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2017年5月

2017年5月28日 (日)

インクイジター・イノウエ

 遠藤周作にはなんの思い入れもなく、中学か高校の教科書で、かの「沈黙」のごく一部を無理矢理読まされた以外、著作もほとんど読んでいません。
 江戸時代初期、クリスチャン(切支丹)弾圧で悪名高い絶東の島国へ、ミッショナリとして送り込まれたイエズス会(the Society of Jesus)のポーチュギーズ修道士(Jesuit)の主人公は、自らが囚われた牢の隣から聞こえてくるイビキに似た音を、居眠りしている衛視のものだと勘違いしてしまう。すぐにそれが、棄教する(apostatize、アポステイトとなる)よう迫られる隠れクリスチャンが拷問にあえぐ声であったことに気がつく。そのパラダイム・シフトがそのテキストの「売り」、感動せよと迫る核心部分であったことは覚えている。

 クリスチャニティについてろくなことを教えず、踏み絵が偶像崇拝禁止のかの宗教信仰とどうコンプロマイズするのかも教えず、鎖国の意味すら適当にしか教えず(そういえば、これからの教科書に「鎖国」そのものがなかったように記述せよと迫る歴史改変運動があるようだ)、それでいったい何を感動せよと迫っていたのかも、腑に落ちるという意味では全く「理解」できませんでした。教室で、優等生がわかったふりしてスラスラ模範解答を述べるのを、へええと聞いていたくらいしか覚えがありません。もしかしたらヘラヘラ模範解答を述べていたのが、かくいうあたしだったとしても不思議はない。

 その「沈黙」をベースにした、Silence(2016、流した、×)を機内でやっていた。島国ではすでに公開されていたそうだ。カソリック神父志望だったスコセッシ監督が三十年来暖めていた企画とのこと。また白人が(クリスチャンが)、島国差別を盛大にやっているのだろうと決めつけ、けんか腰で観てみました。以下、映画全編のネタバレがあります。

 インクイジター・イノウエ(筑後守、長崎奉行)の演技は「異様」で、おそらくあちらではそうであるが故に受けているのだろうと思いました。あちらの色々なレヴューを読んでみると、その予想に間違いはありませんでした。どこかのレヴュアーが毒蛇コブラに喩えて書いていたように、観る相手に恐怖と、同時に一種のコミカルさを感じさせる笑みという評は、イッセー尾形を知る島国人からすれば別段突飛な話でもない。残念なことに、コブラは島国には自生していないのですが。また別のレヴュアーが書いていた「信仰とは何かを語るべき映画で、棄教を迫るインクイジターの好演がまっさきに話題になること自体、大問題だ」という評にもかなり頷けます。インクイジターとその手先である通辞(通訳)が目立つ一方で、主人公たちポーチュギーズがまるで冴えない、との批判です。

 ところで原作では、イノウエ自身が(そして通辞も)かつて切支丹であったはず。しかしながら、劇中ではっきり触れていたシーンも、微かに仄めかすシーンもなかったと思います。あちらのレヴューを何本か見繕って読みましたが、話題にしているところはなかったので、おそらくそうだったのでしょう。

 ネトウヨ的思考停止でわめき散らすのも、自称リベラル的博愛主義で絶賛するのも、例えばあたしにとっては造作もないことだと、観終わってから思いました。島国は野蛮人の巣窟であると差別主義的に決めつけているという論拠から非難するのも、だからこそその化外の地への布教を厭わなかったイエズス会修道士の勇気(注)を褒め称えるべきだと主張するのも、やれといわれたら容易にできそう。

(注)イエズス会こそカソリック世界制覇の尖兵、教皇の親衛隊、DAテンプラー騎士団のような存在。現教皇(ローマ法王)は、稀に見るバチカン初のイエズス会出身です。
 野蛮な軍隊(サムライ)が支配する絶東の島国なんぞに、好んで宣教に赴くこと自体、教皇の軍隊であるイエズス会以外の組織では行いえなかったのでしょう。

 そのような他愛もないことは本質ではありません。どちらかの立場にたって喚き散らせば済むような話だったら、わざわざここまでして映画にする必要もない。
 ただし、ひたすら沈黙している神の話としても、「沈黙するしかない」語れないものの話としても、この映画は不可解なところが多い。撮っているスコセッシが、ご自分で何をやっているのかわかっていないのではないかと疑われることが、この映画の問題でしょう。

 冒頭は、クリスチャンにとって皮肉めかして選ばれたと感じられる、島国では「地獄」と呼ばれる雲仙岳での切支丹拷問シーン(劇中島国とされる場面のロケ地は台湾だそうだ)。すぐあとに続くリスボンの教会のシーンは、いわば神の摂理に即した様式美の世界であり、そこでは世界は「正しく」規格化されている。ところが、この意図的な「混沌」(地獄)と「秩序」(天上)の対比は、あっさり見逃されそうなくらい弱い。確認のため二回目とばしとばしで観たときに気がついたものの、そうでなければ、その後くどいくらい何度も繰り返される拷問シーンに辟易してしまって、忘れ去っていたかもしれません。

 西欧商取引の理が機能するマカオの短いシーンを経て、舞台が島国に移る。そこは、かつてジーザスそのお方が、自ら教えを広めようとされたような不毛の土地です。少なくとも主人公と、同行するもうひとりのミッショナリの目にはそう映り、あきらかに聖書に由来するようなシーンもそれを裏づけています。デウスの教えを現世救済(ご利益)と勘違いしている、島国切支丹たちとのちぐはぐなやりとりも確かに可笑しい。

 映画は、島国の信者たちが何ゆえにクリスチャニティーを信仰するに至ったか、ほとんど語りません。百姓たち(ここは文字通りの意味で、もちろん漁師たちも含む)は、その命など意に介さない支配者から、現に畜生のように扱われているということしか示されない。おそらくそれは賢いやり方なんでしょう。身分や階級のせいで虐げられているとか、独裁者の圧政に苛まれているとか、何かもっともっらしい理由を語った瞬間に、信者たちの信仰の切実さも、ミッショナリたちの勇気の意味も、すべて矮小化され、世俗化され、どうでもよいものに変わってしまう。信者は、ただ信じるがゆえにひたすら信じる。

 人が理由なく信じること自体を放棄させるのは、強大な為政者であっても困難です。一方、面倒だから信者たちをさっさと殺してしまうことは、積極的に殉教者(martyr)を生み出すことになる。残された者たちの信仰がさらに深まってしまう。結局処刑してしまうとしても、アポステイト(棄教者)となったことを他信者を含む世間に示したうえで、そうしなければならない。そこで島国の発明品である、島国以外で用いられたことはなかった「踏み絵」が登場します。

 聖書で偶像崇拝を禁じているはずのクリスチャニティーの信者が、何ゆえただの鋳物(踏み絵)を踏むだけで「転ぶ」ことに、棄教することになるのか。カソリックでは偶像崇拝を認める妥協が成立していたのでした。彫像、聖餐、ロザリオ、クロスなどの「もの」(アイコン、イコン)に頼るシンボリズムを捨てきれなかった。布教活動というマーケティング上(異教との競争上、および習合の必要上)、そうせざるを得なかったのかもしれない。その結果、内心の信仰と行動(善行)の間に区別をつけるという欠陥を生み出してしまいました。
 この島国を支配する猿は、悪魔のようにずる賢く、その点を巧妙に突いてきた。当時のクリスチャンから見れば、そういうことなのでしょう。

(余談ですが、プロテスタンティズムでは一般に、偶像禁止を厳格に守り、かつ善行ではなく内面的信仰が、それのみが重視されます(信仰義認)。行為義認重視であった教会に対する批判(宗教戦争)や、科学の発展に伴って「天上」の存在が否定され、神の居処は個人の「心の中」と考えられるようになった時代的背景も影響するようです)

 聖書によれば、偶像を禁止したのはモーゼズ(モーゼ)の神でした。ジーザスが語ったとされることは、例えば「シーザー(カエサル)のものはシーザーへ返せ」。(シーザーの横顔が刻印されていた)現世の貨幣などは、どうでもよいものなので、現世の王に返せばよい。
 一方で、内面の信仰と行動を切り離しても良いなどとは、聖書のどこであっても語っていない。むしろ善き行いこそが優先されるべきという教えはあります(善きサマリアンの喩え)。

 ただの鋳物を踏むことなどは、善行かどうかなどとは関係なく、信仰にとってはどうでもよいことではないのか。むしろ、自らの信仰を守るためだけの理由で踏み絵を踏まず、結果として他の信者が拷問され、処刑されることはどうなのか。ジーザスなら、どう教えを垂れただろうか。 

 インクイジターたちが執拗に搾取(エクスプロイト)するこのジレンマ。賢くもそれに気がついていたのではないかと仄めかされる二人の人物が登場します。ひとりは、主人公のかつてのメンター、恩師であり、一足早く島国の布教活動に取り組み、弾圧の結果、棄教し、帰化し、妻帯したと伝えられるポーチュギーズの神父。もうひとりは、切支丹迫害にあって、踏み絵を踏んだにも関わらず自分以外の家族を皆殺しにされ、その後はアポステイト(裏切り者)として、信者からも支配者からも蔑まれ、疎んじられる島国の漁師。

 神父は、おそらくは主人公と同じ苦悩の末に、おそらくは主人公がやがて辿り着くであろう「答え」に先に辿り着いたと思われます。
 漁師は、支配者から求められれば、何度でも簡単に踏み絵を踏む。もはや、踏み絵がなんの「スイッチ」でもないことを知っている。
 そしてふたりとも、その信仰はまるで揺らいでいないことがそれぞれ仄めかされる。

 それ以外の信者は、主人公を含めて「形」が意味を持つという思い込みに縛りつけられ、苛まれる。インクイジターたちが説得に用いるのがこの思い込みの部分であり、作中で拷問される切支丹たちも、のちに自らも棄教を迫られる主人公も、踏み絵を「形だけ」踏めば許されると何度も何度も説得される。

 「形だけだ」("It is just a formality.")

 この映画が語るべきことは、不在の神の話でも、沈黙の神の話でもなく、おそらくこのジレンマだけでしょう。
 貴族(ミッショナリを含む高貴な誇り高き者たち、「美的」な者たち)にとって、殉教はむしろ任務達成を意味する救いである。主人公の同行者であったミッショナリは、信者を拷問から救おうとして殉死します。ここではジーザスの行いを含意している。また主人公の元メンターは、「形だけ」棄教するものの、内面では間違いなく信仰を続けている。
 奴隷(一部の百姓たち、「宗教的」な者たち)は、信仰以外何ひとつ手にしていないのであるから、弾圧で処刑されるとしても、喪うものは命以外に何もないし、その命こそが不幸と苦難の源泉である。何度も何度も踏み絵を踏まされる漁師も、家族を皆殺しにされているのであるから、これ以上喪うものは何もない。もはや内面の信仰に変わりはありません。

 これらの者たちにとって、神と自分以外に介在する第三者、「他者」はありません。高貴なる者は自らの存在以外に拠り所を必要としない。奴隷には、神以外に拠り所がない。まったく違う動機づけでありながら、「他者」を意に介さない点に違いはない。

 ところが、平民(主人公や大多数の百姓、「倫理的」な者たち)にとって、この両者の「開き直り」は理解できない。インクイジターの手先から、村長とともに拷問を受ける者を差し出すよう命じられた村人たちは、その難を逃れるために、よそ者であり、アポステイトである漁師を生贄に選びます。踏み絵を踏まずとも、村人たちの信仰はすでに破綻していることがわかります。

 主人公は、自らの棄教を迫るインクイジターが見せしめに拷問する信者たちに対して、棄教するよう叫びます。「転ぶ! 転ぶ!」(転べ、と叫ぶべきところでしたが、命令形活用がまだわからなかったという意味だったのでしょうか)
 どうして、ミッショナリである自分は信仰を守るため棄教を拒否していながら、同じ信者である村人たちには、拷問と処刑から逃れるために棄教を勧められるのでしょうか。ミッショナリは一般信者とは違って特別なのでしょうか。ポーチュギーズと野蛮人とでは違うのでしょうか。百姓を家畜同然に殺すインクイジターと、主人公は何が違うのでしょうか。  

 彼らは「意味」を求める。現世救済であったり、他者の称賛であったり、世間体であったり色々あるとしても、神と自分以外の第三者が介在する。
 自分であっても、他者であっても無駄死には避けたい。でも、「無駄死に」とはなんでしょうか? 信者を救おうとして海中に飛び込んで溺死した同僚は無駄に死んだのでしょうか? 信者を救うため、気も狂わんばかりの苦難を経て踏み絵を踏んだ恩師は、信者たちの「無駄死に」を避けるためにそうしたのでしょうか?

 そこまでわかれば(というか考えが辿り着けば)、残りの二時間近くは、冗長以外の何ものでもない。ここまで考えさせられたのも、映画そのものではなく、その断片から「読んでもいない」原作を想像したおかげです。冷静に考えれば、褒めるべきは原作のほうなのでしょう。
 神の「沈黙」を表現したのだと言い訳しようとも、映画は端的に長すぎるし、聖謐を感じるシーンはほとんどない。皮肉なことに、主人公が棄教した後の生活にこそ、静謐のときが訪れます。

 なぜ島国にクリスチャニティ―が根付かないのか(そして21世紀の現在でも根付いていないのはなぜか)という問いについて、主人公とインクイジターの間で、最後には主人公とかつてのメンターの間で取り交わされる問答も、いたって教科書的で表面的なものです。

 クリスチャニティ―は「毒」(poison)である。この島国はクリスチャニティーにとって「湿地」(swamp)である。原作が発表された1960年代であれば、無垢でいたいけで、クリスチャニティ―についてカンペキに無知であった島国人たちは感動しただろうし、数少ないとはいえ欧米のインテリから絶賛されたことも頷ける。ところが、スコセッシが映画化を考え始めたという30年前(1980年代末)でももはや陳腐化していたのではなかったのかと思ってしまうその喩えを、21世紀にあらためて持ち出されても困るしかない。
 西葡英蘭という、植民地支配競争に明け暮れていた当時の列強四国の、どれひとつとも島国は「結婚」しないという喩えも、どのくらい効果的だったのだろうか。

 そこまで言うなら、原作読めよ?

 ネタバレすると、ちょうど永井均氏のニーチェに関する本を読んだところなので、それをタネ本に書いてしまいました。詳しい方なら、ニーチェの貴族的、平民的、奴隷的というものの言い方は、キルケゴールの美的、倫理的、宗教的というものに対応していることがお分かりになるでしょう。
 申し訳ありませんが、こちとらこれからそちら方面の本を読むのが楽しみなんで、狐狸庵先生(遠藤周作)の本は、老後にでもとっておきます(きっと嘘だけど)。あと、頭悪いネトウヨが間違うといけないので、「狐狸庵」は遠藤周作が「こりゃあかん」と怠惰な自分を戒めた言葉である、と申し添えておきましょう。

***

"But everyone knows a tree which flourishes in one kind of earth may decay and die in another.It is the same with the tree of Christianity.The leaves decay here.The buds die."

 「だが、一処で実をなす樹が、別の土地で立ち腐れて枯れるのは知られたこと。クリスチャニティ―の樹も同じであろう。ここでは葉は腐る。蕾は枯れる」

―― Silence (2016)

2017年5月24日 (水)

DA新ライターは大西洋のあっち側。

 DA4のライターが、ロンドンからリクルートされた?
 ゆうてもユーロゲーマーの記事なんで、あたしに信憑は判断できない。各自ご判断ください。
 
http://www.eurogamer.net/articles/2017-05-19-writing-the-next-dragon-age

 お読みになればおわかりのとおり、ロンドン在住のライターが、ロンドン在住のまま、DAライターにリクルートされたとのこと。
 ライター衆を、ライターズピットなる部屋に閉じ込めて、ワイガヤでシナリオを作り上げていたのが、少なくともゲイダーさんがリード時代のDAチームのやり方。もう彼もいないので、今後は大西洋を挟んだリモートオフィスでやるということなんでしょうか。

 彼氏が過去手掛けたゲームは知りません。テキストベースのスマホゲー、ウェブゲーなんでしょう。ライターとしての素養を認められるには、うってつけの舞台と考えて間違いなさそう。
 さらにユーロゲーマーは、彼のスタイルからして、DA4はクナリが前面に押し出された内容になるのではないか、と予想している。
 
 素養がどうとか、スタイルがどうとか、リモートオフィスがどうとか、こちらに判断する材料はありませんので、そこはユーロゲーマーの予想に乗っかるしかない。
 
 ME:Aでは、開発中にかなりのスタッフがカナダを去って大陸の南に戻った。やはりUSに比べれば、カナダのどいなか感は半端ない。特にエドモントンはなにもないところで、かつ冬が寒い。といっても、中にはシアトルに戻っただけのスタッフもいたくらいだから、ただ国境を跨げばよかっただけなんでしょう。

 ロンドン在住であれば、同じことが成り立つ。どうやら子育てもしているようで、わざわざコモンウェルスの中心から僻地に移住する必要もあるまい。それがBioWareにも認められているようだ。

 思い出すのは、FF12、それ以前はタクティクスオーガ、FFTや、ベイグランドストーリーを手掛けたあのお方。
 あのお方が繰り返してきた経験を、こちらの大西洋を挟んだ人もやるのではないのか、
途中でどうにも本隊と反りが会わないとか言い出すんじゃないかと、心配つうか予感のようなものがするんですよね。
 しかも、新IPなるえたいの知れないものもうごめいていて、どうやらそちらの見切りがつかないとDAのPJが本格化しないとなるのなら、DAのスタッフたちまで助っ人として巻き込まれてしまう恐れもあるわけで。

 もし、それらはただの被害妄想、DAのPJが新メンバーとともにまもなく本格始動するのだとしたら。
 オーレンとゲイダーは、DA物語舞台であるセダスのグランドデザインを、企画の当初から完成させていたのかという論点になる。これについては、ゲイダーさんが再三にわたり、ラフなものは完成させていると述べていた。少なくともDAIからDA4に繋がる部分は、MD、ML、パトリックとは共用されているはずで、大枠部分を一からうんうん捻り出す必要はないはず。

 ME:Aがやっちまった、新規蒔き直しの種がアンドロメダの土壌では育たなかった、というようなリスクは、DAにはなさそうです。ある意味やることは決まっていて、しかるべきライター陣を揃えて、細部をいかに書き込むかというところに注力すればいっちょ上がりのような気が、まったくしないところが問題なのですが。

 もちろん、ゲイダーさんが言っていたとおり、ライター部門はデザイン部門の単なる一部であり、先鋒でもないし、中心でさえない。開発負荷の大部分は、より技術的な部門のほうにかかっていく。とはいえME:Aでは、テクニカルな部分と同様に、あるいはそちらはいずれ修復可能であるが故、それ以上に、シナリオ部分のプアな出来映えがやり玉にあげられた。

 あたしたちには、祈るしか手がない。FF12のリメイクでもプレイしながら、気長に待つしかない、ってゾディアックもうすぐ来んのかい!

