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2017年4月13日 (木)

「読んでいない本(以下略」(承前)

 島国文字はだいたい読めるようになったけど、まだちっちゃいガキの頃(小学生の三、四年生くらいかな)、次のように感じた人はそれぞれどれだけいるだろうか。

 たとえば親の蔵書棚(自分の場合、両親ともかなり本好きだった)とか、学校のまたは公共の図書館とか、あるいは大規模な書店などで多数の書籍を目にしたとき、「うわあ、いっぱいあるなあ」だけで思考停止したのか、「一体、自分が生きているうちに全部読めるのだろうか」と考えて「無理かなあ」で思考停止したのか、「そもそもなぜ、人は皆死んでしまうのだろう。本をどれだけ読めるかという以前に、生きてること自体に意味も価値もないんじゃないか」とまで考えて、そこで思考停止したのか、さらに「生きるってなんだろう。そう考える自分ってなんだろう」まで行ってしまって、哲学者になったのか。

 あたしの場合は、「こんなん一生かかっても読み切れるわけないわあ!」と悟ったものの、哲学者にはならずに思考停止して、「読めるだけ読もう!」とアホな方面に突き進んでサイファイ・バカになってしまった口である。「また、筒井康隆とか、そんなのばっか読んで!」
 いわゆる「本好き」ってここじゃないのかな。もちろん書籍に限らず、映画、音楽、ゲーム、その他ゼッタイ一生かかっても網羅できない何かについても同じことだ。異性関係(恋愛)については、交差点の人混みを眺めて「自分がまだつきあってない女(男)、こんなおるんや!」と叫ぶ、往年の漫才師みたいだからやめておく。

 表題の本「読んでない本について堂々と語る方法」(ちくま学芸文庫)は、(買ったけどもちろんちゃんと読んでいない。流し読み、◎)まさにあたしのような連中へのダメ出しである。
 「オタク」がなぜダメか。「ニワカ」もなぜダメか。そういったことがわかる。とはいえ読まなくていい、というかラカン先生じゃないけど、むしろ読むな。これから、ちゃんと読んでもいないあたしが親切に敷衍してやるというのだ。

 筆者はおフランスの大学の文学部教授だそうだが、職業柄「読んでもいない」または「名前すら初めて聞いた」本についてコメントを求められることが多々あり、そうしたピンチを冷や汗かきながら切り抜ける方法に長く腐心してきたそうだ。本は、その秘伝伝授の「極意書」という形をとっている。もちろん、それは表面上の話であって、中は全然違う。

 社会が、「読んでもいないのに語る」こと自体がタブー、唾棄すべき、恥ずべきことである、というノーム(空気)に支配されている場合、つまり読書は神聖にして不可侵な営みであるという同調圧力がかかっている場合、そこに暮らす者たちは、①(当該社会・文化において)神聖視されている本は読んでいなければならない、②読むなら通読しなければならない、③語るなら通読していなければならない、という三段の縛りに囚われていることになる。実際そのとおり行うことはかなり困難であるので、それらに従うことは偽善的態度ですらある。ところが、読んでいない本について面白いことを語ることは可能だし、むしろ全部は(あるいは「まったく」)読んでいないほうがいいのだ。
 特に内容を説明しようとするとき、読んでいることが弊害を招くことさえあるという。この本は、このことしか言っていないと言っても良い。

 「オタク」が「ダメ」な理由はまずここだ。今日、キャラクター商法でぼったくろうとする売り手側は、あの手この手で、ありとあらゆる周辺作品を出してくる。定義上、その「全部の事物」を把握してなければ「オタク」ではない。別に本とか、アニメには限らない。ものがベースボールでも、サッカーでも、ラグビーでも、ある「世界」または「宇宙」(コスモス)に関するありとあらゆる「事物」を把握していなければ「オタク」ではないし、あてはまらない場合、「オタク」からは自動的に「ニワカ」と呼ばれる。
 そのくせ、「オタク」間の会話は一切成立しない。なに、アキバでもなんとかコンでも、紙袋ぶらさげたキモいのが複数で会話してるぢゃねえかって?

「オタクあれ観た?」
「観た観た」
「いいよね」
「いいよね」
「あそこがいいよね」
「いいよね、あそこもいいよね」
「いいよね」
「いいよね」

 これは定義上「会話」とは呼ばない。「街角の挨拶」でしかない。ただそれを、ひねもす繰り返しているだけだ。
 そもそも「ある宇宙に関する個別の事物を全部把握している」(間違っても「宇宙の全体像」ではないところがポイント)ことのみが「オタク」の存在意義であるのだから、その定義にあてはまる者同志の会話に「付加価値」や「追加的発見」が生まれるはずがないではないか。すべてはトートロジーと、その繰り返しとなるしかない、つうのも冗語(トートロジー)だけど。

