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2017年4月13日 (木)

「読んでいない本(以下略」

 「読んでない本について堂々と語る方法」(ちくま学芸文庫)は、先日買ったけどもちろん読んでいません(笑)。でも書いてある内容には自分でも思い当たるところが多々あり、また共感できるところもあります。

 たとえば、DAの小説はオフィシャルのもので5冊出ているはずですが、著者バイヤール教授風に○×をつけると、こんな感じになる。

1. The Stolen Throne(2009) 流し読み、忘れた、評価×(ダメだと思った)
2. The Calling(2009)    未読、人から聞いた、評価×(ダメだと思った)
3. Asunder(2011)      流し読み、評価○(良いと思った)
4. The Masked Empire(2014) 流し読み、評価○(良いと思った)
5. Last Flight(2014)    流し読み、評価×(ダメだと思った)

 後半の三冊は勝手(概要)訳をしてブログにもアップしていたので、「読んだことはない」とは言えないと思う。ところが、バイヤール教授の区分には、「舐めるように読んだ」とか、「熟読した」とか、「翻訳するため一字一句読んだ」などという分類はない。というか分類は上に書いた四つで出尽くしている。(一方で評価のほうは、最高の◎(とても良いと思った)から、最低の××(ぜんぜんダメだと思った)まである)
 なお、この手の本の場合の「人から聞いた」には「あちらのネットで評判などを読んだ」を含み、むしろそれらが大部分を占める。

 分類中、一般的に「読んだ」と表現される行為に一番近いのは「流し読み」だ。原文はおフランス語らしいので、これが本当はどういう意味であるのか残念ながら知らない。島国で言う「流し読み」は英語では"skimming"、"skim reading"とよく言うし、ネイティヴの奴らは普通にやっている。ビジネスの商法としては"speed reading"なんて言いますね。「速読」ですか。
 「斜め読み」は"diagonal reading"というそうだが、島国語がこれの明治翻訳語であるかどうかは調べがつかなかった。
 もちろん上述の本は、「速読法をマスターしよう」などという詐欺まがいのマルチ商法のすすめではない。そもそも「本は読まないほうが良い」というテーマに貫かれているのだが、敷衍するのがかなり面倒な話なので後まわしにする。
 
 BioWareの小説は、DAもMEもゲーム本編の「プリクエル」(prequel)であることが基本で、一部が「外伝」(supplementary story、side story、spin-off)である。

 まずあたし自身、「プリクエル」が好きではない。だから上述の作品群はスタートラインが×(ダメだと思った)となっている。
 「プリクエル」という言葉が生まれたのは1950年代後半だそうで、サイファイ・ファンタジーのパルプ・フィクション由来であり、60年代、70年代に盛んに用いられた。呼称はともかく、形式的にはホメロス(ホーマー)の「キュプリア」(シプリア、Cypria、未読、人から聞いた、×)が「イリアド」(Iliad、未読、人から聞いた、◎)の前日譚にあたるので、発想自体は古くからあった。

 最近であれば、Star Warsシリーズの「エピソード1」(The Phantom Menace(1999)、忘れた、×)から始まる三部作が、「エピソード4」(Star Wars(1977)、忘れた、◎)から始まる三部作のプリクエルにあたるし、「インディアナ・ジョーンズ」シリーズの2作目(Indiana Jones and the Temple of Doom(1984)、忘れた、◎)は、1作目(Raiders of the Lost Ark(1981)、忘れた、○)の前日譚である。またご承知のとおり、前者シリーズには、最近ではRogue One(2016、観ていない、×)など数多くの「外伝」があり、後者シリーズには「ヤングなんとか」という主人公の若い時代の冒険を描いたTVシリーズ(観ていない、人から聞いた、×)がある。プリクエル(または外伝)という手法が、直接的にはパルプ・フィクション由来であることを如実に示していると思う。

 そのことはまた、プリクエルや外伝が、オリジナル本編の「物語」ではなく、主人公及びそのサイドキックなど「登場人物」にフォーカスした作品群であることも暗に示している。
 あたしが、プリクエルを(多くの場合「外伝」も)あまり好きではない最大の理由は、こうしたキャラクター商売が好きではないからだろうと思っていた。オリジナル作品の登場人物について、昔は(若い頃は)どうだったかなどに興味が湧かない。もちろんプロット上の要請などで回想シーンが入ることは理解できるものの、大抵は「わかったから話を早く進めろ」と思ってしまう。
 「シャーロック・ホームズの思い出」または「回想」(忘れた、◎)で、若い時分はシャーロックより兄マイクロフトのほうがずっと賢かったし、実は探偵に向いていた、というエピソードをさらりと紹介しているが、そのくらいが上品で、かつ、物語の「今」でもきっとそうだったんだろうと納得できる出来事を示しているからお見事だ。

 ここまで書いてきて、上述の五つのDA小説に○とか×とかつけた意味が、自分でもわかった。「良い」と評価する大前提は、まず物語が自立している、つまり完結していることである。この点で「プリクエル」は、はじめから相当分が悪い。ふたつめは物語中世界で現在進行中のイヴェントを扱っている、少なくとも物語世界の「今」と密接にかかわりあう物語が語られていることだ。この点でもやはり「プリクエル」は劣る可能性が高い。

 DA2や小説五作目のような「枠物語」の場合、「今」が枠の外か中か、そのどちらであるか見極めるのは難しい面もある。だから言い換えるなら「すでに終ってしまった、死んでしまった物語」でないことが重要だ。上の例で言えば、前者の枠の中の物語は「まだ死んでいない」が、後者の枠内の物語は「とっくの昔に終わっている」、「伝説」だ。