2017年5月22日 (月)

【ME:A】ではなく、DA2過去記事に逃避した。

 週末ME:Aはほとんど触らず、インクイジターとそりの合わないDA:Iキャスのように、ずっと不貞腐れて飲んだくれていました・・・。
 ここでも、本来はピ、クロミ(アサリ)とそりの合わないME:Aレクシのように、ネクサスの酒場でずっと飲んだくれていた、というべきなんでしょう。ところがこのふたつのエピソード、インパクトがあまりに違いすぎます・・・。

 今週いっぱい出張であるにも関わらず、その前にME:Aを先に進めようという気があまりおきなかった。二周目サラちゃんはアンガラの母(教授様)を救出したところ。オープン・ワールドのゴミタスクをあらかた無視して、クリティカル・パスとローヤリティ―・ミッションを進めていけば、50時間くらいで終わるはずなのに。ノーマッド逝かず。ノーマッドの逝かざる奈何すべき。

 ヴァリック先生が登場したDAコミック新作、"Knight Errant"の第一巻を読んでみました。きっとこの後もあまり面白い話は期待できないんだろうなという感じでした。ところが、おかげでカークウォールが懐かしくなってしまい、老後の愉しみが減ってしまうのでやっちゃいかんと思いつつも、自分のDA2の過去記事を読んでしまった。と言っても、我ながら驚くほどの数があるのでアクトⅠの途中まで。
 ME2過去記事を読むのは、さすがに思い留まりました。ME:Aと比べてしまうと、たぶん取り返しのつかない気持ちになってしまうから。

 DA2は後に島国語版も発売され、自分もPS3版をプレイしました(DLCもフル・カヴァーされていたと記憶します)。リリース当時にあちらで散々批判されていた「マップ使い回し」、「モブの波状湧き」、「コンソール・ユーザー向けのUIと操作」などは、もちろん紙芝居記事では捨象されているから気にならない。残念ながら、2011年リリースから5年以上経過していることから、キャラクターのモデリングはさすがに時代を感じさせる。もう一度プレイしたくなる気は起きなかった。

 キャラクターたちのセリフの「密度」というのでしょうか、「濃度」というのでしょうか(一緒やん)。ME:Aのシャビーなセリフ群とはあまりに違い過ぎていて、改めて驚愕しました。
 別段DA2のほうがたくさん喋っているわけではないのです。むしろ、ME:Aのほうが無駄口が多い(ふざけているという意味ではなく、冗長だったり、自明なことを改めて喋っているという意味)。VOにはBioWareの場合ワード・バジェット(語数予算)の縛りもあり、(録音ファイルの)時間的長さの制約もあるでしょうから、大演説なんてそうそう打てるはずもない。ME:Aはそういう貴重なリソースまで、「ねえ、どうしてアンドロメダに来たの? 以前はどこで何やってたの?」という、どっかのカレッジの新入生歓迎会みたいな定型の質問で浪費してしまい、かつ心に残るような中身もない。

 余談、つうか今更言っても遅いとはいえ、この六百年かけて別銀河に移住する計画。それに参加する動機づけについては、パパ・ライダーおよび道づれの双子はともかく、他の連中に至っては個人的に全く納得できないのです。犯罪者、生活破綻者、あるいは迫害からの逃亡者以外は、「なわけあるかい!」と思ってしまうんです(リーパーズ襲来の件は一部の上層部しか知らないはず)。プリマス・ロックに降り立ったメイフラワー号のピルグリム(ピューリタン)たちとは、まるで事情が違うと思います。
 そういうところで書き手サイドが見事に思考停止しているのも、気になってしまう。
 それで言えば、(ジェノフェイジに苦しんでいたクローガンはともかく)漂泊の民クオリアンたちこそ、動機づけが成立するのかもしれない。ME2エンディング時点で、ゲスとの決着はついていませんでしたから。
 クオリアンDLCはもう来ないのだろうけど・・・。クオリアンだけに、アークはジャンクの寄せ集めで造っちゃったもんだから、敢え無く銀河のはざまに消えちゃったのか。
 余談終わり。

 事実、またしても不覚にも鼻水が出るくらい感動してしまったDA2のいくつかのセリフ群は、文字にすればたった一行か二行です。例えば「マジストレイツ・オーダーズ」(裁判官のおっさんとエルフの娘が出てくるやつ)なんて、必須でもなんでもないセカンダリー・クエストであるうえに、全体の会話数は非常に限られているし、所要時間も短い。にもかかわらず、登場人物それぞれのセリフに「見せ場」、「聞かせ処」があるし、コンパニオンひとりひとりに同じ場面で異なるセリフが用意されているし、もちろん選択と分岐もあります。選択によっては、後日しばらく経ってから判明する予期せぬアウトカム(帰結)まで用意されている。

 さらには、「そこら辺のNPC」(この場合はシティ・ガードのでぶ)にまで、見せ場がある(内容は選択によって分岐する)。この点こそが、あたしがかつてBioWareゲームを褒め称えていた点なんですよね。それはもちろん、BGの時代からそうだったし、MEにも一部あったものの、やはりDAが一番濃密であった。DA:Oのオリジン・ストーリーって、実はその塊が6つあるということですから。
 
 そういったシナリオは、やはり誰でもが書けるものではない、ということをME:Aは証明してしまったのでしょうか。
 こうなったら冗談ではなく、スクエニみたいに古いタイトル(FF7?)引っ張り出して、「リメイク」と称してあまり元手をかけずにお化粧してぼったくればいいのではないか。
 あーちがうか、FF12? なんかリメイクがいっぱいあり過ぎてどれがどれやら・・・。

 でも、BGリメイクやってもしっかり落球して、こけたりして・・・。
 やっぱシェパ三部作HD化くらいでお茶を濁そう。
 あ、Obsidianが(いつものとおり)MEの続編を安くやってもいいとか?
 そんな暇ないでしょ。というか、お願いだからやめて。

2017年5月21日 (日)

【ME:A】パッチ1.07

 話題にすること自体はばかられますが、ME:Aのパッチ1.07がひっそりとリリースされています。人手も大部分他のタイトルの開発に渡ったようで、このまま、デクレッシェンドしていくんですかね・・・。
 
 以下、リリース・ノート。
 
♪Fixed issue where server would auto disconnect when sending strike teams on APEX missions.

♪Fixed a crash on UNC Outlaw when nearing outpost of signal source. (Kadara S.O.S.)

♪The Athletic Casual Outfit will now unlock for all entitled players (Deluxe edition content)

♪Fixed an issue which prevented completion of the Nomad upgrades / Shield Crafting quest. Please travel back to the Tempest in order to trigger completion.

♪[PC only] Fixed a HUD issue where some large non-standard resolutions would have elements centered in the middle of the screen
 
 以上です、キャップ。
 

2017年5月16日 (火)

DA: Knight Errant #1

 Dark Horse Comicsから出ていた、ということだけ淡々とお伝えします。

 ME:Aのあれで、もうほとほと疲れ果てました・・・。

Da_knight_errant1

 表紙だけは、Magekiller同様にいつも素敵。

 DA:Iにも登場した、ベストセラー作家のヴァリック・テスラス先生は、地元カークウォールに戻って、都知事になっています。つか、正しくは「ヴァイカウント」ね。

 札束がいっぱい入るカバンを用意していた方がいいと思います。って、元作家知事って別なのもいた(笑)。嫌なの多いな、都知事。

Dake1

 繁華街の裏道で、ドワ親父がエルフJKとお散歩デートしてるわけぢゃない。

 この娘が主人公らしい。表題の「ナイト・エラント」、遍歴の騎士とは、彼女のご主人のナイト様のことかな。娘は(エルフであるにも関わらず)そのスクワイア、騎士の従者のひとり。

 というか、あたくし、アメコミのリテラシーがないのか、この、一巻目20ページ以上つかってやる設定紹介的な、いつものまったりした滑り出しについていけないんですよね。キャラ紹介で大体終わってます。

 あとはあ、メレディスさんが登場しますね。カークウォールですから。
 DA:Iリリース前に、MDとかMLがファンの質問を受けているRaptrの企画番組がありましたね。このブログのひとつ前のブログで紹介していました。

 そこでの質問の中に、こんなのがあって、MLが答えていました。

Q: Do we get to see what Meredith is up to?
A: Knight Commander Meredith? Er...she's not up to much. (ML)

Q メレディスがどうしているかわかるのか?
A 騎士団長メレディス? うー・・・、彼女は別にどうもしていないが。(ML)

 今回、バッチリ出てきますよ! というか、別にどうもしていませんけど(笑)。

 つか、上の表紙の絵が、あれですかねえ・・・。

 そのほかはアヴェリンでも登場させるつもりでしょうかね、出番はまだなかったけど。

2017年5月14日 (日)

【ME:A】BioWare数学系ふたたび。

 以前、DA:I(正確にはそのドワDLC)でお届けしたBioWare数学系。あたしたちの住む世界とは異なる体系を有しているのか、それとも、天才数学者が頭割れるくらい考えないと答えが出ないのか。わけあって今頃になって虚数(複素数)の本を読み直して、「あ、そうなのか!」とか言ってる程度のあたしごときでは、解けるはずもない摩訶不思議な数学系です。
 
 でも、そういう本を読んでいると、その分野で活躍していた天才数学者の発想(脳みそ)のほうがずっと摩訶不思議であって、「AIなんて、ほんとに人知を超えたりできるの? テクノロジカル・シンギュラリティとかほんとに到来するの?」と思っちゃったりするんですよね。
 囲碁とか将棋なら、膨大とはいえ有限な組み合わせの世界だから、そらいつかはヒトに勝つことだってあるでしょう。問われているのは、AIが囲碁や将棋を発明できるか、それ以上の何か(もちろん、何かはわかりません。わかったらそれはシンギュラリティではない)ができるか、ちう話なわけですから。
 
 まあ、ワンちゃん(あたし)から見れば、ヒト(天才数学者)が本当は何やってるかわからんはずだから、戯言でしかありませんけど。つか、その喩えで言えばワンワン吠えてるだけですが。いや、喩えが悪いな。その場合、ヒトのほうはワンちゃんの言ってることがカンペキにわかるんだ。
 
 避けたかったのですが、ME:AでもBioWare数学系に遭遇しちまいました。
 こちら、アチーヴメント(実績)まわりのもの。表面上は大変シンプルですが、古来パラドックスなるものは、「アキレス(アキリーズ)と亀」(有名なゼノン (Zeno of Elea)のあれ)とか、「亀とアキレス」(こちらはあのルイス・キャロル(Lewis Caroll)の別なもの)とか、そういう見かけ単純なのに限って難題です。
 
 撮影が面倒くさいけど、読者の中に謎を解ける方がいるかもしれないので、公開しましょう。
 
 以前から、「とっくに取れてるはずなのに、なぜかくれない」と騒いでいたアチーヴメント。

Achievements
 "Death from Above"。サラちゃんで、なぜか取れてしまった。

 条件は、書いてあるとおりで、「ホヴァリング(ジェットパックを使って滞空)中に、敵を百体倒す(シングル・プレイヤーのみ)」です。

 さて、謎が深まります。

 一周目スコットで、とっくに達成しているはずであったのにもらえなかった。
 スコットは、ミッションも残っておらず、タスクもかったるいのが二三残っているだけなので、DLCが来なければこのまま引退確定である。
 なお、野郎に興味はないものの、撮影上の行きがけの駄賃でもあるので、パッチ1.06のスコットの顔を覗いてみる。

274
 なんか、違う。

276
 向きと光量の違うところでも、なんか違う。

277
 こんな顔だったかなあ。もっとソフトだったような気が。

 本題と関係ないので、追究は別途。

278
 真ん中あたりに、"Hover Kills:156"と出ていますよね。

 あたしは、てっきりこの数字がそのままアチーヴメントの判定に使われるのだと思っていた。100を超えているのだから、条件は達成していると思っていた。

 マシンでフリーズが頻発したり、ネット周りが(おそらくBioWareのせいで)ぐずぐずだったりしたので、サーヴァー側に反映されていないんだろうなあ、と思った。

 二周目サラちゃん。この手のスタティスティクス(統計値)は、開始時点でゼロリセットされている。
 よって、ホヴァリング・キルをゼロから積み上げて百体倒せば、アチーヴメントがいただけると、ごく自然に考えておりました。

 以来、コンバットでは、特に必要もないのに無駄にぴょんぴょん跳び続け、先日無事、晴れてアチーヴメントをいただきました。

 いや、でもおかしい。むしろバイオティック・サラちゃんとして、ずっとコンボ・キル集めに特化していたのだ。ホヴァリング・キルはそんなに数やっていないはず。

280
 ちなみに、ようやっとレヴェル80になったので、ドレス新調。

 ドレスいうてもバトルドレス。
 このゲーム、武器もアーマーも10段階に分かれていて、それぞれの段階に作成・使用可能なキャラクター・レヴェル制限がある。簡単に言ってしまえば、クラフティングで中途半端な段階のものを製作しても、やがて使わなくなるので結構徒労。拾ったものを使うのはコストもかからないのでかまわないし、通常それで済んでしまう。レヴェル80になるまで待ってから10段階目のものを作るのがお得。というか、普通はそうするのではないか。

 もっとも、フレッシュ・スタートでInsanityモードでプレイする、などの場合に限り意味があるのかもしれないが、そういうプレイをすること自体、個人的に意味は感じられません。
 カラリングも、ツートンがはっきりわかるデザインが使えたME2/3あたりに比べると、あまり自由がない気がする。それはともかく。

281
 サラちゃんの"Hover Kills:85"と出ています。

 アチーヴメントを取得して以来、コンバットでホヴァリングを使うことはなかったので、この数字が正しい。

 これは困った。

 残りの15はどこからやってきたのだろう? パッチ1.05導入時に、手持無沙汰ではじめてしまったInsanityサラちゃんのプレイが関係するのか。だが、あの状況でホヴァリングなんかしたら即殺されるし、実際1回しかやっていない(殺されたのでキル・カウントはない)。

 考えられるのは、シングル・プレイヤーの単一プレイスルーだけではなく、全プレイスルーがカウントされるとして、スコットの156を十分の一して、かつ端数を切捨てたという可能性だ。いかなる根拠に基づいて、どうしてそんな処理をするのか知らないけど。

 ふたつの数字を足し合わせると156+85=241。残念、256じゃないのか(ドラクエIVのカジノかよ!)

 それか、今年の5月からカナダでは、何らかの理由で85のことを100とすることになった。 デノミネーションの逆。なんでそんなことをするのか知らないけど。
 または、241以上は、今後すべて100とすることになった。故に、156+85=100となった。

 これこそが「哲学的な問い」だ。笑ってるでしょ。でもこれは結構マジ。 きのうまで156+85が241だからって、明日からもそうなる理由なんて実はない。

 とはいえBioWareが、そんなヴィトゲンシュタインかクリプキみたいな高尚な問いを考えるわけないし(「言語ゲーム」の話だといっても、「ゲーム」違い)、別に考えたっていいけど、ヴィデオ・ゲームに入れないでほしい。そこまで求めていません。

 謎だなあ。まさかクルーの分も裏でカウントされてるわけないしなあ。もしかして単純なキル・カウントだけじゃなくて、跳躍時の姿勢とか、芸術点とか加味されてるのかなあ。

 原因は単純なコーディングの間違いで、だが結果としてわけのわからないくらい複雑な処理の果てに、なぜか100という答えが出たのかもしれない。

 なに、アンドロメダではこっちの銀河と違う? だいいちアンガラは指の数が違う? え、そこ関係あるか? というか、何本なの?(「指」とか言ってる瞬間に、基本何も違わないと思うけど)

【ME:A】リピート・アフター・ミー?

