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2017年6月

2017年6月27日 (火)

個人的ゲーム暗黒時代

 よせばいいのに、ファミ通のRPG総選挙などネタにしてしまったものだから、リストの中でプレイしたことのないタイトル、内容すら想像もつかないタイトルがどうしても気になった。
 いや、TW3ぢゃねえから。少なくとも最初のほうはちょこっといぢったから。
 
 これまでセガ(マシーン)には一切触れない、思い入れもまるでないゲームライフを過ごしてきたので、そっちは知らないのが当たりまえ。リストの中では「グランディア」がそれにあたるのかな。(ちなみにPCエンジンのほうは、どういう風の吹き回しか忘れたが、なぜか二世代くらい付き合ってしまった)
 「キングダムハーツ」とか、「テイルズ」とかは以下略。一生プレイしないだろう。
 「スーマリRPG」は、気になって買ってみて、ちょこっとだけプレイして、「あーね」とわかってしまった。続ける気もおきなかったので、新しく3DSを買った知り合いの女性にあげちゃった。
 
 「FFホストクラブ」は諸般の事情でおいておいて、そうなると残るは「幻想水滸伝2」。
 USに暮らしていた頃でさえ、SNESを入手するなどして気になる島国タイトル(もちろんUS版)は欠かさずプレイしていたあたしにも、実はゲーム暗黒時代がある。
 
 前後バッサリ切れるわけではないものの、一番真っ暗だったのは世紀末直前の数年間だ。
 「幻想水滸伝」(PS版)がデヴューしてから「幻想水滸伝2」が出るまでの頃にちょうど当てはまるようだ。
 振り返ると、世の中の様々なオタク世界に関して、あたしはこの期間が弱い。
 思い返しても絶望的な気分になるが、完全に「カタギ」の暮らしに勤しんでしまっていた頃だ。もはや取り返しのつかない、限りある人生を無駄に過ごした日々。泣いても叫んでも帰ってこない。人生が二度あれば(それ言うのまだはええよ)。
 
 PCだけは確保していたので、Diabloだの、BGだの、Ultimaの最終章だの、PC版の洋ゲー(US版)はやり倒していた(「カタギ」の範囲で(笑))。
 ゲームに関して、歪んだものの見方が培われた時代かもしれない。
 
 かつてのコナミのRPGと言えば・・・、いや「フロンティア・ゲート」とか新しすぎる。んーと、んーと、「月風魔伝」? というかRPG開発の「イメージ」がない。思いつかないなあ。
 ファミ通RPG総選挙のリストを見て、「幻想水滸伝」ってどんなゲームだろう、ナムコ(カプコンの間違いだった)の「天地を喰らう」みたいなのかなあとか気になり、ネットで調べてしまった。
 このRPGシリーズが、あたしの知識からすっぽり抜けていたことがわかった。
 その後の記憶がない。
 
 気がついたら、あたしのVita(オレンジ)に「幻想水滸伝I&II」がインストールされていた。
 
 「I」のほう、少しいぢってみましたが、んー、オールタイムRPG総選挙で選ばれるタイトルかなあ。やはり「II」のほうをプレイしてみないとわからんのでしょうね。そんな暇あんのかどうか知りませんけど。
 (といっても、「I」からはじめないと気が済まない血液型A型)

2017年6月26日 (月)

発煙銃持ったどこかのバカが

 なんだよー、また選挙かよー、都議会ってなんだよ、そんなの知らねえよー。比例ぢゃねえのかよー。国政選の比例で決めちまえよー。
 だいたい誰が出てんだよー、て一切興味ないから調べる気も起きないけど。
 
 まあ、「橋本カンナ」ちゃん書いとけばいいか。
 
(いや、正しく漢字で書かないとダメでしょ、つか、自分の区から出てない人に入れても意味ないでしょ、それよか、あの娘十八歳で投票できまーすってポスターに選ばれてんだから、その年齢で立候補できんのかっちゅう話だわこれ)
 
 んじゃ、「藤井そうた」君(労基法上では少年の深夜労働がどうのとか、くだらないメディアが年齢ネタで記事数せこく稼いでんだから、その時点でわかれよ、って書いている時点で本日対局の勝敗知りません。あー、あと今どこにお住まいか知りませんが、立候補に居住実態要るんだった(正しくは選挙権のある人のみ))
 
 んーと、「アンジェラ・メイ」ちゃん?(年齢知ってて書いてるだろ、それ以前に週プレ見てないやつ誰も知らんて。なに国籍? 島国人だよ、お前差別してんじゃねえぞ)
 
 しょうがねえなあ、年金財政上もできるだけ速やかにこの世からいなくなって欲しい、f**kb**kを占有して超くだらないクソ長いコメント垂れ流して、若者のf**kb**k離れ(笑)を加速している団塊の世代の連中向けに「築地豊洲」さんとか? 花柳界の人みたいでおしゃれでしょ(逆にひとつも面白くないからいいんだろうが)
 
 バカ高い住民税ぼったくられてるこっちとしては、ちっとは面白い見世物にしてもらわんと困るんだよねー。
 
 選挙は選挙でも、こちら、「ファミ通」の総選挙。
 いや、結婚宣言関係ねえから。そんなこと言ってると、アホに発煙筒焚かれるから。
 RPG総選挙だから。
 
 すでにもうツイートでひとしきりネタにしてしまったので、マップ使いまわし感、今更感、出がらし感、徘徊老人感出まくっていますが、ネタもないので流用。
 
https://www.famitsu.com/news/201706/23136243.html
 
 ここのところ、洋ゲー(PS4版)以外では「イースVIII」(PS4版)くらいしか進めていないので、Vita版と異なるところを知るために、電撃とファミ通を毎週買ってんすよ。その攻略については電撃の別冊だけで間に合ったんだけど、ファミ通が何週にもわたってジャンル別ヴィデオゲーム総選挙をやっていたのです。
 
 「あー、はいはい、アドヴェンチャーの一位が『Sゲート』ねえ、若者あれすっきやねえ、あたしTVアニメしか知らんけど、もったりした展開にいらいらしてしまって、最後まで観れんかったわあ」とか、
 「シミュレーションの一位が『サクラ大戦』かよ! PSP版あるけどぜんぜんやってねえよ!」とか、アホみたいにひとりで盛り上がってました。
 で、満を持してのRPG。
 
 んまあ、中間発表とはいえ、このラインナップを見ていると、悲しみが止まらない。
 いや、TW3が一位ぢゃねえよ、だったらキングダムハーツが二位かよ?! 
 ただの五十音順だよ。
 ファルコムが影も形もないのはともかく、カナダのB社なんてどこにもいない(笑)。やっぱ創業者ムジカが島国を思いっきり軽んじていたから、今頃バチがあたってるな。
 
 NieRもそうっぽいけど、FFなんてあきらかに組織票くさいし(でも、初期作はともかく、「XII」と「XIII」が抜けているのが鼻水を誘います)。DQも、堀井さんがスランプに見舞われていた時代のことを、ファンはよくご存じだ。
 メガテンもパワー不足なのかあ。逆にペルソナは三号車、四号車、五号車ランクインとか、今年のル・マンの某島国ワークス見習ってほしいな。
 んまあ、ツイートでも言われましたが、おっさんがこのリストにたじろいでしまう(キングダムハーツのこともテイルズのことも言ってない!)のは、マシンも含めた世代(ジェネレーション)の違いによるのでしょうね。今更ウィズもウルティマも何それ?って感じなんでしょう。
 
・ウィッチャー3 ワイルドハント
・キングダム ハーツ
・グランディア
・クロノ・トリガー
・幻想水滸伝2
・The Elder Scrolls V: Skyrim(ザ エルダースクロールズ V: スカイリム)
・スーパーマリオRPG
・ゼノギアス
・ゼノブレイド
・テイルズ オブ エターニア
・テイルズ オブ グレイセス エフ
・ドラゴンクエスト
・ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
・ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
・ドラゴンクエストV 天空の花嫁
・ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
・NieR:Automata(ニーア オートマタ)
・NieR Replicant(ニーア レプリカント)
・ファイナルファンタジーIV
・ファイナルファンタジーV
・ファイナルファンタジーVI
・ファイナルファンタジーVII
・ファイナルファンタジーVIII
・ファイナルファンタジーIX
・ファイナルファンタジーX
・ファイナルファンタジーXV
・ペルソナ3
・ペルソナ4 ザ・ゴールデン
・ペルソナ5
・MOTHER2 ギーグの逆襲
 
****
 
We all came out to Montreux
On the Lake Geneva shoreline
To make records with a mobile
We didn't have much time
Frank Zappa and Mothers
Were at the best place around
But some stupid with a flare gun
Burned the place to the ground
 
     Smoke on the Water, Deep Purple
 
 

2017年6月25日 (日)

フェイシャル元年?

