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2016年12月 3日 (土)

主人公の「発見」(2)

 ようやく時間ができた。と思ったらGame Awardsの日だった! ということで一個別記事はさんじゃいましたが。

 二個前の記事に続けて書きたかったことは、以下のページに概ね述べられているので、そちらを参照いただければよろしいかと。

「マリオはなぜ世界でヒットしたのか? チームラボ・猪子氏が語る、日本的空間認識とクリエイティビティの関係性」

http://logmi.jp/52339

 以上で?

 というわけにもいかんでしょうけど。
 しばらく前にこの講演に関する記事を見かけ、はしとばかりに膝を打って、ブログに何か書いて、そのまま忘れていたもの。
 自分の過去記事を探すのも(整理が悪くて)大変なんで、再検索して見つけた。

 お読みいただければ(特に掲載されている絵画とその模式図を見ていただければ)、「この島国の主人公は『発見』された」ということについて、ことさら何かつけ足す必要もないと思うのですが(敢えて書くまでもない、と言った意味はそれも含む)。

 唯一残る議論は、「小説(物語)と絵画(含む映像)は違う話だろう!」という点かなあ。あんまり違わないのでは?と思いながら、そこはいかにもロラン・バルトとかそっち方面のお話になりますので、あたしごときでは、手におえないでしょう。(さらにヴィデオ・ゲームは、インタラクティヴ性を強調すれば従来の「アート」とは似て非なるものになると思いますが、その話も議論はなかなか決着しないので置いておきます)

 マリオ(つか実際にはスーマリなんですけど)もドラクエも、大和絵に残るかつての島国の人々の視点(あまりこなれた言葉じゃないんで使いたくないけど「空間認識」、遠近法に限らない意味での「パースペクティヴ」)を無意識に(か意識してかは作者に聞かないとわからないけど)「再現」(かリノベーションか)しているという主張ですよね。横移動のTVゲームが、島国では「ごく自然に」生まれた。

 ところで、ドラクエ(1986)の俯瞰マップについて言えば、あちらに似たものがまったくなかったわけではない。オリジナルDQがUltima III:Exodus(1983)にインスパイアされたものであることは、論を俟たないでしょう。なおExodusはポニキャニがファミコン版(1987)にリメイクしたものが、「恐怖のエクソゲー」として知られており、監修した秋元の黒歴史化していることは周知の事実です。

 また、本筋と直接は関係ないですが、ドラクエ(Dragon  Warrior,1989)があちらに熱狂的に受け入れられている事実は当時も今もありません。それがコンテンツに起因するのか、ローカライゼーションの不手際、商業的に進出を失敗したせいなのかはわかりませんが。

 今や売り上げの大半を海外であげるFFシリーズも、あちらで受けるのはだいぶ後になってから。オリジナルFF(1990)はNESで、次作は島国のFFIVを"FFII"(SNES、1991)として、ひっそりとリリースされた。当時あちらに住み始めたあたしは、おもちゃ屋(ゲームショップには売っていなかった)で、「ファイナル・ファンタジーください」と何度言っても、店員のあんちゃんに通じなかった苦い記憶がある。悩みぬいて「ファンタシー」と言ったら通じた。なんなんだよ。(発音悪かっただけだろう!)

 講演している彼は触れていないけど、この発想にたてば、TV(ヴィデオ)ゲーム史の流れがある程度読み解けるのではないかと思います。もちろんビジネスの世界は複雑極まりないので、これ以外にも様々な要素が入り組んでいるはずですが、とりあえず仮説として。

 USのTVゲーム産業は、アタリ・ショック(1983-1985年の売上高減少を指す場合が多い)の影響でいったん壊滅的打撃を受けた。
 島国や欧州には「産業」そのものがまだ存在していないと言ってもよかった。

 TV(ヴィデオ)ゲームに用いられるソフトウェアおよびハードウェアにはテクノロジーの制約があった(3Dモデルを駆使できるようになるのはまだ遠い世界だった)ので、(やむを得ず)「横スクロール」のゲームが生まれた(スーマリ、1985年)が、それは島国であって、あちらではなかった。ゲーム中興の地は、しばらくの間、島国である時代が続いた。(USにおけるNESの販売開始は1986年)

 21世紀にはいり、島国市場が大幅に縮小(ざっくり言えばファミコン世代が単に「大人」になったつうことも一因でしょうか)。世界的には3Dモデルを駆使したゲームが全盛となって、ヴィデオゲーム開発の中心地は太平洋のあちら側(US)に移った。
 ベストセラーが百万本セールスだった時代から、一千万本(テンミリオン)以上のビッグゲームが生まれる時代になった。カジュアルが手を出し始めたこと、また市場が島国、US、EU以外に拡大していることの相乗効果だから、当たり前っちゃ当たり前ですけど、「カジュアルが手を出し始めた」という点には、パースペクティヴ問題が大きく絡んできますね。