 BioWareは、フェイシャル(普通の意味で)問題がトラウマになってしまったのか、というご指摘がありましたが、間違いないでしょう。
 
 パッチ1.06では、サラちゃんのお化粧が厚くなっただけではなく、場面によってはどうやらプチ整形までしているようです。

257
 ひところの安達祐実さんみたいになってしまっているときがある。

 それ自体悪いことではない、というかむしろ若い時より今のほうがい(お前の趣味はきいてない)

271
 パッチ1.05のままが、田舎臭くて素朴でよかったのにい。

 野郎に興味はないので、スコットは確認していないけど。
 
 パッチ1.05、少なくともあたしがプレイした範囲(といっても100時間近い)で言うなら、フェイシャルに関しては、多少粗雑なときもあったが、総体的には支障のない出来栄えであった。おそれていたコーラ(パッチ1.04時代は、不細工過ぎて怖かった)とのロマンス・シーンでも、気になるようなことはなかった。
 水準以上いってるから「もうそれでいいやん」と思っていたら、1.06ではお化粧とプチ整形のみならず、オーラル(普通の意味で!)周りまで大改造されている。
 動画ではないとハッキリわかりませんが、きっと誰かがどこかにアップしてんでしょう。
 
 こちら、あくまで紙芝居なので、できる範囲でお見せしたい。
 モデルは、コーラにお願いしよう。(当然ながら、ヒューマンとアサリのキャラ以外は対象外)
 まずは、普通のお顔。

264
 字幕のセリフを話し終えたところ。オリジナル・ポジション。

258
 "f"の音ですね。"few"と言おうとしている。

259
 "that's"と"than"に出てくる"th"です。島国人苦手な奴。

 ここまでは、まだよい。ここから、(少なくともあたしらの時代の)中学生の英語教室みたいに、無様な姿が展開する。

260
 笑いをこらえているのではない。"Bradley"の"b"を言おうとしている。

265_2
  "charge"の"ch"を言おうとしてます。変なこと考えちゃダメ!

261
 "charge"の"g"です。有声音なんで、ご丁寧に唇開いています。

268_2
 "rumor"の"r"を準備してんですね。

 いっぱい画像撮ったから「これどれだったっけ」と、もう一度映像見直さなければならなくなった。

269
 "b"と同じ形ですが、ここは"probably"を言わなければならないときの最初の"p"。

 単語で三回、この顔になります。動画ですと、とても気の毒なくらい、ものすごい勢いで唇が開閉します。

 ネイティヴのガイジンたち、ゼッタイそんなふうにして喋ってないだろう!

270
 "alive"の"v"。

 "f"とかぶってんぢゃねえか、水増しすんなよ?
 なんか、かわいいので載せちゃいました。

 問題はフェイシャルだけじゃない! リップ・シンク(唇の動きとVOの同期)もカンペキにしよう! それでこそ汚名返上、名誉挽回が図れるというものだ!
 
 そういうふうに、本質と全く違う方向で気合いれてるんでしょうね。(あーでも、これは島国人笑えない。だって何についてでも、いつでもそうやってるし)
 
 でも、これって「やりすぎ」なのか、やっぱ技術が「プア」なのか、他のゲームの優れたリップ・シンクとはまるで違う。しかも見た目も「不気味の谷」に落ちてませんか? さらに言えば、おフランス語版とかジャーマン版とかどうなってるんだろ。(ロシアンは、誰もやってくれないから自分たちで作っちゃうだろうけど)
 
 あたしらの中学時代(もうはるか昔)、英語教師はまさにこういう顔をして発音を教えていた。もう亡くなった人もいるけど、思い出したら気の毒になった。(もちろん、たまには良いことも教えてくれた。ネイティヴは喋る文章の長さによってスピードを変えるとかね。長い文の、大事じゃない「付け足し部分」は早く喋るんですね。これはほんとに役立った。例えば表題は、カタカナ語で書き下しちゃってますけど、実際は「リピート・アフタミ」くらいですね。リピートだけが本題で、後は付け足し)
 
 今って、どうなんでしょうね? ネイティヴの教師がどこにでもいるなんて話、聞こえてこないし。小学生から英語を教えるとか息巻いてるのがいっぱいいたけど(それこそが、本質と違うところを延々と堀り続ける典型行動)どうなったんでしょうね、まるで興味ないけど。
 
 リップ・シンクの出来栄えはともかく、この方向で必死に頑張ったって、なにひとつ返上もできなければ、挽回もできないと思う。
 
 あと、カラぢゃねえや、サラちゃんの整形疑惑の謎も解けた気がする。
 リップ・シンクのせいですね。頬回り、顎回りを変えてんでしょう。

266_2
 この唇の左右にある縦の線、なんつうんでしたっけ、資●堂の人?

 ほうれい線ではなく、そこから下にある、エクボとかができるあたりのところ。
 
267_2
 以前は、こんな風にハッキリ出ていませんでしたよね。

262_3
 いや、これは関係ないから!

 フェイシャル(普通の意味で)とか、オーラル(普通の意味で)とか、そんなのばっかやらせんじゃねえよ!(好きでやってんのかと思った)
 

2017年5月13日 (土)

【ME:A】BioWareよ、悔い改めよ。(Polygon)(2)

 ME:Aが、リリース後たった一か月で、すでに「終わった話」、「過去の話題」となってしまった一方で、DA側はダンマリを続けている。
 このダンマリが、単純に「今塹壕から出んとこ。鉄兜しっかり押さえて縮こまってれば、そのうち集中砲火も収まるべ」という魂胆によるものなのか、「オープン・ワールドはもうないかなあ。もうやめようかなあ」という悩みによるものなのかどうかしらない。新IPとやらが、そのうち「なかったこと」にされる可能性もゼロではない、というか無視できないくらいある。
 
 ♪は、打楽器は打楽器でも、「祇園精舎の鐘の音」のほうがよかったのかもしれない。諸行無常の響きあり。でもお寺の「鐘」は楽器ではないかな。つうかインディアの寺に鐘あるんかいな?(調べると、やっぱなかったので島国が寄贈した(笑)。物語に現実をあわせた。ちょっとすごくない?)
 
 ポリゴンのこの記事の筆者(フリーランスのライター)が典型的RPGフリークであることは当然だとしても、下のMEオリジナルのヴァーマイアの場面を(おそらくそらで)活写する様は、ちょっと気持ち悪い。記憶の脳内醸成が進んでものすごいことになっているのでしょう・・・。 
 
 こうなったら、シェパ三部作のHD化も夢ではない! 信号機エンディングなんてどうでもいいぢゃない! どうせME:Aでチャイにされるんだし。
 さすがに(ME3はともかく)最初の二作をあの映像のままプレイするのは辛いものがあります。環境の映像だけは美麗な、ME:Aとか見ちゃうとねえ(フェイシャル(普通の意味で)の話はしてねえよ)。
 
***
 
レヴェル(マップ)・デザインは重要
 
 さて、オープン・ワールド・ゲームに関する重大な問題は次のとおりです。特定の場所でストーリーを語ることができない。プレイヤーがいつ、どこからでも、どこにでも行けるのであれば、作り手の世界とプレイヤーをどのように関わりあわせるのか、あらかじめ計画することは不可能となる。これは良きレヴェル・デザインにとっての難問です。作り手の世界をプレイヤーにどのように渡り歩かせるか計画すること。
 
 実を言えば、BioWare殿、貴社はレヴェル・デザインに長けている、または少なくともかつてはそうだったのです。上で触れたミッション群はどうか。それらは単なるストーリーではありません。すべてが計画されたシークエンスであって、コンバット、セリフ、音楽、カットシーン、建造物の構造などが一体となったものです。それらが調和しあい、プレイヤーの感情を高揚させる、または抑制することに用いたり、作り手がゲームで語りたいストーリーを語らせたりすることができるのです。
 
 ヴァーマイアについて見てみましょう。MEオリジナルの最も優れた場面です。当初プレイヤーは、その惑星で何が起きているのか知らず、ただ重大な危険があることだけわかっています。MAKOに乗ったまま着陸し、ゲスの強力な抵抗に遭遇し、重厚な音楽が盛り上げ、おそらくゲーム内最良のMAKOによるコンバットの場面が訪れます。開けた場所、回廊、下車して開けなければならない扉の組み合わせ。
 
 それが済むと、STGのキャンプにたどり着きます。理屈上はそこで休息をとる場所なのですが、最初の、あるパーティー・メンバーが死ぬかもしれない、対決によって妨げられます。そしてサレンの基地に突入し、極めてエキサイティングな出だしから、そのうち徐々に不気味な様相を呈してきて、ハービンジャーの会話に結びつく。そして最後には、ゲームでおそらくもっとも有名な場面が展開する。サレンとの最初の直接対決と、コンパニオンのうちどちらかしか救えない究極の選択。
 
 ヴァーマイアにおける感情の起伏は、従って、このような感じになります。緊張、弛緩、緊張、驚愕、緊張、そして最後には15分間の場面を凝視することになる。なぜなら、1時間から3時間程度のこのミッションの間に、本当は何が起きたのか、信じることができないからです。(訳注:ん、何が起きたんだっけ?!)
 
 ですから、お話はこうです、BioWare殿。レヴェル・デザインとストーリーテリングは組み合わせなければいけない。DA:Oが優れていた点は、そのタクティカル・コンバットを用いて、特定の戦いが物語上重要な位置を占めていることを示したところにあります。突然、強力な敵集団に対峙することで、プレイヤーは橋や、または門を奪取して確保しなければならないことを知る。またME2が、見た目で明らかにわかるカヴァー依存のコンバット・システムに移行したことにより、MEシリーズは、コンバットの熾烈さと混乱によって、ストーリーを語ることができるようになった。その手法は、 ME3でさらに新しくエキサイティングな水準にまで極められることになりました。
 
 このような見方をすれば、DA:Iの最も記憶に残る場面のほとんどが、セットされた舞台のものであることも不思議ではありません。ヘイヴン、ウインター・パレス、アダマント、そして「トレスパサー」。ME:Aも似たようなものです。コンバットの場面が最も優れているのは、マルチプレイヤーのように舞台が限定されているか、または「新しい敵のシャトルが到着しました」などに頼らなくとも、進行と熾烈さとを実際に示すことができるようなレヴェルでのものです。
 
 そこには、ケット・ドレッドノート、コーラとリーアムのローヤリティ・ミッションが含まれ、名目上はオープン・ワールドの一部であっても、比較的一本道で進むことになる、イオスやヴォールドのケット基地も含まれます。それらの場面は楽しい。コンバット、移動、音楽、建造物構造、コンパニオンなど、すべての事柄がもっともらしく感じられます。オープン・ワールドではどうか。そこではただ山ほど色々起きるだけ。達成感と面倒くささを除けば、感情的に引き込まれることもありません。
 
 ここが、The Witcher 3とは、あちらはあちらで優れてはいるものの、比較がうまく成り立たない点です。つまり、TW3はシングル・キャラクター・ゲームであることから、オープン・ワールドが舞台であり、ゲラルトのコンバットは環境を用いたものではありません。DAもMEも、プレイヤーは、壁、箱、橋などを用いてコンバットを切り抜けることができます。ゲラルトにとって闘いは、自身と敵の動きだけです。 または、よりざっくばらんに言えば、ゲラルトがアクション重視の戦いをひとりで戦うのに対し、BioWareのヒーローとコンパニオンたちはより戦術的に戦わなければならない。ゲラルトは、物語上ひとりで戦うのが相応しい一方、BioWareのキャラクターたちは、物語上グループで戦うのが相応しい。
 
 コンバットがストーリーにどのように関わりあうかが、貴社のゲームが優れたものになるかどうかの核心です、BioWare殿。オープン・ワールド・ゲームで、同じゴールを目指すことは端的にできません。そしてそう試みることは、貴社のゲームプレイ上の最良の力を、実際に削ぎ落してしまうことになるのです。
 
 でも、ご存知ですか、BioWare殿? 事態はさらに悪くなります。
 
選択の欠如がシネマティックRPGをダメにする
 
 BioWare殿、貴社はモラル・チョイスで名を馳せました。Baldur's Gateにもいくつかあったものの、Falloutほど多くはなく、BG2とNeverwinter Nightsで増えたとはいえ、本当に華開いたのはKnights of the Old Republicの時代でしょう。
 
 つまり、スター・ウォーズにこそ完璧にあてはまるものだった。ジェダイのように人々を救うか、シスのように蝕むか! そしてそう、それら選択は表面上だけのことではあったとしても、貴社のブランドにとっては、かけがえのないものとなったようであり、ME(パラゴン/レネゲイド)とDA(コンパニオンの好感度を中心としたもの)では、それぞれ別の方向に展開していきました。
 
 ただし公平を期すなら、モラル・チョイスはまた、冗談のタネにもなりました。「かわいらしい子犬を救って、やがてマーティン・ルター・パップ・Jrとなるまで成長させるか、そのワンちゃんをかわいがっているお子ちゃまの家族の目の前でその血をすするか?」 誰でもその手のジョークを編み出してきました。そしておそらく、それらについてお耳にしていることと存じます、BioWare殿。なぜなら、DA:IでもME:Aでも、モラル・チョイスがストーリーテリングの手段として用いられる重要性が厳しく制限されているからです。オープン・ワールドにおけるナヴポイント巡りを重視したのでしょう。
 
 モラル・チョイスをそれぞれのクエストに持ち込むことは、BioWare殿、クエスト自体を面白いものにしなければならないことを意味します。選択によって、仮定の話として言えば次のような立場に置かれることになる。年老いた女家主がごろつきに絡まれている。その理由をあばくと、自分を含む店子が、その女家主からこれまでいかに搾取されていたかがわかる。タ、ダーッ! 面白いモラル・チョイス! 暴力的な被搾取者を救うか、力の弱い搾取者を助けるか。白黒はつけられないものの、プレイヤーとの間の会話がある。
 
 一方、DA:IとME:Aの半分以上のクエストは、「ちょっと、惑星中/地域中に、木材を六つばかし落としてきちゃったのよ。見つけてきてくれない?」。マップ上のそれらのナヴポイントが、しばしば機械的に「ここにきて、これを拾え」となっているのは、シナリオがそうでしかないからです。史上最も優れた物語依存のロールプレイング・ゲームの、成れの果てがこれなのでしょうか?
 
 クエストの最後にモラル・チョイスを持ち込むことは、プレイヤーがそのクエストに取り組む動機づけになるだけではなく、クエストの結末を気に掛ける理由づけにもなります。ただジャーナルから消し去って、経験値をいくらか手にするだけではありません。クエスト自体が感情の浄化、すなわちカタルシスをもたらします。
 
 このことがME:Aではっきりわかるのは、惑星中を旅して、物語上重みのありそうなクエストを解決したとき、肉体から離脱した幽体がプレイヤーに礼を述べる場面です。「何かが変わった、パスファインダー。良い気分だ」
 
 以前のゲームのモラル・チョイスが、クエストのクライマックスと報酬としての役割を果たしていたのに対し、最近のゲームでは、BioWare殿、まったくどうでもいいようなオープン・ワールドのゴミクソばかり手掛けている。ME3では「ウォー・アセット」がそうで、なんの脈絡もなくエンディングにのみ関係しており、すでにあるモラル・チョイスと、すでに詳細が示された物語構造を上回るような、追加的な報酬はほとんどありません。
 
 DA:Iでは、しかしながら、真のオープン・ワールド・ゲームとして、クエスト報酬を「パワー」なる数字メーターのゴミクソの名のもとに埋めてしまっており、ME:Aでは、理論上は異なるものの、まったく同様に退屈な「ヴァイアビリティ・ポイント」なるシステムの名のもとに埋没させました。換言すれば、面白いクエストのシナリオが、数字メーターに置き換えられてきたということです。これが好ましいデザイン・モデルであるとの発想が、筆者にはどうしてもわかりません。
 
 オーケー。どうしてもわからないというのは言い過ぎでした。好ましいデザイン・モデルである理由は、あそこ行ってこい、あれやってこい、惑星の統計レヴェルをあげてこい、というようなオープン・ワールドのクエストを簡単にデザインできるからでしょう。つまり、オープン・ワールド・ゲームは、ある場所に旅をして、何かの作業をこなして、報酬を得るというものになる。その作業がなんであるかはどうでもよくて、作業がなされたことだけが意味を持つ。
 
 探索の観点からは面白いのかもしれませんが、物語中心の観点から言わせていただければ、死ぬほど退屈です。そして、BioWare殿、貴社はBethesdaではございません。物語重視のゲームを作る会社です。
 
オープン・ワールドがBioWareを堕落させている
 
 もしDA:Iが、クリティカル・パスとローヤリティー・クエストだけをプレイすれば35時間で済むゲームであったとして、誰が損をするのでしょう? 少なくとも筆者ではない。筆者が、RPGというものを貴社の過去の作品を基準に考えているからでしょう。オープン・ワールドは、コンテンツとして存在する以上には、至極わずかの価値しか付与しません。
 
 ME:Aではどうか? こちらはもう少しトリッキーですが、それでもそこら中ジープを乗り回し、「敵の着陸船が到着」と五百回ばかし聴かされる以上のことが、ゲームの存在にとっては必要なのだということを示すには問題ないでしょう。ストーリーテリングと動機づけの欠如こそが、多くのプレイヤーたちが、このゲームをプレイするのがだるいと感じる理由でしょう。クリアした者たちは、楽しいからではなく、義務感でそうしたと言っているのも同じ理由からでしょう。(訳注:まったく、おっしゃるとおりでございます)
 
 核心的な問いはここにあります。どうして、こんなことをしているのですか、BioWare殿? どうして、このようなオープン・ワールド・ゲームをおつくりになるのですか? 貴社は、たった数年前には、古今最良のRPG開発スタジオのひとつに数え上げられていたのに、突然、他の会社に支配されているような流行を追い求めるのですか? それが、貴社のなりたい姿なのですか? 単にEAの指示なのですか? ご自分の意志に逆らうよう強要されているのなら、二度瞬きしてみてください。
 