 
 どブサイクぢゃねえか とあなたが言ったから 2017年はフェイシャル元年
  ----- ばにてい
 
 いや、普通の意味で。
 
 身の上に耐え難いほどの不幸が訪れた人は、少なくとも一時期(長くて死ぬまで)周囲のことなんてどうでもよくなるのです。そのような不幸を体験した人は、誰でもご存知ではないでしょうか。
 ダメージがどれだけひどいか、一番わかりやすい目安は、周囲のことのみならず、先(将来)のことにも一切興味がなくなることです。世の中のニュースは、当人にとってまるで意味のないものになります。限りなくレッドに近いイエロー、危険信号だと思います。
 
 ところが残念なことに、そのような不幸に見舞われた人のことを、周囲はほおっておきません。似たような(でも結局どこかの他所様の)不幸を経験した本人もその知り合いも、得意げに仲間扱いしてくる。赤の他人からは「同情」というタグのついたネタとして扱われる。周囲から腫物に触るように扱われるならまだしも、気を使っているつもりの人たちから遠巻きにされているだけで、(要はめったに見れない面白い見世物扱いなわけですから)本人のダメージも累積していく。
 
 役者さんって、ほんと大変ですよね。自分のプライヴェイトな人生までも、惨たらしいことに高い品質の演技を要求されてしまう。 
 フェイシャルがあれだった某AAAタイトルに、見事に裏切られたあたしのメンタルヘルスは、せいぜいイエローの点滅(注意して進め)程度のステイタスだったと思われるものの、いそいそと早めに帰宅してプレイしたくなるゲームもここのところなく、出張のない週末になると、やはり馴染みのお店で呑んだくれることが多くなった。
 といっても、生まれ育ちからくる趣味の良さが邪魔になり、そこらへんのこ汚い居酒屋などで管を巻いているわけにもいかない。繁華街の少し奥まったところにある、上品なショット・バーを想像してもらえばよい。あー、いや九課のパズが出入りするような、あんな怪しいところではありません。
 
 芸能ニュースには基本興味ないのですが、例の歌舞伎俳優の奥方様の病状が、ネットニュースサイトであそこまで連日トップに取り上げられると、記事のタイトルだけでも目に入ってしまいます。どうしても事情を把握してしまう。
 バーテンダーの女性は昼も忙しくしていて、記者会見を観ていなかったそうだ。観たかと問われ、そもそも興味ないから観ていないと答えたら、彼女のスマホの動画で一緒に(強制的に!)観せられることになってしまった。
 
 取り敢えず言われるままに冒頭二、三分だけ観て、思わず出た一言が「役者って、こんなときまで大変だよなあ」でした。カメラ回ってますからね。自覚がなくても、尺を考え、流れを考え、演技しているでしょう。
 どこかに本当のプライヴェイト空間(時間)があればよいのでしょうが、ああいうお仕事ですから、まず百パーセントのプライヴェイトはありえない。因果な商売だと思います。
 
 それからバーテンダーの彼女と、「死」について、「命」について、ひとしきり話をした。野郎どもに比べて女性たちのほうが、なんら専門的な知識を仕入れていなくとも、はるかに哲学的な発想をしている(できる)ことを、最近本当に実感している。
 
 哲学の話は、もともと専門知識などなくとも、世間の常識(規範とか制度とかいう意味ではなく、コモンセンスのこと)がわかっていて、あとはロジックだけ成立していれば事足りるはずです(むしろ問いを見つける「センス」が、幼稚な議論を避けるためにも必要なのだそうだ)。ところが、なぜか女性は「ロジック」の生き物ではない、と言われることが多い。この食い違いはなぜだろうと考えてみると、意外と答えは簡単ではないかと思った。
 
 野郎の場合は(嗜みとしてかどうか知らないけど)何かしらの専門知識を仕入れていることが多くて、かつ、それらを吹聴したがる傾向がある。(バーテンダーだけに?)思考に「雑味」が多すぎるとか(こうやって自分もやらかしてる)。また野郎は何かを問われると、いきなり何らかの「立場」に立ってしまって、とりあえずの答えを出したがることが多いと思われる。それはもう色のついた「思想」(アイデオロジー)になっちゃう。
 
 もちろん、性別だけが理由で決まるわけでもなく(それだけで決まると言ってるとしたら、それは「思想」)、そういう傾向があるのではないかというお話です。あたしだって、頭の固いばばあとは、クソじじいに対するのと同様に口を利く気もおきない。一方、 ほぼ百パーセントバカしかいない男子であっても、ぽやんぽやんしているような若者こそ、意表をついた直撃弾を撃ってきたりするんで、不意打ちされることもある。
 
 本題がどこかに行ってしまった。ああ、あれだ、IGNでもGameSpot(下リンク)でも報じていたように、「マーヴェル対カプコン」のチュン・リーのフェイシャル(普通の意味で)、また揉めているとか(笑)。
 
https://www.gamespot.com/articles/marvel-vs-capcom-infinite-devs-on-preserving-depth/1100-6451133/
 
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 私たれある? 別人ある!
 
 囂々たる非難を受け、ゲームのデザイナーが速攻で修正を約束している。これはもう、まるでア・バオア・クーから強引に脱出を図ったキシリアのザンジバル(映画版)のように、集中砲火を浴びて大轟沈してしまった、反面教師ME:Aの教訓によるものだとしか思えない。
 
 なお、上の画像を検索するにあたり、世界中のチュン・リーのコスプレイヤーの画像を目にしてしまったことにも触れざるを得ない。
 これまでは、どこぞの「ツクヨミ」のコスプレ(とは到底呼べない、むしろディアブロIIIのグロテスクと同じくらいグロテスクな物体)が、あたしの殺意感じたナンバーワンだった。
 
 結構、それとタイはってそうなのがネット上にうようよしている。なにしろ、よせばいいのにエイジアンがチュン・リーやるからなお一層たちが悪い。ブサイクなエイジアンが白人キャラのコスプレやっても、ここまで怒りを呼ばないというレヴェルのものも数限りなくあるようだ。
 
 いやいや、格ゲーには一オングストロームも興味ない、言うてはりますやん。
 ひとたび不幸を背負ってしまったら、誰かが似たような不幸に見舞われた話が持ち上がると、都度かならず連想され、引用され、参照されちまうのです。
 今後、この手のフェイシャル問題とくれば、もうこの先ずっとME:Aが参照されることで決まり。それが言いたかったの。
 
 不幸な人は、誰もそっとしておいてくれないの。「同情」という「好奇」と「侮蔑」の視線にさらされ続け、それがまた不幸として累積し、無限増幅していくの。
 その無限ループを断ち切る方法は、実はあります。でも教えてあげない。なぜなら、例えばあたしがそうやって人に教えを垂れることが、また「同情」の一種でもあるから。
 

2017年6月18日 (日)

今更プレイ

 ブログに書いてしまったら、やっぱりプレイしてみたくなって、"Uncharted 4"(海賊王がどうの)、"The Last of Us"(リマスタード)、"Metal Gear Solid V"(全部入り)のそれぞれDL版を買ってしまった。PSN今日までセールだったもので(大して安くはなっていないので、単なる自分への言い訳)。

 心配だったのは、(MGSVはともかく)英語音声が入ってるかどうか。でも杞憂だった。最近はそこらへんちゃんとしているみたいです。

 まず"Uncharted 4"をプレイしてみたら、なんと知らんうちにネイサンが所帯持ちになっている(奥さんがいる)! 自分でプレイした気になっていたUncharted 3のことを忘れているのか、それとも実は最後までプレイしていないのか不安になってきた。
 今や物置台と化しているPS3(無駄に二台ある)を動かして、PS3版を試せばわかるものの、なんか面倒、あと今更PS3て。
 調べると3作目までの三本はPS4版としてワンセットでリメイクされている。これでしょう。これはUS版ディスク版がとても安かったので、ダウンロード版ではなく、そちらを注文することにした。

 "Uncharted 4"は、半日プレイしたのでかなり進んだみたい。ゲーム・デザインの基本線はほとんど揺らいでいないようで、新趣向の説明さえ必要であったものの、はじめてすぐにのめり込んでしまった。ノリは相変わらずだなあ。ただし次作"Lost Legacy"を紹介しているIGNの記事にもあったように、同じ趣向(例えばロープ、鉄棒、格闘など)の繰り返しがちょっと「くどい」点、まるでバカにものを教えているかのように、何度も何度も続けるところまで相変わらずだな、と思いました。

 夕方近くとなり、そちらのプレイも(プロット的に)一段落したので、次に"The Last of Us"を試すという、今考えたら大変な愚行をやらかしてしまった。このゲーム、暗くなってからやるもんぢゃないですね。冒頭から怖すぎます・・・。いや真夏にプレイすれば納涼肝試し大会に使えると思ったのは事実とはいえ、今晩は雨模様でただでさえ涼しかったので、背筋が寒くなりすぎた。

 この二本にMGSVを加えたPS4ゲーム三本をプレイしてみて、フェイシャル、フェイシャル(普通の意味で)騒ぎ過ぎだろうと、例のあれの騒動のとき思ってしまった自分を恥じた。TW3は最初のほうだけプレイして目にしていたから、あれに比べたら負けるのはわかっていました。でも、もう他のタイトルの水準だってずっと進んでいたんですね。あれは本当に「あかん」レヴェルだったのでした。(ここまでPS4では、アニメチックなJRPGしかプレイしていなかったので、世間のAAAタイトルの流れからまったく取り残されていた、というわけです) 

 それだけじゃない。シナリオの水準にしても、セリフの濃さにしても、"Uncharted 4"なんてとっくに最高レヴェルに達しているようです。プレイヤーに選択の余地がないとか言ったって、あれだって実質なんの選択の余地もなかったから一緒。Naughty Dogは金鉱脈ブチ当てたというか、ネイサンではないが古代の財宝庫を掘り当てたというか、いつまでも続けられる世界を見つけたんですね(ネイサン自身にはリタイアの噂があるようですが)。"The Last of Us"も続編が準備されているようで・・・、ってまた嫉妬にまみれた繰り言を続けてしまいそうだから、もうやめよう。(Rockstarの話とか、ほんとやめて)

