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2016年11月

2016年11月29日 (火)

主人公の「発見」

 産経新聞に毎月掲載される石原教授の「文芸時評」。
 個人的に見逃してはならないと考えている数少ない記事ですが、「古典的」な作品ならともかく、最近の島国の小説は(一部ラノベを除いて)まず読みません(笑)。
 悪いがこっちもそこまで暇ではない。
 
 アップデートな文芸情報を知りたいとか、そうではなく、業界のいたるところに喧嘩をふっかける教授のレネゲイド振りが清々しい(だから掲載紙が産経なのかもしれない)。特に「芥川賞」など文学賞受賞作(あたしは決して読みませんが)の選評に対する情け容赦ない攻撃が素晴らしい(たとえば数か月前の「コンビニ人間」の選評に対する記事)。そして毎回ではないが、今回のような「あっ」と気づかせてくれるネタもまた期待しているわけでして。
 
http://www.sankei.com/life/news/161127/lif1611270028-n1.html
 
「日本文学は主人公という概念を持っていなかったから・・・」。
 
 きましたねえ。「主人公の『発見』」ですねえ。ここから「島国製RPGの主人公論」につなげることはたやすい。もう、わざわざ書かなくてもいいくらい(笑)。ま、ちょとだけ書くけど。って、ちょちょ、帰るのは早い、ちゃんと書きますって!
 
 P5を例にとれば、島国伝統(発祥ではない)の「無言の主人公」をいまだ貫いていることがわかる。 実はBioWareのDAシリーズも、DAO(2009)までは(BGの流れを汲んで)「無言の主人公」(The Warden)であったのだが、DA2(2011)では「雄弁な主人公」、固有名詞(ラスト・ネーム)は固定(Hawke)の主人公を導入したのであった。
 
 当時はオールドスクール派(守旧派・固陋派、あちらのRPG界の儒者みたいな連中、といっても「博士」のほうではなく、「腐儒」(腐れ儒者)、「陋儒」(あまちゅあ)、「似而非博士」(えせはかせ)、すなわち白眼視されるほうのあれ)が大騒ぎとなって、主人公が勝手にしゃべると「イマジネーションが損なわれる」とか、イマジネーションのかけらもないような奴らが叫び、ヒューマンしか選べないとはどういうことだ、Hawkeとはなんぞや、まるで和製アニメではないか、バカにするなと、言うに事欠いて人種差別まで織り込んで猛烈な怨嗟の声をあげたことも、もはやほとんど忘却のかなた。ちなみにあたしはオールドはオールドでも「オールドタイマー」(時代遅れのじじい)ですので、一緒にするな。
 
 そのオールドスクール派の包囲攻撃に、一人立ち向かったのは、今は亡き(死んではいない)ゲイダーさんであった。その孤軍奮闘ぶりは、カスター将軍の第7騎兵か、バストーニュのUS101空挺か、はたまたナム・ドンのグリーンべレーか。
 その屍を踏み越えて(死んではいない)、次回作DAIでも、種族によって異なるとはいえ固有名詞(ラスト・ネーム)を有した(DAOに回帰)、雄弁な主人公(The Herald/Inquisitor)が踏襲されることになった。
 
 オリジナルME(X360版2007、PC版2008)のほうがDAOより前にリリースされていて、かつ、主人公にはShepardという固有名詞がつけられており、かつ、めっちゃ喋っていたにも関わらず、DA2のような大騒ぎがなかったことこそ、オールドスクール派の無軌道、無節操、腐れぶりを証明しているのは間違いない。ごく簡単なロジックの流れからして、「ME? あんなのだめだめ、正統派RPGじゃない」という発想が奴らに支配的だったことは、容易に演繹されるであろう。(また、当初X360版のみのリリースであったため、オールドスクール派ともろ被りしていた「PC至上主義者」たちの怒りを買っただろうことも、十分に推測できる)
 
 さて、教授が引いている坪内逍遥の「小説神髄」だが、「主人公の設置」のところだけ読んでも、あんまり(この記事の)得にはならない。とはいえ、ものはついで、取り敢えず引用してみましょう(岩波文庫版)。
 
(引用はじめ)
 主人公とは何ぞや。小説中の眼目となる人物是れなり。或ひは之れを本尊と命(なづ)くるも可なり。主人公の員数(かず)には定限なし。唯一個(ただひとり)なるもあり、二個(ふたり)以上なるものあり。されど主人公の無きことはなし。蓋(けだ)し主人公欠けたらむには、彼の小説にて必要なる脈絡通徹(みゃくらくつうてつ)といふ事をばほとほと行ふを得ざればなり。
 主人公に男女(なんにょ)の別あり。男性なる者を男(お)本尊といひ、女性(にょせい)なる者を女(め)本尊といふ。それ小説は人情を語るものなるから、おのづから男女(おめ)の相思を説かざるを得ず。是れ小説に男女の本尊ある所以(ゆえん)なり。(引用おわり)
 
 一読されれば、何を今更、全部当たり前ではないか、そうお感じになるのではないか。お感じにならないお方は、存外小説なぞ読まれたこともないのでせう(なんで、あたしまで旧かなづかひ?)。
 
 なおここでいう「脈絡通徹」は、今でいうプロットのコヒレンシー、コンテニュイティ、コンシスタンシー、つまり首尾一貫の意味に近い。著者はこれに大変重きを置いている(今となっては当たり前のことですが)。また「人情」は、情欲に限らず、広く煩悩全般を指し、小説の主脳(主眼)とはこれを活写することにあるとしている。
 
 明治十八年から十九年にかけて九分冊で刊行されたこの著作は、この島国の物語について、それまでの馬琴に代表される荒唐無稽な(主として勧善懲悪の)戯作の世界から、人情と世態(世情風俗)を活写する近代の小説(novel)へと改良進歩を企て、ついには欧土(ヨーロッパ)の小説を凌駕し、音楽、絵画、詩歌と並び称される美術の先頭に立たせようという、意気込みの現れであった。
 
 維新の時代に一時期衰えを見せていた小説は、この頃復興して全盛期を迎え(活版印刷テクノロジーの普及が理由という説あり)、夥しい数が出版刊行されていたが、その類は、専ら陳腐(ふるめか)しく、過去の作品の糟粕(のこりかす)、贋作(ぱくり)か翻案(こぴぺ)。当時の知識階級は、稗史(小説のこと)なんぞ「アホらしくて」読むに堪えないと眉を顰めた。これではいかん、アタリ・ショックが来てしまう、この著作は、そういう危機感の現れでもあった。
 
 残念なことに、石原教授のいう、「日本文学は主人公という概念を持っていなかった」というテーマが直接参照できるところは次の一か所のみ。
 
(引用はじめ)我が国の小説には主公と主公ならざものとの区別判然せざるも多し。(引用おわり)
 
 むしろそのとおり過ぎて、詳しく説明する必要もない、と考えたのだろう。よって上の引用文にもあるように、(小説には)「ヒーローとヒロイン(その少なくともどちらか)が登場するのです」なんて、今どき小学生でも知っているようなことまで、わざわざ断らなければならなかった。
 
 などと、調子に乗って引用文で中身を膨らまして書いていたら長くなってきた。RPGの主人公については、次回に。
 とは言っても、あたしは明日からまた出張だから、さっさと考えをまとめる気ではいるのですが、次回はいつになることやら。 (あれ、書くまでもないとかいってなかったっけ?)
 
 なお、RPG(という物語形式)とは直接関係ありませんが、教授が記事内で「物語的主人公」と「小説的主人公」に区別することを提案している二類型について、あたしは大昔に教師から、「劇的小説」と「つぶやき的小説」に区別できる、と教わったことがある。完全には重なり合わないが、かなり似た発想に基づいているのではないかと思った。
 
 また、最後の方で大森望が出てくるのはどうでもよいのだが、むしろあたしが気になってはいたものの手に入れずじまいであった「日本語に主語はいらない」という著作について、教授は条件つきながら「示唆に富む好著」と評している。そのまさに「条件つき」の部分にも、こちらは共感するのでした。曰く、「『英語は主語を明示しなければ動作主がわからない、なんて不便な言語だろう』と感じるところまでいかなければ。」
 この本を調べてみると、なんと2002年の刊行であった。どうして今、脚光を浴びているのか。あたしのAmazonのページのてっぺんには「推奨図書」としていつまでも載っている。
 こうなったら読むしかないのかもしらん。
 

2016年11月26日 (土)

大人の塗り絵?

 あの、北の沙漠の名前(the Hissing Wastes)が思い出せなかったので、超久しぶりにDragon Age Wikiを覗いてみた。
 そっちの問題は解決したが、ふと見ると、Dragon Age Comicsの話題が?
 10月のユーザー・ブログなので、ずっと見逃していたことになる。
 Mass Effectのコミックスのネタと同時に公開されているのに・・・。
 やっぱ、ニュースは原典にあたらんといかんですね。
 
http://dragonage.wikia.com/wiki/User_blog:Evamitchelle/New_Dragon_Age_Comic_Series
 
元となるIGN記事はこちら。
 
http://www.ign.com/articles/2016/10/03/nycc-2016-dark-horse-will-release-new-mass-effect-dragon-age-comics-in-2017
 
・2017年4月に、Mass Effect:Discoveryが登場!
 (物語はマック・ウォルタース他BioWareライター衆)
 
・2017年5月に、Dragon Age: Knight Errantが登場! (物語はあたしの知らないコミック作家)
 
 そして、Mass Effect Adult Coloring Bookが、2017年3月1日発売。
 (Andromeda Art Book はご承知のとおり、例の「3月21日」発売)
 さらに、Dragon Age Adult Coloring Bookは、2017年2月8日発売。
 
 アダルト・カラリング・ブックって、なんだろう? 大人の塗り絵?
 大人が塗り絵するの?
 
 でも、IGN記事についているMEのそれの表紙絵は、まったくそのように見える。
 そんなのが流行ってるのか、あっちでは!
 
 さっそくAmazon.comで検索してみますと、出てくるわ、出てくるわ。アマゾン自身も販売している。ゲームのものなどより、抽象的な絵柄のものが多く、あるいは木の葉とか花とかちょうちょとか、どうぶつのものが多い。
 
 先生、これはどういうことでしょうか?
 そこではっと気がついた。これは「癒し」に使うものだろうと。
 やはり21世紀の西欧社会は、クリスチャニティ社会は、「病んでいる」、「膿んでいる」のか。
 こんなのが「癒し」として人気になっているなんて・・・。
 
 Wikipedia(en)で調べてみると、"a form of adult therapy"、セラピー用途であり、2010年代に入ってから人気を博しているとのこと。「瞑想」の代用になるとも。
 
 西欧人が「瞑想」することは難しい。それについて、最近読んだロラン・バルトの「表徴の帝国」(ちくま文庫)に記述があった。島国語の「主語」に関する話題であり、エクリチュール(表現体)という概念で有名なバルトの文章(元は仏語)であるので、ちょっと入り組んでるが引用してみる。
 
(引用はじめ)
 ここで問題なのは、フランス語が思い抱かないものを思い抱く、ということであるため、さらに根源的な話になるが、主語をもたず同時に属詞をもたず、しかも他動詞である動詞、たとえば、認識する主体をもたず同時に認識される客体をもたない認識の行為、これをどうすれば西洋人は想像することができるのであろうか。しかし中国の禅(チャン)、日本の禅の起源たる、ヒンズー教のディヤーナーを前にしたときの西洋人に要請されるのは、その想像力なのである。ディヤーナーに主体と神とを導入しない限り、ディヤーナーを<瞑想(メディタシヨン)>という言葉ではっきりと翻訳することなどできはしない。主体と神とを追っぱらうがいい。またぞろ、それらは舞い戻ってくる。西洋語の上に打ちまたがって。
(引用終わり)
 
 訳注によれば、仏語のメディタシヨン(英語ではメディテーション、meditation)とは、もともとラテン語の「反省する」に由来するとのことで、必ず対象と主体がある。「瞑想」はもちろん「反省」ではない(ことくらい島国人なら知っているはずだが)。他で調べてみると、メディタシヨンは、仏教でいう「内観」に近いとのことである。
 
 MEやDAのコミックが出たら目をつぶって買ってしまう(でも後から文句は言う)、いくら筋金入りのBioWare亡者(「信者」は崇拝する対象に文句を言わない。また文句をいうやつを生かしておかない)のあたしでも、ちょっとこれは引く。
 
 自分が「病んでいない」というつもりはないが(現代に生活して、どこかしら心か体(または両方)が病んでいなければ、最初からアダルトとは言えない)、病んでいる他人を想像するのがイヤ。一心不乱に(それこそが「瞑想」なんですけど)、表紙のサマラ(そういえば、彼女こそ作中で「瞑想」を日課としていたキャラクター)の絵とかをクレヨンで塗っている人の姿を想像するのがとてもイヤ。
 
 第一、ゲームをプレイすること自体が「癒し」じゃないのか?!