 親愛なるBioWare殿、あなた方はいったい、何になりたいのですか? 他社の成功のおこぼれで儲けを狙うような会社になりたいのですか? それとも、世界最良かつとんでもなく素晴らしいロールプレイング・ゲームの製作を手掛ける会社になりたいのですか? なぜなら後者の場合、オープン・ワールド・ゲームは、その願いを阻むものであるから。
 ご自分たちが最良の存在となった、その原点に立ち戻っていただきたい。
 
草々
 
***
 
 「草々」って、げらげら笑ってんじゃねえからな、アホかと。死ねと。
 いやあ、顔真っ赤にしてめっちゃ怒ってますね、最後のほう。
 「ウォー・テーブル」のあたり、どうにも笑い出したくて吹き出しそうになって、仕方がなかったんだけど、すごい目でにらまれるかと思って怖くて我慢してました。
 
 DAが塹壕にこもっているのも、「あー、他人事ぢゃねえんだよなあ」と思っているからかな。
 先の記事の最初に、話題は「アイデンティティ・クライシス」と書いた意味がお分かりになったことかと存じます。(もういいよその言葉遣い)
 
 EAの指示が大きな要素であることは間違いないとしても、なんだかんだでEAマーケに「これを作れ」まで言う権限はないはずです。やはり落球したのは自分たちのせい。
 
 一言で言うと、「嫉妬」なんですかね。「あしたのジョー」とか「巨人の星」がバカ売れした時の手塚みたいに、「あんなものがどうして流行るんだ!」とか虫プロ社員を集めてブチ切れたすぐあとから、しっかり似たようなもの描きはじめたとか、水木先生が妖怪ものというジャンルを発掘したら、「あんなもの何が面白いんだ」と鼻で笑いつつ、しっかり似たような作品を描き始めたとか。水木先生いわくの「一番病」ですかねえ。
 
 そうでなければ。別のほうの答えはずっと恐ろしい答えになってしまう。
 最初から「パクリ」しか才能がなかった。オリジナリティのある人たちは、皆去ってしまったか、ずっと偉くなってしまった。
 つまり、虫プロは倒産し、TVのお呼びはかからなくなり、読者から古臭い言われ、後輩作家から邪魔者扱いされ、編集からも疎んじられ、天下の手塚ももはやこれまでという頃に、満を持してぶっぱなった「ブラックジャック」は出てきません。
 
 ま、あたしもいい加減に歳なんで、そんな1000時間もDA:Iプレイするとか、ME:Aのプレイはもう200時間になろうとしているとか、そんなきっついことようしません(してるけど)。
 オープン・ワールド・ゲームは、Bethesdaのワンメイクだけでいいよ(TW3は定義上違いますよね)。
 ほんと、DAもMEも、昔はよかったなあ・・・。(それだけは言っちゃいかんて)
 

【ME:A】BioWareよ、悔い改めよ。(Polygon)

 ME:Aのセリフには、うんうんうなって翻訳するようなものがほとんどなく、ここのところ翻訳中毒の禁断症状がいつになく激しくなっていました。
 久々に翻訳に値しそうな記事。といっても、4月18日(現地)付のポリゴンの記事なので、パッチ1.05直後の記事です。
 
 ちょっと長めなので、記事数を稼ぐ意味でも、二回くらいに分けたいと思います。
 あー、はいはい。そうですよ。記事数水増しです。ME:Aの記事を書けば書くほど読者が減るので、そのくらいせこいことしないと、あたしのメンタルにくるんです。
 
https://www.polygon.com/2017/4/18/15324366/mass-effect-andromeda-open-world-bioware
 
 一読すれば、皆さますでにお気づきのとおりのことが書いてあるのは、おわかりになるだろう。あたしなんかが、さんざっぱら書いてきたことも一部含まれている。SkyrimやTW3に対する嫉妬、その業績に対する焦燥もそうだし、メカニズム的には"On Hold"、メイン・ストーリーが進行するまで個別ミッションが「待った」をかけられる無粋なつくりもそう)。
 
 一点だけ、「これは哲学的な問題だ」と言っているところに、ケチをつけておきます。「わが社の経営哲学」とか、「わたしの教育哲学」とか、そこらのパーチーとか居酒屋でおっさんが自慢話する程度の、しょーもない、どーでもいい意味として使っているなら、まあいい。だが、この記事のような話題は、本当の意味では「哲学的」でもなんでもない。単なる「アイデンティティ・クライシス」の話題だから、頑張っても心理学の分野だ。よって単に「達観的」としました。
 
 といってもアメリカン(アメリカン文化にどっぷりつかった者)の考える「哲学」は、たいていこの程度であるから、目くじら立てるほどのこともないのでしょう。
 単純に言えば、「自分たちの社会(ここではUS)は、できた当初からすでに完成されている(理想が実現している)」、「自分たちが主張することは(普遍的に)正しい」と最初から思いこんでる人たちが、哲学的なことを言える可能性は皆無。
 
***
 
 Dear BioWare: Stop making open-world games
 It’s time to get back to what it does best
 
「BioWare殿。オープンワールド・ゲームはもうやめましょう」
 ―― 今こそ、得意分野に戻るべき
 
 前略 BioWare殿。お話があります。
 
 これまで貴社が、人々の話にとても熱心に耳を貸してきたことは、最近のME:Aのパッチ(訳注:1.05)を見てもわかります。しかしながら、「いやあ、これはひどい顔だ」とか、「このキャラのセリフがお粗末」とかいった小さな不平不満ではなく、ここで述べることは達観的(philosophical)なものです。BioWare殿、オープン・ワールドの試行錯誤は、もうやめましょう。
 
 そのせいで、貴社のゲームはここのところ悪化してきており、再び良くなるとは思えません。もちろんME:Aに関するレヴューの数々をご覧になったことでしょう。貴社の大型RPGタイトルでは これまでになく最低の評判でした。DA:Iはうまく行ったように見えるものの、その成功にしても、オープン・ワールドにも関わらず得られたもののほうが、そのおかげで得られたものよりもずっと多かったのです。
 
 そして、Skyrimがとてつもない数を売り上げ、TW3があきれるくらい多くの賞を手に入れたことも承知しております。でも、それらは貴社のゲームではありません。貴社のスタイルのゲームでもないし、それらの背中を追いかける姿は、見栄えの良いものでもありません。「これまでになく最良のゲーム」の世界から、「暇ができたらやってみるか」の世界に、すでに落ちこぼれているのです。それがお望みなのでしょうか?
 
BioWareが喪ったもの
 
 2005年から2012年の間の業績を見てみましょう。この八年間で貴社は、世の多くの人々がオール・タイム・クラシックであると考える、6つのタイトルをリリースしました。Mass Effectのオリジナル三部作、Jade Empire(訳注:持ち上げすぎと思うが)、Dragon Age OriginsとDA2(他にはStar Wars: The Old Republicもリリースしており、それから、えー、あ、SonicのRPG? うひゃあ。まあいい、先に進みましょう)
 
 仮に、ロールプレイングのお気に入りの三タイトルが、すべてこの中から選ばれるという人たちがいるなら、もうちょっと嗜好にヴァラエティがあったほうがいいんじゃないか、と思うかもしれないとしても、 間違いなくその人たちの言葉を信じるでしょう。
 
 とどのつまり、これは、スクウェアの90年代中頃の驚くべき作品群と並び称されるものであり、品質も人気も遜色はない。さらに初期のRPG四作(Baldur's Gate二作、Neverwinter Nights、およびKnight of the Old Republic )を加えるなら、BioWare殿、貴社が古今最良のRPG開発スタジオであるという主張に、強力な裏付けを与えることができるのです。
 
 その評判が危殆に瀕している。そう、ME3のエンディングを気に入らない人々がいるということに起因する問題もありましたし、DA2はより一般的な問題を抱えていました。そうであっても、それら作品はBioWareのモデルから外れてはいなかった。DA:Iはたくさんの賞を獲得したものの、時が過ぎ、TW3が世に出て、さらに2014年はどちらかと言えばゲーム不作の年であったことが判明すると、その業績も割り引いて考えられるようになりました。
 
 ME:Aにとっても、オープン・ワールドは助けになりませんでした。オープン・ワールドと似たような欠陥を抱えている一方、ストーリーの強みを数多くはっきりと打ち出すこともなかったため、ME:Aのせいで、オープン・ワールドというモデルそのものが出来の悪いもののように見なされることとなりました。
 
 では(BioWareゲームの)強みとは何でしょうか? DA:Iのファンに最も気に入った部分を尋ねてみましたところ、数えるほどの人々が探索が大好きだと答えていた一方、ずっと多くの人々からもっとも人気があった部分は、ウインター・パレスでプレイヤーがオーレイ帝国のクーデターに加担する、または阻止する場面でした。それから「トレスパサー」、タイトル最後の、ストーリーが一本道のエキスパンションでした。 また、キャラクター、それらとの関わりあいやロマンスについても、とてつもない数の反応がありました。これらすべては、オープン・ワールドとは関わりがないのみならず、きわめて限定されたゲームの断面であるので、オープン・ワールドを一切持ち込まないゲームでも容易に実現できるものばかりです。そして、なぜそうわかるのかと言えば、かつて貴社がそうやってゲームを作ってきたからです。
 
 ほとんどすべてのBioWareゲームにおいて、DA:IとME:Aまで含めて、最も優れており、最も記憶に残る場面というのは、次に挙げる三つの相互に関係する部分に注力したものです。強力なストーリーテリング、レヴェル(マップ)・デザイン、そしてモラル・チョイス。DA:IとME:Aのオープン・ワールドのデザインは、これらのサポートにしくじったのみならず、積極的に悪化させるといえるでしょう。以下、それを示します。
 
BioWareがまだ健在な部分
 
 さて、BioWare殿、貴社のゲームで最も優れた部分はどこであるとお考えでしょうか?
過去十年間に限って、いくつかのゲームから筆者の大好きな場面を列記するとこうなります。ヴァーマイア(訳注:MEオリジナル、以下このリストに限り( )は訳注)、ヘイヴン(DA:Oの遺灰のくだりで、下にも触れられているDA:Iのヘイヴンではないと思う)、コレクター・ベース(ME2)、レア・オヴ・シャドウ・ブロウカー(ME2のDLC)、アリショク(DA2)、チューチャンカ(ME3、ジェノフェイジ・キュアでしょう)、シタデル(ME3、DLCかもしれない)、アダマント要塞(DA:I)。
 
 上のすべてが、ストーリー依存の特定の断面であって、プレイヤーがゲーム世界の自由な活動から切り離され、比較的一本道の世界に一、二時間の間置かれる部分です。
 
 そして、それらのことが、貴社のオープン・ワールド・ゲームにもまだ残されているのです! DA:Iは特にうまく行っています。特筆すべきは、ヘイヴン急襲、ウインター・パレス、アダマント要塞攻城戦です。
 
 これらの場面は、伝統的手法で作られたレヴェル(マップ)の断面であり、優れていると同時に、オープン・ワールドの部分とはしっくりこないと感じられます。あまりに場違いであるので、ヒーリング・ポーション(DA:Iの主要な治癒方法)の取得方法は、根本的に別なものになっています。オープン・ワールドでは、キャンプに戻ってポーションを補充する。プロット部分では、先に進んでチェストの中から手に入れる。ME:Aも同じで、これらの断面をストーリーを語ることに用いて、ほぼうまく行っています。ヴォールドの救出ミッション、サラリアン・アークとメリディアンのミッションでは、ゲーム上の問題になっているとは言えません。
 
 また、すべてのオープン・ワールド・ゲームが避けられない、持って生まれた弱みがあります。 マップ上にクエスト(ME:Aでいうナヴポイント(navpoints))が増えれば増えるほど、プレイヤーはますます、それらをまったくの機械的作業の印とみなすようになっていく。 「こちらの方向に進むのは、物語が強くそう要請するからだ」とは思わず、「こちらの方向に進むのは、クエストログをお掃除するのに都合がいいようにクエストが並んでいるからだ」と思ってしまう。それは楽しくないし、第一、じゅうたんからごみを掃除機で吸い取るときの作戦ではないか。
 
 オープン・ワールドが物語と混在し始めるとすぐに、ゲームはもがきはじめるのです。ME:Aがこの点で特にグラグラしている。
 
 例えば、ピ・・・(訳注:クロミ(アサリ)で許して)のローヤリティ・ミッションのほとんどの部分を、ゲーム最終段階までやり残していたところ(訳注:あたしも一緒(笑))、全部で七か所の主要な地点に向かうことができなくなり、面白いストーリーを目にすることができなくなったのです。対極的な例では、ドラックのローヤリティ・ミッションもまた複数の惑星間にまたがるように構築されています。そちらはより有機的なつながりを保つようにプレイしたものの、主要な断面のレヴェル(マップ)に到達する頃には、クエストの重要な物語部分をプレイしてからすでに二十時間以上が経過してしまっていた。誰が本当に追及すべき悪者であるかどうかさえ覚えていなかった。重要な人物のような気がしたのですが。
 
 問題は単純なのです。複数の部分にまたがってストーリーラインを維持するのは極めて困難であり、その理由は、プレイヤーがその部分をいつ手掛けるのか作り手にはわからないからです。どうすればいいかおわかりですか? 地理的に隔たりのある場所の間にまたがるクエストの場合は、ここで始まり、ここで終わり、その間に物語がある、とすればよいのです。そんなことはご存知のはずでしょう、過去実際にそうやっていたのだから。
 
 公平を期すため申し添えれば、ME:Aはその点をなんとかしようとはしていました。DA:Iはこの問題を避けるために、オープン・ワールドの部分に面白いストーリーを持ち込むこと自体を最初からやめていました。それも・・・、どうかと思いますが。
 
 SkyrimやほかのBethesdaのゲームは、これによって大きく損なわれています。しかしSkyrimについては特に、この問題を上手に回避するため、美しい世界の、ストーリーに依存しないゲームを作り出し、また独立して現れる優れた場面を持ち込みました。
 
 The Witcher 3の成功は一方で、多くの部分、クエストそれぞれについて、それら自体が個別の小さな満足をもたらす断面を有するストーリーに作りかえられていることに拠っており、複数部分からなるチェーン・クエストでもそれは変わりません。「ここに行け、あれ持ってこい」などと言いつけられることは、どの種類のストーリーでも決してありません。クエストには(キャラクター)レヴェル・キャップがあって、 一度にひとつしかマップ上に表示されないことも、プレイヤーが現在の行動に関連の深いクエストから手掛けることを促し、単純に場所が近いという理由に引きずられることにはなりません。
 
***
 
 個別細部では、「えー、ヴァーマイア問題は、モラル・チョイスじゃないだろー、無差別チョイスだろー」などと、言いたいこともありますが、本題と関係ないので別の機会にします。
 
 これを読んていると、TW3も再開したくなっちゃいますね!(何度もうそついてると、相手にされなくなるよ)
 
 次回に続く。
 

2017年5月11日 (木)

【ME:A】パッチ2.0はまだですか?

 もはや、ME:Aの話題を続けても、元から少ない読者は減り続けるばかり。当たり前だ、島国全国三百人くらいしかプレイしてないんだから(だから、その根拠を示せ!)
 ブログ書けどブログ書けど、我が暮らし楽にならず(当たり前だ)。家賃も払えなくなるから、そろそろ隅田川沿いの雑居ビルに引っ越さないと。ヴァニシング・ポイント(消失点)までの仮の宿、カウントダウンでしかないけど。
 
 パッチ1.06がやってきたようです。
 
http://blog.bioware.com/2017/05/09/mass-effect-andromeda-patch-1-06-notes/
 
 まあ、色々書いてますけど、開発の力がかなりプアであると自己紹介してるようなものですね。
 
 以下は「まとめ」、「特記事項」で、網羅的な項目はパッチ・ノートに記載されている。
 「まとめ」に、あのくだらない「ユー・ガッタ・メール」問題を書かなければならないとか、(そこら辺のチンピラ・スタジオではない)大パブリッシャーEAの傘下スタジオにとって、屈辱以外の何ものでもないと推察される。
 
♪ オープニング数時間について特に、シネマティックの改善を行った。
 
♪ パフォーマンスと安定性の強化に加え、プレイヤーから報告のあった問題に対処した(SAMがライダーに対して繰り返し新メールが届いたと告げるバグを含む)。
 
♪ クルーとの会話の余地がまだ残っている場合、会話選択肢がグレイアウトしないようにした。
 
♪ Deluxe版とSuper Deluxe版のユーザーに対して、二つのNomadカスタムスキン、ライダーの新しいカジュアル・アウトフィット、及びウルトラ(アルトラ)・レア・アイテムの獲得チャンスが高い、限定版マルチプレイヤー・パックを提供する。
 
♪ コンバットとマルチプレイヤーのバランスを変更した。
 
***
 
 どうでもいいけど、サラちゃんの顔まで勝手に整形するのやめてください。

250
 高須前。

248
 高須後。

251
 実際、以前とはまるで別人。

 化粧を変えただけではないですね。

253
 パームフェイス。こんなシーンあったかな。

 気になるのは掌の大きさ。 

252
 これ、男女で変えずに使いまわしてるのか?