 自分ファースト、最近欲望の赴くままに気になるタイトルを集めまくってしまっているのも、例のあれがあれだった欲求不満の反動、過食症みたいなもんなのでしょうね。Co-opマルチのあれが、2018年秋リリースだとのことなので、DA4が(さすがになくなることはないでしょうけど)同じ時期のリリースというのは、もう考えられなくなった。こうなると2019年度中(EAの会計年度は4月はじまり)が固い線かな? ということは2020年3月、オリンピック・イヤー(笑)。 欲求不満が解消される兆しは当面ありません。 

 今年後半、JRPGがわけわからんペースで続々とリリースされるのはもちろん楽しみにしているとはいえ、洋ゲーとは別腹ですからね・・・。

 ん、あれの次回作? しばらくあるわけないぢゃん。結局フランチャイズ一個潰したんじゃないの? Co-opマルチのあれで一個増えるとか言ってるけど、結局差し引きチャラだったりして。(ちっとも笑えない)

2017年6月17日 (土)

DA: Knight Errant #2

 出ていたのは知っていたのですが、どうにも気乗りしねえなあ、としばし放置してました。 

Ke2
 タイトル画は、ほんと良いのですけどねえ。

Ke21
 全何巻なのか知りませんけど、進行がちょっとね、遅いの。

 あたしは本当にアメコミ・リテラシーがないんだろうな。
 ここまで、お世辞でも「面白い」とは言えない。
 なんだかんだで次巻、主人公(エルフのスクワイヤ、実はシーフ)と、彼女が付き従っているナイト様は、ここカークウォールから、近隣の別の都市国家スタークヘイヴンに向かうそうだ。 

 あのDA2(DLC)の彼が登場するのだろうか?(あんまし、どうでもいい)

Boom, boom, motherf**kers.

 帰国したら、本家Amazonに注文していた、英語版"Girls & Panzer der Film"(2015、鼻水出た、◎)、おまけで買ったOVA、"Girls & Panzer: This is the Real Anzio Battle!"(2014、悪くはない、○)"が届いていた。(こらこら、"High School DxD: BorN"(2015、これから観る、○)も、こっそり注文しとっただろうが。内部調査では発見できませんでしたとか言って隠ぺいすんなよ!)

 この週末は、これで決まり。いやあ、何度観ても鼻水出る(笑)。何度観ても島国戦車の無駄な突撃にキレそうになる(笑)。島国チームのセリフ、英語版では感じ出ませんしね。「・・・であります!」の軍人言葉は、大声で叫ぶしか表現できないんだ。

 「突撃!」、「うおーっ!」が、"Charge!"、"Whooa!"って、チアリーダーじゃないんだから・・・。
 今年暮れから、シリーズ最終章が来るそうで楽しみ。それまで何度観直すことになるのか。

 結局、E3はリアルタイムではまったく追っかけられなかった。あらかた終わってからのIGNのまとめを読んで、気になったものは、次。

Uncharted: The Lost Legacy (PS4)

http://www.ign.com/articles/2017/06/13/e3-2017-uncharted-the-lost-legacy-is-an-uncharted-game-for-me

 女子ーズが主役の時点で買い。と言ってもネイサンの最終章プレイしてないんすよね・・・。ちょうど明日までPSN値引き祭りやってっから、仕入れとくかなあ。北米版(ディスク)のほうがお安いが、トロフィーとかまた色々ごちゃごちゃになるんじゃないかと心配。未プレイのMGSVとThe Last of Usも買っとくかなあ。ホストクラブは・・・、見なかったことにしよう。もうすぐFFXIIきちまうし。

Xenoblade Chronicles 2 (Switch)

http://www.ign.com/articles/2017/06/14/e3-2017-xenoblade-chronicles-2-is-more-than-a-simple-sequel

 あたしはこれを、この事態を恐れていたのだ。だから言ってるじゃねえか、生産追いついてないんだよ、ビッグN! いつまで転売屋に儲けさせんだよ。 
 つうても二作目はプレイしていないのですが、デザイナーによれば、過去作関係ないから、とのことなので、飛ばしちゃいましょう。とにかくリリースまでに本体を何とか手に入れないと。

Far Cry 5 (PC、PS4、XOne)

 二作目(アフリカのやつかな)までPC版をプレイしてましたが、その後シューター自体めっきりプレイしなくなってしまった。 

 これも(あまりに他のゲームがありすぎて)買ったとしてもおそらくプレイしないんですが、このゲームプレイ・ヴィデオがあまりに恰好良すぎます!

http://www.ign.com/videos/2017/06/12/far-cry-5-gameplay-walkthrough-e3-2017-ubisoft-conference

Grace_armstrong
 "Boom, boom, motherfuckers."

 特にこの1:30あたり、BGMが始まる直前。なんつう素晴らしいシーンを入れるんだ!
 このヴィデオ、出張中含めてたぶんもうニ十回以上観てしまっている。

 ゲームプレイ・ヴィデオはなあ、こう作るんだよっ!(どこか遠くのほうに向かって叫ぶ)

 どこぞのクソ野党カルト皆殺しの気分で、プレイしてみたいなあ。
 でも、シューターにのめりこむ元気ないんだよなあ・・・。いい加減じじいだしなあ・・・。

 その他、これまでリリースされたJRPGは大変評判が良いし、これからもリメイク含め("Deep Strange Journey"!)山ほど来ますし、今年は一体なんなんでしょうか。RPG当たり年?

 RPG当たり年? 

 RPG当たり年?

 あー、あそこのスタジオはもう何も作らなくてよい。スタジオ全員、なんとかいうCo-opマルチの開発に回してやってください。このまま、敗残兵の汚名を浴び続けるのは不憫すぎます。

2017年6月15日 (木)

老いの恐怖(白人版)

 先の記事に書いたとおり、ちょっとは期待していた“Passengers”がME:Aよりひどかったので、もうあとは機内で呑んだくれて寝るかと思った。

 だって他の映画といえば、"Logan"(2017、流した、○)ねえ・・・。X-Menはよい暇つぶしになるので、だいたい観てきたとはいえ、いつもまったく予備知識のない状態での鑑賞でした。

 今回もそうだったのです。ところが、仕方がないから睡眠薬替わりに見始めたところ、映画冒頭で、あの「禿」(テレパスのリーダー?)が耄碌して死にそうになってる。あれ? ウルヴァリンが自己治癒できなくなってる?

 この映画について、細部ネタバレはやめておきます。別に観てほしいとかではなく、スーパーヒーローもののファンでも全然なく、単に結構面白かったから。

 テーマは、まず誰が見てもわかるように、(白人の視点での)「老い」。
 死生観は文化で大きく異なりますので、ここではクリスチャニティー(むしろ白人)視点のそれ。

 さらに、(主演のヒュー・ジャックマンつながりで)笑っちゃうことに、「レ・ミゼ」。
 いまやリーアム・ニーソンが「師匠」と同義になっているのと同じで、「昔やんちゃだったパパ」になってしまったのでしょうか。

 次が、個人的に一番重要な点で「西部劇」。しかも、クリント・イーストウッドあたりがはじめて今にも連なる「修正主義西部劇」ではなく、作中も引用されている「シェーン」(Shane、1953、忘れた、○)あたりの「正々堂々西部劇」。

 それから、主人公たちの逃避行という形での「ロード・ムーヴィー」でもある。鉄板ですね。

 最後が、別段本作に限らない、シリーズを通して語られてきた、ミュータントたちに対する「凡人どものルサンチマン」。

 ミュータントたちが世の中からほぼ姿を消してしまった2029年。冒頭、主人公(ローガン)が、テキサスはメキシカン・ボーダーに近いエル・パソで、雇われリムジン・ドライヴァーに身をやつしてお仕事にいそしむくだり。 本筋とは直接は関係ないものの、妙にいい感じのシークエンスです。テキサスの繁華街の豪勢な暮らしも垣間見られ、うらぶれた主人公たちのどん底の暮らしぶりとのコントラストになっている。

 シリーズをまじめに追いかけてきたファンにとって、ミュータントが姿を消した「今」(この作品)と「過去」(これまでの作品)の間には、隠された重大な「事件」、ミッシング・リングがあるそうだ。映画では何かがあったことが仄めかされるだけで、特に語られない。ファンでもないこちらにしてみれば、逆にそこがいい感じ。ここらあたりも、頭でっかちオタクの説明過多な粗製乱造のスーパーヒーローものと、一線を画すところです。

 禿のおっさんは、90歳を超えている。白寿を迎えた島国大勲位とは異なり、見る影もなく耄碌していて、髪の毛は最初からないけど、アルツハイマー病らしき症状に苛まれており、おかげでミュータントのパワーもたまに制御できなくなるようだ。この耄碌じじいの演技がなかなか良い。残念なことに、耄碌した白人にそんなに出会ってないこちらには、あの真田(広之)さんも出ていた“Mr. Holmes”(2015、流した、○)でイアン・マッカランが演じた、耄碌シャーロック・ホームズとどっちがどうとか言えないけれど。

 そのおっさんの介護の面倒を見ているローガンも、自己治癒能力が衰えてきているらしい。身元不詳のメキシカンのおばはんが救いを求めてくるも、世間との関係を断ち切ったローガンは、にべもなくはねつける。
 おばはんは、ミュータントの少女ローラを伴っていた。ローガンとそっくりの能力を有するというローラは、実はローガンの娘なのだそうだ。(レ・ミゼのモチーフ)
 おばはんを追跡していたミュータント狩りの「組織」(リーヴァーズ)は、ローガンたちの隠れ家を発見する。禿のおっさんとローラを連れて、ローガンは逃避行の旅を余儀なくされる。