 すでに大人の姿を知っている相手の年少時代の話をされても、話し手が自分の親とか恋人でもなければ、または聞き手が小説家かそのワナビー(志望者)でもなければ、相槌くらいは打つかもしれないが、真面目に聞く耳持たないでしょう。一方で赤の他人の話であったとしても、取調室にいる容疑者が一年前に犯したとされる犯罪をはじめて告白する話には、興味を持ちやすいでしょう。

 最初の二冊は、DA本編(DAO、DAOA)のリリース直前かほぼ同時に発表された作品であり、あたしの点が辛い(×)。本編に登場する人物で、それら小説にも登場する者たち(例えばローゲイン、ダンカン)の過去に対する個人的興味が薄く(理由は上に書いたとおりだ)、知ったところで何なんだろうと感じられた。また、そこで描かれるDAの世界観(例えば「オリ―ジャン・フェラルデン戦争」や「ウォーデンのコーリング」)については、DAのゲーム本編で必要十分に語られているため、今更知らされる必要はない。

 だから、三作目の評価が高い(○)理由は、この作品がDA世界における重要なテーマのひとつである「メイジ・テンプラー抗争」を扱っているからではない。本作発表前にリリースされていたDA2本編で、それはすでに散々描かれていた。そうではなく、DAOの登場人物であるウィン(とそのスピリット)、そしてその実の息子の物語にフォーカスしている点が大きい(コールが登場するゲーム本編(DAI)のリリースは小説発表の後なので、ここでは彼は考慮しない)。つまり三作目は、DAIのプリクエルであるというよりも前に、DAOから続いてきたシリーズのシークエルであったという点が重要だ。なによりも、この物語はエンディングで立派に完結している。

 四作目はDAIのプリクエルとして書かれているとはいえ、むしろ「外伝」である点が高い評価(○)となっている。本編の物語背景を借りている部分が多々あるが、本編からはほとんど独立した物語だ。むしろ受け皿となるべきだったゲーム本編のDAIがうまく取り込めていないが、それはどうでもよい。あくまで本編に影響を与えない形を守る必要があったため、窮屈さは否めないが、独立したエンディングも有している。
 
 五作目は完全な「外伝」である。四作目とは異なり、本編とは実質何の繋がりもない。物語の大部分は大昔に死んでしまった英雄たちの話である。エンディングで明かされる事実は、(もしゲームのプロットに活用するなら)今後の新タイトルで説明すれば事足りる。
 つまり「通して読まなくてもだいたいわかる」。ブログの読者にせっつかれ、もとい背中を押されなければ、おそらく途中までさえも読まなかったかもしれない。これまでの四作と異なり、著者はDAのライターでもないので、公式ファン・ノヴェルと言ったところだろう。プリクエル嫌いと似たような意味で、あたしはファン・ノヴェルが嫌いである。

 CRPGの小説版には、「正典」(canon、キャノン)問題がつきまとうので、プリクエルや外伝となるのは、ごく自然なことである。同時に、読むに値するものになるケースは限られている。ゲーム本編のリリース前に発表される小説は、本編の結末を引き継ぐわけにはいかない(シークエルは困難)。また本編に影響を与えることもできない(予定調和的で、つくりがとても窮屈)。物語の舞台だけ借りて「外伝」とするにしても、オリジナル作品ほどの魅力が生まれることは稀である。(ほとんどが「外伝」であるコミックスは、あたしにとっては押し並べて「忘れた、×」だ。

 スターウォーズのプリクエルがイマイチなのも、着地点を外さないよう「答え合わせ」に汲々としていたからに違いない(さらに、オリジナルがあまりに出来過ぎなので、それに伍すためトリプルアクセル級の難易度も求められたのかもしれない)。
 インディアナ・ジョーンズの二作目が良い点は、描かれている時代が遡るというだけの意味でプリクエルであって、物語が一作目とは全く独立しているところだ。一作目の仇敵ナチスと並んで大島国帝国が敵になるかというと、物語を駆動するためのツール(ヒッチコックがいうマクガフィン)扱いでしかなく、冒頭シーンだけであっさりと忘れ去られ、あとは全く関係ない話が展開する。何の制約もなく、本来のパルプ・フィクションがそうであるように、バカバカしいほどのびのびとした話になった。

 なお、映画・TVドラマなどのノヴェライズ小説は、一般に映画のプロットそのものをなぞる場合が多い。BioWareなら、Baldur's Gateの小説(読んでいない、×)がそれに近い。それはそれで「映画を観たのに、なぜ読むのか」という重大な疑問がつきまとうが、それはここでは置いておく。

 長々と何を書いてきたかというと、MEシリーズの小説は、さらに輪をかけて読んでいない、という言い訳だ。
 上のように表にする必要もない。すべての小説に関して「読んでいない、人から聞いた、×」となるから。
 ME:Aのプリクエルも、注文時点ではまだ自分が「亡者」だと思っていたのだが、到着したものをパラパラとめくっただけで読む気は全く生まれなかった。ネタバレはしないが、"Nexus Uprising"という表題どおり、ME:Aの登場人物たち中心の前日譚だ(読んでいない、×)

 「亡者」の看板は降ろしたかもしれないが、「オタク」としてそういう態度でいいのか。それともお前はなんちゃってオタクか? 「ニワカ」をバカにしているお前自身が「ニワカ」ではないのか?

 実は、標題の本に書いてあることは、まさにその点に関する興味深いお話であるのだが、記事が長くなりすぎた。そのお話はまた次回以降で・・・。 

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