 そうだとしたら、ちょっとダメだなあ。掌の大きさはおかまの見分け方のひとつ。
 見た目サイズがおかしい気がするのですが、どうでしょう。

 上の項目では、あたしの場合「選択肢グレイアウト」問題が、ドラックのミッション・チェーンが完結しなかった理由ではなかったかと疑っている。
 
 パッチ・ノートは、項目がいっぱいあるので(昔みたいに)全訳はしません。あたしは、過ちに寛容だった昔のあたし(亡者)ではもはやないのだ。
 
 中で目を引くものは・・・。
 ここの過去記事でも触れたもの、個人的にまいっていたもの、(PS4版など)自分では経験していないが、もし遭遇したらおぞましい体験だっただろうものを書き出してみました。
 なお、マルチプレイヤーは、あまり体験していないので省きます。
 特にNew Game+に関する修正については、つい先日始めたばかりの周回を「チャイ」にしてまたやり直すべきではないかと感じられ、非常に頭にきております。
 
♪ スペシャル・アイテムが、New Game+に持ち込まれないようにした。
 
 二周目サラちゃん、テンペストではじめてリーアムと話すと、いきなり「映画の夕べ」に必要な最終アイテムを取ってくるよう要求されちゃいました。その後、リーアムから「皆で楽しむならやっぱ映画だよな!」と、「映画の夕べ」の企画について相談されました。
 MEシリーズはウラシマ効果を無視しているため、時空が歪んで宇宙の「因果律」が無効となってしまったのか、それとも、マクラからいきなり「お客さん、この落語のオチはこれこれこうなんですけどね」と振ってしまうという、橘屋圓蔵(八代目、故人。襲名前は五代目月の家圓鏡)を彷彿とさせる高度なネタだったのか、などとは一瞬たりとも思わず、あー、アイテムをインヴェから消し忘れたな、と即座にわかっちゃった。

249
 ファーストとファイナルが同居している。

♪ ボーナス・アイテムが(訳注:他のアイテム同様に)分解(デコンストラクト)できるようになった。(訳注:従来は破壊(デストロイ)するしかなかった)
 
 つい先日、どうしても「分解」できなかったライフルを「破壊」しました・・・。
 オーギュメンテーションも二つばかりお陀仏になった(「分解」の場合は、取り戻せる)。大したブツではなかったのでよかったが、もし仮に大変貴重なブツだったら、こんな冷静ではいられなかっただろう。
 
♪ 死亡したスコードメイトをロードアウト画面で交代させた場合、永久に死亡したままになる状態を修正した。
 
 一周目Narrative(Very Easy)Modeでのプレイだったので、クルーが戦死することは皆無だった。未経験だが、こんなことになったら頭がおかしくなったに違いない。
 
♪ コーラとアサリ(クロミ)の双方とロマンス関係になれる問題を修正した。
 
 えええ?! 早く言ってよー。(記事にしたとおり)両者は排他関係だと思って、クロミのほうは寸止めでやめちまいました。できたんだったら、やっとくべきだったぢゃないか!
 
♪ ヴェトラとアサリ(クロミ)の双方とロマンス関係になれる問題を修正した。
 
 へえー。(反応、薄っ!)
 
♪ ハーヴァル・ダンジョンの左通路を進んだ場合でも、レムナント・スキャナーのミッションが進行するようになった。
 
 記事にしたとおり。ここに記載されているということは、やはりあれでクロミ・ローヤリティ・ミッションは止まってしまったわけですね。これもショッキングな出来事でした。あちらのサイトでアメちゃんの解決法を目にしなかったら、怒り狂ったままだっただろう。
 
♪ ノーマッドのシールド・クラフティング・ミッションに関する不具合を修正した。
 
 記事に書いたとおり。XPがもらえない他は表示だけの問題だと思います。もちろん画面にいつまでも残り続けるので気になります。
 
♪ ストライク・チームの装備コストを低減し、効果を改善した。
 
 何百時間もやってれば、結局同じことなんだけど、ミッション失敗を繰り返すと「不利な特性」をいくつももらってしまうので、最初からあったほうがよかった。
 
♪ ライダーのデフォルト名をNew Game+に持ち込めるようにした。
 
 記事にした。おかげでSaraの綴り間違えたけど。これ、意外にでかい問題ではないのかな・・・。VOで「ライダー」の代わりに「スコット」とか「サラ」とか呼ばれる場面ってなかったでしたっけ? なければお化粧だけの問題ではあるけど。
 
♪ PS4:メイン・メニューのまま2分以上放置した場合にクラッシュする問題を解決した。
 
 えええっ?! 信じられない! こんなこと起きたら、キッチンにお茶くみにも行けない! 頭がおかしくなってしまいますわ!(なすのさん?)
 うちって広いから、プレイしている部屋からキッチンまで、急いでもだいたい10分くらいかかるんですのよ(うそつけ!)
 まあ、メイドに言いつければ済む話ですけど(そんなのいねえだろ、DMM以外(やめろ
 
♪ PS4:マルチプレイヤーからメインメニューに戻る際にクラッシュする問題を解決した。
 へえー。(反応、薄っ!)
 
 さ、サラちゃんのカジュアル・ウェアを確認しがてら、また新しい不具合に、まんまとはまりにでも行こうかな?
 あれ? カジュアル・ウェアってどこにあんの?
 なぬ、New Gameでやれとな?
 あー、これかあ(下のリンク)。率直に言って、端的に言って、いらねえ(笑)。
 
https://mic.com/articles/176816/mass-effect-andomeda-update-want-the-new-outfit-you-have-to-start-a-brand-new-game
 
 一方、巷の声に耳を貸せば、クラッシュ頻度が以前より格段に増えたお友達の阿鼻叫喚が聞こえてまいります(笑)。
(その後)
 やっぱ、あたしの期待を決して裏切らないわ、BioWare。

256
 化粧も濃くなったと思ったけど、こういうところには似合います。

 ただし、掌だけじゃなく腕全体が男性と使いまわしなのか、デッサンのおかしい漫画みたいになっちゃってる。

 とりあえず一杯もらいましょうか。

254
 んー。  

255
 いやーっ!(笑)

2017年5月10日 (水)

【ME:A】EAとしては満足している、マルチプレイには。

 ここのところ読書があまりに楽しくて、ストライク・チーム以外のME:Aは触ってません。
 
 クオリアン・アークDLCとかって、あるんすかね? あのエピローグでのセリフが根拠だそうです。あたしゃてっきり、次回作のための「フリ」だと思っていました。巷ではDLCが確定みたいな話になってるようです。
 
 本当に当初計画がそうだったとすると、いつものBioWareのパターンなら、サポート期間(マルチプレイを除く)はリリース後一年間。ストーリーDLC(シングルプレイ)は三本がお約束というところですね。
 
 ところが、リリース直後にフェイシャル(普通の意味で)問題やパフォーマンス問題で、どえらくけつまづきましたので、大々的な次のパッチが出るまでザクッと3か月遅れ。本来であれば6月リリースくらいの予定だった最初のDLC(それがクオリアンDLCかどうか不明)は、9月とかなんのかな。それとも、6月に大パッチがやってきて、その直後くらいにDLCかしら?
(今気がついたら、パッチ1.06は間もなく来るようです。ストライク・チームとマルチプレイは明日シャットダウンとか。でも欲しいのは、その「桁」ぢゃないなあ。インクルーシヴィティ問題をちょこっと直しただけでしょうか。やっぱ、パッチ2.0が(おいおい))
 
 そんな淡い期待というか妄想を抱く暇もなく、Originでは30%ディスカウントでME:Aの投げ売りをはじめたようだ。スレッガーさんかい? 早い、早いよ!
 あー、終わったのかなあ・・・。DA2のDLC(またはエクスパンション)として企画されていた、幻の"Exalted March"の二の舞かなあ。
 
 GameSpotの下の記事によれば、EAのCEOが言い訳しているようですね。
 
https://www.gamespot.com/articles/ea-responds-to-mass-effect-andromedas-mixed-reacti/1100-6449917/
 
 全部なんて訳しませんよ。くだらない内容は今後一切訳さないと決めたのです。
 
"And while overall the aggregate review scores were lower than we would have liked, we did have over 100 reviewers score the game at 80 or higher...."
 
 「レヴュー平均はもう少し高ければよかったとはいえ、100以上ものレヴュアーが80点以上の評価をしている・・・」
 
 やはり、このくらいの詭弁をまるで空気のように吐けないと、下半島の大棟梁は務まらんのでしょうね、ってやつら全員苦も無くそうできるから差がつかないのか。
 プラットフォーム三つまとめてですからね。もはやメタクリでも探すの大変なくらい、スコアは下のほうの古い地層に埋もれている。PC:73、PS4:70、XOne:77。
 XOneは、P5も、Horizonも、NieRもない、遊ぶものないから、悔し紛れにレヴューを粉飾してんでしょ。
 
"... and many players found exactly what they're looking for, and some players did not."
 
「多くの(many)プレイヤーたちはまさに期待していたとおりのものを手に入れ、一部(some)の者たちはそうではなかった」
 
 反日新聞もびっくりなイメージ操作ですね。"many"と"some"では、まるでメニーのほうがいっぱいであるような感じを受けちゃいますけど、そんなことはない。まるで無関係です。
 イージスの出港反対は集合したのが5人でもニュースにし、9条なんとか反対デモは3人でもTV撮影しちゃいます。3以上は「いっぱい」なんです。それが島国に住む多くの人の気持ちを代弁しているのです! 
 投票率が低いことをひた隠しに隠して、60%得票したとか喜んでいるどこかのぱちもん大棟梁と変わらないです。
 
"Overall, Wilson said EA is is 'very happy' with 'how BioWare is treating Mass Effect.'"
 
 ウィルソン(CEO)曰く、総体で見て、EAは「今、BioWareがME:Aを取り扱っているやり方にとてもハッピーだ」
 
 "is"が重なっているのはGameSpotのタイポ。記事にした記者も、上半島の大将以上の無慈悲なまでの強弁ぶりに、さすがに手が震えたのでしょうか。
 注意深く読めば、これはマルチプレイのことしか言っていません。しかも「今」のマルチプレイの取り扱い方(運営方法)に満足していると言っているだけです。ゲーム総体については、何も語っていない。
 
 それから、映画を作っているとかどうとか、なんかのたまってますけど、読んでるこっちがだんだん腹立ってきたので、あと詳しくはチ〇タマぶくろにでも聞いてください。
 
 なお新IPは、2018年4月から翌年3月の会計年度にリリースを計画しているとのこと。お好きにどうぞなのだが、それってDA4とかぶるんじゃないのか?
 そのDAについては、何も触れず。MLの言うように「影も形もない」のでしょうかね。
 

2017年5月 8日 (月)

【ME:A】スター・ウォーズが好きなことはよくわかった。

 Amazonプライムで「あんハピ♪」の視聴ができるようになっていた。連休の週末に見放題なんて、あたしはすっごくついてるよ! 
 
 だが、この物語が描くこの世の理について、なんら理解できない野郎どもが全然BD/DVDを買わないので、第二期製作が危ういという話もある。そういう輩は全員、不幸になればいいと思う。あたしもさすがにBD/DVDまで買ってないけど。だって高いんだもん!(Fanimationが、まさかのUS版英語版出したらそっこー買います)
 
 映画"Ghost in the Shell"(2017)を観た押井さんが、「映画はゲームに水を開けられていて、もはやゲームは映画を手本にもしていない」とのたまった。そう書いた。それに関してコメントもいただいた。彼自身はそのとおりインタヴューに答えていたのだが、どうやら"Fallout4"など一部のヴィデオゲームを(200時間程度?)遊んでのご発言らしいので、本当はきっとこういうことだろう。
 
 「(ゲームが、かつて似たような体験を提供しようと目論んでいたような種類の)映画は、(旧態依然としたままで、ウカウカしているうちに、今では一部の)ゲームに水を開けられていて、もはや(そうした一部の)ゲームは(そのような)映画を手本にもしていない」。
 
 残念なことに、Fallout4とは異なり、ME:Aのカットシーンの多くは、しっかりその手の映画を手本にしている。もし押井さんの言うトレンドが、今後も支配的になるというのなら、ME:Aは周回遅れということになる。
 
 以下のシーン、二周目プレイでもう一度目にして、とても悲しい気持ちとなったので、皆さまと不幸を共有したい。

242
 言いたくないけど、スター・ウォーズ・・・。

243
 マーヴェルのあれとか、あれ。

244
 スター・ウォーズ。

245
 そのまま、スター・ウォーズ。

246
 完全にスター・ウォーズ。

247
 間違いなく、スター・ウォーズ。

 逆に、シェパード三部作に、このような「あー、あれねー」的なシーンがほとんど皆無であった、ということに今更ながら気が付いた。強いていえば、デスティニー・アセンション轟沈シーン(プレイ内容によっては目にすることがない場合あり)が、スーパー・スター・デストロイヤー轟沈シーンを手本にしたのかなあ、くらい。 まるで似ていないけど。

(DAIの場合は、わりとその印象が薄かったとはいえ、やはり大がかりなカットシーンに映画的手法を持ち込んでいたことは否めない。顕著な例はアダマント要塞突入シーンか)
 
 Fallout4が、あるいはSkyrimが、一人称視点(または肩の上から見下ろす三人称視点)を決して崩さないということも、映画を手本にしていないとみなされる一因かもしれない(PC自身を外から眺めるvanityモードはある)。プレイ画面から逸脱したカットシーンがない。映画の文法で試みるなら、登場人物のひとり(主人公と呼ぼう)の「主観」らしきもの(視点)を模したシーンが延々と続く、「実験的」な作品という扱いだろう。いや、主観もの映画いうてもDMMの話はしてねえから。
 
(調べると、案の定すでにその手の「実験的な」映画(90分もの)は撮られている(↓)。その名も、"Hardcore Henry"(2015)。もっとも、FPSゲームのノリで映画を撮ったらどうなるか、という発想からスタートしたものらしい。ハードコア・ゲーマー(笑)。製作はロシアン(笑)。ほんまあの人らって、ヴィデオ・ゲームすっきやなあ。あたしは観てません。FPSのノリの映画で良作と言えば、やっぱ"District 9"(2009)かな。
 
http://www.gizmodo.jp/2017/03/hardcore-ilya-naishuller-interview.html
 
 
 いうまでもなく、最も早くからこの一人称の世界を極めたのはValveのシングルプレイFPSだった(vanityモードすらなかったかもしれない)。一般のFPSは、マルチプレイ重視で特段「物語」を語ろうとしているわけではないので比較しても仕方ない。あたしの知っている限り、まだマルチプレイ全盛となる前の、比較的古いもので面白いものはあったけど(初期の"Call of Duty"シリーズなど)、最近ではチュートリアル的なおまけ扱いでしょうね。
 
 もちろん、BioWare側の言い訳はわかる。
 
「宇宙船に乗っていて『一人称』って何よ?!」
 
 まあ、そうなんだけどね。いくら作り手がスター・ウォーズが好きだと言っても、これはちょっとないよねえ・・・。
 
「(あちらと違って)パーティー・プレイ中心のタクティカルなバトル重視だから!」
 
 MMOでも実現してるのあるし、ME:Aはマルチプレイの発想ありきで作ったんだろうし、ソロプレイではちゃんとできていないから「タクティカル」あんまし言わないほうが・・・。
 
 ま、そこはご愛敬でうやむやに済ませるとして、あたしが恐れているのは、もし押井さんの言うトレンドのまま、本当に突き進んでいくのなら、VR全盛も眉唾ではないということ。
 
 いやあ本当かなあ。キネクトも、PSのなんとか(忘れた)もあれだし、3DSなんてやっぱいらなかったのか2DSに戻る感じもあるし、あれだけ騒がれた3D映画は3DTVもろともどっかいっちゃったし、3D+、4Dとか投資しちゃった映画館どうすんだろう、もっと言えばディスニーランドの値上げって、本当に混雑緩和的な意味だけなのか?(貧乏人は行く回数減るから、たしかに混雑は減るのですが)
 
 CRPGまでVR専用とかされると、辛いものがあるんですよね・・・。そういうのはFPSとかMMOでやっていただきたいなあ。そそ、DMMの作品もVR専用とか言われちゃうと・・・、って言ってないから!

2017年5月 5日 (金)

【ME:A】二周目はじめました。

 書いたら食べたくなってきた(笑)。いや、二周目ではなくて。
 こんな日に外に出るなんてアホやから、ネットで出前注文しよう。
 
 ME:A二周目始めました。厳密には、新リグへのインストール待ち時間に、New Game(プラスではない)の Insanityサラちゃんで玉砕していますので、これが二度目。
 New Game+でも、Insanityサラちゃんで始めようとしたのですが、考え直してNormalサラちゃんにしました。
 
 一周目スコットで間違いなく達成しているはずのコンバット系アチーヴメントが、全然とれていません。旧リグではフリーズしまくりだったのと、誰のせいかしらないけどネット周りがぐずぐずだったことに起因するのだろう。アチーヴメント関連でこんなことめったにない。信じられない。どんだけ実装がプアなんだと。いや、敢えて言おう!カ(言わんでいいよ)
 
 サラちゃんのスタティスティクスを見ると、関連するキル・カウントはゼロ・リセットされているので、(リグも更新した)今度はきっと大丈夫ではないか。
 でも、「上空から訪れる死」などは、また百回もやり直すことになる。Insanityでは自信がないどころか、「上空における死」が百回になりそう。それでチキンにもNormalに落とした。
 
 ヴァニティ、あんたちょっとせこいよ!(クェス@逆シ) 
 
 言い訳としては、フェイシャル(普通の意味で)問題と、インクルーシヴィティ問題で騒がれたとき(4月頭かな)、BioWareが二か月以内に必ずアップデートすると言っていたので、きっと何か良いことが起きるかなあ、Insanityは(やるとしても)そのあとでいいかなあ、と思った。
 
 そのアップデートだって「やるやる詐欺」の可能性は全く否定できないし、マーフィーの法則はBioWareが大好きだから、改良なのか改悪なのかわからなくなる可能性も大いにあるし。
 「作品の出来栄えに十分納得するまで、世に出すことはしない」(EAの偉い人)
 「品質」に納得する、ではない。「予想損益」に納得するだ。みんな、間違えるな。
 
 なお「良い斥候は死ぬ斥候」、この世界の病原菌やら危険やら、 不慣れな親の不手際などを、おしなべて身をもって体験する長男長女パスファインダーからのお知らせとしては、New Gameのデフォルト・サラちゃんと、New Game+で選んだデフォルト女子ライダーは、「別もの」です。
 
 New Game+では、一周目ライダーが、「スコット」、「サラ」、「カスタマイズ」の誰であったかにかかわらず、もう一度そこから選び直せるように見えますが、実は「カスタマイズ」しか選べません。「デフォルト」男女は、「カスタマイズ」のひとつに含まれ、かつ、それでしかない。
 姿かたちはサラちゃんそのままですが、名前は変更できる。おかげであたしのInsanityサラちゃんなんて、綴りを間違えて"Sarah"にしちゃいました(笑)。「セーラ」になっちゃった。正しく(オリジナル)は"Sara"。Normalサラちゃんはこちらにしました。

234
 すでにデフォルト名がついているにも関わらず。

236
 名前変更画面はこうなっている。

 紛らわしいんだよ。デフォルト名入れておけよ!