 この映画でのアクション・シーンは実はどうでもいい。大して工夫もしておらず、正直見飽きた感もある。むしろ邪魔なくらいで、三人がUSを縦断する逃避行(目的地はノース・ダコタ)の間に繰り広げられる、様々な出来事がとても面白い。途中出会った農夫は、地元の土地問題にローガンたちを巻き込んでしまい、また最後には一家丸ごとローガンたちの戦いに巻き込まれてしまう(西部劇のモチーフ)。目的地ノース・ダコタでは、カナダへの脱出を計画している若きミュータントたちのコミュニティと出会う(「十五少年漂流記」もモチーフにあった)。
 組織につかまり、ローガン一行の捜索を強要されるミュータントも忘れてはいけない。

 上述のように、どこかで見たような様々なモチーフがてんこ盛りとなっているのにも関わらず、それぞれ出しゃばらず控えめで、信じられないことにうまいこと調和していて、いつものばかばかしいアクションさえもう少し控えめだったら、普通にロード・ムーヴィーの秀作になるのではないか、と思うくらい。

 禿のおっさんとローガンの「老い」に対する恐怖、諦観。おっさんの(理由ははっきり示されないが)ミュータント仲間を喪ったことに対する「自責」、「悔い」。ローガン自身の「死」への期待、というか渇望。 ローラはじめカナダに脱出を図るミュータント少年少女たちに託された将来への(こことは違う新世界への)「希望」。クリスチャニティ丸出しのお話であっても、いや、だからこそ「レ・ミゼ」とも、「西部劇」とも、「ロード・ムーヴィー」とも親和するんだなあ、と感心しました。

 別段ファンでもないのですが、X-Menが凡百のスーパーヒーローと隔絶しているのは、「凡人のルサンチマン」について(ハリウッドでできる限りの範囲で)描いているところです。ハリウッド的には、「ミュータントの能力が危険だから隔離する、管理する、あるいは撲滅する」と表現するしかない。でもその根底には凡人たちの「超人」たちに対する「嫉妬」が渦巻いている。この嫉妬(「なぜあいつらだけ優れているのか、なぜあいつらだけ力があるのか」)だけではルサンチマンにならない。

 そういう力は最後まで手に入らないのだから、「なぜ自分にはそういう力がないのか」という羨望は結局いつまでも解消されません。次には「あんなものは大したことはないし、自分にはないほうが良い」と諦める(合理化する)のでしょうが、それでもまだ足りない。ルサンチマンとなるためには、凡人サイドが「そういう力は世のためにならない、邪悪である」と決めつけ、「力がない自分(たち)のほうが正しい、強い」という転倒した価値を生み出し、それがあまねく広く信じられることが必要です。

 お気づきの通り、「今」はすでにそういう世の中になっている。卑近な例でいえば、ツイートなどのSNSは、当然セレブのためのもの、セレブを利用する広告屋のものに最初から決まっている。凡人や貧乏人たちは、彼ら彼女らの知名度のおかげで成り立っているビジネスの、隅っこの方を無料で利用させていただいている(このブログも実はそうです)。それなのに、セレブがちょっと口を(筆を)滑らすと、盛大な魔女狩り・リンチがはじまる。バカと暇人の人が言っていたように「フォロワーの数の多いほうが悪」。だからドナルドなんかは「絶対悪」の領域にいる。

 ルサンチマンの根源は、もちろんクリスチャニティー世界にある。島国はそれを拒絶してきたから安心かというと、形式上はアメリカン・デモクラシーをそのまま輸入してしまっているから、結構浸食されていてかなり危ない感じはある。まーでも、USなどのインクルーシヴィティ活動、メルケル(ジャーマニー)のクリスチャン的偽善、弱者の権力化運動などのすさまじさをみていると、ここはまだまだ後進国(笑)。弱者ビジネスで個人的成功を狙う国連人権ゴロのいうことに耳も貸さない、サウディと同じ金持ち野蛮人、なんちゃってデモクラシー。

 (この今の島国に、ミュータントというかX-Menが生まれたらどういう扱いになるか、夢想すると楽しいですね。フレンチのきちがいがまた核燃料発電に絡めた漫画を描くんだろうけど、それはともかく。すでにその手の漫画、アニメは多数あるとしても、キャラクターがローフル・グッド(秩序にして善)ばかりなのはもう飽きた。映画のように国家権力から情け容赦なく弾圧されるのか、超人扱いされて拝み倒されるのか、故・小松先生かメガテンではないが、究極護国兵器として極秘裏に・・・。どれとも違う世界になる気がするのですが・・・。よく考えると「絶チル」なんか実は面白かったほうなのかも。ただし、「超人」を扱っているのに、天皇に触れずに済ますしかないのが、島国メディアのタブー)

 現に弾圧したり、迫害したりして、力を有する者たちを自分たちレヴェルまで、あるいはそれ以下まで引きずりおろすのは、凡人側(クリスチャニティーでいえば教会勢力)がルサンチマン的価値観形成の上で勝利した、そのあとの話です。凡人は数では勝っている。果てしなく戦えば、勝つのは凡人に決まっている。フレンチ・リヴォリューションの原理。
 一方、X-Menでは、ミュータント側から見た「力こそ正義、力あるものこそ強者」という思想も描いていました。ハリウッド的には、やはりいつまでも勝てないうえに、なぜかナチスを含意したつくりになってしまうのですが。

 このテーマは、DAシリーズもメイジ問題で描いていました。あちらでは、メイジは(上述のようなルサンチマンを前提に)隔離し、厳しく管理すべきである、という「思想」が(チャントリー世界やクナリ世界で)語られ、実行される一方、メイジこそ強者であるという「思想」を実現している体制(帝国領土)も、メイジは有益な指導者である(デーリッシュ世界)という側面も描かれている。

 ただし、これがハリウッドの(というかアメリカン、ひいてはクリスチャニティー世界の)限界と頷いてしまう点も、この映画自身が描いていました。禿のおっさんはともかく、ローガンは不老不死ではなかったのか。なぜ老いさらばえなければならないのか。
 それは、凡人のルサンチマンが許さないからです。さすがに、彼だけがいつまでも「死」から逃れ続ける物語はできない。

 エスパーもので、最強なのはもちろん不老不死(自己治癒含む)でしょう。時間旅行などの時間操作もある意味同じことです。「死」と「時間」は超えられない(この二つも、突き詰めると同じこと)。そうでなければ、凡人たちはとても困るのです。自分以外にそういう「掟」を克服した(チートした)存在があること自体許せない。

 かくして、エスパーものでは、不老不死や時間操作の能力者は、なんらかのカルマ(ペナルティー)を背負う羽目になる。能力を使いすぎると死に至る(時間旅行者はともかく不老不死なのに死に至る!)、あるいはやがて狂気に蝕まれる、ヒトではない何か別のものになってしまうとか。
 エスパーではないとはいえ、草薙少佐は「不老不死」の存在(らしきもの)となるため、(もともと義体で獲得していただけの)「仮の姿」を捨て、ヒトではなくなった。むしろ、「姿」を捨てないと、不老不死にはなれなかった。

 そうなると、真のエースは(過去書いた通り)、009とか、スタープラチナとか、“HEROES”でもそうであったように「スピード」(速度)能力者、「韋駄天」になる。でも「スピード」って突き詰めると「時間」にならないか。
 極限に達しても限界は超えられない。「死」は乗り越えられない。あたしたち凡人が許容できるのは、そこまでなんでしょう。そこが味噌ということですかね。

絶海の孤島に取り残されたら。

 "Passengers"(2017、流した、××)なる映画を出張の機内で見ました。(ああ、6月長いとかほざいてましたが、あの記事書いた直後に、また出撃命令が下りました。戦況は思ったほど芳しくないのです・・・)

 あと、観た映画にあたしの「愛」がない場合、他の人にも観てほしいとか思わない場合、この記事もそうであるように、全編ネタバレとなります。

 島に主人公がいる瞬間に「無人」ではない、「無人島」ではないだろう、というのはアメリカンの風刺(一コマ)漫画収集家でもあったサイファイ作家、故・星新一氏の指摘でした。その代わりに「離れ小島」とか「絶海の孤島」とか、異なる呼び方を推奨していた。

 無人島、もとい孤島漫画とは、ご承知の通りヤシの木一、二本くらいしかない小さな島(というか海洋法上は間違いなく「島」ですが、面積は小さいもので四畳半くらいしかない)に漂着したヒトひとり、またはふたり以上、あるいはヒトとなんらかの生き物(サルとかカニとか宇宙人とか!)が登場する(それらの痕跡だけが示される場合もある)、一コマ漫画を指す。

 シチュエーション的には、もちろんロビンソン・クルーソーが「原型」。映画でいえば、トム・ハンクス主演の”Cast Away”(2000、流した、×)を思い出されるとよい。主人公の相棒は生き物ですらない、ヴァレーボールたったひとつでした。

 ヴィデオ・ゲームなら、シリーズ最新作「イースVIII」。主人公が絶海の孤島に流れ着く設定でした。そこは特殊な海域にあるため、外部からの救出は期待できない。ただし、主人公と同様に漂着した者も多く、「孤島」は実は相当大きなものであったこと、主人公たちを除いても島は「無人」ではなかったことがのちに判明する。そうした「漂流仲間」(運命共同体)と一緒に、島の素材や漂着物を活用してコミュニティーを築き、最終的には脱出用の船を建造するのが主人公たちの方針。趣は「ロビンソン・クルーソー」よりは「蠅の王」や「十五少年漂流記」に近い。