 よって、これには触らんで、そっとしときます。

【ME:A】22とは?

 37とか、2ゾロとか、最近のゲーム・ライターは、なんとか数を切りよくしようという努力もしないのか。それとも、その場から永久に逃れることのできない規則を意味する、「キャッチ・22」にでもひっかけているのか。
 
 http://www.gameinformer.com/b/features/archive/2016/11/24/22-random-tidbits-about-mass-effect-andromeda.aspx
 
 GIのこのページ、開けるとまたあのクロミちゃんのニタリ顔が出てきてイヤな気分になるんですけど。
 
 思いついた順、22の小ネタ集ですか。
 全部はやりません。過去に公開されたネタとかぶってるのもあるし。あたしの心に引っかかったもの。
 
3.アサリ船(アーク)の脱出ポッド。
 
 You find clues about what happened to the other arks. For instance, as you locate asari escape pods, you learn more about what happened to them and their ark, and that thread is eventually resolved in a mission.
 
 あたしゃ、クロミちゃん(ピービー)はそれに乗ってたのかと思ったのだけど、違うんですかね。
 完全にアヴァターのあれ化してるので、脱出後にひとりきりでジャングル(か森林?)に長く棲んでたのかと。
 それとも、それぞれの種族のアークに、別種族のリエゾン(連絡係)、アンバサダー(大使)やアタッシュ(大使の随行員)がいたりすんのかな。
 
 なにしろ食ってるメシが違うんだから、バラバラな種族の大勢を同じ船に混ぜて乗せることはない、てのは最初からわかってましたけど。ノルマンディーくらいの少人数ならなんとかなんでしょうけどね。16.の記述では、「(ハイペリオンには)2万人のヒューマンが冷凍睡眠中」みたいなことを匂わせている。立派な「街」、というか「都市」ですね。
 
11.ここは ウォルタースのセリフだけでも全部いきましょうか。大事なところ。
 
「コンテンツを豊富(rich)に、かつ、BioWareのクオリティ・スタンダード(品質基準)に合致させることを念頭においてきた。信じられないかもしれないが、ここまでデカイ(massive)ものであるにも関わらず、スコープが広がりすぎないように、できる限り心がけ続けてきた。それによって、それぞれのエリアのクオリティを維持し、それぞれがメモラブルになる(忘れられない、記憶に残る)ようにするためだ。それこそ私が何度も使う言葉なんだ、「その場所をメモラブルにしたい」とか。例えばあの白い惑星とか、あの青い惑星とかじゃダメなんだ。その場所の名前や、出会ったキャラクターの名前を憶えてほしいのだ」
 
For players worried the scope expansion will dilute the experience: “The key for us has been ensuring that the content is rich and up to BioWare quality standards,” Walters says. “Believe it or not, as massive as this is, we’ve actually continued to restrain the scope as much as possible so we can bring quality to each of these areas and make each one memorable. That’s a term I use a lot – I want these places to be memorable. I don’t want it to be like, the white planet, the blue planet – I want to remember the names of the locations and the characters I meet.”
 
 ・・・。
 母さん、あの、オーレイの北のほうに広がっていた沙漠。あの沙漠、なんて言いましたっけね。
 母さん、あれはとても広い沙漠でしたよ。僕はあのときずいぶん苦労した、
 だけどマップを隅々まで開けないと気が済まないもんだから。 
 
 母さん、あのとき若い猟師と出会いましたっけね。あの人の名前、なんて言いましたっけね。
 母さん、あれだけさまよい続けた広い沙漠の、今ではもう、名前も思い出せないのですよ。
 今ではもう、あの人の名前も。
 
 コメントいただいたように、日本語版では「音無しの砂漠」、英語では"the Hissing Wastes"(ようやく調べた!)、直訳は「しゅっとした沙漠」(違うわ)、「しゅっという音がする沙漠」。「音無し」はいい線いってますね。
 
 「メモラブル」って、元GameSpotのレヴュアー、ケヴィンがよく使ってた気がします。"fun and memorable"が彼にとってレヴューの基準だった。
 なんかでも、「マッシヴ」のほうにばかり気が行って、どんだけ広いんだよー、全部が音無しの砂漠みたく広いんじゃないのー?と心配になるばかり。
 
12.スコット・ライダー(デフォルトの男性主人公名)のデフォルトの顔かたちは、ケーシーに似ている?
 
Think the default Scott Ryder looks a bit like original Mass Effect project director Casey Hudson? It’s not intentional, but the team thinks it’s a funny “ghost in the machine” moment.
 
 似てるか? そいつは気がつかなかった、というか、似てねえよ?
 
13. ここもウォルタースのコメント。「みんなが過去にプレイした内容をチャイ(invalidate)にはしたくなかった」。これ赤、青、群青色もとい緑のことも言ってるんですかね? それって相当難しいと思うのだけど。こっちの銀河系をチラ見させるくらいなら、ともかく。
 今回は、旅立ちがME3(リーパーズ襲来)よりも前で、こっちの(地球があるほうの)銀河にはコンタクトしないいうてましたから、首尾よくその問題には立ち入らないで済むようになった、というか「した」んでしょう。
 ま、あのエンディングにはウォルタースも絡んでいたのだから、「あっしにはかかわりのねえこって」と言わず、始末つけてくれると信じたい。信じましょう。信じるしかない。
 
“We didn’t want to invalidate anything that people had done in the past, and we wanted to make sure everyone feels like they can be onboard, whether or not they have played before,” Walters says.
 
 
15.あちらにも、火打石的なものがあるんですかい、おまいさん。
 つても、お静さんが平次の出がけにカチカチやるんじゃなくて(切り火といいますが、江戸時代にあの風習はなかった説もあり)、パパが、息子の出がけになでさせる(rub)ものみたい、いや、息子そのものじゃなく。下ネタ禁止だお!
 
As you leave the Ark for the first time, your dad wants you to rub a good-luck rock on the way out.
 
 ちうことは、おとっつあんは生きてんすね。「主人公がアークからはじめて外に出る」時点で。するってえと、こりゃ物語の中では死なないてことですかね。「スコードメイトもシップクルーも死なない」つうんだから。
 よかった。「大事な人が死ぬ。そのほうが感動的だから」(手塚治虫)には、もう辟易していますので。
 
 MEヴァーマイアも、DAOジョイニングも、DA2ロザリングも、みんなキライ。あたしの場合、あれが周回を躊躇する最大の障壁になっちゃうんですよ。DAIにはなかったけど、最後、禿が抜けるのがどうにもね。いや髪の毛が抜けるんじゃねえよ、髪の毛は最初からねえんだよ。
 

2016年11月24日 (木)

【ME:A】神は細部に宿る、かな?

 お客さん、この話のネタは「なんだよ、結局DAIと一緒じゃねえかい!」なんですけどね。それについて困ったことがありました。
 
 先日Mass Effectシリーズは、9年目の誕生日(11月20日現地)かなんかを祝ってたのね、あたしはパーティー呼ばれていないけど。ま、あれ(オリジナルMEの衝撃)から、思えば遠くへ来たもんだ、ずいぶん経ちましたねえ、と感無量ではあった。
 
 同じように先日、DAIが生誕1年の誕生日(11月18日現地)だって言ってたのさ。それにも呼ばれてないつか、それはいいんだけど、驚愕したことには、むしろもうあまり中身を覚えていない・・・。(MEのように一作目DAOから数えねえのかよ、というのは置いておいて)
 
 だから、ここは先途とコテコテのDAIネタで攻めようと考えていたんだけど、もうゲーム内の固有名詞がすぐに出てこない(あの北のほうにあった沙漠なんだっけ・・・)。
 
 芸人としてはとっさに固有名詞が出ないともうおしまい。ひな壇にも呼ばれない。ジ・エンド。「セレブの女かよ!」ではダメで、そこは「神田うのかよ!」でなければ絶対にいけない。基本です。
 そこは「浮かれまくって浮きまくった新婚夫婦かよ!」ではなく「紀香とあいつ、えーと、あの(わかったから、もうやめよう
 
 http://www.gameinformer.com/b/features/archive/2016/11/23/six-fun-activities-to-pursue-in-mass-effect-andromeda.aspx
 
 いやね、あたしも「新情報だ、わーい」と思って、飛びついたわけなんですよ。「六つの楽しいアクティヴィティ」って、ひとつやふたつじゃなくて、いきなり六つもかい! シックス・パック・オヴ・ビアー、フーリー・ローデド・リヴォルヴァーかい!
 
 て、こいつもきっとどっかに島国語訳があんでしょうから(前は記事にするにはしこしこ全部訳してたんだが、たった数年で楽な時代になったもんだ)、こっちは興味あるところだけネタにすりゃあ、記事いっちょあがりだと、まあそう踏んだわけでしてね。
 
 ところが、蓋開けてみたらあれだ。
 
1.Loyalty Missions
 
 ME2のローヤリティ・ミッションが復活だ!
 
 それ、もういうてたやん。37個のなんとか、女本厄、カブならブタのIGNの記事で。
 
 しかも、確かにME3にはなかったけど、あんな出会いがしらにアライアンス艦隊が丸ごとひとつかふたつ吹き飛ばされたような、切羽詰まったシチュエーションで、悠長に「部下の忠誠度を計る」とか、ありえないっしょ。あの、えー、ジェームズなんて最初反抗してたのに、そのうち勝手に仲良くなっちゃうし。
 
 そうではなくて、ME2で獲得した忠誠(の有無)に従って、かつてのクルーがゲストとして出てくるかどうかちゅう、(あたしにとってはかなりイケてる)趣向だったわけでしょ?
 むしろ、「DAIインナー・サークルの、あの忠誠度ミッションが戻ってきた!」というコピーが頭にちらついて仕方がない。あれならちょっといらない。
 
2.Navigating With The Nomad
 
 謎に満ちた広大な大地を、新型ノーマッドで駆け抜けよう! (リモコン版かダイカスト製か選ぶのは君だ!)
 
 これ自体は確かに楽しみではある。オリジナルMEのMAKOだって、山さえ登らされなければ、あれはあれで疾走感があって結構楽しかった。むしろその山登りを克服するためみたいに追加された、なんだっけ(固有名詞が)、あれ、あのME2のDLCの、ハマーヘッドか、あっちの操作のほうが結構ストレス溜まるという気もしたし。
 
 ただし、ここで気になるのは「個々の惑星の広大なマップ(レヴェル)」のほう。ノーマッドを必要としない(むしろ使う選択のない?)「小さな」惑星もあるというが、操縦が必須なマップって、一体どんだけ広いのだろうか。
 
 DAIのマウント(おんまさんとかジャイアントナグとか、あと・・・、ジャイアントナグとかの動物の乗り物のこと)は、ほとんどの場合は(アクセスできる道が狭すぎて)大都会の渋滞した道路をバイク便がすり抜ける程度のスリルしかなかったが、あの北のほうの沙漠(もう名前調べるのも億劫だ)のようにめちゃくちゃ広いところでは、確かに探索に役にたった。というか、端的に広すぎた。あんまし広いのもなあ・・・。
 
3.Tracking Down Drop Zones
 
 ドロップゾーンを確保せよ!
 