 あと、プレイ時間百時間超にして、ライダーのカスタマイズ画面なるものを(興味本位で)はじめて目にしましたが、ひどい。なんでエイジアンだらけ?! だいたい島国語版だって売ってないだろう!(それはね、島国以外のエイジアンは、もちろんカナディアン、アメリカン含めて皆英語ができるからだよ。おまえらだけなんだよ、ローカライズがないとかいって不満言ってるのは)。
 
 英語おんち上等! 英語(他宗主国言語)は、植民地住民の必須科目だったからね。たった数年しか占領されていない島国は、世代丸ごと英語漬けとかなかったんよ。あと、輸出できないと国が立ちいかないようなところも、大学教育を自国で完遂できないところでも必須科目ですか。
 
 それと何度も強調しますが、ME:Aのセリフは、何も大したこと言ってないので、はっきり言って聞き流して大丈夫。テューリアン・パスファインダーとか、サラリアン・パスファインダーとか、そういういかにも大事なところの選択さえしくじらなければ(半分居眠りしながら聞き流していたあたしは前者をしくじった)、ほとんどなーんにも変わりません。変わるのも大抵お化粧程度(あたしの場合は違ったけどな)。
 
 冷やし中華が届いたのでこの辺にしておきますが、一周目おちゃらけスコットに対して、二周目ロジカル(プロフェッショナル)サラちゃんも、なかなかいい感じです。 

222
 つべこべ言う人がいるようですが、あたしはぜんぜん満足。

 双子、(三人以上の場合を除くと)島国では同性(一卵性)が多いそうですが、世界全体では男女(二卵性)が多いそうな。かつ、島国人(というか島国で生誕したケース)は一般に他国より双子の比率が少ないそうです。

 こちらでは、スコットがクライオから覚醒できない状態となっている。

232
 あたしのほうが一分先に生まれてるのよ。

233
 スコットが先に死ぬなんて許せない。

 この場面、スコットの場合どうだったか記憶にない(残念なことに映像記録にもない)。 

 島国では(身の回りの例を思い出すと)確か、昔は先に取り上げられた方が若い方とみなされていた(男女なら弟妹と扱われる)。奥にいるほうが先に生を受けたという発想かな。
 明治以来「先に取り上げられた順」に長幼の序が定められた(戸籍法)。だが、しばらくは古い慣習が残っていて、かなり混在していた。
 現在は、戸籍法の定めのとおりが一般的だそうです。
 
 遺産の平等分配制によるのか、長幼の序を気にしない、あちら(カナディアン、アメリカンなど)ではどうなんだろう。古くはやはり混在していたらしいが、現在では島国の戸籍法と同じ発想であるようだ。よって、(この場合)サラがお姉ちゃん。
 もっとも、そんなことばかり気にするのは、長子相続制の島国他、北欧とかテューリアンとか限られた場合。この場面は(細かいことをことさら言い立てる)サラちゃんのシニカルなジョークってことでしょう。

223
 父とはずっと疎遠だったのに・・・。どうしてあたしがパスファインダー?

225
 そうよ、チーママの私を差し置いて、どうしてこの小娘が・・・。

 ちう話にはならんのでしょうね。ME:Aの90%は「仲良しこよし」でできています。

238
 個人的には、リーアムの顔が直って一番よかった。

 以前はディスニーのコメディアン・キャラ以外の何ものでもなかった。

227
 疲れた顔のおばはんとの、初の直接対決。

228
 この危機に際しては、「本物の」パスファインダーが必要なの。

229
 さあ、いったいどういう応答になるか気になっていた右の選択肢。

237
 先に出てきたチュートの画面。

 余談ですが、アサリの顔も、ぐっとまともになっててよかった。
 左が「感情的」、「カジュアル(おちゃらけ)」。
 右が「論理的」、「プロフェッショナル」ですね。
 「プロフェッショナル」どうだろ?

230
 選り好みしている場合かしら?

 この顔! この態度! サイコーすね。
 (島国の)誰かに似てるなあと思ったんだけど、思い出せない。
 やっぱこれで突き進もう。

231
 知らんがね。選り好みするっつの。 OJTじゃないんだから。

 さすが二流官僚。計画に書いていない「状況の変化」は一切見えないことにするらしい。

239
 まー、ここなんかも、クローガン贔屓そのもののシーンですが。

 ハイペリオンをここまで引っ張ってきてくれた。あんたの力は認めるよ。
 クローガン(ケッシュ)はライダーの味方(笑)。

240
 暗黒だったネクサス内部に。

241_2
 ハイペリオンの電源のおかげで灯がともる。

 ええ場面ぢゃないですかい。

 フェイシャル(普通の意味で)さえ、最初からまともだったらなー。
 (少なくともPC版で)あそこまで非難されるいわれはなかった。
 セリフ云々なんて、ある意味好事家の世界ですからね。

2017年5月 4日 (木)

【ME:A】新しいメールが来ています、パスファインダー。

 もう、その辺で許してあげなよ!
 
 そうはいかん。こちとら、Deluxe版で大枚ぼったくられてる上に、ゲームのプアなプログラミングのせいでマイリグ丸ごと買い替えてんねんぞ! 気が済むまで、なんぼでも言わしてもらうわ!
 そしてそれが、それこそが、島国数万人のMEファンに先駆けてアンドロメダを探索した、パスファインダー三百人の一員としての責務なのだ!(なに、うまいこと言った気になってんだよ、数万人とか三百人とか何の根拠があるんだよ。つか、残りの乗員たちがクライオから覚醒できるのって一体いつだよ)
 
 もともと本編にバラすべきような内容はほとんどないので、特段ネタバレはありませ・・・、あ、あるか。
 (以下、わりと核心的なネタバレ注意!)
 
 新しいメールが来ていないのに、何度も何度も「新しいメールが来ています」とメッセージを喋る。普通のアプリだったら「ブチ」っと切ってしまうところだが、SAMの場合はそれはできません。
 あー、できる方法はあるにはあるけど・・・。
 
 SAM自身が書いたという、CODEXエントリーを引用。
 
「自己反省は、知性ある存在にとって重要であるため、アレック・ライダーの勧めに従い、このエントリーを記述することにします。私はシミュレーテド・アダプティヴ・メイトリクス(Simulated Adaptive Matrix、SAM)、新世代の人工知能(AI)です。ほとんどのAIと異なり、ニューラル・インプラントに直結されており、ホストの知覚および感情反応にアクセスします。簡単に言えば、ヒューマンの体験を直接理解することが可能であり、それによって論理的プログラミングの範疇を超えて成長することができます。その見返りに、私は量子演算力と論理的分析力を用いて、パスファインダーのミッションを支援します。
 
 私の物理的実体は、アーク・ハイペリオン搭載のSAMノードに実装されたサーヴァー・バンクに存在している一方、量子もつれ(エンタングルメント)技術のおかげで、いかなる場所とも即時通信が可能です。致死的負傷や死亡が発生した場合、私のコマンドアクセスは、プロトコルに従ってパスファインダーの次候補者に転移されます。
 
 最近になって、メモリー障壁が除去されたため、私の創造経緯がさらに明らかとなりました。アレック・ライダーが私を創造した目的のひとつは、妻であるエレン・ライダーを不治の病(後にAENDと判明)から救うためでした。ホストの生理に影響を及ぼす私の能力が、妻の延命または治療の発見に結びつくことを願ったのです。その願いは満たされなかったものの、アレック・ライダーは、のちにその能力も私のコア・デザインに組み込みました」
 
 さて、プレイ中またはクリア後に思いついた、ME:AのSAMに関する論点(というか揚げ足取り)はふたつ、んー、みっつですかね。
 
 一つ目は、「ただのおたすけアプリかよ」という点。
 
 メールの件では、「おたすけ」にすらなっていないけど。
 「21世紀にはウェブ・カメラとかVRとか使ってるのに、ME:Aの時代はメール使ってるんだー」とかいうメタ的なツッコミは、かわいそうだからやめておこう。そんな細部までアニメーションを駆使するとか、どんだけ納期がかかることになるか(とか、BioWareはそういう自分たちに都合のいい言い訳するんですが、ウカウカしているうちに、DAのおんまさんみたいに、他タイトルにさくっと先を越されちゃうんでしょうね)。
 
 実のところ、下に触れるSAMの自己成長(それと、曖昧にしか描かれていないがホストの生命維持機能)を考えなければ、劇中のSAMは、ナヴィゲーターや温度計(!)などの様々なガジェットを満載した、通信・分析アプリでしかない。しかも大事なところでは、やっぱり役に立たないという「お約束」もついてくる。
 
 少なくとも劇中では、パスファインダーとSAMの情報のやりとりのすべてが、オーラル(普通の意味で)及びオーディトリ、すなわち「音声」で行われているようだ(SAMとクルーの会話も可能)。一時的にささやき(プライヴェイト)モードを用いることもできるが、やりとりはあくまでヒューマンの、つうかネクサス種族の言語か、(SAM側からは)それに加えて通常の映像を介したものだ。込み入った情報はパスファインダーのオムニツールに表示される。どうしてこの程度の情報交換のために、ニューラル・インプラントに直接つなげる必要があるんだろうか、と思ってしまう。
 
(余談)映画「攻殻機動隊」に限らない、すでに多くの作品で描かれているので、「そのほうがクール」という発想はあったのだろう。残念ながら、押井さんではないが、あの映画および続編群の「疑似哲学的」な味わいとは程遠いものになってしまっている。もっとも、SAMがトレースする「反応」は、化学反応の結果としての信号である「知覚」(sensory)と「感情」(emotional)の反応(乱暴に言えばインプットとアウトプット)に還元されるわけだから、哲学的な「意識」の話になるはずがない。同じ意味で「攻殻機動隊」も、押井さんご本人は「心身問題」を扱っていると主張しているが、「意識」の話まで踏み込めるはずがないので、あくまで疑似哲学的なものだ。(余談終わり)
 
 SAMがトレースするパスファインダーの知覚と感情の反応、そのフィードバックに従って(21世紀でも普通のセンサー程度がすでに実現しているようなものではない)何らかの操作が行われているような様子も見受けられない。例外は下に述べる「生命維持機能」だ。
 そうであれば、インプラント直結のほとんど唯一の目的は、SAM自身の成長を促進するためとなる。
(追加:二周目をはじめてみて、ライダーの「プロファイル」設定もSAMが司っている設定であることを思い出した。ヒューマン・パスファインダー以外のSAMには実装されていないとか。これって、ぶっちゃけるとシャブとかドーピングの一種なわけで、随分危ないことをしているような気がします(SAMと神経系を直結する時点ですでに危ないけど)。これもFPSの"Crysis"あたりでやってましたね。あちらは「バトルスーツ」の仕様上、可能な設定だった)
 
 「自己紹介文」ではさらに、(ゲームが進展した後の情報として)アレックがSAMを開発した理由のひとつは、不治の病から妻を救うためだとしている。イニシャチヴの資金がどのような方法で、どんなパトロン(ペイトロン)から集められたのか定かではない(個人的推理は下に述べます)とはいえ、パスファインダーのインプラントと直結する必要性に乏しいとすれば、いわば「開発資金の私的流用」 の誹りは免れない。「理由のひとつ」というよりも、唯一の理由ではなかったのか。そして、自己成長が可能なAIが必要な理由も、不治の病の治療法を発見するという、ヒューマンの誰も解決していない難題に取り組むためには、必要不可欠だったのだろう。ここら辺が、テクノロジカル・シンギュラリティ問題に触ってるのかな。

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 妻の病状が思わしくないと知り、アレックは職を辞してしまう。

 これも余談だが、アレックの妻に対する感情は、BioWareお約束の「カース・オナシ症候群」のまたもうひとつの例(変形)であろう。BioWareゲームには、喪った(または喪おうとしている、あるいは疎遠となった)愛する者への思いを断ち切れず、その後の新しい出会いを拒否または逡巡する人物が必ず登場するという指摘のことだ。
 
 二つ目は、「ただのおたすけアプリ」ではない役割を担う点。
 
 プレイスルー中に把握した限りで、三度そういう場面が訪れる。
 一度目は、冒頭で別のヒューマンのインプラントにコマンド・アクセスが転移されるシーン。これは「自己紹介文」にあるとおり、デザインされたとおりの働きだ。
 そこでは、いかなる手段が用いられたか(電気信号くらいしか考えられないのに)、ほとんど漠然としか描かれていないが、臨死状態にあるヒューマンの生命維持を行ったことになっている。
 二度目が、SAMが(ホストの許可を得たとはいえ)自発的に、ヒューマンの心肺機能を停止させるシーン。
 三度目は、一度目と似たような状況であるが、ヒューマン側のインプラントをリブートするシーン。一度目がヒューマンの指示に基づいて実行されたものであるのと異なり、こちらはSAM自らが意図して実行する(実際にはヒューマンの手を借りる必要がある)。
 
 いずれも、ヒューマンの生死に関わる場面であるので、これらは「おたすけアプリ」の役割を大きく超えている。というか、作中そうである場面は、他に見当たらない。
(そうであっても、果たしてAIである必要があるのか、ニューラル・インプラントと直結する必然的な意味があるのかどうかは不明だ)
 
 中でも問題なのは、二度目のものであろう。
 もちろんME2冒頭では、シェパード艦長が生死の境を越え、かつ蘇生している。ただし、あの時点において、ラザレス計画(シェパード蘇生プロジェクト)に成功の保証はなかったし、シェパードは現に、端的に、間違いなく死んでいた。趣としてはネクロマンシー的な、それこそサーベラスの邪悪性(というよりも目的達成には手段を選らばないという合理性)を如実に示していた。
 
 それに対して、 このME:Aの「いっぺん死んでみる?」は、(他のクルーの命もかかっているという意味で)あくまで「緊急避難」に似た状況における措置ではあるものの、あまりにあっけらかんとして軽い感じがしてしまう。なにしろここで取り扱っているのは、SAMによる「殺人」(ヒューマン殺し)であるのだから。無邪気という点で、サーベラスの邪気よりもなお空恐ろしいと感じられるのだ。
(一度目も、ホストはすでに臨死状態にあった。二度目は意図的にそれを発生させる点が異なる)

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 ほんとはこっちを怖がるべき場面ですが。

 なお、上述の三度目の場面でも、SAMは、あるヒューマンの身に害が及ぶことを(論理的帰結の形で)承知の上で行動していることから、「未必の故意」に該当するきらいがある。ただし、この場合は別のヒューマンの生命を維持するための「緊急避難」的な措置と考えれば、やむを得ないのだろう。
 
 お話はアドヴェンチャーだし、結果オーライだし、SAMもまた(双子ライダーと同様に)AIとしてまだ発展途上であり、無邪気であり、天真爛漫に過ぎる、という解釈も成り立つのかもしれない。
 
 三つ目は、AIそのものの発想に関連する点。
 
 オリジナル三部作のプレイヤーは、ME3で「自我」を獲得したかのような変貌を遂げたAI、EDIをすでに知っている。EDIが「義体を得た」という点は、まさに「飾り」であって、物語上重要であるとしても、ここでの話の本質的な部分ではない。大事なのは、ME2でもほんのりと示されていたEDIの「自我の萌芽」が、ME3では満開となる点だ(義体を欲したのも、その結果だ)。
 もちろん、ここでいう「自我」は、あくまでヒューマン・・・、銀河種族から見て、あたかもそれを有しているように振る舞う、というだけの意味でしかなく、「意識が芽生えた」と言っているのでもないし、AIに意識があるかないかは検証すら不可能な事柄だ。それ以前に21世紀時点では、ヒューマンの意識すらまともに解明も定義もされていないし、MEの時代に解明されているようにも見えない。そのような物語を描くこと自体が、不可能なのだけど。
 
 一方、SAMは、上にも書いたように、双子ライダーと同様に「若く」、「未熟」というキャラクターを付与されたのか、「自我の萌芽」というものはまだ感じられなかった。途中で「自我」かなんかについて話してたかもしれないが、まだアレックに教わったことを「頭」で考えているだけで、ME3のEDIのように「腹」で(腑に落ちるという意味で)、もしかしたら「子宮」で(なぜか母性が生まれていた)考えていたのとは、まるで水準が異なっていた。そこがちょっとなあ、掘り下げないのかなあ、と残念に思っていた。「疑似哲学」でもなんでもいいから、AIネタでそこは外しちゃダメでしょ、と思った。

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 SAMは、アレックの妻に対する態度から、生命の意義を見出したという。