 一コマ漫画に限らず、「孤島漂着」というモチーフの作品が、(大航海時代を知る)欧米作品にとても多く、一方で島国では(欧米のパクリを除いて)ほぼ皆無ということも、あたしがかねてから言っている、「島国は海洋国家ではない説」を補強すると思います。島国は、せいぜい「浜辺国家」です。カール・セーガンの「コスモス」の前ふりではないが、島国人はいつまでも浜辺の砂遊びばかりしていて、目前に広がる果てしない(ようにみえた)大海(太平洋)に乗り出す意志も力もありませんでした。日本海側およびヴェトナム、シャムなど相手の南洋の交易は、「流行した」それぞれの時代にしてみれば遭難続出の難事業ではあったとはいえ、目的地があることがはっきりわかっていた。
 ここでさらに島国の民は現実主義者(リスクテイカー、riskとは損得計算可能な「不確実性」を指す)であって、理想主義者(アドヴェンチャラー、ventureは損得度外視の「冒険」、adventは「到来」、大文字では「ジーザス降臨」)ではなかったし、なる必要も感じていなかった、といえるかもしれません。

 孤島漫画(あるいはロビンソン・クルーソー)の「世界には自分一人(あとサル)しかいない」という設定自体が「哲学」的なので、内容もそうかというと、圧倒的多数が「政治・社会(風刺)的」なもののようです。つまり、世界(人類社会・文明)を外側の視点から冷たく見つめ、(漫画なら)笑い飛ばすというモチーフで貫かれている。

 あたしの大好きな一コマ漫画“Far Side”でも、「定番」の孤島ネタは少数とはいえカヴァーされています。作者は原始人ネタやどうぶつネタが大好きな人で、それだけでも「文明風刺」作家であることがわかります。

Whiner
 「孤島タイムズ」は、新刊第一号を世に出しただけで倒産した。
 『ネッドはめそめそ屋』

Someone_else_6
 「えっ、誰かに会った? 何の話だ? ああ畜生! もう付き合ってるんだな!」

 長々と前ふりしている理由は、もちろん、映画自体の論評がすぐ終わってしまうから。

 ME:Aがあれだった「絶望」に苛まれ、ぐれて呑んだくれていた頃、ふとネットを見たらこの映画“Passengers”のBD/DVDを見つけた。Amazonプライムでも有料でもオンラインでは観ることができない。ME:Aより上出来ではないのかと気になって仕方がなかったので、本家Amazonに注文しようかと思ったほどだ。

 ME:Aのときも触れましたが、元の世界に二度と戻れない600年先の「未来」に飛び立つ動機がまったくわかりませんでした。有史以来の例を探しても、欧州「半島」に二度と戻るつもりのなかったピルグリム・ファザースの事業くらいなものでしょう。ほかの大航海事業は、必ず戻って「利益」を生むことが目的でした。あるいは囚人の大量島流し。

 映画は、冷凍睡眠中の5000人以上の乗客および100名足らずの乗員を搭載した宇宙船が、120年後に到着する予定の植民惑星、“Homestead II”を目指して無人航行中であるところから始まる。

 旅立ちから(地球時間で)30年経過したところで、宇宙船は隕石群との衝突事故に見舞われ、誤作動が生じ、主人公の男性たったひとり(名もない機械工)だけが強制覚醒されてしまう。目的地まで残り90年。30代半ばの主人公の寿命を考えれば、生きてたどり着ける可能性も、他の乗員乗客が覚醒した時に生きている可能性もない。しがない一乗客でしかない主人公は、他の乗客をたたき起こすなどの、宇宙船(搭載AI)に指示を与えるいかなる権限も与えられていない。実際、宇宙船内のほとんどの制限区域には立ち入れない。

 地球に救援を求める通信を送ろうとしても、貧乏主人公にとってありえないくらい高額な「通信料」を請求され、自分が生きている間に助けが来る見込みもない。(なんで120年後に到着した植民惑星でも地球と同じ経済システムが通用しているのか、どうして地球の貨幣(デジタル・トランザクションであっても)が同じ意味を持つのか、映画では説明はすっかり無視されているが、まあご愛敬)

 相棒は、なぜか稼働しているバーテンダー・アンドロイド(AI)のみ。バーテンダーはバー(文字通りのbar、島国でいうバー・カウンター)から移動することができない。酒を供すること以外できることは、呑んだくれたお客の愚痴を聞いて、(会話DBから見繕った)小洒落たセリフを返すだけ。(つまり、バーテンダーは主人公にとってのサル(フライデー)であり、またはヴァレーボールと同じ役割である)

 衣食住は(なぜか居住システムがフル稼働しているので)足りている。あたかも絶海の孤島に取り残されたかのように、たったひとりで余生をいかに過ごすか。ここは、哲学的な香りが漂うのかなーとちょっとだけ期待したのです。でもAI相手にバスケットボールしたり、呑んだくれたりするだけでは、予想どおり1年(地球時間・船内時間)もたなかった。

 果てしなく自暴自棄になったころ、船内DBで記録映像を目にした美女、地球では小説家であったらしい女性に一目ぼれする。冷凍睡眠装置のメインテナンス・マニュアルを見つけ、映画的には多少苦悩したようなシーンもあって、結局(わかりやすく)、その「眠れる森の美女」を強制覚醒してしまいます。

 あちらの「インテリ」レヴュアーがおおむねこの映画に冷淡(低評価)なのは、当然主人公の行動が「邪悪」であるから。「倫理に反する」から。形式的には、略奪、強制的な拉致監禁そのものであるから。
 主人公の「悪行」の真相は、本人とバーテンダーAIしか知らない。もちろん「邪悪」も「倫理」も理解していない、クリスチャニティーの「原罪」なんか知ったこっちゃないAIは、主人公が女性をすけ込ますのに全面的に協力します。インテリかつ美形、地球では小説家としてセレブであった女性と、油まみれの機械工の恋愛。階級を超えた愛、「格差」問題を匂わせたかったのかもしれないけど、これは成功していない。

 彼女とまんまといい感じになったところで、結局、バーテンダーAIが口を滑らせ(笑)、女性は逆上します(あたりまえだ)。短絡的に考えたって、「人生を強奪された」くらいはわかる。
 破局(という言葉も笑っちゃいますけど)を迎えた主人公たちの宇宙船を、ラッキーなことに別の誤作動が襲う。今度はセキュリティ・ステータスの高い乗員(クルー)のおっさんが覚醒してしまう。
 なんやかやあって、事態は急を告げる。最初に誤作動をもたらした隕石事故が原因で、宇宙船はこのままでは航行を完了できない(つまり遭難する)という事実が判明する。冷凍睡眠装置の誤作動によるものか、おっさんの身体は致命的なほど蝕まれていた。おっさんは事切れる直前に、主人公たちに船内の制限区域も利用可能となる、ほぼオールマイティーな「マスターキー」を手渡す。制御システムへもアクセス可能となり、(一介の機械工が!)宇宙船を修復する。

 それから88年後。目的地に到着した宇宙船は、残りの乗員乗客を冷凍睡眠から覚醒させる。船長(アンディ・ガルシア! 出番みじか!)たちが目撃したのは、船内にあるはずもなかった大きな樹と、何十年にもわたって誰かが住んでいたらしい住居跡だった。最後に、覚醒が早すぎた女性がずっと語り続けてきた、ふたりの暮らしぶりについての記録映像が見つかる。

 あたしが不満なのは、レヴュアーたちが「倫理的によくない」と決めつけている部分ではない。あたしだって主人公くらい若ければ、自暴自棄になったら同じことをするかもしれない。だって「眠りの森の美女」がジェニファー・ローレンスですよ?! 逆に言えば、このお膳立ては、「倫理的」には、つまり「哲学的」には、とてもいいところをついたネタなのだと思う。問題は、そのこと自体に作り手が気づいていないのではないか、と疑われるところだ。

 不満なところは、第一に、この女性が、男性の意図も事情も知らないとはいえ、たった一人しかいない男性を、「たった一人しかいない」という理由で愛するのか?というところ。ここがどうにも理解できない。男性側には、邪悪でも倫理に反するでもなんでもいいけど、「選ぶ」権利があった(ひどい話であるのはわかってます)。選んで、この女性を覚醒させた。女性側には選ぶも何もない。本当にひどい話はこちらではないのか?(インクルーシヴィティ亡者にすれば、レズビアンだったらどうする?!とかわめきたてるだろうが、それはおいておく、というかそんな話する必要もなく、すでにひどい話であるのだから)

 好意的に解釈すれば、運命共同体としてたった二人しかいないのだから、とりあえず連帯するのはヒトとしての務め。倫理的にという意味でなくても、話し相手を求めるのはヒトのさが(AIではやはり不満だろうか)。慣れ親しんでいくうちに恋愛感情になる、ということでしょうか。それで(この、2017年の)世の女性たちは納得するのだろうか。納得するなら、それもひどい話としか思えない。

 その延長上で、どうして女性には、自分の人生を奪った男性への「殺意」が生まれなかったのだろうか。男性はすでに「倫理」にもとる行動をとっている。どうして女性は「倫理的」なままなのか。真相が暴露された後、女性は一時凶暴になる(当たり前だ)ことは示されるが、あとはただ男性に対して「自分に近づくな」と命じるだけだ。
 または、男性に(お前は気に食わないからという理由で)ほかの男性(女性でもいい)を覚醒させるよう迫ることはできなかったのか。それも当然「倫理に反する」からできないのか。

 誰かを覚醒させるためには、ふたりが何十年も嘘をつきとおす覚悟がいる(AIがまた口を滑らす可能性もある)。そうでなければ、強制覚醒された相手に殺意を抱かれて殺されてしまう可能性は十分ある(繰り返すが、二人の間でそれがないほうがおかしいと思う)。また、あまりいっぺんに大勢覚醒させると、暴動が起きてしまって大変なのは言うまでもない。