 まあ、主人公はパスファインダーですから、なんつっても。 アーンヘムの死闘(レッド・デヴィルズ、英第一空挺師団(一部))だろうが、ヴェトナム戦争(LRRP)だろうが、PFとDZとは対。
 でも覚えていますか。あたしはうろおぼえだけど、確かDAIでも、インクイジションの陣地(キャンプ)かなんかを発見して確保することが重要であった気が・・・。
 しかもDZ探索にはノーマッドが必須みたいなことも書いてあるので、かなり意地悪な場所にあるとか。断崖絶壁の上とか? 地図には載っているのに、どう考えてもアクセスできそうにないのとか、ひとつやふたつなら我慢できるけど、そればっかりはやめて。
 
4.Taking Out Enemy Bases
 
 "All your base are belong to us!" 「君達の基地は、全てCATSがいただいた!」
 
 インターネット黎明期、メガドラ・ゲームの翻訳版でどっかの島国のアホがやらかして一気に世界中に拡散し、「島国人って、めっちゃ英語下手やね」をカンペキに印象づけた、プアなローカリゼーションの金字塔。"Bravely Default"(和製英語だけど島国人にも意味不明)なんてまるで目じゃない。
 
 それはともかく、 なもんDAIにもありましたよね。要塞攻略とか、拠点占領とか。
 というか、「敵」ってだあれ?
 ネイティヴ・インディアン臭(またはポカホンタス臭)をゼッタイに出してはいけない、あとアヴァター臭も。カナディアン・リベラリズム、マルタイ・カルチャリズムのお点前拝見というところでしょうか。違った、お手並みか。
 
5.Epic Optional Fights
 
 スレッシャー・モーがかわいく見えます。
 
 スレッシャー・モーこそ復活してほしいけどなあ。出ないのかなあ。アークに積んでいないのかなあ(アークって「ノアの方舟」じゃないの?)。
 これはDAIでいうところの、ドラゴン・ハンティングでしょうか。アーケイン・ホラーとかのやっかいな中ボスでしょうか。
 それとも、うっかり油断してると手に負えなくなる、やたらそこらへんをうろつく森のクマさんか?!
 
6. Scanning
 
 シャード集めはやめろ。話はそれだけだ。
 
 DAIの素材集め(植物集めはあったけど、鉱物集めもあったっけ?)もあれですけど、むしろME2のリソース・スキャニング(およびマイニング)は、あそこまで悪評が出るとは思いませんでした。程度を知らずにやり過ぎる奴らが多すぎたってことですよね。銀河中の資源枯渇させるとか。
 
 あたしは結構好きでしたよ。ただし、エレメント・ゼロとか、もうちょっと楽に買えるようにしておいてもらえばよかったんだけど。
 ME3では、ピンポイントのターゲティング・ゲームになって、ちょっと薄味になっちゃったんでしたね。
 
 ただし記事の書きぶりだと、「クラフティングはスキャニングの成果物の一部だ」みたいなので、むしろナレッジ(CODEX)集めとか、そっちに力点を置いているのかもしれません。ていうのもDAIにもあったんですけど。
 
 ということで、 なんだよ、結局DAIと一緒じゃねえかい!
 
 いやいや、神は細部に宿るという。
 
 ここまでくると、AAAタイトルは全部どこかしら似てくるんですよ。ましてや同じRPGジャンルですから。素材や骨格は一緒でも、味付け、恰好よく言うと筆致(タッチ)の違いで、まるで別のものになるんですっ! なるんですからっ!
 
 DAIと同じ、EAマーケのわけわからん奴らが口さえ出さなければね・・・。 
 
 祈りましょう。祈る心を忘れずに。
 もはや、あたしたちには祈ることしかできません。

2016年11月23日 (水)

二鳥じゃダメなんですか?(P5サントラ編)

 これは12月早めに出してほしかった。
 変な企画ものの、あれにひきづられたんじゃねえだろうな?
 
 年の瀬の師走、今年も出張がようけ入りそうなのよ。「えー、クリスマスが・・・」とか言っても「え、なにそれ関係あんの?」と言われて、基本無視されます。
 機内映画にロクなのなさげなんで、110曲3枚組あるなら、ウォークマンで延々と聴いてられたんじゃんか。
 
 あと、逆に暮れ正月には大してやることないから、TW3やる片手間に(おまえゼッタイやらんだろう!)、原歌詞チェックして翻訳直しもできたんじゃんか。
 
(それで「一石二鳥」って、今までになく相当苦しくないか?)
 
 1月17日発売。110曲3枚組。ぶつぶつ言いながらも、そっこー予約。
 
P5cd
 ジャケットに、あのイケすかないメンズがいないことを指差呼称、よーし!
 赤いのなんだろう、と思ったらネコ(モルガナ)なのね。
 
 つうか公式歌詞がついてなかったら返品する。
 だって、それだったらデジタル購入と変わんないもん。
 
 3枚組110曲たって、中身は、まあね・・。
 ほぼ全額、お布施(渡すほうの、仏教的に)、お賽銭(投げるほうの、神道的に)、お年玉(あげるほうの、民間信仰的に)。
 
※ なお、お賽銭の「賽」は、「塞」(さえ、村落・集落の境界、道路に祀られた土神)に供え物(「貝」で表す)を与えること、すなわち「土地の道祖神(守護神)を祭る」の意でもあるので、かつては「民間信仰的に」であったことは、島国の民として忘れてはならないであろう。神社の賽銭はそれが神道化したもの。また賽子(さいころ)は、もともと神占の道具であったことは言うまでもない。
 
 三途の川にあるとされる賽の河原もまた、元は「さえ」の河原である。親に先立って死んだ子らがここを訪れ、親不孝の罪を償うため石を積み、塔を完成させれば親の供養となるというのだが、完成間際には必ず鬼がやってきて石を崩してしまうので、努力は常に徒労に帰すという。ここでは、何度も何度もいぢっても、不具合のため必ず元に戻ってしまうDAKタペストリーの忌まわしい記憶を想起せずにはいられない。
 
 早世した子供たちを最終的に救済するのは地蔵菩薩と言われているが、「さえ」が意味する土神(道祖神)と、この菩薩が習合したものが、いわゆる「お地蔵様」であり、その名称こそ仏教に由来するとはいえ、本来的には民間信仰のなごりである。
 
 ことほどさように、余計なことを書くとつまらない注釈が増えて面倒である。

2016年11月21日 (月)

二月じゃダメなんですか?(P5英語版ディレイ)

 えー。
 
 P5の英語版、2月14日のヴァレンタイン・デイ(現地)にリリースだって言ってたのにーっ。
 
 http://www.gameinformer.com/b/news/archive/2016/11/16/atlus-delays-persona-5-north-american-release-to-april.aspx
 
 ME:Aのネタねえなあ、またBioWare/EA得意の「合」(注)にはいったか、と思ってGIをつらつら眺めていたら・・・。
 
(注)太陽系で言えば、地球から見て、例えば火星(外惑星)が太陽と同一の見かけの位置にある(つまり見えない)こと。内惑星(水星および金星)の場合は、太陽より近い場合「内合」、遠い場合「外合」というらしいが、あんまりつっこまないで。

Photo_4_7

 きれんだけど! 全部入り版とっくに予約してんの、どうしてくれる?!

 

 4月とかって、新学期はじまっちまうだろー! あの特典の、シュージン・エンブレム入りスクールバッグ、初日から持って行きたかったのにー!(いや、おっさん、頼むから外持ち歩くなよ!) 

 中でモルガナが、あんまり待ちくたびれて、干からびて死んじゃうじゃんかよー(最初から入ってないから! つうかオマケのぬいぐるみ(Plush)、明らかに最初から干からびてるから!)

 そんなあ・・・、明日をも知れぬ私たちレ(それ、そのネタ、もう誰にもわかんないからやめろって

 その代わりと言ってはなんですが、アトラスUSAが、お詫びに英語版のライヴストリームを流してやるからだそうだ。なんだか頭が高いな。(しかも、もう見れないし)

 どうやら、あちらでもあまりに期待が高まっているらしく、制作側の肩に力が入りまくっちゃったらしい。さぼって(ってことでしょう、島国語版にはあったのに、英語版では)パスして録音していなかった声優パートも録り直し、やり直しているとか。
 あちらのおざなりなQA(大抵アウトソーシングですかね)を信用しないってのは正しいんでしょうけど。

 ああ、こっちのページでプレイ画像(40分)は観れますね。どうでもいい、ねえちゃんとあんちゃんの声が入っていて、めちゃくちゃ邪魔臭いけど。

 http://www.gameinformer.com/b/features/archive/2016/11/17/rpg-grind-time-40-minutes-of-persona-5.aspx
 
 って、なんだよ、これまんま島国語版じゃねえかよ!
 せめて英語版の観せろよー!(だからそのライヴストリームは、お前見逃したんだって)
 
 あーっ、がまんできないよー! 早くプレイしたいよー!
 (ニ周もやって、おなか一杯だ言ってなかったか)
 
 いや、英語版は別腹です。あとニ周は行けますね・・・。
 ここ↓でライヴストリームの録画が観れますね。わけわかんないやつらが騒いでいて、うるさいけど。
 https://www.twitch.tv/atlususa/v/101466191
 

2016年11月17日 (木)

ネメシスとシヴァ

 前記事の「クマに会ったらどうするか」には、クマ(及びオオカミ)に関する記述はごくわずかで、岩波新書の売らんかな主義にまんまとのせられたわけですが、色々学びがありました(本書は「アンコール復刊」だったらしい)。

 実際は、「羊膜類」(地上で暮らすために必要な進化を遂げた種族、両生類を除き、今でいう爬虫類、鳥類、哺乳類を含む)の地上動物に関する著著なので、たしかに書名が「羊膜類」とか「地上動物」では売れないだろうなあ・・・。

 

 よって、お子ちゃまの大好きな恐竜も、羊膜類の重要な仲間とされるため、相当な分量で触れられている。その流れであたしも、"Jurassic Park"1993)のヴェロシラプター(ヴェロキラプトル)が、実は近隣種のデイノニクスをモデルにしていたという事実を、20年以上たった今更知った。スピルバーグが「いいねいいねそのネーミング、でもちょっと小っちゃいね!」と言ったので、名前だけ残してより大型のデイノニクス(の想像された姿)が選ばれたんだそうだ。

 もっとも新書は1987年の出版。数年後にリリースされた映画のことを著者が知っているはずはない。また略歴を見ると、出版の翌年に亡くなっているようなので、映画をご覧になる機会もなかったであろう。

 

 とはいえ、当時の恐竜研究の分野では「ほんとに爬虫類(のアナロジーで語れる)か?」、「卵で産むのか?」、「内温動物じゃないのか?」、「羽毛とか生えてないか?」、「集団で卵を守ったり、狩りしたりしないか?」、つまり「ほんとにしょぼくれた知能しかなかったのか?」というように、それまでの「定説」が次々と疑われ、ひっくりかえされていた。

 

  映画がリリースされた直後くらいに、ロンドンは大英博物館に訪れ、恐竜関係の展示を見たときも、映画(リリース時期は島国もUSも一、二か月くらいしか違いませんが、あたしはちょうどUSに住んでいた頃だったので、初日に映画館に並んで観ました)とタイアップしていたのか、今思えばヴェロシラプター(実際そう呼ばれる小型のほう)が群れ(!)の卵を集団で守っていた想像図とか、羽毛が生えてカラフルな彩りをしていた絵とか(鳥類からの連想でしょうね)、まあ、ほんまかいなというくらい、従来の恐竜のイメージを「ぶちこわし」にするような「学説」が色々展示されていた。

 

 さらには、蚊(に似た)生物の化石(映画でも、樹脂の化石である琥珀で包まれていたあれ)から、恐竜の血液(のDNA)を抽出して現代によみがえらせるというアイデアだって、そのまんま展示されていた。

 同名小説の原作者マイケル・クライトン(アメリカン)は、ただ、そういう学説をぱくって並べただけ。ドナルドなんて霞んじゃうくらい徹底した差別主義者(白人男性優位主義者)でもあったし、あたしはやつをサイファイ作家の仲間に入れたくない。

 

 もちろん恐竜のお話だけが延々と続くのであれば「恐竜」を書名にすればいいのですが、著者の専門は家畜学(比較形態学)。

 

 クマやオオカミの話もその一環ですが、途中から話題は哺乳類、そして陸上大型動物(現存しているのは主に哺乳類)に関する記述が増えていく。ちなみに、せっかく陸上にあがったのに、飽きたか、いぢめが怖かったか、あるいは「あっちにめちゃ空き地(生息空間)とか餌とかあるやん!」と思ったか、途中(何の途中かわからんけど)で海中に戻っちゃった連中もいるんですよね。

 

 爬虫類のカメならイメージもまだわかりやすいんですが、クジラとか、イルカとか、シャチがそう。水陸両用かせいぜい沿岸部に棲むアザラシ、またはマナティ(ジュゴンと似ているが違うやつ)などは、水中生活との離別が中途半端だという理由で陸上生物から除外されています。

