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2016年8月21日 (日)

主語などない。

 しつこいですが、「ガルパン」OP主題歌の歌詞について。

 最近の出張中、空き時間に読み続けていた「英語の発想」、「英文翻訳術」(いずれも、ちくま学芸文庫)の内容が、あまりに我が意を得ており、読みながらいちいち頷いているうちに頸がガクガクになってきたほどです。

 特に「英文語順を乱さない」の教えは、あたくしもDA小説を訳したとき、呻吟悶絶、苦心惨憺して発見した「省エネ翻訳」だったのですが、翻訳の専門家である著者(安西徹雄、上智大名誉教授)からお墨付きをいただいたようなもので、鼻が高い。つか、自分で発見したのではなく、まるでパクったように思われる可能性も出てきてしまったわけですが・・・。

 大切な教えはいくつもあるのですが、ここでは、「主語」のお話。

 よく、「島国語は主語が曖昧」と言われます。上司や教師から「主語をはっきりさせること」と指摘された経験がある人も多いでしょう。
 ところが、実はそれどころか、「そもそも島国語に主語はない」というのがどうやらほぼほぼ定説になっているようです。
 では助詞の「は」や「が」が受けているのは一体何? 「主題」であると考えるのが、一番説明がうまくいく。あるいは「場」(ば)。状況とか情況のことですね。

 よく島国語が融通無碍というときに示される例として、「私はうなぎ」があります。
 ご存知の方も多いでしょうが、文脈や場を考えれば、食事処で注文をしようとしている場面では、ごく普通に使われている表現でしょう。同じような表現で、「私はビール」や「私はコーヒー」では、ネタバレしやすいのですが(笑)。

 もし「私はうなぎ」の「私」が主語であれば、「そうは見えませんね!」というのが正しい返答になるのですが、そうではない。島国語を学ぼうとするガイジンに「訳して」あげるなら、「私(について)は、うなぎ(を注文しようと思う)」かなんかですかね。「私と言えば、うなぎを食べようと思う」とか。

 さらに、島国語には主語がないどころか、英語でいう目的語も補語も、全部区別はないという説まであるそうです。

 「私は/六時に/友人を/駅に/迎えた」
 
 最初の四つの成分は、すべて「述語」である「迎えた」から引っ張り出された「装飾語」であって、「私は」にさえ区別はなく、どれも平等である。むしろ「述語」のほうに「主題」があって、英語と比べると変な感じですが、「主語(主題)は最初から述語に含まれている」。

 なぜ、英語では大抵動詞がドカンと先に来るのに、島国語では一番あとにくるか、というのもこうした分析から説明可能だそうです。英語では「動作主体」(主語)、「働きかけ」(動詞)そして「もの」(目的語など)が重要視される構造をしているのに対し、島国語では一番最後にくる述語が最も重要で、話者と聞き手(たち)は、そこに向かって一緒に、しだいに進んでいく構造をしている。話者と聞き手(たち)つうのが、それらが共有しているのが、すなわち「場」(ば)ということになりますね。
 
 そして、この「主語などない」島国語を、「主語がないなどあり得ない」英語に翻訳(またはその逆を)しようとすると、大変な面倒を引き起こす。もちろん英語であっても、特にくだけた会話では省略されることもよくありますが、陰にはしっかりと鎮座ましましておわします。

 このように、本筋の文には意識的に「は」も「が」も用いず(こっそり「も」は使ってます)、主語らしきもの抜きに書いても、別段変な島国語にはなっていないと思いますけど。鎮座しているのは、何か(誰か)おわかりだと思います。あ、そうですね、島国語にはこのような複雑な敬語システムがあるから、主語不要でも問題ない、ということも言えるようです。

 余談ですが、島国語の敬語は、「空間」の隔たりによって示すと言われます。「申し上げる」、「差し上げる」、「召し上がる」など上下の場合が多いですが、コソアドは、この「空間」(の隔たり)によって「親疎」をきれいに表現している。
 近い方から順に、これ(こなた)、それ(そなた)、かれ(かなた)、あれ(あなた)、いずれ(いずかた)、どれ(どなた)。親しいものは近く、疎なものは遠い。同心円状になっていて、わけもわからない正体不明なものは「どなた(どれ、どこ、どっち)」。

 一方で、英語の敬語表現には「時間」がありますね。"would"、"could"、"might"など助動詞の過去形らしきものが登場したら要注意です。これらは、単純に「時間的な過去」(いわゆる過去形)を示すだけではなく、「相手との精神的な距離」(丁重な表現)または「現実との距離」(すなわち仮定法)によって結果的に敬語(婉曲・待遇表現)の役割を果たすことがあります。

 「よしなさい」、「やめておこう」は、島国語では大抵いけますけど、"Don't do that."はかなりきつい表現。「あたしだったら、やめておきます」、"I would not do that."で遠まわしになります。

 それから受動態。「英語では受動態を使うな」と耳にタコができるくらい言われた人もいるでしょう。なぜなら島国人は、ほおっておくと島国語を全部受動態の英語に訳してしまうから。英語の受動態では、ほとんどの場合「主語」(by なんとか)が隠れているので、島国語と馴染みやすいんでしょうね。
 受動態も(まさにその動作主体が曖昧になるという点を利用して)婉曲表現に用いられ、ひいては敬語の役割を果たすことができます。

 ただし、「受動態を使うな」という忠告は(島国人に限らずネイティヴについても)正しくて、本当に使うのはごく限られた場面にすべきなようです。島国語でいう「迷惑の受身」、ひどい目に「あわされた」、ぶいぶい「いわされた」、面倒を「おしつけられた」などの場合。その裏返しで「受益の受身」、恩恵を「受けた」場合。そして「オリンピックが開催された」など、情緒を伴わない「非情の受身」の場合。

 おっと、長くなってきた。「ガルパン」主題歌を用いた実践編は次回で。

 最後にご忠告。この記事を読んで、「なんだそうか」と納得いただくのはいいのですが、この先上司や教師に(つか、ここアダルト向けなんで中高生は読むな)「主語をはっきりさせなさい」と言われても、「島国語に主語なんてそもそもない」などと不用意に言わない方がいいですね(笑)。
 相手がニヤリとしてくれる確率は低く、そういう人以外の場合は、取り返しのつかないことになりかねませんからね。 あたしだったら、それはしない。ぶいぶいいわされても、当局は一切関知いたしません。

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