 最後に、なぜふたりは子供を残さなかったのか? 親が死んでしまったら取り残された子供(たち)が孤独になるから、というのがもっともらしい理由として思いつく。逆にこの状況で子供を作ること、それこそが自己中心的な「倫理にもとる」行動だと考えたのか。理由なく単純にそうしたくなかっただけなのか。理由はなんでもいいし、端的になくてもいい。そういう説明もない。なぜかここだけは、インクルーシヴィティに配慮したのかもしれない。

 一言で言ってしまえば、せっかくの「孤島漂着」というお膳立てから色々と思いつくはずのシヴィアなネタを、この映画は全部見逃し、ふいにしている、逃げているのだ。上に書いたように、本当に緊迫してのっぴきならない状況になったとき、真剣に突き詰めて考えなければならないところで、やれマニュアルが見つかった、やれ仲介者が現れた、やれマスターキーを手に入れた、と茶々を入れる。書き手(作り手)側が、自分たちで作り出した緊張に、自分たち自身が耐えられなかったとしか思えない。

 結果、ジェニファー・ローレンスが出演するにふさわしい、メグ・ライアン風ただのラヴ・ロマンスもどきになってしまった(ラヴ・ロマンスでさえないと思う)。ジェニファーも、これは話が違うと怒っていい。

 あー、はいはい、女性が観ないと映画なんて流行らないんですよね?
 そう思って制作したに違いないこの映画は、その女性を盛大に冒涜しているのではないのだろうか。

 監督は、あのエニグマ暗号解読に功があったとされるチューリングの半生を描いた”The Imitation Game”(2014、流した、××)を撮った人。あの映画についても過去書きましたが、「頭割れるほど考え抜いた数学の大天才を、頭に蜘蛛の巣はって腐っちゃうくらい使ってない凡人どもが描いた、たとえようもない凡庸な映画」だった。ちなみにチューリングは、オックスフォード時代にヴィトゲンシュタインの講義も聴講していた人で、そのヴィトゲンシュタインから、チューリングの前で数学について言うべきことはないと言われたくらいの若き大天才だった。

 では脚本家に期待できるかというと、あの“Prometheus”(2012、流した、×)の脚本書いたうちのひとり。うーん。シリーズ最新作”Alien: Covenant”(2017、観ていない、×)ではさすがに外されたようで、今度の脚本家のひとりは“Green Lantern”(2011、観ていない、×)の人。ううーーん。でも、この次に記事にするつもりの“Logan”(2017、流した、○)も手掛けたようで、ちょっとだけ期待していますけど・・・。“Alien: Covenant”のもうひとりの脚本家は、“Transcendendance”(2014、怒った、××)の人。もおおおん。この表題の「超越」って、何に対してそうなのか、観客の理解の範囲も我慢の限度も超えたという意味なのか、いまだに謎(エニグマ(笑))。というか(一部ユダヤ作家を除いた)アメリカンには「疑似」であっても哲学は無理と確信した映画でした。

 世渡りうまい人じゃなくて、頭割れるほど考えてる人が撮らねえのかなあ。でもハリウッドじゃいかにも嫌われそうですよねえ。アメリカンの自称「インテリ」が、口半開きのドナルドのことを嫌いなのは、あれが奴らの「鏡像」だからなんでしょうね。マイケル・ムーアとか見てるとわかるじゃん。

2017年6月12日 (月)

6月が長い。

 Anthemとやらのトレイラー+ゲームプレイ・ムーヴィーを観て、まるで感動していない自分に驚いています。マルチプレイにもシューターにも基本興味ないので当然ですけど。
 
 というか、過去から現在までのサイファイ作品群が走馬灯のように(?)脳裏を掠めてゆく・・・。
 ここまで盛大に過去の他社・他ジャンル作品を寄せ集めるなら、もはや「パクリ」とか呼ばれないということなのでしょうね。
 しかし「壁」って・・・。もちろん「進撃」だし、"Game of Thrones"だし、WWZだし、"Pacific Rim"だし、あるいは"Terminator"の未来世界もそうだし・・・。
 なんなのでしょうか。21世紀のクリスチャニティー世界(ちゅうても「進撃」は違うか)には、「壁」が象徴する共同不安的なものが蔓延っているのでしょうか。
 それと、●イ●ンマ●がどうとか言いません。Fallout4があ、とかも言いません。言うてるこっちが悲しくなる。
 
 少なくとも、これ作っているのは、あたしの知っていたBioWareではもはや、すでに、とっくに「ない」ということが確認できました。
 BioWareは死んだ。
 ニーチェに倣って正しく言えば、「BioWareは、ずーっと死んでいる!」
 つても、どこのメイクのゲームだからプレイする、しないなんて決めつけるのはファンボーイのすることなので、あたしとしては草葉の陰から(?)温かく見守り続けたいと思います。
 
 それと、フェイシャル(普通の意味で)だけは、しっかりと作り上げているようで、あの痛ましい事件の反省が生かされていてなによりです(っても、作品自体はまだ完成までしばらくかかるとか)。
 ちらっと登場するお姐さんの顔に、ちょっとだけクラッとなった気がしました。ここのところ働き詰めなんで(最新作があれだったので、ぐれまくって呑み過ぎてるのもある)、きっと幻視だと思います。
 
 ただし、このように準備万端仕込まれた「ゲーム・プレイ・ムーヴィー」で、出来栄えを判断するのは差し控えたいと思います。あたしの知っているBioWareは伝統的にこうゆうの見せるのがとても得意だった(死んだんちゃうんかい!)。あー、あれの話はやめて。あれスタジオ違うから。
 この手のマルチプレイ・シューターが好きなよい子のみんなは、島国語版がちゃんと来ることを今日から毎日欠かさず祈りましょう。やつら(スタジオ自体は異なるとはいえ)すでに前科者ですからね。
 
 それとEAには、他にも似たようなサイファイ・シューターがあったような気が(記憶ブロック欠如・・・)。カニバリズム(共食い)上等、もうなりふり構っていられないということでしょうか。それともMSのXbox方面で発表されるということになにか含意があるのでしょうか。
 テーマはホラーかなあ、ステルスかなあ、などと言っていたのに、まさかスーパーヒーロー方面に行くとは思いませんでした。
 
 それはともかく。6月が長い。なんか三回くらい繰り返したような気がするのに、まだ半分もきてないのか・・・。
 ここのところ哲学方面に凝っています。そろそろ特定の哲学者について、著作集をまとめて読まないと気が済まなくなってきた。残念ながら原書は独語や仏語など英語以外の西欧語が多い。あたしは英語以外わかりませんから、基本島国語訳。さすがに全集本となるとお高いのです。基本誰も買わないから。文庫で揃っているのはニーチェとか限られた人くらい。
 ヴィトゲンシュタインの全集十数巻なら、毎月一巻ずつ買っていけば、一年ちょっとで揃います。そのように計画して4月くらいから買い始めていた。どうせ、一か月じっくりかけて一巻読んでも中身わからんし。
(あれをプレイする間、旧マシンが悲鳴を上げ続けていたので、無駄にマイリグを買い替え、家計的にやばいという事情もある)
 
 6月分の一冊はもう買ってしまったので、7月にならんと次が買えない。待ち遠しいなあ、6月長いなあ、とやきもきしていました。その間、特に買い集めるつもりもないものも読んでおこうと、ライプニッツなどに触れている本を読んでいて・・・、あ、そういえば筒井先生の「モナド」がどう、とかいう小説を読んでいない、手に入れていない、と思い出した。
 Amazonで調べたら。見たこともない「筒井康隆コレクション」なるものが、六冊も出ている・・・。
 
 もちろん、同人時代の作品で単行本初出というもの以外、最近の一部作品を除いてほとんど手に入れていてどこかに仕舞ってある。どこかにあるのだが、その「コレクション」はいかにも品薄のように見えて、今買わないととっととなくなってしまいそうな感じだ。
 
 勘弁しろよ、それ買っちまったら、ヴィトゲンシュタイン全集いつまでも揃わなくな(記憶ブロック欠如・・・)
 ふと気が付くと、今あたしの横にでかい段ボール箱が置いてある。宅配の人が足に落としたら骨折しそうな重さだ。開けてみると、ちょっと喩えようもないくらい分厚い本が六冊入っていた。各巻600頁前後。
 第一巻を開いてみる。「SF教室」という、今ではほとんど入手困難な「筒井式サイファイ入門」も収録されていて嬉しい。編者のあとがきを読むと、いまや新刊では入手困難な作品群と、単行本・文庫本未発表作品を中心に、全七巻完結なのだそうだ(筒井先生自身が校正している部分もあるとか)。そのはずで、今でも寝室に置いていてたまに開いてみる、あたしのお気に入りの「驚愕の曠野」などは、文庫で手に入るらしいので除かれている。
 
 続刊のあとがきを読んでみると、大きな出版元でもないので、刊行を続けるのにも結構苦労されているようだ。装丁も大手出版社とは異なり、良く言えば手作り感満載、悪く言えば粗が見える。
 
 まあ、これを言っちゃあ、何もかもおしまいですが、老後の愉しみがまた増えたな(笑)。
 

2017年6月11日 (日)

新IP

 BioWare新IPのトレイラー。
 特にコメントはございません。
https://www.gamespot.com/articles/e3-2017-biowares-new-ip-anthem-announced-with-firs/1100-6450707/
 

2017年6月 7日 (水)