 著者曰く、羊膜類と両生類(カエル)との決定的な違いは、「恋の季節の里帰り」(繁殖・出産時に、自分が生まれた水辺に戻ること)をやめたこと。それはひとつの革命であったといいます。両生類の卵は乾燥に耐えられない。水中生活と訣別するためには、周囲が乾燥していても安全に発育できる、羊膜の発生が必要であった。

 

 そうやって大型地上動物の話が中心になって進むのですが、最後にはまた恐竜の時代に戻る。この惑星上では、かっきり2620万年おきに生物の絶滅が起きていたという説(ラウプとセプコウスキー)が1983年に発表された。直前の絶滅は500万年ほど前。ご存じの方も多いでしょうが、「死の星」とよばれる推測上の天体(太陽の伴星)に関する話題です。

 

 太陽系は(オールトの雲と名づけられた)天体群によって球殻状に取り巻かれているという仮説があります。太陽の伴星(褐色矮星または赤色矮星と予想する説がある)が周期的にこれを攪乱させるのが原因で、地球上に数多くの彗星が到来・衝突して多くの生物を死滅させてきた、というのが「死の星」仮説。「伴星」とは二つの恒星が両者の重心を中心にして軌道運動している、つまり「連星」(双子星)の関係にあるときの暗い方の恒星。明るい方は「主星」。三連星以上も存在するといいます。

 

 この説は、本書が出版される直前の1984年に提起された説であり、今検索するとその「死の星」の名前は「ネメシス」一本になってしまっていますが、当初は「シヴァ」と呼ぶ意見もあったとのこと。

 

 ネメシスは(ペルソナ・ファンならご承知かもしれないが)、ギリシャ(グリース)神話の「神罰の女神」。人類の無礼に義憤し、恐ろしい罰を下す破壊神。命名したのは「死の星」仮説を提起した二人の物理学者(マラーとデイヴィス)。

 

 一方でシヴァという命名を主張したのは、生物学者としても科学史者としても有名だった「問題児」グールド。「死の星」仮説は、グールドが提唱していた進化の「区切り平衡説」(注)にも合致する。シヴァはご存じヒンドゥーの最高神の一柱。こちらも暴風雨を用いる破壊神とされていますが、一方では(大洪水の後に肥沃な大地が蘇るように)生命の再生も司る。またヒンドゥーでは、他の二柱である創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌとあわせて三神一体説をとりますが、それは一方的な世界の破壊だけではなく、世界の再生をも意味することから、破壊して終わり、みもふたもないネメシスより適切である、というのがグールドの意見。

 

(注)「断続平衡説」(Punctuated equilibrium)とも呼ばれ、提唱者はエルドリッジとグールド。従来のダーウィンによる「正統派」進化論では、進化は漸時的に起きるとしているのに対し、進化は短期的・爆発的に起きると唱える説。正統派の説によれば当然存在すべき、進化の中途形態の化石が存在しないこと(「ミッシング・リング」)も説明できる。もともと、中途形態などなかったのだから。

 

 本書の出版は、ちょうど「死の星」のアイデアで盛り上がっていた時期にあたり、著者もシヴァにくみするような書き方であった。また前回書いたように、本書にはご丁寧にシヴァのダンスの彫像の写真まで掲載されている。

 残念ながら、シヴァと命名するアイデアは消え去ったようで、今では「死の星」と言えば「ネメシス」ということになっている。グールドの他の多くの反権威主義的で過激な主張のように無視されて捨てられたわけではなく、単に仮説の提唱者に敬意を表した結果ということでしょうか。

(調べると、「死の星」シヴァ説は、形を変えて名前が残っているようです。こちらの説では、太陽は伴星を伴わない。周期的絶滅の原因がオールトの雲起源の数多くの彗星であることは「ネメシス」説と同じですが、太陽系が銀河平面(ディスク)を横断する際に生じる攪乱が、彗星群を揺り動かすと考えている)

 

 そして仮説の提唱から30年後、化石データーも二倍に増えた現在、「ネメシス」仮説の信憑も揺らいできているそうです。生物の絶滅がほぼ完ぺきなまでに2700万年周期で起きていることが一層明確になり(信頼区間99%)、不安定な天体の軌道ではこれは説明できない。「ネメシス」も見つかってませんしね。

 

 じゃあどうして絶滅が定期的に訪れるのか。それは謎のままということでしょうか。

 リーパーズじゃないですよ。あちらはたかだか(!)5万年周期ですし、銀河の全生命体を絶滅させるわけではない。知的生命体のみを刈り取る(収穫する)のですから。

 

 書き終わってから読み返すと、まるで「シン・ゴジラ」と「君の名は。」、評判となった二つの映画にそれぞれ(進化と彗星)ぼんやりと関係しているのが興味深い。これも一種のセレンディピティ。やっぱ書籍はAmazonでクリックして買うばっかではなく、たまにはリアルのリテールを歩くのも大事ですね。

 

 大して厚い本ではないのですが、他にも書ききれないくらい色々と、面白い「どうぶつネタ」が満載です。著者が研究対象である「動物」に愛情を抱いていないらしいことが伺えるところにも共感できる。優れた学者は研究対象を愛しない、というのはユニヴァーサルな真実と思う。真理の追究にとって「興味」は必須条件ですが、「愛」は色々と面倒ですから。

 

2016年11月15日 (火)

「クマに会ったらどうするか」(前と違う本)

 シン・ゴジラ、P5、サンダ対ガイラ、そしてN7。
 そんなこんなで、この3か月くらいの間、夏の間大騒ぎしていた何かを、すっかり忘れていたような気がする。
 本日、よーやく思い出しました。
 
 そそそ、ポケモンGO! ぢゃねえよ! 人の借りて一回しかやってねえよ! 
 クマだよ、クマ!
 
 今週号の「ニューズウィーク日本語版」は、買いそびれないようにしよう。
 そう肝に銘じて寝たつもりだったが、朝家を出て、オフィスに出勤するまですっかり忘れていた。
 ま、ぶっちゃけ、よその国の話だし、そんなもんか。
 
 昼休みに近くにある大きな書店を覗くまで、「やっぱ売り切れちゃってるかなあ、さすがにみんな買っちゃうよなあ」と思っていたが、書棚の配列の感じでは、仕入れた分がほぼ手つかずのまま大量に残っていた。ダメだな島国。鎖国か。太平の眠りか。たった四はいで夜も眠れずか。
 
 ところで、雑誌コーナーには、真昼間っから暇なばばあ・・・、ご婦人の方々ががっちりスクラム組んで、女性セブンとかなんとか自身とか、むさぼるように立ち読みしていて、邪魔臭くてしょうがない。
 
 その間をかいくぐるようにしてゲット。とはいえ、こ汚ねえドナルドのピン写真が表紙の雑誌一冊だけレジに持っていくほど向こう見ずではない。なにかカモフラ用にないかと思って、書棚の間をぶらぶらとさまよっていると・・・。
 
 「クマに会ったらどうするか」
 
 そそ、この本面白かったんだよねえ、ブログの記事にも書いたしねえ。
 でも、ちょっと違う気が。まず上述の本は岩波新書(黄色)。記事にしたのはちくま文庫。
 著者も上述のは大学教授(故人ですが)、記事にしたのは、北海道の狩人に密着取材したメディアのおっさん。
 
 ちくま文庫のタイトルは「クマにあったらどうするか」。
 んまあ、奇遇。なのか、パクリなのか、集団意識なのかわからないけど、新書のほう、パラパラとめくってみた。
 実際には動物学全般(著者の専攻は家畜形態学)に関する学問のお話で、クマに関する部分はごくわずか。
 でも、著者は東北帝国大学卒業、その後に(東北大学で)教授を勤められた先生のようです。
 クマもそろそろ冬眠準備で忙しいのか、ちょうど今日、「仙台でまたふたりクマに襲われケガ」がニュースになっていたし、「シヴァ神のダンス」の彫像とか登場するんで面白そうだし、そんなに厚くないんですぐ読めそうだし、これをドナルドのカモフラに、というわけではなく、むしろ本題みたいになっちゃいましたが、買っときました。
 
 ドナルドのほうは、かなり力のこもった特集号で、あちらのインテリ・エリートどもの怨嗟、負け惜しみ、嘲笑、罵倒、つまりパニック障害の記事が延々と続き、「こいつら、てめえらの失敗を認めることさえできんのだな」と、がっかりした。
 
 「結局ドナルドの暴言は、すべてハッタリ。ヒラリーは、ひとつひとつまともに相手をしてしまったのが敗因。大統領に就任したら、まともな交渉をはじめるはずだ」なんて、結果論的な賢いふりした記事もあったけど、「ハッタリ」はその場で見抜かれなければ「ハッタリ」とは言えない。
 
 そして、実際に投票した白人たちは「全部ほら話」だとわきまえていながら、でもそこには正論がある、希望がある、と考えていたわけですよね(これも結果論ですが)。
 どっちが賢いのか実のところはわからないんだ。 
 
 ところが、一番最後のほうに、「白人たちをたきつけ、トランプ現象を巻き起こした元凶は、オバマだよ」とあたしが言いたい、つかそう書きましたけど、それをズバリと言ってくれる記事があった。
 実は、選挙投票前、2016年3月29日号に掲載されたものの再掲のようだ。スレート誌ブイエ記者の記事。ということは、あたしはいっぺん読んでいて、忘れてしまったけど、無意識に自分の意見として取り込んでしまっていたということかもしれない。
 
 あたしなりに解釈すれば、毎朝、毎日黒人大統領の顔見せられ、自分はせっかく白人に生まれたのに、何やってんだろ?と自問自答せなならん、田舎暮らしの大ぜいの無名の白人たちの、人種「負け組」確定への不安が、このドナルド大量得票の直接的な原因。 
 そうした白人たちは実は、今まで選挙そのものにさえ、行かなかった人たちなんだそうです。
 
  ま、よその国の話はここまで。
 クマに会ったらどうするか。こちらは仙台にある東北学院大学での講義などをまとめたものだそうで、1987年に出版されている。
 
 文中にこうあります。「自分はクマになんて会わないからいいや」みたいなことをいうな。今(1980年代です)では、山奥まで車で通える道を作ってるわけで、ヒトはクマの寝室にずかずか入り込んでるようなものなんだ。そのくせばったり出くわしたら、危険だ、怖い、猛獣だ、と言って、「良いインディアンは、死んだインディアン」とばかりに片っ端から撃ち殺して、あんまりめちゃくちゃだろう。
 また、自分は決して絶対的保護論者ではない、と断っているものの、「猛獣」なんてものは、ヒトが創り出してるようなもんだ、というところにも共感しますよね。
 
 そんなお前は猛獣に会ってんのかい、という意地悪なつっこみを予期してか、筆者は国際会議でカナダを訪れた際に、アルバータ州の国立公園でオオカミに出くわしたエピソードも紹介している。それを読めば、島国ではまさに「良いオオカミは、死んだオオカミ」とばかりに猛獣扱いして皆殺しにしてしまった、その同族が、非常に賢く、そして冷静な動物であることがわかります。今のイヌが、その末裔ですから当たり前ですが。
 
 さて、ちくま文庫ではどう言っていたか。あたしの過去記事から再掲すると。
 
 予防のためには、①ペットボトルを押してペコペコさせるなど、妙な音を立てる。②木を細い棒で縦に叩いて音を立てる。
 出会ってしまったら、③背中を見せて逃げない。④「ウォー」と大声を出す。⑤じっと立っている、⑥腰を抜かしても良いから身体を動かさない。⑦クマをにらんで目を離さない。⑧相手が子連れの場合は、親だけを見て静かに後ずさる。雌クマが地面を叩いて、バーンという大きな警戒音を出したら、すみやかに立ち去る。⑨クマはヘビがキライ。ベルトを揺らす、釣竿をヒューヒュー鳴らす、柴を振り回す(自転車のゴムタイヤ、自動車の窓のゴム枠などのように、ヘビと似たものを振り回す、投げつけることも有効)。⑩柴を引きずって静かに離れる。
 
 上述の新書ではどうなっているか。
 
 「静かに後ずさりする」、「荷物を置いて逃げる」が次善の策。「立ったまま話しかける」が正解だそうだ。インタヴューしたカナディアン・レンジャーが(グリズリー、ハイイログマと何度も遭遇してきた)実体験に基づくのだそうだから、確度は高いとしている。
 
 原則は、「なるべく自分を大きく見せる」、「急な動きをしない」、「相手から目を離さない」、「相手の興奮が冷めるのを待つ」で、おおむね、ちくま文庫で示されたアイヌの狩人の教えと一致していると思う。
 
 もっとも、本州にいるのはツキノワグマ、北海道はヒグマ、カナダはハイイログマ。本当に同じ習性かどうかはわからない。また個体には個性があり、若い雄は無鉄砲で、成長するにつれ老練になる。子連れの母親でも違う。正直わからないけど、そこは哺乳類。そしてかなり知能の高い連中だそうです。きっと基本線は外さないのではないでしょうかね?