 ところが、まだ「アイロニカリー」(皮肉にも)と言うべきところ、「パラドクシカリー」(逆説的に)と言ってる。

 イニシャチヴの旅立ちは、ME3の物語が描く時代よりも以前だ。AI自体の開発は、ゲス(gethのほう)問題を発端として、カウンシル種族圏ではご法度とされていた。一方で、「目的が手段を規定する」サーベラスは、お構いなしに極秘裏に開発を継続していた(EDIも当初は同社、つか同結社の作品だ)。
 よって、ME:Aの物語で、イニシャチヴがEDI並みに洗練されたAI技術を有しているのは、時系列的におかしいことになる。
 
 だが本当にそうか?
 アレックが、私的流用目的だとしても、ご禁制だったAIを開発するにあたり、(あっちの、あー、こっちのあたしたちの(笑))銀河で最も進んだ技術を有していたサーベラスと接触しないということがあったのだろうか。後年のアレックは、サーベラスと見分けがつかないくらい、(妻の延命・治療に関して)目的合理的な行動を取る男になっていた。
 
 ヒューマン至上主義のサーベラスが、カウンシル種族仲良しこよしのイニシャチヴに、諸手を挙げて賛同・支援することはできなかっただろう。
 しかしながら、作中でも明らかにされるように、シェパード艦長のリーパーズに関する警告は、政治的コネを有するイニシャチヴの責任者たちには知れ渡っていた。もちろんサーベラス(イルーシヴ・マン)も詳細に知っていた。
 ヒューマン至上主義のサーベラス(イルーシヴ・マン)は、ヒューマン生き残りのためのヘッジ(あるいは保険)として、イニシャチヴを支援したのではなかったか。たとえ他種族との共存ではあっても、(目的が手段を規定するとの発想にたち)ヒューマン生き残りの目を残そうとしたのではないだろうか。
 
 アレックのAI開発には、サーベラスの支援があったのではないだろうか。それだけではない、サーベラスこそ、イニシャチヴの有力なスポンサー(ペイトロン)だったのではないだろうか。そしてイルーシヴ・マンの正体とされる人物と、パスファインダー・チームのコーラは、なぜ同じハーパー姓なのだろうか。
 そういうネタまわしって、次回作で使うんですかね?(次回作があるとすれば)
 
213
 似てるのは偶然か、同じ技術基盤だからか、それともBioWare開発が手を抜いたか。
 
 なお、ゲーム終盤はまるでサラちゃんのようにコーマ状態でプレイしていたので、大事な情報を見落としてしているかもしれません。サーベラス関係のネタは、元サーベラスの科学者たちが、また性懲りもなく、くだらない人体実験を繰り返していたくらいで、他は記憶にないのです。あー、あとあのDLC"Overlord"絡みのネタですか。

214
 どっちも果てしなくシャビーだったなあ。

 蛇足。
 
209
 子供は寝る時間よ。

 (あたしの場合)コーラとスコットがなにする場面で、コーラは、SAMに「目を閉じろ、耳塞げ」と要求する。まるで、「おこちゃまはクソして寝なさい」的な扱いだが、SAMは従順に従ったように見える。

 なわけないよね。好奇心(この場合は知能)は猫でさえ持っている。こっそり覗き見してたんでしょう。そのほうが「自己成長」にとって有利だと判断して。 そのうち義体を求めたりして(次回作があればね)。
 

2017年5月 3日 (水)

ブルー・マーズ

 ロビンソンの"Blue Mars"(1999)の邦訳、「ブルー・マーズ」(読んでいない、×)が、ついこないだ(2017年4月)こっそり出版されていたのを発見した。
 
 "Red Mars"(1993)と"Green Mars"(1996)の邦訳は、それぞれ、1998年と2001年に出版されていた。三作目が邦訳されたのは、オリジナル一作目から数えて、実に20年以上経っていることになる。なんてこった。「ハヤカワ、出版遅いぞ、なにやってんの!」って、創元だった(笑)。かといって、絶版の山を築いて喜んでいる、そのくせ電子化もまぢめにやらない早川を許すつもりはないけど。
 
 一作目「レッド・マーズ」(忘れた、〇)を読んだのが、出版後さほど経っていない、おそらくミレニアムの祭りで世間が騒然としていた頃、個人的には2000年問題でひどい目にあっていた頃だろう。軌道エレベーター云々のお話が大変面白く、その後のサイファイもの(ガンダム何とか含む)で軌道エレベーターが登場するたびに、心の中では「おっちろ、おっちろ、おっちろ!」(クェス@逆シ)と叫んでいた。
 「レッド・マーズ」の邦訳は、上下二分冊のかなり分厚い本であり、かつ、いかにも肉食白人が書きそうな内容がてんこ盛りなんで、最大の興味の源だったエレベーターがああなっちゃった以上、続編となる二作目「グリーン・マーズ」(読んでいない、聞いた、〇)は、三作目が出版されてからまとめて読めばいいさ、忙しいし、と思っていた。
 
 ウィリアム・ギブスンが元気なくなっちゃったのっていつ頃だろう。調べると、あー、やっぱあたしが最後に読んだ「あいどる」(忘れた、×、"idoru"、1996)の邦訳が、1997年だ。もちろん、いまだご健在で、三部作ものなど書き続けているようですが、読む気がおきない。
 その後、ギブスンの威を借るサイバー・パンクの連中のをいくつか読んで、(ギブスンはそうではないが)肉食白人のダメさ加減がわかり(「クリプトノミコン」(邦訳は2002、忘れた、××)とか壮大な時間の無駄だった)、あえなくご無沙汰となったわけだ。
 
 それからと言えば、あちらで評判となった作品をぽつぽつと拾い読みしていた以外、作家で選んで読んでいたのは、御多分に漏れずグレッグ・イーガンの諸作品くらいで、あとは、ここでも書いたバラードとか、ヴァンスとか、古き良き時代の書き手たちの新訳(新装訳)を読んでいる。
 
 それよりも、光文社古典新訳文庫に代表されるように、今の翻訳者たちが、古典的な作品を新訳で出版する動きの方にずっと惹かれる。いみじくもバラードが語っていたように、「昔読んだ本を読み直す喜び」ちうやつを、実感しているところだ。
 しかも新訳であることは大きい。旧訳との読み比べなんて、贅沢なことさえできてしまう。(唯一気になるのは、「旧かなづかひ」や「旧字体」が置き換えられるのはともかく、古い語法が消えてしまうことだ。「風と共に去りぬ」が、「風と共にとっくに去りました」じゃ、ちょっとまずい。「我が名はレギオン(リージョン)、数多(あまた)なるが故に」が、「我が名はレギオン、我々は大勢であるが故に」じゃ感じ出ないねえ。サイファイ、ミステリーは、元々がいわゆる翻訳調。それで往生する世界でもないから問題は少ない。ないわけではないけど)
 
 創元なども、その動きはやばい、飯の食い上げになると思ったのか、ミステリーの世界で新訳に一部取り組み始めた。翻訳者自身は旧訳と同じ人だが、長い時を経たのちに改訳する機運に恵まれる作品まで出てきた。まだ少数だけど。
 
 今回、「グリーン・マーズ」と「ブルー・マーズ」をまとめて取り寄せた。それぞれ上下巻で、各600ページくらいですか。いえいえ、何をおっしゃる。連休中に読むなんて、そんな貴重な時間の無駄遣いしませんよ。こちとら「読まずに偉そうに語る・・・」(流し読み、◎)のおかげで、そんなアホなことはしなくなりました。よほど読む本に困ったら別だが(しばらくあり得ない)、老後に気が向いたらってことでしょうね。
 
 なんで20年も経ってから出す。早川ぢゃねえや、創元もすっかり忘れた振りすればいいのに。諸般の事情がごにょごにょとか、言い訳もよく聞こえません。
 
 ひとつには、単なる「火星」繋がりとして、例のマット・デイモン主演、リドリー・スコット監督の映画"The Martian"(2015)がヒットしたことがあるのでしょう。
 それから、この小説を原作にしたTVドラマ化の企画があちらであがっているそうだ。さもありなん。
 
 別段待ち望んでいたわけでは全然なく(というか、リドリーの映画が公開されて、「そういえばあったな」と思い出すことができただけ)、「今」読む必要さえさらさらない。将来的にも読まなければならないわけでも全然ない。
 こちとら、卒業後それ以上の期間経てから、初めて開催された同級会とか経験してます。もはや20年程度のことでは、びっくりも、どきどきもしないお年頃。
 
 読まなくても偉そうに語りますと、「グリーン・マーズ」はちょっとは面白そうだが、「ブルー・マーズ」はいらないかな。そういう見立てです。どうしても読みたいつうなら「レッド・マーズ」だけで十分だと思いますよ。
 それよりもあたしは、先日手に入れたヴァンスの短編集の一冊が、どこにやったか見つからないので心配している。連休中こそ自宅の書籍を片付けないとなあ・・・、きっとやらないけど。

2017年5月 2日 (火)

【ME:A】逢ひ見ての

のちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
 
 「ちはやふる 結び」、映画版完結編が来るそうです。観ないとなあ。
 (といっても、上映から半年経つと、有料とはいえネットで観れる時代なんですよね・・・)
 
 それはともかく、標題から始まる句の解釈、定説は、「思いを遂げた後のこの切ない気持ちに比べれば、それ以前の想いなんてなかったようなものだったのだな(と気がついた)」。「思いを遂げた」はもちろん「エッチした」の意味でしょう。栄華を極めた藤原家の貴族が、惚れた相手にただ会っただけでこんな句を詠むわけないじゃん! 女子高生ぢゃないんだから。
 
 ところが、これから書くことはそれと逆の意味。
 「ME:Aをプレイした後のこの絶望的な気持ちに比べれば、DAIに対する文句なんて、そもそも文句ですらなかった、そのことにようやく気付いた」
 「けり」は、故・大野晋先生によれば、「気がついた」、「気がついて驚いた」の意味だそうです。
 
 実は、ジャールのミッション編を記事に書いて、自分で読み直してみて、「こんなにつまらない記事書いたんだ!」と愕然とし、自分で自分を呪った。
 だが、つまらないのは本当は誰のせい?
 わたし、とマック・ウォルタースが言いました。
 短い納期と少ない人手と足りない才能で、わたしが殺した。
 
 悲しみがとまらない。(これ、当初はこの記事のタイトルに使うつもりだったのですが、念のため歌詞を調べたら、全く別のテーマであることはともかく、島国語がダメ。故・大野晋先生がご存命だったら、きっと怒り出す水準だった)
 あまりに絶望的な気持ちになってしまったので、老後の愉しみにとっておくべきブログ過去記事(DAI編)を読み直して、メンタル・ヘルスを維持していました。小学校のとき、大人になったら開けよう!とかで、庭に埋めたタイムカプセル(笑)を、大人になるまで待てずに開けてしまうこらえ性のないガキみたい。
 
 DAIにも色々文句言ってましたけど、その多くは、まともに動かないDAKとか、プアな実装とか、DLCがあまりに本編から浮いているとか、考えなしのアチーヴメント設定とか、周辺的な事柄ばかりであった。
 やっぱ「セリフ」のしゃれた言い回しなどは、自分で楽しんでいたことが手に取るようにわかった。「レリアナ無双」編などのいくつかの場面では、本当に感動していたことがわかった。なによりも作中NPCを指して「あのババア」とか「くそジジイ」とか呼んでいること自体が、作品への深い愛の表明であることが如実にわかった。
 
 「愛」の反対語は「憎しみ」ではない。愛憎相半ば、可愛さ余って憎さ百倍、あちらではアンビバレンス(ambivalence)というように、そのふたつは同じもの。「愛」の反対語は、実は「無関心」。マザー・テレサだっけ。クリスチャニティ―丸出し(愛とは本来神への、ジーザスへの愛を指す)、かつ、思いっきり政治的(恵まれない子らへのお金集め的)な発言ではあるものの、やはり普遍的真実ではないかと思う。
 
 ME:Aで、「このくそあま!」と思うのは、今のところクロミちゃんの元カノ、京都弁(誰がじゃ)のアサリくらい。アサリは、テクニカリーには「あま」ぢゃないけど。それだってME2の極道アサリの連中とか、ME3のサーベラスに比べればB級でしかない。
 ん? クロミ? だってこの文脈でクロミをくそあま呼ばわりしたら、あたしがクロミを気に入ってることになっちゃうぢゃんか?!(関心が高いことは否定しません、できません)
 
 先に記事にした、爺さん編だって、クローガンに無慈悲な仕打ちをしたヒューマン野郎をしょっぴいたときも、「ふーん」くらいの感想しかなかった。アンドロメダのクローガンが、根絶されてしまう原因をつくるような犯罪であったにも関わらず。
 対してオリジナル三部作では、(クローガンは別に好きでもなんでもないが)サラリアンのことがどうしても許せない気持ちになるように誘導されてしまった。書き手の技術がとても優れていると思った。
 ジャーマニーといえばホロコーストを連想してしまうのと同様、サラリアンといえばジェノフェイジということになってしまうのだ。(おかげで、ME:Aのサラリアンも出てくるとイヤな気持にはなるのですが)
 
(余談)
 ジャーマニーが、今の自分たちは「ナチス」ではないといくらPRしても、決して許さないジューイッシュが反PRを続けているから効果なし。プロパガンダのプロ同士の、あげ足とり、足すくいだけが決まり手みたいな陰惨な相撲を見ているようなものだ。
 島国といえばせいぜいパールハーバー、カミカゼ。ナンキン、セックス・スレイヴなどと誰も思わないのは、ナチスと違って非難自体がねつ造だから。そもそもみなごろし(鏖)はチャイナ、性奴隷はコリアの得意技。島国の得意技はもちろん先制攻撃。
 
 アメリカンなどさらに巧妙で、ヒロシマ、ナガサキなんて最初からなかったみたいに忘れたふりをする。フクシマは(炉がGE製なんで)さすがにまずいと思ったらしく、ロナルド・レーガン(空母だよ、間違うなよ)を派遣したけど、「これに免じてうちに損害賠償請求するなよ」というメッセージだったんだろう。オバマのヒロシマ演説なんて、後世異端扱いされて、歴史から消えていくんだと思う。(余談終わり)
 
 ジャール編の記事読み直してみても、(コンバット以外)本当に飽き飽きしてたんだなあとわかった。ゲーム内的にも、個人的にも、あのジャールを脅迫してきたアラゴンの運命なんて、正直どうでもいいと思った。
 
(以下、本ゲーム唯一最大のネタバレ! 読者諸君、警告はなされた。)
 
 そのように、すべての選択肢がどうでもいいものである、という先入観を植え付けられてしまっていたあたしは、本編最大(おそらく唯一)の重大な選択肢を間違えてしまった。
 「テューリアン・パスファインダーに関する重大な選択」といえば、プレイされた方にはわかるだろう。 
 その場面の映像さえ撮っていないという事実が、あたしが当時いかに軽んじていたかわかる。
 
 その選択がなんの脈絡もなく、クライマックスのある重大シーンに繋がってしまう。

202
 例のこのシーンの。

203
 ここに繋がってしまうようだ。

 もちろん、プレイ当時に何も知らなかったあたしは、アークのキャプテンが「ノゾミ」さんだけに、顔は全く島国系に見えないのはおいておいて、「あー、はいはい、またジャップのカミカゼ特攻かよ!」とイヤーな気持ちになってしまったのだ。

 何を証拠に? セリフ見なよ。"It's been an honor to serve..."(「ここまでイニシャチヴに貢献できて光栄でした」)と言いかけているでしょ。"honor"を重んじるというのがハリウッド流島国人の描き方の定番なんですよ。そして、受けた「名誉」に報いるものは、自らの「命」、「死」しかないのです(と、島国人が誰でもそう思ってると、思われている)。
 BioWareゲーといえば、ジャップはカミカゼ。これもハリウッドがサニー千葉(真一)と一緒に流行らせた、悪しきステレオタイプでしょうね。ハリウッドに限らず、イギリス映画でも、真田(広之)さんが似たようなことやっている(やらされている)。どの映画か言うとネタバレになるので言わない。

205
 「しがない街医者」も島国人のステロタイプじゃないの?

 気がついたあなた偉い。そのとおりで、これもカナダやアメリカでは結構ふつう。

 後になって、テューリアン・パスファインダーの選択いかんで、キャプテンの運命が分岐すると知った。だからといってBioWareを許す気はないのだけど。
 ま、ゲーム冒頭、キャプテンが島国人みたいな名前であることを知った瞬間から、イヤーな予感がしていたんですけど。(うそつけ、タムリン・トミタ@バビロン5を思い出したとか、はしゃいでいたくせに!)