 もちろん、本当の「ニワカ」側にもほぼ同じ意味で問題はある。「オタク」と別の意味で「ある宇宙の全体像」がわからない。この「全体像」(これはあたしの言葉だ)のことを、標題の本の著者は「教養」と呼ぶ。排他の関係にある「オタク」も「ニワカ」も、決定的にこの教養が欠けている点で同じであり、排斥しあう関係は近親憎悪の一種と言えるかもしれない。こっちにとっては「勝手にやってろ」でしかないが。

 余談であるが、特にサイファイやミステリーなどのジャンル小説分野で多用される「初心者向けとしてお勧め」という物言いが、あたしは大嫌いだ。島国サイファイはそういう発想が蔓延したことが原因で死んだ、とさえ思っている。身体的テクを要するゲームならまだしも、アニメに「初心者向け」なんてあるか? 大森望みたいなのはほっといて、そうやって人に奨めるバカがいるか? なぜ小説だけにある?(あることにしたい理由は知っているが、教えてあげない)
 14歳になったら本は自分で選べ。えーと、「読まない本」は自分で選べ、か。

 書籍の話に戻ると、この宇宙の全体像(教養)について、著者はある作品中で用いられた「全体の見晴し」という言葉をヒントに「共有図書館」という発想を導入する。これはすなわち全体像を指すものだから、問題は個々の「要素」を把握すること(オタク!)ではなく、それぞれの要素間の「関係」を把握することである。だから本を読んでいないことは大した問題とならない。
 一方で教養とは、個々の書物の内部で自己の位置を知る能力でもある。ある書物の細かい箇所に埋没することなく、ある程度突き放して、全体像を把握する(真の意味を見極める)という意味だ。
 
 「読んだ」と「読んでいない」という言葉の境界はあいまいだ。著者は、「読んでいない」状況をいくつかの段階にわけて示す。前の記事に示した「未読」、「人から聞いた」、「流し読み」、「読んだけど忘れた」などの「分類」がその具体例だ。そして著者は「読んでもいない」本に、平気で「未読、◎(とても良いと思った)」という評価をくだすのみならず、作中作品、つまり小説の中に登場する(大抵はタイトルだけ示される)架空の小説にさえ、「未読、◎」とか「未読、×」とかつけてしまう。
 「人から聞いたことがある本」の例では、エーコの「薔薇の名前」(流し読み、◎)の作中作品について触れられている。主人公は件の本に関する人々の話を聞きながら、読んでもいない本の中身を推理し、殺人犯の動機を推理し(そしてそれは間違っていて)、事件を解決に導く。

 次に、「読んでいない」本についてコメントせざるを得ない羽目に陥るいくつかの状況を分析してみせる。ここが個人的には一番面白く、トリッキーな部分だ。自分で書いてもいない本について大勢のファンの前で、自分で読んでもいない本について教師の前で、ある作家の作品について、それを自分で読んでいない作家の前で、恋愛相手の気をひくため、読んでもいない本についてその本が大好きな彼女の前で、などなど、こう書いてるこちらもこんがらがるシチュエーションが並んでいる。

 最後は、読んでもいない本について語るときの心構えだ。気後れせず堂々と、自分の考えを押しつけ、話をでっちあげ、自分自身のことを語る。
 まるでこのブログを書いている自分自身のことを言われているようだ。とはいえ、「本は読まないほうがいい、特にコメントするときは」というテーマも最後にここでまとめられている。結局のところ、本について語ることは、自分自身(自分の内なる書)について語ることであり、あまりに熱心に読み過ぎて、本の内容に引きづられてしまうと、自分を見失ってしまうのだから。

 ご多分に漏れず、あたしの自宅は本で埋もれている。老後に読むという口実で買ってしまったとんでもない数の未読の書籍が大部分手つかずで置いてある。
 そこまでひどくはないが、プレイしたふりだけしているヴィデオゲームも山積みだ。
 BD/DVDなど動画なら、垂れ流しにした画面の前で口半開きで座っていれば、「観たことがある」って言えるのに。(優しいから教えてあげるけど、どんなバカでもアニメに「初心者向け」とかほざかない理由は、実はこれだ)

 これまでは、そういう状況に思いを致せば、じじいになって体が動かなくなったらゲームはできない、読書にも視力と体力は使うからいつまでも晴耕雨読とはいかない、と暗澹とした気持ちになるところだった。
 標題の本を読んでだいぶ気が楽になりました。

 とりあえずは、君らから散々評判聞かされてきたTW3は、もうプレイせんで語ってもええな! 転売屋が消えないSwitchも全然手に入らんから、ゼルダもプレイしてないけど語っちゃっていいよな!
 という風に名前が出る「重要」タイトルは、なんだかんだでやっぱプレイすることになるんだろうなあ。「教養」あるゲーマーとしてはね。

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