2016年11月14日 (月)

【ME:A】WE are the aliens.(Originユーザー的な意味で)

 4Kとかいるのか、まだゲーミング・テクノロジーとして、こなれてない感じじゃん、でもグラボはさすがにGTX970は古いから、TW3もスペックレヴェル「最低」扱いでまともに動かんみたいだし、やっぱ変えよう、1080高いな1070かな、とか悩む前に、そもそも、ME:Aはどこから買えばいいのでしょうか?
 
 Amazon.comからは、TPP反対ドナルド的にシャットアウトされ、島国サイトではやらずぼったくりの転売屋が出没し、UK版なんぞはDA2(なんと2011年3月リリースでした)のとき、空路豪州まで届いてるのに、大震災の影響もあってしばらく留め置かれ、痛い目にあってるからもうこりごり。そうでなくてもUKの宅配便って、正直かなり劣悪だとのうわさ。
 
 ではME:Aはいったいどこから入手すればいいんだと、しなくてもいいはずの思案のしどころ。いや、リモコン操作のあれはいらない。置き場所も、遊び場もないから。
 いっそ、PS4版に逃げるか、といっても結局島国は蚊帳の外か。
 ローカライズ版などいらんのだ。英語版をもてい!
 
 そこで、困ったときのOriginですよ、おかみさん。
 毎回立ち上げるたびにアップデートされてイラつきますが、人間辛抱です。
 
 ふむふむ、英語版。よござんしょ。スーパー・ハイオク、プレミア、レギュラーと三つあるのね。
 
 ま、お布施替わりに、スーパー・ハイオク(オクタン100)でも買ってしまおうかな。
 ・・・。
 なにがオマケなのか、どこを見ればいいのか、ぜんぜんわからないよ。
 すごいなあ、目をつぶって、清水の舞台から飛び降りろということかな?
 さすがEA、やることが違う。
 
 と思って、しばし愕然としていたら、ページずーーーっと下の方に比較表を見つけました。
 そうかそうか、とりあえず亡者としてカジュアル、じゃないレギュラー(オクタン90)はオプションにないな。消えた。
 プレミアとスーパーの差はなんだろう。
 あー、ペットパイジャックとかゼッタイいらないけど、ME3のあの犬らしきロボくらいぜんぜん不要だけど、仕方ない。手に入れたらすぐ撃ち殺そう。
 
 あら?
 もしかしてマルチプレイのブーストだけの差?
 そんでJPY3K以上違うの? おかしくない?
 これもドナルドの影響でしょうか。
 
 マルチプレイはかじるだけでしょうから、あたしは要らないかも・・・。
 それでは「プレミア」(オクタン93)くらいでちょうどよいということでしょうか。
 なんか違ってるかな。
 つうか、ちゃんと英語版で来るんでしょうね?
 毎度のことですけど、Originはおっかなすぎます。
 どうせデジタル販売、リリース前日まで待ってもプレオーダーの資格はあるんだろう。
 しばらくペンディングとします。
 
 この「取り残された感」、いつもながら茫漠とした大地にひとり立たされたような気がするんですよね。ところどころの嘘くさい(フォーニー)島国語の告知が、不安をさらにかき立てる。
EAはWWW.EA.COM/JP/1/SERVICE-UPDATESに通知を行った30日後に、オンライン機能を停止することができます。
 
 "WE are the aliens."
 
 よそ者、縁もゆかりもない、赤の他人的な意味で。

2016年11月13日 (日)

【ME:A】37とは?

 37って、なにか意味あるんすか?
 キリ悪いし、素数だし、数えで女性の本厄だし、カブでいったらブタだし。
 
http://www.ign.com/articles/2016/11/08/37-new-things-we-know-about-mass-effect-andromeda
 
 記事自体は、どっか探せば島国語になってるみたいなんで、個人的に気になったところだけ見ていくことにします。
 
 おお、「パスファインダー」というタイトルは、種族別に一人だけなのね。
 え、ヒューマン(ハイペリオン号)で一度にひとり?
 なんだよ、じゃあ、パパは(ちょ、中には頭温い人もいるんだから、よしなさい)。
 
 んー。ヒューマンが創設したってのが、どうなんでしょうねー。イルーシヴ・マン同様、またヒューマン=大金持ちですか? つうかME3前の時代なら、やつとサーベラスはどうなったんだろう?
 
 (野郎を選ぶとして)妹か姉貴か知らないけど、「同じ宇宙のどこかにいる」とか言いやがって、しっかり一緒にいるじゃねえか?
 そういう、嘘くさい、遠まわしな、蓋開けてみたら違うじゃん!的な謎かけやめろよ、BioWare。ネタを小出しにするの下手くそなんだから。
 
 アンドロメダにも、知的生命体がいる。そうじゃないと話がもちましぇん。その種族?もスコードメイトになります。新味を出すには、そうでしょうね。
 
 リーパーズとは関係ない。関係あったら、みな怒るでしょう。つか、マック・ウォルタースって、ずいぶん出世したなあ。クリエイティヴ・ディレクターすか。ケーシーの穴埋まるのかなあ。
 
 ライダー一家のお顔は全員直せます。あたしには、やってる暇ないと思います。リリース直後、入手した瞬間にダイヴ、ダイヴ!
 それよかピービー(あたし的には「クロミ」ちゃんでしかない)は? 入れ墨だけなんとかしたいんですけど。
 
 「ロマンス」は・・・、インクルーシヴなんでしょ、どうせ。
 
 「ロイヤリティ」はオプショナル。ミッションの遂行がオプショナルっていう意味でしょうか?
 
 パラゴン・レネゲイドはやめ。セリフだけは選ばせる。評判悪かったのかな?
 でも最後のほうには、行動を選択する「インタラプション」があると書いてある。
 パラゴン・レネゲイドって、その選択のことじゃなかった?(セリフの青い字・赤い字のこと?)
 
 4Kネイティヴではない。ディスプレイ買い替えなくてよかと?
 オリジナルのメンバーは出演なし。カメオもなしかな。
 
 おっと、37もあってくだらねえネタばっかだな、と思ってたら、最後の最後で重要なやつがありましたね。
 
There's no way of communicating with the Milky Way galaxy, at least "not in this game," Walters said. 
 
 ここやね。ここがポイント。「このゲーム内では」この銀河とコミュニケーションをとることはできない。
 「このゲーム内では」かあ。
 これが、「要するにあの訓練のことだよ。あれ太陽系だもん」とか、そういうまたくだらない、頭いい振りして全然バカ丸出しのBioWare風オチじゃないことを祈りたい。
 
 でもそれが小説とかコミックのコンテンツのことだったら、あたしにはあんまし意味ない。
 亡者だから買うけど。今までの例からして、中身あんましそそらない。
 
 また、(ゲーム外)オンライン・アプリやウェブページで、ウォー・テーブルみたいなこと考えているんだったら・・・、今度はまともに動くやつをくれ。
 
 仮に、気が早くも、"ME:A2"のことを言っているなら・・・。
 マス・リレー網かなんか構築するだろうから、そりゃできるんでしょう。
 でも、それってME3の後の時代だよね? あっち(こっちか)のマス・リレーは、その時分はどうなってます?
 
 あ、そうか! そのころにはプレイヤーももうME3のエンディング騒ぎ(赤、青、群青色、じゃなくて緑)のことはすっかり忘れてるって踏んでるね?!
 だって、次はきっと2020年リリースとかだもんね。
 やるなBioWare/EA。邪悪さも堂に入ってきた。
 

二周じゃダメなんですか?(P5眼鏡が曇る編)

 どうしてラヴェンツァの登場期間が短いんだあ。
 無駄に治療を受け、ベルベット・ルームとの出入りを繰り返してしまうしかないじゃないか。
 
 でもニ周目だからか(「しおり」を手に入れたからか)、「大好き、マイ・トリックスター。世界一の男よ。」とか、そこらのツンデレを圧倒的に超越した、瞬殺なみに破壊力のあるセリフが。
 いっそ、クリアせず画面をこのままにしておきたい・・・。 
 そこまでやるなら、ロマンスも入れといてよー。
 
 レヴェル99までカンストしてれば(しかもEasy難易度)、そりゃあ敵なんて目じゃない。うっかり後ろから接敵しちゃったら瞬殺してしまうし・・・。「瞬殺」はスイッチでオンオフできるようにしてほしかった・・・。
 
 一周目ぼーっとして、観ていながら見落としていた、聴いていながら聞き漏らしていたシーンやセリフを堪能しまくり、今はP5しゃぶり尽くした感でいっぱいです。
 
 クリスマスイヴ・デートの前に、ファイルセーヴの機会があったんすね。一周目はすっかり見落としていた。失礼いたしました。とはいえその後ヴァレンタイン・デイが過ぎるまでないんだ。
 それは真で行くと決めていたので、浮気せずに進めましたけど。修羅場やっぱ面白かった(笑)。
 
 プレイ時間はほぼ125時間。一周目(130時間)はベルベット・ルームでの合体でだいぶ悩んだつもりだったのだが、時間はほとんど変わらない。他にはプレイ時間に差がつく理由があまり思いつかない。ニ周目の「刈り取る者」狩りで、ほぼ半日費やしたとしても、記録されているのはそのうちごく短い時間だけであるはずだし。・・・、「波動拳」の話はするな。
 セリフのシーンや、ムーヴィーシーンはだいたい全部飛ばさず観たので、そこらへんが予想外に相当長いのかもしれません。
 
 書きたいことはだいたい書いてきたので、ここはその裏付け的なセリフを中心に。
 
「渋谷の人たち・・・、本当に自由なのかな?」 (杏ちゃん)
 
 このゲームの物語が、先に書いた「『虚構』の物語である」というテーマを言い換えるとこうなりますね。
 あたしが(他の繁華街はぜんぜん平気なのに)ハチ公から半径1km圏内、渋谷結界内に侵入できない理由でもある。実はずっと前からメメントスの存在を察知していた!わけないんですが、作中で怪盗団のみんなが話ている疑問がいちいち当たってると思います。
 そしてそれが、モルガナの(フェイクだけど)最後のセリフにつながるのでしょう。
 
「本当の世界なんてどこにもないんだ。
 世界は、君たちの中にあるんだ・・・」
 
 一周目、エンドバトル、ラスボスのセリフはさくっと無視していた。だって、「管理」とか、「支配」とか、「統制」とか、ぜんぶ一緒じゃん! 英語版ではみな"control"じゃん、どうすんだよ翻訳、と他人事ながら心配になっていた。まあそういうのいちいち検証するのが、US版プレイの楽しみでもあるんですけど。
 
 ただし、一か所だけ、こんなセリフを吐くところがある。
 
「道の先が破滅の崖だとしても、考えず進むだけ・・・ 
 そんなものは理性なき獣の群れと同じだ。」
 
 「愚者」のアルカナ、タロット(タロー)の代表的な絵柄なんですね。
 あたしは、かつてタロット占いで逆位置の直撃くらってますから、よく覚えている。
 
 「後先考えない」というのがこの「崖に向かって平気で、むしろ意気揚々と能天気に、進む男」の絵柄を示す、という解釈が一般的。"The Fool"は、単に「頭が悪い」なんて意味じゃないんですね。「空気読まない」、「周りを気にしない」なんかにも通じるんでしょう。
 主人公の運命は、襲われてる女性を「後先考えず」に救ったところから、大きく変わっていきました。そして物語の最後では、やはり自分の身のことも含めて、「後先考えず」に警察への出頭を受け入れます。
 