【ME:A】パッチ1.08

 あたしに何かを期待されても困ります♪
 ME:Aパッチ1.08がひっそりとリリース♪
 下はGameSpotの記事♪
 数行読んだだけで、それ以上読む気をなくしました♪
 どうぞご自由にご覧下さい♪
 
https://www.gamespot.com/articles/mass-effect-andromeda-patch-108-out-now-heres-what/1100-6450606/
 
 追加)つうても、ストライク・チームをたまにいぢる以外、近頃とんと開けていないME:Aを開けてみたら、1.07のままだった♪
 300人しかプレイしていない島国は、抜けにされたのかしら♪

2017年6月 1日 (木)

ヤマトミツバチ

 巣を狙って来襲するスズメバチを、「おしくらまんじゅう」で圧死(実際には体温差による熱死)させるといわれるヤマト(ニホン)ミツバチ。近頃ではその手もきかないスズメバチに蹂躙されているとか、そもそもミツバチは今でも集団失踪していて間もなく絶滅するとか、そのどれがどこまでフェイクニュースかわかりません。
 
 それもまたしても大陸起因だろう!と言いたい人もいるでしょうが、大陸のミツバチも結構たくさん死んでいて、養蜂業がかなりやばいと言われたときもあったそうだ。ある種の農薬がよくないと騒いでいる人たちもいる。
 アインシュタインは、ミツバチがいなくなれば、人類は四年で亡ぶと警告していたそうです。たしかに人類が消費する植物系食材のかなりの部分は、ミツバチによる受粉に負っているらしい。でも、ミツバチが亡ぶ前に人類が滅びそうな地域もあるけどね。どことは言わないけど。
 
 島国のAmazonが、最近になって色々と本性をさらけだし始めた。
 
 とはいえ、クロネコヤマトにひっかけてるんじゃありません。確かに「不在再配達」問題は、騒がれるようになるずっと前から「最初から気づけよタコ!」と思ってました。もっとも、個人的には、まず「運送セクターの地球温暖化ガス問題」から騒ぐのかな、と思っていたのが正直なところ。でも、どう考えても宅配を受けるほうがてんでばらばら、勝手に自家用車で買い物にいけば、燃料消費も排ガスもゼッタイ多くなるわけで、運送業者を集約しているほうがはるかに「地球にやさしい」のは事実でしょう。なお、カッコ内のフレーズは気持ち悪いので使いたくない、ゆえにカッコでくくっています。(もちろん列車に比べれば内燃機関車は環境負荷的には劣位でしょうけど)
 
  再配達問題にしても、それなりの都会であれば、日中受取人のいない世帯が多いのは当たり前。宅配ボックス完備のマンション・アパートなんて、これから増えるわけであって、築三十年とかざらなところで、よほどのハイソな地域でもなければ装備しているわけない。
 また、あたしみたいに、たとえ宅配ボックスがあっても、宅配便の配達時期を予想して自宅にいるよう心掛ける、聖人君主みたいな人は少ない(ゲームやってるか、単に暇なだけだろう)。
 
 運送料金が安いから運送屋が長時間労働にぶーたれる。それも予想していたように、マイケル・ポーターいうところの「大量調達側のパワー」、雇い主(Amazon)とサード・パーティー・ロジスティクスの間の料金折衝の問題でもあるので、たしかにAmazonが一方の原因であることは間違いない。
 でも、それって「労基法や、運輸業界労組含めた労使交渉結果を守ったら、どこだって運べませんぜ!」という限界点がどこかに必ずあるはずなので(配達側が人間的に生活できる点という保証はないものの)、いずれ火を吹くよな、と思ってました。案の定そうなったし。
 
 次の「最恵国待遇」問題も、ポーターの「買い手側のパワー」のひとつ。商品仕入れ先(マーケットプレイスの出品元)に対して、「他に売るのと同等か、安くしろ」という契約を結んで脅す手口。実際問題として、もしこの契約を盾に訴訟起こされたら、持ちこたえられるところなんてごくわずか。そもそも持ちこたえられそうな相手(十分強いサプライヤー)とは、争っても無駄だから訴えない。
 
 アメリカンにとっては、商売上邪魔な相手と見れば、どんな内容でもいいからまず契約を結び、そっこー相手を訴え、身動きとれなくして市場から追い出す、または吸収合併するなんて常套手段。島国大好きなうやむや契約にかならずある「甲乙誠意をもってなんとか」という条項だって、「てめえら誠意がない」と訴えられちゃう。数百人規模でロウヤーを雇っている大企業でもなければ、訴訟費用も払えないどころか、事務所に社長と経理のおばさんしかいないところは法廷に出られない。持ちこたえられません。
 これについては公取が騒ぎ出した。今後は、地下に潜って隠避に脅し続けることになるんでしょうかね。
 
 次は、あんまり大っぴらにはなっていない部分かもしれないが、Amazonが書籍に関して、中抜き(ミドルマンはずし)を始めようとしているらしいという話題。書籍問屋・取次店(ミドルマン)を介さず、各出版社に対してじかに注文を出す方法に切り替えるとか。口実は、学術書など入手困難な書籍について、一刻も早くユーザーにお届けするため。
 
 実を言うと、最近あたしがAmazonに注文した書籍(学術書まではいかないが、かなりニッチでアカデミックなもの)が立て続けに「欠品」でお取り寄せ、実際には入手困難となっている。まあ相当ニッチな分野だし、きっと版元にも在庫ないんだろうなあと思っていたがちょっと続きすぎ。
 映画を観るついでに、東京駅まで足を延ばして、Amazonでは「お取り寄せ」となっていた数冊の書籍を実店舗で探してみた。
 全部ツモった。
 うち一冊なんて、いきなり平積みしてた。
 
 あー、Amazonてば、問屋からはぶられてるわ。
 Amazonは取次店から目をふさがれてるんですね。これがヤマトミツバチの比喩で言いたかったこと。
 次に楽しみな点は、島国の各出版社と取次店が結託して、さらにAmazonをはぶるかどうかです。つまり、ミドルマンを外しても結局入荷できない事態が頻発するかどうか。
 売り手側に、ある売り先に必ず売らなければならない義務なんてありません。いやなら売らなければいい。(しっかり再販制度を維持している書籍について、それもどうかと思うけど)
 
 もっとも、そうなると困ってしまうのは、ど田舎に住んでいて、かつニッチでアカデミックな書籍を必要としている人たち。まあでも、それだって島国出版社が結託すれば、解決不能な問題ではない。 相手と同じこと(通販)をすればいいだけなのだ。単に今までヤマトミツバチどもが口半開きで、胡坐かいてただけでしょ。
 いよいよやばいとなったら、商慣行なにそれ、好き勝手めちゃくちゃやるのが島国の「法の精神」だ。
 Amazonが「書籍は儲からんわ」となってあっさり撤退したって何も困らない(というか、島国に限れば十分ありそう)。その頃にはヤマトミツバチも目が覚めてるでしょうから。また胡坐かいたら許さないけど、リテールでも劣悪なところ(やる気ないところ)はだいぶ淘汰されたでしょうからね。
 ここでは、消費者利益がどうとか一切言っていない(だったら再販制度やめたら?)。
 ようするに、Amazonは「書籍」に対する思い入れなんて「かけら」もないから、いっぺんひどい目にあったらどうだろうか、と思っているだけです。同じように「思い入れ」のかけらもないどころか、中古書籍をやすりで削って拷問していたブック●フもかなり傾いてきているようなので、ご同慶の至りです。
 あたしも一度あったが、身の回りの人もAmazonでの「返金詐欺」には結構あっているみたいです。そういうことにも一切対応しない態度を貫き、転売屋もいつまでも野放し。
 ヤマトミツバチ根性みせたらんかい!
 
 追伸)
 なお、日用品とか消耗品とか、こちらに思い入れのないものについては、今後とも自分ファーストで、しっかりちゃっかり利用させていただきますので、ぜひよろしくお願いします!(笑)

島国に宇宙船が来なくなる日。

 監督作品"Blade Runner 2049"(2017)が間もなく島国にもやってくるという、デニス(ドゥニ)・ヴィルヌーヴ監督の"Arrival"(2016)を観てみました(流した、×)。

 先日の週末金曜日、さらりまんのメッカ(でもなんでもないけど今は)新橋で、同好の士(年下の男性)と約束していた渡部昇一先生弔い酒を飲んだ。かなり遅くまで飲んでいたらしい。

 翌週メールが来た。相手が新宿駅に着いた頃には終電までさほど時間もなかったそうだ。そのまま素直に電車に乗って帰ればよかったものを、席上あたしが話題にしたという"Arrival"(邦題恥ずかしいから書きたくないけど「メッセージ」)が、駅前の映画館でかかっていたらしい。次回(深夜興行)の時間がちょうどよかったので、そのまま徹夜で観たそうな。

 こちら、飲んでいた終わりの方は、どうやって勘定したかも含めまったく覚えちゃいないのです。おそらく新聞で監督インタヴューを読んでいた"Arrival"について、「サイファイは死んだ」(ニーチェに倣って正しく言えば「サイファイはずーっと死んでいる!」ですが)とか、チャンとかリュウとか、ストツーぢゃねえんだから、大陸のチ●ン出しゃばりすぎ、ハヤカワがダメすぎ、ハリウッドが大陸に媚売りすぎ、グレッグ・イーガン(豪州作家でUSメディアからものすごく差別というか無視されている)作品でも映画にしてみろこら、とか、「観てもいない映画」にえらそうにくだまいていたのだろう。あと「大森望死ね」は間違いなく言っていたはず。

 メールには、ご丁寧にクリーン版感想(ネタバレなし)と、ネタバレ感想が書いてあった(らしい、後者はこれから読むので中身を知らない)。なんだか感動したくさいことが書いてあったので、そのまま(PC上の)ゴミ箱に直行という手もあったが、「原作を読んでから観るべきですね」とか、「読んでいない本について(略」を読めとしつこく言っていたにも関わらず、まだ読んでいない相手から一番言われたくないことが書いてあったので、かちんときた(あれ? 「読まなくて」いいんだよね?)。

 「十年はええんだよ!」(えーと、ストツーぢゃなくて、ヴァーチャだったっけ?)