 もし、二周目をプレイするとしたら(その元気が出たとしたら)、本当にやり直したいのはこの選択だけ。

 あと、どこの人口比で選んだのかしらんが、ハイペリオンにエイジアンいすぎ。逆に黒人いなさすぎ。2010年代のカナダはチャイニーズに占領されかかっているそうだから、自国の統計を参考にしたのだろうか。
 深刻な人口不足で、国の存亡の危機まで予見されるという、現代のカナディアンを攻めることはしまい。一方で、建国以来ずっと人種問題に苛まれてきたアメリカンの白人たち。その本心は、このようなイニシャチヴこそ、人種洗浄の絶好の機会と考えるんではないだろうか。人類は兄弟、世界は家族なんつって、平等に載せる発想にたつなんて、到底思えないのです。

 こういうときに数を減らす。 (レズン中尉@逆シ)

(蛇足)もちろん、その方法には、白人だけが載る、白人以外だけ載せるの二通りあります。アメリカン・ファンクの世界では、伝統的に「(本来この星の出身ではない)おれたち(黒人)を拾いに、宇宙からマザーシップがやってくる」という集団ファンタジーを唄ったものが多くあります。マザーシップは、「母性」、「母親としての特性」("mothership"。"fathership"に対応するため編み出されたフェミニスト用語でしょう。どっちも造語)ではなく、「母船」("a mother ship")のほう。

2017年5月 1日 (月)

【ME:A】九郎判官(クローガン)贔屓

 判官贔屓(ほうがんびいき)を、「はんがんびいき」と読んでしまうと(間違いではないそうだが)、表題がわけわからんことになりそうなんで、やめてください。
 
 英語ですと"sympathy for the underdog"が直訳に近いが、「贔屓」はうまく表現されてない。"supporting the underdog"、"side with the underdog"なんかもありますが、九郎判官の「悲劇性」はどこかいっちゃって、シーズン一勝もできなかった時代のペイトリオッツ・ファンとか、弱小時代の浪花ファン的な、「アイロニカル」なイメージしか浮かばない。
 クローガンの場合は、少なくともオリジナル三部作では、"underdog"ではない。"tragic hero"、「悲劇的英雄」の権化のように描かれていた。
 
 まー、自分自身のプレイスルーも、不平不満がヒューマン二万人分くらい満載とはいえいったん終了したので、ME:Aについてはスパッと忘れよう。そう考えていた。
 これからの連休中は、(スイッチも手に入らないので)P5、TW3など他のゲームをちょこちょこっといぢりつつ(後者は嘘だろう)、近頃まったく観る暇のなかった映画やアニメをネットで探して鑑賞しつつ、あとは買い溜めたヴィトゲンシュタインでもだらだら読むかなー、と、まったくごく普通のさらりまんのおっさんのゴロゴロしたお休みにしかならんな、ださいな、と思っていた。
 
 そういえば、爺さんのローヤリティー・ミッションの記事やってない。
 こちとら、クローガンになーんの思い入れもありはしないので、本編中(ローヤリティ・ミッションとは関係ない部分)、クローガン絡みの「究極の選択!」みたいなのがある場面で、むしろその意味がわからず、「え、なに、これ一択ぢゃん?! え、え、どーして、ここでスコットがうんうんうなりながら顔引きつらせてんの? なにかセリフ読み落とした?」とうろたえてしまいました。
 
 哲学のお話を読んでいたら、「ビュリダンのロバ」という説話があると知りました。空腹のロバが、今の居場所から見て左右まったく同じ距離の場所それぞれに、まったく同じ価値の餌(干し草)を見つけた。どちらに進んでも結果は「等価」であるはずなのに、だからこそどちらに進むこともできず、その場にとどまって餓死してしまうというお話です。
 
 どちらに進んでも「等価」とはいえ、「ヒト」は、結果がわからないがゆえに「もしかしたら、選ばなかった道のほうが本当はよかったと、後から悔いるのではないか」と今考えてしまうから、凍り付くなんていう説もあるようです。
 
 まあ、ごく陳腐な例では、「ふたりの結婚相手候補のうち最後までひとりを選べず、一生独身」みたいな、(現実にはそんな都合の良い選択の場面なんてごくわずかの特定の人しか体験しないだろうという意味で)ファンタジーなノリの物語が思いつきます。
 ロバの場合は、二か所の餌が(距離、餌の種類と量しか気にしないだろうと想定して)「厳密に等価に見える」と規定した選択肢だったのに対し、「厳密に等価な結婚相手候補」は、(評価軸を卒業大学、身長、収入の三軸だけに「厳密に」限れば別だが)おそらく存在しないでしょうね。ここでは「十分に等価に見える」ってことを言っているのでしょうね。どちらも選ぶ側にとっての「満足解」で、かつ、どちらかを選好する理由が見当たらない。
 
 その場合、サイコロでも振って、手元になければコインでも投げて「決める」ってのが「合理的な選択手段だよ」って言ったりすると、「そんな一大事をゲームか賭け事みたいに扱うなんて!」と騒がれそう。だったら自分で決めろよ。本当はそもそも(はじめからという意味で)本人に「選ぶつもりがない」のでしょう。
 一般に、現代島国では、結婚しなくても餓死はしないと思いますので、家父長制の根強く残る昭和以前の島国であるとか、今の島国でもそういう風習の残るど田舎であるとか、そういう環境を想定するしかないかもしれない。
 
 MEオリジナルの悪名高い「ヴァーマイア選択」がこの「ロバ」のモデルに近い。その生死を選ばなければならない二人の人物のうち、どちらか一人だけに特別な思い入れがあるなら(「依怙贔屓」とは、まさにこれのことだ)話は簡単だが、むしろシェパードのロールプレイとして、「思い入れ」、「依怙贔屓」だけで判断していいのか、という苦悩を演じることも可能だ。
 DAIの「フェイド選択」は、選択される候補者にヴァラエティがあり、かつそれぞれに込み入った背景があるとはいえ、単純化すれば「ヴァーマイア選択」と同形だ。どちらの場面でも、あたしは「ふざけんな!」と憤慨し、コントローラーを画面に投げつけ(いや、キーボード・マウスだから常に)、しばらく不貞腐れていた。すなわち、「ロバ」になった。
 (うそ。MEオリジナルでは一、二分悩んだかもしれないが(プレイを録画していなかった時代なので推定)、DAIの初回選択ではきっかり七秒間で決心した。「ヴァーマイア選択」だとすぐに気がついたからでもある)。
 
 DA2冒頭の「ロザリング選択」は、見た目は上の例に近いが実は選択でもなんでもない。周回すればわかるように、主人公をロール(メイキングする)時点で決定されてしまう。
 ME2の「アサリ・ジャスティカー選択」は、選ぶべき二人が「見かけ」のみ「等価」になりうるのであって、「選択」ではあっても「ロバ」の例とは全く異なる。
 ことほどかように、BioWareは「究極の選択」を入れたいらしい。開発側の「どや顔」が透けて見えるようだ。だが、DA2では「ヴァーマイア選択」を巧妙な手法で回避したのにもかかわらず、DAIではそのまんま復活させるなど、あまり頭はよくない。
 ME:Aの「究極の選択」は、もはや「究極」でも「選択」でもない点で、(プレイヤー全員がクローガンびいきである場合ならともかく)書き手側の劣化の顕れとしか思えない。
 
 島国全国三百人の、実際にME:Aをプレイしている人にしかわからないネタなんで、ここではボカしますが、下のサラリアンのねーちゃん関係者と、クローガン関係者(ドラック爺さんがここでは代表者扱い)の、それぞれの運命を天秤に懸けているつもりらしい。

175
 自らの民のため尽くすか、「大義」を守るか。難しい選択ですね。

 あたしには、この論点がまったく見えない。ここでいう「大義」って何だろう?

176
 ・・・。 

178
 無駄にするな。

 "Earn this."は、知る人ぞ知る、"Saving Private Ryan"(1998)の、主人公最期のセリフ。「(この機会を)役立てろ」、「(この犠牲で得た機会を)役立てろ、無駄(無為)にするな」ということでしょう。あたしの「選択」では、クローガン関係者側に「犠牲」が出た。

179
 悪いが、うちの部族どもに伝える役目は、お前じゃない。
 
 爺さんだから、いい年こいてブチきれたりしないのはわかります。 
 でも、この穏当に済んでしまう後日談でさえ、「どうでもいい選択」だったことを自分で言っているようなものではないのか。
 
 シェパード三部作では、クローガンひとり・・・、一クロ残さず、まさに「危ないやつら」丸出しで、別段ファンでもないあたしでも、友達なんかにはゼッタイなりたくないとは思っても、そこが最大の魅力であった。
 だから、その「凶暴な」クローガンを「狩る」秘訣を偉そうに吹聴する、ザイードのクソ野郎ぶりが際立つ。

180
 ME:Aのクローガンは、クローガンの着ぐるみを着た別の奴らじゃないのか、と感じてしまう。

195
 花屋のクローガン(♂)が、もし三部作に登場していたなら。

196
 やあ、みんな。

 その壮絶なギャップがおかしみや、親しみを呼んだのだろうが、ここでは、「別に他の奴らと変わらんじゃん」となってしまっている。

197
 爺さん唯一最大の見せ場。クソ野郎側の現場監督。

198_2
 爺さん任せるわ。別にこいつおらんでも、本ボシあげることはできるし。

199
 言われなくとも。

181
 他に特筆すべきクローガンは、この婆さんくらいか。

184
「クローガンちうのは、どいつもこいつも、人の話まともに聴けんのか?!」
「おいっ!」

 まあ、ME:Aは「物分かりの良い」クローガンばかり出てるから、せっかくのこのセリフも空転。 

183
 ゲーム史上、婆さんの「頭突き」ってやつを。

186
 このゲーム以外で。

185
 ガスッ!

188
 目にすることはできたんだろうか。

 あたしにはない。

189
 しかも、ドナルド以上のタフ・ネゴシエーターぶり。

190
 お前のものはあたしのもの。あたしのものはあたしのもの。

 とはいえ、ここの選択も、「選択」になりうるかどうか、ちょっと疑問だ。
 あたしはイニシャチヴのアウトポストが欲しいからそっちにした。そっちを選択しないプレイヤーって、何が望みなんだろう?

192
「あー、はいはい、それでかまへんよ」と眠そうな顔で選ぶスコット。

 おまけ。

194_2
 ME2に登場したオキーア博士、その研究データーを取り戻せ。

 ME3では、(あたしの場合)モルディンが鼻歌交じりで壮絶な最期を遂げた、あのジェノフェイジ・キュアのくだり。
 ME:Aでは、なぜか「そのうち治る」ことになっているみたい。
 ME:A続編を作るにあたり、「邪魔」になるから「チャイ」にしたい。その気持ちはわかるが、そういうのって、残しておくからこそ物語に広がりが生まれるんじゃないの?
 ME:Aが、まるでオリジナル三部作の「ファン・フィクション」と感じてしまう場面は、ここだけではなく、他にも多々ある。
 ファンが思いつくようなことを書いてちゃダメでしょ。

 極め付け。

200
 自分たちで決められないネクサスの三等重役たちが、パスファインダーにまた役割を押し付ける。

 インターリム・アンバサダー、「暫定大使」を選べと。ネクサス以外のへリアス星団を代表し、それぞれのコロニー間の意見の集約を担う重要なポストだ。

201
 そこに選ばれる候補者として・・・。

 モシャエ、ブラドリィ、ライカというのは、まあわかるっちゃわかるんですが、クローガン?!

 さすがに贔屓が過ぎやしませんか?

 島国では「贔屓の引き倒し」という言い方もあります。英語にもあるんかなと調べると、"ruinous favour"ってのが、まあ近いけど、これってむしろ「大きなお世話」、「親切のせいで台無し」みたいなもんですね。"killing a man with kindness"も「贔屓」という含意は感じられない。
 ともかく、DAの開発者全員がドワーフ・ファン、いやむしろドワそのものであるのと同様に、ME:A開発者全員がクローガン贔屓、いやクロそのものであることがわかった。
 でも、「危ないやつら」として際立つ存在だったクローガンたちは、やたら物分かりがよくなって、アンドロメダの「マスコット」替わりになり果ててしまった気がする。
 これって、贔屓の引き倒しじゃないのかなあ。
 
 ま、あたしだって、すずちゃんがどんな役をやったって、すずちゃんだから「許す」わけだから、それと一緒か。(一緒にするのか?!)
 

【ME:A】(一周目?)終了。

 一周目というか、二周目はないかもしれません・・・。二周目がないときは、わざわざ一周目とは言わないですね・・・。
 (以下、ほんのりネタバレあり)
 
 プレイ時間120時間弱、エピローグ込みで完遂率は98%。
 かったるい繰り返し系タスク関連でいくつか未達のものがあるものの、この感じではミッションで見逃したものはまずないかと。(訂正:少なくともひとつありました。またタスクも、チェーンになってるらしきものが、少なくともひとつ未見)。
 いやあ、エンディングもちょっとどうなんだろうか。どこかのレヴューに「あほくさいヒット映画みたい」と書いてありましたが、まんまそのまま「あれ」ではないか。
 クライマックスで唯一ほめるところがあるとしたら、サラちゃんが絡んでくるところくらい。
 
 どうせ途中の選択なんて、エンディングになんの関係もないだろう、と軽い気持ちでいたためもあり、たった一つだけ選択をミスってしまったものがあったようだ(NPCの生死にかかわるらしい)。
 二周目でやり直すとすればそこだけ。あとは、できるだけちゃらけた会話になるように選択してきたので、シリアスなセリフでやってみるか、くらい。

166
 まあ、こちらの選択は、うまく行ってたようなんですがね。

167
 最近は、野郎も脱毛してないともてないみたいですね。桐谷さんが言ってました。

 ところが、空き時間が結構あるはずの連休を前にしてさえ、サラで二周目に進む気が起きそうにない。万が一、DLC(超期待薄)が来るならその前か、次作が来る前(果たしてあるのか?)にやり直そうかなあ、と思う程度。
 
 旧マシン(グラボ)ではフリーズ問題がひどくて、マイリグの新調まで余儀なくされてしまった。結果的にはストレスをさほど感じずにプレイできたので、まあいいか。パッチでフェイシャル(普通の意味で)が全編まともになったらしいのは、本当にありがたい。当初の顔のままでは、プレイし続ける気がどこかで潰えたと思う(その場合、マイリグの新調もなかったかもしれない)。

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 サラちゃんの顔がまともになってなければ、二周目の議論さえ最初からしない。

 UI関係では、新規アイテムを示す(!)マークが本来消えるべきときに最後まで消えなかったり、消すためにリストを全部あたらなければならないという多大な努力を強いられたり、達成済みタスクを調べ直すのが異常に面倒だったり、もう選ぶスキルがないクルーのスキルポイントが積みあがっていったり、目的地を示すマークが、わざとミスディレクションを誘ってるのかと思うくらい変なところに出たりと、なんだか意味がわからない作りが、相当寛容なはずのあたしの我慢の限界線を刺激し続けてくれました。
 
 キャビンのミニチュア・モデルのうち、まだ拾ってないものがどれか確認することが、なぜあれほど大変なのだろうか。

165
 プリマガイド読んでも、さっぱり謎が解けません。

 それぞれの武器などに対して10段階あるスケマトの表示が、どうしてそれぞれまるで違うもののように全部ずらっと並んで出てくるのだろうか。DB構造がそうだからなんつうことはわかってる。工夫のしようがなかったのかと言っているのだ。(その点ではBethesdaも一切改良しようとしない態度は同じだ。ObsidianがNew Vegasで何とかしようと工夫していたが、Fallout4には結局反映されなかった)
 
 ミッションの作りにしても、物語があるステージを超えないと次に進まないつくりの場合、"ON HOLD"、「しばらく待て」という表示が出る。最初は、プレイヤーを無駄にうろつかせることを避ける親切な仕掛けなんだなと思ったが、そのうち、だんだんミッションがそればっかりになっていって、そこでも工夫のしようがなかったのかとがっかりすることになる。開発者のプロット・チャートをそのまま見せられているみたいで、興ざめしないほうが無理。
 ミッション自体もシャビーなものばかり、セリフもおざなりなものばかりというのは、あちらのレヴューに書いてあったとおりで、期待することはやめていたから、ダメージは少ない。

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 ウォルタースは、もう偉くなっちゃってライターではない。

 ルークやシェリーなど馴染みの名前もあるが、かなり入れ替わっているようだ。

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 この取引は、とうのはじまりからうさん臭かったんだよ!

 このセリフ、ご存じ"Fallout: New Vegas"の「不朽のオープニング」へのオマージュのつもりでしょうか。
 「このゲームは、とうのはじまりからイカサマだったんだよ!」
 "The game was rigged from the start!"
 
 むしろ、あたしなんかは、こう言って差し上げたい。
 
 「このゲームは、とうのはじまりから期待外れだったんだよ!」
 
 アチーヴメント関係は、本来開くべきもの含めて、まるで開いていないし、スペシャル・チームのオンラインはしょっちゅう落ちるし、「なにやってんの!」と怒っても仕方ないくらい、スキルがプアという舞台裏が透けて見えてしまう。

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 セカンド・ウェーヴ、「第二波」と名乗る連中。

 パスファインダーたちはクライオから最初に覚醒される「第一波」。十分な人数が居住可能な惑星を探すために必要な最小要員。そうした惑星を発見した後に覚醒される連中。わざとなのかどうなのか、英語の訛りがどぎつい三人を選んでいる。白人たちが入植した新大陸に、後からやってきた移民の連中を連想させてしまうのは、果たしていいのか。

 長子は、親も子育てに不慣れであり、かつ危ない病原菌などに無防備のままさらされる(死んでしまう場合さえある)。二人目以降は、長子が身をもって実験台になってくれるから、その点でかなりお得。この場面、まず最初にそういうことを思い出した。
 第一波の連中は、(外敵も内乱もあったし)結構死んでしまっている。そういう先達の苦労を第二波がやがて忘れて、むしろ第一波を疎んじ始める。次回作には、そんな陰翳のある物語とか絡めたらいいんじゃない?とか思った。

 でもすぐあとに気づいた。これって、シェパード三部作(第一波)と、アンドロメダ(第二波)の、それぞれの開発者のアナロジーになってしまっているのではないか? もちろん、第二波は第一波の偉業を超えることはできないという意味だ。 
 
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 五隻目のアーク? そんな話ありましたっけ?

 クオリアン、エルコア、ドレル、ヴォラス、ハナー? 次回作に出すつもりなのか?

 「僕の大好きなヴォーチャは出ますか?」

 今大事な話してんだ。クソガキはだーってろ。
 しかし、これは姑息というか、ご都合主義というか・・・。開発費圧縮のためなのか。

 まあ、「次回作」なんつうものがあるのかどうか、あたしにはわかりませんけどね・・・。
 これ、売れたのかな?

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