 タロットの巧妙なところは、絵柄(寓画)の中にいくつも解釈のヒント(言い訳ともいう)があること。例えば一般的な「愚者」の絵柄は向かって左側に歩いている。「歩いてる」人物のカード自体が希少(これしかないという説もある)なんですが、さらに「向かって左」は「未来」を示すという説がある。「未来のことは(やってみなければ)わからない」という解釈をこじつける場合がある。
 
 それから、頭には冠、片手には身の回りの品が入っているだろう風呂敷を刺した長い棒、もう一方の手には花一輪。一匹の犬が一緒であることも多く、それぞれが様々に解釈できる材料を提供しています。
 もちろん、一般的に人格化された例は、ご存じ「ジョーカー」、「トリックスター」、またはP4Gにも関連する宮廷道化師である「クラウン(フール)」ですね。
 
 P3(あたしがプレイしたのはP3P/P3Fですが)あたりでは、「タロットはファッション、飾りつけ(フリル)として用いてるのかな?」くらいに思っていたのですが、ここにきてかなり踏み込んだ解釈をしていることが、開発者インタヴューなんかでも示されている。
 たしかに、中には一部こじつけぽいのもあるんですが、「こじつけ」もまた作り手の無意識の現れと見れば、興味深い。
 もし開発者・シナリオ・ライター(橋野氏)のいうとおりに、「P5はタロットのメジャー・アルカナで言えば『星』である」というのが「無意識の現れ」であれば、P5は「虚構の時代」から「夢の時代」に回帰しようとする物語、と言えるのかもしれません。 「夢」は「希望」を指し示すことがよくありますから。
 
 そう考えれば、このゲームに漂う「古臭さ」もわかる気がする。ルブランの設定は、前にも書いたとおり、マスター含めて「昭和」そのものですし。
 ところが、もはや「夢の時代」に戻れないことは、島国のほとんどの人は気がついている。このゲームのモチーフとなった、大震災と核燃料発電所の事故が二度と取り返しのつかないものであることを知っている。
 
 ゲーム内では、「怪盗団」の力を喪った(そしてその導き手であったモルガナさえ不在となった)とき、みんなが現実に直面して苦悩します。夢は取り戻せない。虚構が暴かれたその下からは、生の「現実」という、実はもうひとつの深く根をはった「虚構」が、むき出しになる。
 民主主義とか、法治国家とか、あるいは本当の更生施設とか、そういったフィクション(虚構)の世界の残酷な「支配と統制」に、立ち向かわなければならなくなる。「怪盗団」であったときと違って、それらフィクションの中で、未熟者(非有権者、未成年、被保護者)として扱われる高校生には、正式に参加する資格さえ与えられない。
(ガンショップの親父は、そもそもそういうフィクションからさえ食み出した別の「理想」のフィクション、任侠の世界(昭和以前)に棲んでいるので、現実への対処(正義の実現)にも別の方法を用いる。不覚にも、ちょっとだけ鼻水垂れた。一周目でコープ・マックスしなかったことを後悔した)
 
 この「二度と取り戻せない世界」という同じようなテーマを描くにあたり、「君の名は。」 は、シュールな世界を創り出すことで解決を図ろうとした。「シン・ゴジラ」は、あくまで「理想」を追求しようとした。
 それらに比べればP5は(もちろんトリックスターの物語ですから、天真爛漫、綺麗なハッピーエンドはあり得ないのですが)、抜きがたい厭世観、「やるせなさ」、いまひとつ割り切れない思いを残して、エンディングを迎えることになる。
 実はあたしがこの中で一番惹かれるのは、やはりP5の物語なんですね。
 古い人間ですから。
 
 副題は、「メガネが曇っちゃうじゃんか・・・」から。
 最後に、ルブランで、三人の眼鏡が曇るシーン・・・。
 眼鏡三人、狙ったわけではないでしょうけどねえ。眼鏡曇りますよねえ(お前、メガネしてないじゃん)、じゃなくて鼻水垂れますよねえ。

二度じゃダメなんですか?(P5ベルベット・ルーム編)

 ようやく、波動拳→竜巻→逆ヨガとやらをクリア・・・。
 長い長い闘いだった。
 格ゲーとか1オングストロームも興味ないんですが。ほんとにやめてほしい。誰だこんなの入れたの?!
 
 これで後顧の憂いなく、ニ周目クリアまで爆走を開始できる。
 「ネットワーク」機能で、よそのお友達がその時間帯に何をしたか、ニ周目はめったに観なかったのですが、誤って押してしまったのか画面が出た。12月ですからコープ活動も追い込みなのか、様々な「協力者と過ごした」という項目が並んでいる。
 画面キャンセルする前に何の気なしに眺めていると、「竜司と教会へ」。
 ・・・。
 あれ? お土産はガキキング(ってムシキングじゃねえんだから)の分を取り逃しただけだよな? 竜司の分は確かラーメンのどんぶりだけだった気が? 神田に何かあるの?
 え。
 もしかして、P5にも隠れインクルーシヴィティがっ?!
 ふたりで誓うの? 何を誓うの?
 あわてて(ほとんど読んでいない、使っていない)攻略本を取り出して調べても、そんなイヴェントもお土産もない。
 
 んー。あの教会といえば、一二三と神父しかおらず、あの神父が寄付品をこっそり横流しして商売している以外には・・・。
 なんだー。キャラのリスペク(懺悔)かよ!
 あー、びっくりしたー。自分リスペクやらないんで、とっさにピンときませんでしたね。 
 島国ゲーは、インクルーシヴィティーなんてテーマにしなくて結構です。だって、ぜんぜん「タブー」じゃないからね。
 
 そして夜に同じ画面を見てみたら、今度は「真と教会へ」があった。そうかエンディングも近いので、リスペクを考える人が多いんだな、と今回は素直に思った。真と教会って、お姉ちゃんもまだなんだから、ぜんぜん早いわよ。
 
 とはいえ、隠れ家に閉じこもっていても、外に出ても、やることが本格的に何もなくなっているので(例の真との中華街デートだけは忘れずに)、一日一体ずつ高級ペルソナをアイテムに化けさせる、マスターの冷蔵庫を覗く、貞代をこき使う、おイナリにカードを作ってもらう、春の育てる野菜を見に行く、とりあえず全プレゼント放出するまでデートにいそしむ、春に銀座九兵衛(だからそれは言ってないから)で寿司を奢らせる(!)などのルーチン以外、クライマックスまでただひたすら日程を消化していきます。
 
 待ちに待ったクリスマス・イヴ、聖杯戦争ではなく、「聖杯」との対決。
 その後の牢獄(またはベルベット・ルーム)のシーン。
 
 そう、あたしはこれが書きたかった。
 だが、一周目。セリフをきちんとメモするのを、一部忘れてしまっていたのでした。
 録画できてればよかったんですが、なんかPS4ジェニュインのカメラでは全編録画禁止だし、別の方法を用意するのも面倒なんで、やってない。
 
 そのため、記事にできるまでに実に丸一か月、プレイスルーほぼ一周分かかってしまいました。
 女子連のセリフが、表題どおり「二度」、「もう一度」、「また」など、繰り返しを意味するものであることが示したかった。
 そして野郎連中が、結局自分のことしか考えていない、言ってないこともわかる(笑)。 
 これで、表題にうんうん苦しんできたP5シリーズの記事も、いよいよ最後から二番目となった。解放の時は近い。最終回は「ニ周じゃダメなんですか?」で。
 
***
 
 そうだよ・・・わたしのペルソナが、
 ちょっと特別な子なのは、多分そのせい。
 真実を知りたい。
 それがわたしの本心だからだ!
 
 ジョーカーは、心がつよいな。
 また助けられちった。(双葉)
 
 一人の悪党に勝てるかじゃない。
 ほんとの相手は、世の中全部・・・
 でも私は、勝ちに行く・・・
 たとえ、世界の全部が相手でも!
 
 もう、大丈夫。
 ブレてた覚悟が、もう一度固まった。(真)
 
 ゆがんだお父様を裏切ったあの日のように、
 過去のつまらない自分も、裏切ってみせる!
 いつか憧れていた『正義の怪盗』・・・
 貴方は本当に、私が思った通りの人だった。
 
 助けられるの、これで二度目ね。
 このシチュエーション、私、密かに憧れだった。(春)
 
 もう二度と・・・二度と!
 誰かをあんな目に遭わせたくない!
 負けて死ぬのが、ほんとの死じゃない。
 ほんとの死は、前の自分に戻ること。
 
 もう二度と、間違えない!(杏ちゃん)
 
 やはりお前といると、
 最高の着想が湧いてくる!(おイナリ)
 
 俺らしく、全力で、走り抜けてやるぜッ!(リュージ)
 
 ・・・ワガハイ、ここで生まれたんだ。(モルガナ)
***
 ・・・、やっぱ男って、ダメね。
 

2016年11月10日 (木)

二期じゃダメなんですか?(プレジデンシャル・エレクション編)

 あー、それで地球から脱出しなければならなかったのか!(時代が違うだろう)
 
 まさかドナルドが。
 オレンジ・ヘアーが。
 
 アメリカは、自らがディスニーランドであることを隠すために、ディスニーランドを創った、と喝破したのは故・ボードリアールだったが、めまいがするくらいの卓見でした。
 
 島国では、なんか逆張りして、まぐれあたりしたチビが鼻膨らませて威張っているようだが、ほんとうに当てたのは、エマニュエル・トッドですねえ。UK離脱もあててたようで、やつは確かにすごいな。ソヴィエト崩壊を当てたのは故・小室直樹先生とタイだが。
 
 こういうシュールな状況になってくると、がぜんフランス思想が役立つようになってくる気がします(もっとも、トッドは自分ではフランス思想の影響下にないと主張している、ユダヤ人ですが)
 
 島国もルーピーちゃんとか、ハーピーちゃんとか、ピービーちゃんとか(いねえよ)色々いたから人のことは言えないが、都知事選とか最近の傾向では、似たような感じもしますしね。
 
 CNNを垂れ流していると「なぜこうなったか意味がわからない」など、メディア総ざんげ、パニック状態が続いている様子がわかりますが、あたりまえです。お前ら含めたエスタブリッシュメント、エリートへの叛乱がおきてるんだから。「USのど田舎に住む高校しか出ていない白人男性」がどうしたこうしたと言ってみたって、定義上そんな人はひとりも番組に登場しておらず、もっと言えば白人男性なんてほとんど出ていないし、出ていれば、たいていホモ・セキュシャルかバイ・セクシャルである(本当)。
 エリートへの叛乱、それがUKでも、トウキョウでも、起きたってことでしょう。
 
 アメリカの場合はさらに、人種サラダボウルの問題がユニークな要素として入ってくるんで、現地にいないと肌ではわからない。
 すでに強烈な権利を手に入れている「弱者」連中が、ヒステリー症状を起こし、選挙後も「ドナルド死ね」のデモしてますが、やつらもまたリベラリズムのエリートから便宜供与を受けている「特権階級」に他ならない。地位を保全されたエスタブリッシュメント側なんです。
 
 あたしはオバマが元凶だと思いますね。あちらの田舎の白人男性たちは、毎日、毎朝、あの顔を見せられ、「お前はせっかく白人に生まれたのに、なぜこんなにうんこのままなんだ?」と自問自答せざるを得なくなるんですから。
 
 そしてオバマは、実質は黒人の皮をかぶった白人エリートですから、黒人から見ても(シンボリックな意味以外)何かいいことがあったわけじゃない。
 ヒラリーだってたまたま女性である立場を100%利用した白人エリート以外のなにものでもない。
 でもまさか、US中のど田舎の白人男性たちが、こんなに綺麗に一斉に「ブチ切れる」とはさすがに思いませんでした。
 
 ま、島国版401kの株価さえもどれば、カジュアル・ゲーマーのあたしには、なーんの関係もないことですけど、軍事費負担(USに払うのではなく、自前調達)だけは許容せねばならないか。
 前から言ってるように、やっぱイージス艦自前で60隻くらい必要でしょ? ドナルドかどうかに関わらず要るんですよ。
 
 ただし、USのアメリカン・リベラリズムが行き場を失って、カナダ移住者が増え続けると、いずれカナディアン・リベラリズム(アメリカンの比ではなく過激)がさらに先鋭化して、DA、MEの登場人物が全員インクルーシヴィティがらみとかなっちゃうんじゃないかなあ、それは勘弁だなあ、と思うわけですけどね。
 

2016年11月 8日 (火)

【ME:A】(一応)こっちが本業。

 いやー、リリースが再延期とかなさげで、よかったねー。
 EAの偉いあほの人とか余計なこと言っていたから、まぢでほっとしました。

 え? Mass Effect Andromedaのことでしょ。ここどこのブログだと思ってんの?(P5?)
 確かに島国ゲーにしばらく出張中ですが、ゲームに国境なし。人類皆差別、おとうさん、おかあさんは面倒(邪魔)なんで省略しよう!
 