 サイファイについて、あたしに意見するとかありえない。もちろんチャンとかリュウとか、どんな奴らかさえ知らないし、だから読んでいるわけないし、これからも一生読まないだろう。あたしはそこまで暇ではない。(ただしチュンリーなら許す、関係ないけど。パイ・チェンはちょっと・・・)

 とはいえ、「早く観てください」としつこいので、しょうがないから仕事サボって(休みを取って!)、お昼頃に近所の駅前のシネコン行ってまいりました。

 ネット予約して初めて超ラッキーだったと気が付いたのは、毎月ついたちは女子ーズでもない、ジジババでもない、ただの野郎のおっさんも差別されずに映画半額デーなんだそうだ。かなり大きな駅前の映画館だったが、それでも客はスカスカ。平日昼に映画館にいるさらりまんとか、もちろんろくなもんじゃありません。

 以下、他の人に観てほしいとか思わないので、ネタバレ全部あります。

 まず褒めるべきところ。同じ監督の"Blade Runner 2049"に期待しているこちらとしては、ちょっと冗長というか間延びしてるかなあ、という点はいくらかあったものの、物語(プロット)以外で「こらあかん」という部分は見当たらなかった。マイケル・ベイのウ●コ作品とまるで違い、とてつもなく限られた予算(大半は人気俳優がギャラでもっていったんだろう)しか与えられなかったことが手に取るようにわかるものの、映像を大事にする感じが伝わってくる。音響・サントラは、個人的には中華風のところがやたら耳障りで気に食わなかったが、全体として悪くはない。
 
 "Blade Runner"(1982)オリジナルを監督したリドリー御大と比較され、あちらのサイファイ・ポリスからディスられ、悲惨な目にあうようなことはないだろうと安心した。むしろ予告編でやっていた御大の"Alien: Covenant"(2017)のほうがずっと心配なんですけど、あたしは。ME:Aみたいに「あちゃー、やっちまったなあ」とかならないでほしい。それはともかく。

 新聞の監督インタヴューで「異星人到来ネタ」という点だけは把握していた。A.C.クラークの「幼年期の終わり」(Childhood's End、映画化されていない)的な、"Close Encounters of the Third Kind"(1977、「未知との遭遇」)または"E.T. the Extra-Terrestrial"(1982)的な「疑似宗教もの」(あとの二つは、「現実逃避」という意味で間接的に「信仰」を含意している)はできへんやろ、と思っていた。

 主人公とパートナーがそれぞれ言語学者と数学者であるとわかる時点で、その恐れがないことが判明してほっとした。宗教方面に行ってしまったら、何をどうやっても「幼年期の終わり」以上のものにならないことは間違いない。だからクラークの作品は、クリスチャニティ世界では大名作の扱いを受けている。同じくらい(宗教的な意味合いで)危ないのはハインラインの「異星の客」(Stranger in a Strange Land)くらいでしょうか。どちらも、先にやってしまったもの勝ちの世界で、そのものずばりの「原型」(いずれも聖書などクリスチャニティ世界にあったもの)をどういじくっても、一番シンプルなものには勝てません。

 地球上の十二か所にそれぞれ一体ずつ、巨大な浮遊物体が突如到来する。USはモンタナに。ロシアには二体。シャンハイに一体。島国のホッカイドウにも一体。「ホッカイドウ」は、もちろんカール・セーガン原作の映画"Contact"(1997)へのオマージュだ。こちらの映画の原作がどうなってるか知らないけど。

 それぞれの到来地点の諸国政府と同様に、US政府もこの物体の正体を突き止めようとする。民間エキスパートとして、言語学者と数学者のペアが軍隊によって招集される。異星人(「人」と呼べるかどうか知らんけど)の「言語」を解読して、コミュニケーションを果たせ。「(君ら)なにしにきたん?」という問いに対する答えを引き出すのがふたりのミッションだ。
 言語と数学。この作品が「疑似宗教」ではなく「疑似哲学」の物語であることを示している。少なくとも人類の理解可能な「世界」を記述できるのは、(象形まで含めた)言語と数学しかない。人類の知る限り(あ、トートロジーか)。

 「呼びかけることが可能かどうか」はもちろん、作中でもふれているように「(君ら)」(collective "you")と呼びかけることが可能かどうかさえわからない。「なにしに(why)」は「目的合理的」な知性体であれば通じるかもしれないが、相手が生命体かどうかわからないのは言うまでもなく、目的合理的かどうかもわからない。ここまで、サイファイ好きにとって、わくわくせずにはいられないのではないでしょうか? 悔しいことに、あたしはちょっとわくわくしてしまった。

 だが、その「夢」も即座に打ち砕かれる。相手は「個」を理解し、「目的合理的」であることも判明する(後になって、「死」を理解するらしいこともわかる)。すなわち、この異星の存在たち(もう、「たち」と使えることがおわかりだろう)は、人類がどのように世界を分節して理解(認識)しているか、おおむね理解できるらしい(もっとも、人類が異星の存在の世界認識を「理解」しているかどうかは別問題だ。相手は人類の言いたいことの全部を理解し、かつ、人類は相手の言いたいことの一部が理解できない可能性はもちろんあるし、現にこの物語ではそうだ)。

 そこがあっさり片付いてしまうところが、ちょっと残念だった。最後まで観れば、そうでなくてはいけないことがわかるし、そこを描くつもりのない話であることもわかる。「疑似宗教」を描くのはやめておけ、と思ったとはいえ、「疑似哲学」はやってほしかったなあ、なんだよー、という感じでがっかりしたところ、ではどうやって決着つけるつもりなんだろうと、心配になった。

 答えは超簡単。「中華的商取引」。商売、商売。

 サイファイ的なひねりとしては、異星存在の「時間認識」が人類とは異なるらしいという点が盛り込まれている。そのくらいないと、ほんとに宇宙華僑が到来しただけになる。
 原作の原題"Story of Your Life"がコノートしているように、主人公の女性には愛娘を若くして喪った過去があるらしく、そのトラウマに苛まれているようだ。人類が異なる「時間認識」を手に入れれば、「過去」とか「未来」とかそういった事柄の「認識」も異なるようです。よくわからんけど、それが主人公にとっての「救い」になるということを言いたいのか。

 もっともらしく道教思想あたりを持ち出せば、「死と生」も、「終わりと始まり」も、「陰と陽」も意味をもたない、恒常不変の境地がどうたらこうたら、というエキゾチックな感じが醸し出されるんでしょうね、白人というかクリスチャニティ社会からみれば。

 到来した異星人は、三千年後(おそらく地球時間)に人類の助力が必要になるのだそうだ。そのため、(主人公たちから見た)現在、このちっぽけな惑星上で、宗教とか思想(アイデオロジー)とか、しょーもないことでいがみ合ってる人類が結束し、もうちょっとは大人になってほしいというわけ。十二のパーツに分かれたパズル(数学者が数学者として活躍するのはここだけ!)を合体させれば、異星からの「贈り物」が人類の手に入る。

 十二の物体が到来した諸国のうち、「なにしたいのか早く言えある!」と、異星の存在にいち早くブチきれた大陸国が軍事的敵対行動を開始しようとする。主人公が「贈り物」の一部を用いて、危機を間一髪のところで食い止める。大陸国が異星の存在を撃退しようと思い立つほど強大な実力を身に着けてしまったこの世界は、その大陸国が正気に戻ったので救われる。ありがとう大陸国。シェイ・シェイ。めでたし、めでたし。

 「疑似宗教」、「疑似哲学」でもなく、まさか「疑似朝貢貿易」とか「疑似ポトラッチ」のネタだったとは。

 この映画をいたく気に入ったらしい、上述のメールをくれた彼は、「君の名は。」を繰り返し十回以上観ている前科者だ。よって、この映画もことと次第では爆発的に受ける可能性があったのかもしれません。低予算映画ゆえに大して宣伝もしてないし、かかっている映画館も少ない。まあ、おかげでネトウヨが騒がなくてよかったのかもしれない。

 なお、ホッカイドウについては、二度と触れられない。
 過去、様々なサイファイ映画で、宇宙船がたくさん到来するときは、島国にもちゃんと来ていました。上述の"Contact"は意味あいが違うものの、有名どころでは"Independence Day"(1996)、"War of the Worlds"(2005)など。

 ハリウッドがあの調子なんで、そろそろ島国は到来先からあっさり外されそうですね・・・。
 "Pacific Rim"に続編があるかどうかしらないけど、オリジナルは島国で誰も観ていなかったから、次はカナディアン(外されたことにすごい嫉妬していた)とかインドネシアン(人口が多いので映画業界にとっては魅力)とかが入ってはずされますよ、きっと。
 原作者があれなせいか、この映画でもパキスタンには異星の存在が到来してるのに、インディアには来てないんですね。でも、ハリウッドはそのうちインディアにも媚売り始めるだろう。

 ま、あたしが生きている間は、島国もなんとか一軍から外れないように持ちこたえてほしいけれど無理ですかねえ・・・。
 仕方がないから、自家製ゴジラで何度も島国を踏み潰す、ってそれも輸出しちゃってるしねえ。

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