 繰り返すと、中興期(1980年代後半から1990年代終わりまで)には、ハードウェアの制約を克服するために(悪く言えば、やむにやまれず)生まれた島国の「横スクロール」ゲームが一世を風靡した。一方、海の向こうでは、アイソメトリック・ヴュー(斜め見下ろし視点)によって、(遠近法パースペクティヴが実現できない)欲求不満を克服しようという試みが続けられた。その延長線上にあるDiablo(1996)、Baldur's Gate(1998)が当時としては大ヒット作品となるが、まさにこの時代にピリオドを打ったといえるかもしれない。

 マシンパワーの強化に伴い、コンソール機ではPlay StationおよびSega Saturnのリリース(時期はいずれも島国1994、US1995)を嚆矢として、「クリスチャニティの遠近法パースペクティヴにのっとった」精緻な描写が可能となってくる。

 全盛期(2000年代から現在)には、その流れが一気に拡大し、FPSに代表される「一人称」ゲームまたはアクションゲームやRPGで多用される「疑似一人称」(肩の上から視点の三人称)を用いたゲームが「主流」となっていった。一方で島国製は、一部例外を除き(ICO(2001、PS2)とか?)、ごく限られた著名タイトルのシークエルしか世界的な成功を果たせなくなった。

 要するに、あくまで「世界」(少なくともヴィデオゲームが普及している地域)では、クリスチャニティ含む一神教的、よって個人主義的、すなわち遠近法的なパースペクティヴを好む人々が圧倒的に「主流」だということです。
 その最たるものがVRなのかもしれない。(もちろんAV需要があるから、島国でもバカみたいに異常に売れるんじゃないかと思いますけど。いや、なんであたしが買うんだよ、誓って予約なんかしてねえよ! それよりも、ミニファミコンまだ手に入らねえ、日本死ね)

 そして、このパースペクティヴ問題には、使用言語(ネイティヴ・ランゲージ)問題が強烈にかかわっていると、あたしは信じておりますし(注)、そうであるなら、遠近法パースペクティヴを自然に生み出す言語使用者たちと、島国人が同じ土俵で勝負しても、永久に勝てないことは明らか。遠近法ネイティヴと戦っても無駄という結論になる。

(注)例えば、(言語学者・大野晋氏によれば)島国語には一人称(我)と二人称(汝)を示す語が夥しくあるが、インド・ヨーロッパ語では、基本ひとつづつ(英語では、"I"と "you")か、せいぜい二人称ふたつ(独語では、"ich"と"du"および"Sie")である。我と汝の間に明確な区別を持たない(双方がウチ扱い)か(島国)、区別を持つか(汝は基本ソト扱い)の違いによるもので、上述の記事で示されている視点の問題と密接に関連していることは間違いない。島国語ではさらに「どうしたの、ボク?」、「おのれ、何をする!」などと、相手の一人称であるはずの語を、相手への呼びかけ(二人称)に用いても特段違和感がない。

 とはいえ、今のうちならポウケモン!も、スーマリも、まだ運よくあちらで受けている。
 忌々しいことに、FFホスト(略も、すでにファイヴ・ミリオン出荷を確保したとか。
 やべえなあ、ラストチャンスのME:Aがますます追い詰められた・・・、というのは置いておいて、島国コンテンツも「視点」の違いでまだいける気がするんですけどね。

 ま、他人事ですけどね。
 だからってFFホストにお布施払う気は今のところないけど。(テン・ミリオン行ったら、さすがにちょっと試してみるかもだけど)

 なお、余談ですが、上述の記事中で引用されている遠近法の画像。 

G16
 典型的な西洋のお城の写真だそうです。

 どっかで見たことあると思いません?

734
 これこれ。DAIのオーレイ。

7688_2
 ちょっと視点をずらすとこれ。

 すまん、ゲームに入って取り直してくるほど酔狂じゃないんで、膨大な保存映像から探して、切り取って済ませてしまった。そんだけでも大変な手間でしたが。

「パースペクティブでデザインされた空間というのは、横に動くと空間が歪んでしまいます。つまり、空間が歪んでしまうので横に動けない。」
(ここでいうパースペクティヴは、「遠近法」、「透視画法」の意味)

 講演の彼が言うまったくそのとおりで、横の視点移動に自由はないんですよね。また向かって正面には行けないんだから、いくら風景を頑張って描いたって、銭湯の壁絵(登れないマウント・フジ)と何も変わらないんですよ。だから、主人公が動ける範囲を狭く制限してしまっている。結果、コスモポリタン・シティー、大帝都オーレイであるはずなのに、めちゃくちゃ狭いイメージだけが残ってしまった。

 頼むぞ、ME:A。ドント・レット・ミー・ダウン!(VO:ランド・カルリシアン)

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