 あと、主人公(野郎版)がなかなかイケメンでよかったー。リリースされたら顔いぢってる暇なんてもったいないんで、そっこー突入しますから、あたしの場合、デフォルトのお顔はなかなか重要。シェパなんてME1からME3まで、一周目は最後まであのシェパ(野郎版)のままでしたし。

 クロミちゃん(アサリ)は、あのままなんだね。まあ見慣れるとどうでもよくなるっちゅうことがわかりましたが。んー。あっちのフェイシャルをいぢりたい(笑)。

 トレイラ―のあれって、おとっつあんが家督と娘を月(the moon)に連れてくって意味なんですか?
 MEで月といえば、"Bring Down the Sky" 以来でしたっけ? あ、あれ違う星系か。あーっ、Rogue VIのステーションか!
 そうか、訓練施設が置いてあるって設定だったんですね。
 
 なんか、画面ではやたらいっぱい爆発してましたけど、それは映画予告編のように、作中カットシーンをそれらしく見えるようにつぎはぎしてるだけでしょう。"The New Pathfinder"が「何百年かの旅を経て」辿り着くのは、女性版映像のように平穏裡に行くんですよね? "We made it!"の意味に変な解釈する必要はなく、「間違いなく着いた!」ってことでしょう。
 おとっつあんと一緒だったのはME3のすぐ後として、そっから何世紀も後の物語ということですか。
 マス・リレー網には(当然)頼れないってことですね。

 最後に、一番気になっているのは、冒頭大写しになる宇宙船の"Hyperion"という名前です。
 あの、ダン・シモンズの渾身のサイファイ作品、「ハイぺリオン」四部作をリファーしているのでしょうか?
 ただし、ハイぺリオンの元となるギリシャ(グリース)の神様ヒュぺリーオーンって、星々の神なんですってね。だから、両者とも別に引用していると言い張ることもできる。
 まあ、でもあのあまりに有名な小説シリーズのことは、どこかでリファーしてるでしょう。
 小説と異なり、シェパ・トリロジーのときと同様に、ME:Aにきっと持ち込んでいないだろうと思うのは、「ウラシマ効果」(time dilation)なんですね。

 「ハイぺリオン」のウラシマ効果に関する物語にはラヴストーリーもある。そう聞いただけで背筋が寒くなる人もいるでしょう。ご想像のとおり、また映画"Interstellar"(2014)でも描かれていたとおり、「時間のずれ」は、物語に色々と「破壊的」なインパクトを与えてしまいますので。ある意味「君の名は。」もそうだけど。

 とはいえ、たとえウラシマ効果をチャイにしたところで、「数百年の旅」によって生み出された、太陽系のある(この)銀河と物語の舞台となる銀河との間に横たわる時空の溝は、結構衝撃的なドラマを生みそうではあります。
 そういった、サイエンス上の、テクノロジー上の裏付け(サイファイでは、プロット上必要な「言い訳」、「言い逃れ」、「辻褄合わせ」ですが)を早く知りたいところです。 

2016年11月 7日 (月)

幕間のつぶやき

 ちなみに、この表題は「まくあいのつぶやき」って読むんですってよ、奥さん。「まくま」じゃ何度やっても変換されないから、思わずキーボードにマウスをたたきつけそうになりましたわ。
 この間買い替えたばかりの、ロジクール・チューナブルG502/RGBと、同G213 Prodigy RGBのお揃いのセットでしたから、危なかったですわ!
(最近PS4/3DSばかりで遊んで、PCゲームからとんとご無沙汰なのに、なぜわざわざ今買ったのかは謎)
 
 ついに、P5ネタだけで記事を書き続けるのは断念しました。(もう前々回くらいからそうじゃん)
 なかなかニ周目エンディングが遠いねー。
 
 そうこうしてるうちに、とうとう11月。ついにもう、そこまで迫ってまいりましたね!
 
 やりましたね! 「ガルパン劇場版」、11月20日をもって堂々丸一年ロードショウ貫徹!
 んー、感無量ですなあ。立川シネマシティには一回しか行ってないけど。 
 
 じゃなかった? 
 あ、そうか。
 いやあ、待ち遠しかったですねーっ!
 
 ん? ちゃうちゃう、ドナルド対ヒラリー、史上稀にみる絵づらのこ汚い、中身がそれ以上に汚臭漂う、どうでもいい死闘のことですよ。エイリアン対プレデターも真っ青。往年の東宝映画である「サンダ対ガイラ」も、ここまで惨たらしく醜い闘いではなかったと記憶している。
 
 まーでもしかし、本当に来年(2017年)の第一四半期にリリースされるんですかねえー。心の底から心配してますよー。
 え? 何言ってんすか、アニメ"NEW GAME!"のPS4/PS Vita版ゲーム、"NEW GAME!-THE CHALLENGE STAGE "のことに決まってるじゃないですかっ! 来年1月発売予定っすよ! 忘れず買わなくちゃ! 青葉ちゃん会社にお泊りして待ってて! (一方、ねねっちのことは結構キライ・・・)
 
 DLC(ダウンロード・コンテンツ)とかも、発表されるみたいねー。楽しみだっ!
 だから、"NEW GAME!"の作中で開発されていた「フェアリーズ・ストーリー3」の販売好評を受けて、そのDLCの開発のために、またしてもオフィスに缶詰状態で、日夜仕事に邁進する青葉ちゃんたちの物語になってるってんだろうが!
 
 それとあの、議論を呼んだユニフォームですよねー。黒一色で、ワンポイントだけあのエンブレムが光っている。物議を醸しだしましたよねえ。 
 あー、はいはい欅坂ですよね。ネタ的にも相当苦しくなってきてますよねー。
 
 (以下、怒りを込めた余談)
 それにしても、アート作品の中で遊んでいたらお葬式とか、ちょっと悲しいものがありますよねー。
 はあ? いや佐野研二郎じゃねえよ。びっくりしたぜ。なにしろクビにもならずにピンピンしてるし、子育て推進優良企業の電通から、いまだに大金で仕事請け負ってるよ。
 
 しかしあの野郎を一斉に弁護してるのが世の中にたくさんいるってのはなんなんでしょ。また電通がステマがわりに社員雇ってコメント書かせてるのかなー。残業代タダだしねー。
 
 強制捜査が入ってたって言ったって、人手不足で事前情報ダダ漏れの労働局(昔の労働基準局含む)と労基でしょ。
 今頃一番悪いやつらは海外とかに一時退避して、ゴルフ三昧、スキー三昧、満喫してるぜ。手の内はお見通しだぜ。
 
 そうやって、詐欺師どもの手のひらの上で、いいようにコロコロ転がされてる島国の人々を見ると、もう一回どっぷりとP5の世界に浸ってもいいかなとか、別に思わないけどね。さすがに三周は辛いわ。
(余談終わり)
 
 おおっと、もうそろそろ時間だ!
 正座して待たなきゃ!
 
 観るぞー、アニメ「ステラのまほう」オンエア!   
 て、MXは火曜日放映だった・・・。すまん。

2016年11月 6日 (日)

二極じゃダメなんですか?(2)

 この記事は、前回の続きというか追加ですが、P5と関連はするものの、直接的な関係はありません。
 P5記事の流れを切りたくもなく、また表題を二回使いまわしすることも避けたかったのですが、大事な話なんで二回使います。ああ、「二回じゃダメなんですか?」でもよかったのか?!

 前回の記事で、「君の名は。」の内容を、たまたま同時期に出た、しかしいずれもあの大震災を契機にまたはモチーフに描かれているので「たまたま」ではないかもしれない作品群、「シン・ゴジラ」、P5、東京(略ザナドゥなとど並べて、何がどう違うのか(同じなのか)考えてみた。

 その際、新宿近辺を舞台としているこのアニメ映画は、渋谷を舞台の中心としていたP5とは異なり、いわば繁華街としての新宿が象徴している(現実との対比としての)「理想」の時代、または「夢」の時代を描こうとした作品ではないかと書いた。なおそれに対して渋谷は、(現実との対比としての)「虚構」の時代を象徴する場所であると考える。

 そして、最後に余談として、これらの元ネタのひとつである、社会学者・大澤真幸氏の「不可能性の時代」(2008年)という著作に示されている、今や「虚構」の時代さえも終わり、「不可能性」の時代への移行が始まっているのではないか、という主張を紹介した。

 出版から日もたっていない時期、すなわちかなり以前に読んだ本であるので、内容の詳細は忘れていたが、あまりに気になったので、前回記事を書き終えてから、もう一度パラパラとめくり、読み直してみた。

 その中に、2003年に大阪市で発生した、心中未遂事件の考察に関する部分を(再)発見した。十八歳の男子学生と十六歳の女子高校生が、それぞれの家族の殺害を計画し、そののちに心中を図ろうとした事件についての考察である。ふたりは交際中であった。
 恋愛が高じてのただの(古典的な)心中であれば、ふたりで死ねば済む。何ゆえふたりは、その前段として家族を殺そうとしたのか。

 1990年代あたりから増加してきていた、過去にない異常な種類の事件を紐解けば、表層的には伝統的家族関係(例えば家父長制)の崩壊という時代の流れが関係しているのではないか、と考えることができる。だが、心中を計画したふたりからすれば、家族そのものの「排除」が必要不可欠であったように見えるのだ。

 それまで家族とは、「必然的」なものであり、選ぶことのできない関係を意味していた。その家族関係が、(大澤氏によれば)「偶有的」なもの、たまたまそうであるもの、「他でもありえた」ものに変わった。
 家族関係が希薄化した、構成員の孤立化、個人化が進んだという説明では足りず、何か他の代替すべき関係が、必然として表れてきたと考えるしかない。それは、代替される親子関係以上に原初的なものでなければならないはずだ。

(一瞬横道に入るが、ここであたしは、かつて職場で一緒だった、美形だけど世間知らずでちょっとおつむの温い、女子連からもそこを見透かされていぢめられていた女性のことを思い出す。あたしがめったに読まない島国人作家のミステリー、宮部みゆき作「R.P.G.」(2001年)という作品を、彼女の代わりに読まされたのだ。女子連から「きっと彼女にはわからないだろう」と意地悪な予想とともに勧められたものだったらしい。昼休みに30分くらいで読んで、ざっくり「ここを指摘しとけ」と伝えて終わったあの作品にも、似たようなテーマが描かれていたと記憶している。間違ってたらごめん!)

