、まるで「トゥルースの時代」があった、現にあることを前提としているのでそれ自体「反動的」である、と力説している点には、違和感を抱いた。「真実などないし、あったこともなかった」ことなどは、このように縷々書き連ねる必要もないくらい自明であると思われるので、いったい何を恐れているのだろう。ましてや、今騒がれているそれは、ブリックジット、ドナルドなどの「印象操作」、「フェイクニュース」程度の問題でしかなく、問題となっているのは「真理」でも「真実」(truth)でもなく、ただの「事実」(fact)の有無だ。「偽」(false)ではなく、「嘘」(fake)だ。
 
 なにかアイデオロジカル(イデオロギー的)な危険を念頭に置いているのだとしても、ちょっと想像がつかない。旧来型プロパガンダで何かのっぴきならない状況になるというのなら、すでにマスメディアが悪質極まりないプロパガンダ機構として成立しているではないか。あれ以上質が悪くはなりようがあるまい。
 「トミファ」がその証左(エヴィデンス)というなら、ひねもすTVばかり観ている団塊の世代は間もなくいなくなるので、あまり心配するにはあたらない。残念ながら、ネットには言うほどの力はない。つうか(あたし含めて)見ている連中に力も金もない。って、まあ「動物のお医者さん」で国滅んだら笑っちゃいますけどねえ。
 
 ただし、この言葉がもともと欧米発であることは注意が必要かもしれない。「大きな物語」の拠り所を、「哲学」になど頼らなくとも、クリスチャニティ世界には依然として「真実」があるからだ。資本主義と科学進歩の象徴であるUSD札一枚一枚に、"In God We Trust"と記されているように。
 
 「フェイク情報」のせいで、イラクという地域大国一国が軽く消し飛んでしまい、その空白には自称国家勢力が猖獗を極めることになってしまったのだから。

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