 ここら辺の考察は、ぜひ前掲書をお読みいただきたいと思うが、大澤氏は「本来最も自然なものとして受容されるべき家族の内的な関係を偶有化してしまう別の関係」とは、「他身体が自身体に参入してくるかのように感受される、極限的に直接的なコミュニケーションではないだろうか」 と考えている。

 「他身体が自身体に参入してくる」、「極限的に直接的なコミュニケーション」とは、あのアニメ映画が描いた、精神のスワッピングのことであろう。
 そして、そういった(親子関係よりも原初的な)関係とは、ごく初期の母子の間身体的な関係がまさにそうであることも重要だ。
(お気づきのとおり、あのアニメのふたりの主人公は、いずれも母親を「欠いており」、それぞれの父親との関係も密接とは言えない。そして、母親を代替する役割(導き手、見守り手)として、男性には年上の親しい女性が、女性には同居する祖母が登場する。家族を描くのが面倒(邪魔)くさいから省略した、「親なし症候群」の作品ではないことは明らかだ)

 よって、あのアニメ映画は、単に「理想」の時代や「夢」の時代への回帰を目論んだだけではない。第一、それらの実現が不可能である可能性さえ作中で示されていた。それだけではなく、不可能かもしれない「夢」を「現実」のものとするために、従来にはないコミュニケーションの形を導入する必要があった。それが「入れ替わり」である。それが「たそがれどき」(かたわれどき)である。

 大澤氏の説に従えば、あの作品は、「理想」や「夢」を追い求めるために「不可能性」を克服する手段を導入した、ということができる。
 島国の多くの観客は、その「どこに」共感・共鳴したのか。
 作品は、台湾でも公開後にかなりの人気を博したという。どこで「受けて」、どこで「受けなかった」のか、興味があるところだ。

 最後に、前掲書からP5に関する興味深いお話も紹介しておこう。

 これもまた1990年代から急増したという、多重人格者に関する話題である。

 大澤氏によれば、「なぜ、人格が多重化するのか?」という問いよりも重要なのは「なぜ、人格が解離せずに統一的なままにとどまっているのか?」である。多重人格にならない一般の人は、その場その場に適した、子、友、親、夫、教師(上司)などの振る舞いを行っているだけであり、これらを貫く共通性などほとんどない。

 「これらの同一性とは、その都度の状況において私がまとう『仮面』であり、それゆえ『構築されたもの=虚構』である。多重人格者は、むしろ、こうした条件に、素直に反応しているのである」

 そのことは、多重人格者を観察する精神科医の眼から見れば、それぞれの人格に過度の演技性を見出すことができることから、明らかであるという。つまり、あまりにもステレオタイプなのである。よって患者の各人格が、社会的に構築された仮面であることが示されているのだ。

 その他、上述の各作品が契機またはモチーフとした大震災前の著作でありながら、あの核燃料発電所事故が恰好の例、研究材料となってしまった「リスク社会」 についても論じられている。やはりあの事故のインパクトを知ってから読めば、表面つらなぞっただけの議論はあまりに迫力を欠いていて、そこもまた興味深いのであるが、今回はやめておきましょう。

2016年11月 5日 (土)

二極じゃダメなんですか?(P5公式ガイド編・他)

 P5公式攻略本。到着したころにはもう不要。
 んー、個人的には最近のゲームでは珍しい現象です。
 といっても、いまようやくパッチのダウンロードおよびインストールを確認したところで、ゲームはなーにも触っていないので、書くこともありません。
 
 公式攻略本をつらつらと眺めていたら、やっぱお土産は、コンプしそこねてたぽいことがわかった。案の定あのガキ・・・、キングのせいだ。
 休日に埋浜に行かなければならない?。
 そんなチャンスあった?
 あー、ワンチャンスかあ・・・。

 しかもニ周目はすでに12月に突入したところで止まっているので、巻き戻さない限り、不可能命題となった。

 んー。ま、いっか、ガキだし、男子だし(笑)。
 つうか仲直りしてかあちゃんと行けよ。
 
 また釣りに関しては、これも一番しょぼい釣り竿でできなくはない、そうである。
 よって最低必要回数二回かと思ったら、三回は必要なようだ。
 読書については、速読を習得するまで待て・・・。
 そういうの早く言ってくれる?
 
 ちょっと期待していたのは、総攻撃成功時の各キャラクターの壁紙。
 そういうのつけないのか、電撃。(イケ好かないメンズのは要らない)
 なお、双子(これのみ全滅時)のものだけは、ちっちゃーい挿絵で見つけた。
 さらに双子があれした後のあの人もいないんだけど。つけてよー。
 
 おまけのしおりは、真だったので良かった。あの野郎とかだったら返品しただろう(そんな理由でできるのかどうか知らない)。
 まあでも、攻略本としては、いつもどおり丁寧にできてる(はずです、眺めただけだから)。ペルソナ恒例の、一周コンプ(参考)スケジュールもある。
 単に、こちらがあまりに熱心にプレイをしてしまったため、新奇な内容がほとんどない、というだけですかね。
 
 という、すっかすかの記事で済ますのもあれなんで(しかも表題につながらない)、機内で観たアニメ「君の名は。」とやらに文句つけようかと思ったのですが、実はあたしもつい酒を飲みすぎてしまって、よく覚えていない・・・。
 あーと、以下、そのアニメの思いっきりネタバレあります。
 
 そもそも主人公が「出会いをすっかり忘れてる」とか、いくらなんでもやっちゃだめな気がします。じゃあなんであの紐を手放さずに持ってるんだよ。それ以外にも話の盛り上げ方にはついていけなかった、サントラが全曲とにかくイヤ、そして、なんで彗星の話なのかも(最初は)さっぱり意味がわからなかった。
 好感が持てたのは、描かれているトウキョウが、(P5のような渋谷中心ではなく)新宿中心であることくらい。
 
 「シン・ゴジラ」も、当然作品としてカンペキには程遠いのでしょうが、上述のアニメに興行成績であっさりパスされたという話を聞き、あたしはまたこの島国が少し嫌いになりました。以前は"Pacific Rim"(2013)の公開時に、環太平洋地域で島国のランキングが特に悪かったとき。アメリカンのあんちゃんどもがネットで島国をディスりやがって、キレそうになりましたが、あれも感動アニメとか高倉健さんに負けたんだっけ?
 
 悪しき宮崎の影響で、また「感動したふり」してんのがようけおるんやろうなあ。
 まあでも、それだけでもなく、無心に観て心を揺さぶられた人も多い、とわかってしまうからさらに苦々しい。その理由も、なんとなくわかる気がする。 
 
 「シン・ゴジラ」のほうは、トウキョウ(およびごく周辺部)にしか関係のないお話である。作中でも、島国イコール、トウキョウ(メガロポリス、グレーター・トウキョウ)みたいなもんだ、というセリフがあった。それ以外の地域の話は話題にちょっと出る程度。
 
 一方、上述のアニメ作品のほうは、首都トウキョウ(主として新宿・四谷近辺)と、過疎地まで行かなくとも、山岳地帯の寒村に毛が生えたような、因習もまだ健在のど田舎の町。その二元中継。デモグラ的には、この島国の「二極」を示すと言っていいかもしれない。 
 「受ける」のはそういう理由もあるんじゃないか、と思いますね。
 
 P5も、大震災をモチーフにしたとは言いながら(主人公の出身こそ、エンディングを見る限り静岡あたり?なのかもしれないが)トウキョウ中心、渋谷中心の物語です。大震災をトウキョウで経験した、見つめていた人たちの感覚に基づく。
 
 なお、新宿中心と渋谷中心という風に、同じトウキョウの物語みたいな書き方しましたが、ここには大きな違いがあります。そして、そこにも上述のアニメが、例えば「シン・ゴジラ」や、P5などよりもずっと広い範囲の層に「受ける」理由がある。
 本当は、P5に関して、それをネタに一発書きたかったのですが、表題が思いつかなかった(笑)。しかたがないので「さわり」だけ書いておきましょう。
 
 簡単に記せば、次のような感じ。いわゆる「都市社会学」的、「文化社会学」的な知見に基づくお話です。
 
・戦前の繁華街は浅草。大震災後に当初ハイカラだった銀座に移行、銀座が大衆化した。
・戦後以降70年代までは、新宿が繁華街の中心となった。若者・学生(主として田舎者)のアングラ拠点であったが、やがて渋谷・原宿方面にさらに移行した。
 
 これだけでも、多少は面白いのかもしれません。島国の社会学者連中は、ここに「歴史」的な変遷のレイヤーをかぶせてみせるんですね。例えば、浅草と新宿は、不定形な「アングラ」文化。銀座と渋谷・原宿はモダン(モデル、モード、すべて同じ語源)を象徴する「カタログ」文化。
 
 または、「現実」との対比における「理想」、「夢」、「虚構」と時代を区別して、敗戦後まもなくのGHQ支配にはじまる「理想」の時代、アポロ11号月面着陸、大阪万博などのイヴェントが彩る「夢」の時代、オタク文化勃興、ディスニーランドのオープンなどで象徴される「虚構」の時代。
 
 「シン・ゴジラ」が、徹頭徹尾、「理想」の時代の物語であることは論を俟たないでしょう。もちろん、戦前にも、敗戦後にもかなわなかった「理想」なんですが。政府・官僚機構、科学的合理主義とそれを裏付けるだけの科学力・大企業、同盟軍を含めた軍。あの巨大不明生物によってコノートされるものが、大震災であっても、戦争であっても、島国の実力と英知を結集すれば克服できるというメッセージ。これを「理想」以外の何と呼べばいいのか。
 
 P5が、トウキョウの渋谷周辺を舞台に選んだのは、「虚構」の時代の物語を描くためと言っていいでしょう。これも「裏」がないと言い切ってよいくらい、ストレイトフォワードに解釈できそうです。P5のテーマ(ペルソナ全体の隠しテーマでもある)「仮面」とは、実は「虚構」以外のなにものでもない。
(ちなみに、「東京(略ザナドゥ」は、トウキョウいうても、単にファルコムのある立川市周辺のお話ですっ、以外になんの裏もないでしょう。物語自体は、これもまた大震災をモチーフとした、「夢」と「虚構」の間のもの、と言えるかもしれませんが)

 一方で、上述のアニメが、(トウキョウの物語では)新宿を舞台としたのも、(「シン・ゴジラ」のように露骨な形ではないものの)「理想」の時代の物語を描きたかったからと言ってしまえるんじゃないか。あるいは作中のモチーフを直接参照すれば「夢」の時代。
(もちろん、単純に「作者の好みがそうだから」でも構わない。それだって、あたしはひとつも損はしません)
 あのアニメの、トウキョウの物語と、山中の街の物語とは時間的に隔たりがあるのですが、それはたった三年です。身体が入れ替わったとき、ふたりの主人公が(すなわち観客が)時代が違うことに気が付くネタバレのリスクはとれなかった、例えばふたりともスマホを使いこなさなければならなかった、クライマックスで(同じ年恰好の男女として)出会わなければならなかった、など設定上の縛りがきつかったせいがあるのでしょう。
 ですが、ふたつの物語の間には、距離的な隔たりだけではなく、十年の隔たりであっても、いっそ三十年でもおかしくないくらい、「時代的な」隔たりがあるような印象を受ける。「夢」の世界であるなら、ふたりの主人公の「位相が異なる」ことだけで十分で、違い(ずれ)が何年であろうが、何秒であろうが、一瞬であろうが、実は同じこと。
 
(ただし、言っちゃ悪いけど、時間が三年ずれていることにふたりが「なかなか気がつかない」ってのは、どうなんすかねえ? スマホでしょ? 学校でしょ? アルバイトでしょ? すぐに気がついておかしくないんじゃないでしょうか。なにかそれを防ぐ仕掛けかなんかが説明されてたんだろうか。ちうか、そういうところが雑なんだ。)
 
 そしてそこでようやく彗星の登場が、東北大震災に伴う、あの核燃料発電所事故を意味する、この物語はそれによって「位相がずれてしまった」、「消えた街」の物語である、というところにつながっていく。つなげたかった、と言ったほうがいいか、あんましうまくつながっていない気がするんで。
 そこで描きたかったのは、「理想」の時代(「夢」の時代でも構いません)の物語だったのでしょう。それは現代のどこかにあるのか、もはや「虚構」の時代の今となってはどこにもないのか。作り手が「あってほしい」という気持ちであることはわかった。そして、それは本当には「夢」の中にしかなかったのかもしれない、ということも示されている。
 
 アニメでは、まるでトウキョウ・スカイツリー(2012年竣工)の存在を拒否するかのように、四十数年前から首都の象徴であったトウキョウ・タワー(1958年竣工)がこれ見よがしに描かれます。これ以上は、あまりなにも言う必要がないのではないかという気もします。
 
 それら全部が、なんだかあざといんで、新宿は好きなあたしなんだけど、このアニメが好きになれないんでしょうね、きっと。 
 逆に、あたしが渋谷結界に単独では侵入できないという、その理由もここに書いちゃいましたね。
 
(余談)「虚構」の時代さえすでに終わってしまっているのではないか、「不可能性の時代」が来ているのではないか、というのが社会学者である大澤真幸氏の主張(2008年の同名の著作)です。
 「不可能性」という言葉自体が座りが良くないと思うのですが、言わんとしていることは、現代社会は、(多重人格者の偽記憶に顕れるような)現実への逃避と、(アルコール抜きのビールに代表されるような)極端な虚構化という二つの逆ベクトルに引き裂かれているということ。上にあげたいくつかの作品だけでも、「理想」、「夢」、「虚構」というように、解釈がバラバラな方向に分かれてしまうので、「不可能性」というものかどうかはわかりませんが、とにかく相矛盾する欲望がなされている、ということはわかりそうです。
 詳しくは前掲書でどうぞ(ただし、最後のほうは何を言ってるのか、よくわからなくなっていきますけど・・・)。

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