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2020年9月30日 (水)

The Wigmaker Job (1) (#TevinterNights)

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The Wigmaker Job

鬘職人の仕事

 

Courtney Woods

 


 ヴィランティウム(Vyrantium)の街路の地下にある、冷たく暗い部屋の中で、アンブロウズ・フォーフェックス(Ambrose Forfex)はシーズン恒例の鬘(かつら)展示会の支度をしていた。指抜きで厚みの寸法を見ながら、髪の毛の束を測る。細い指先で房を梳く。絹のような肌触りに身震いする。
 瑕疵はない。枝毛はなく、切れ毛もない。ただ豊かで滑らかな、この上なく純粋な形の髪の毛。
 鬘職人の唇から絞り出すような溜息が漏れた。「完璧だ」
 パタパタとした足音が近づいてきて、そのひとときを妨げた。彼のひとときを。フード姿の二つの姿が、鬘職人の工房の入口で立ち止まった。敢えて中に入ることはしなかった。
「アンブロウズ、話がある」、一人が言った。
「君らのブーツは、敷石の上に落ちる死んだ魚のような音を立てているな」、アンブロウズが鼻を鳴らした。
「上の階へ」、もう一人が応えた。
 アンブロウズは、この上ない繊細さで指先の間に髪の房を滑らせた。「すぐ戻る」、彼は呟き、居間に続く階段を登る二人に続いた。
 カーテンが下がった居間の中に無事着いてから、ようやく二人はフードを下した。二人ともアルタス(altus)、テヴィンター帝国におけるメイジの最高位にある者だった。
「イヴェントは中止する必要がある」、クリスピン・カヴロ(Crispin Kavlo)が通告した。彼の父はマジスターであり、その跡を継ぐのが彼の人生の目標だった。
必要?」、アンブロウズがからかうように言った。「それはまた大仰な」
「真面目な話」、フェリシア・エリモンド(Felicia Erimond)が言った。彼女の兄弟であるリヴィアス(Livius)がアンブロウズをヴェナトリに紹介し、帝国が再び偉大となる将来に目を開かせてくれた。
「誰かが貴方の首に賞金を懸けた。他の者たちと同様に。クロウ(The Crows)がやって来る」。彼女は最後の部分を、まるでその言葉だけで、悪名高い暗殺者たちが呼び寄せられるかのように、囁き声で言った。
 アンブロウズは、うめき声をたてるのをこらえた。「ドラゴンは鴉(クロウ)を恐れない」
「すでに他に八匹のドラゴンを殺しているのでなければ、そうだろう」、クリスピンがピシャリと言った。彼は汗をかき始めている。まるで檻の中の獣のように、その両眼は閉じた扉や窓の方をさまよっている。
「無様だな、アンティヴァンのプロパガンダにぶるぶる震えてる」、アンブロウズは、無感動なまなざしとともに非難を浴びせた。「帝国がぐらつくのも無理はない」
 前触れもなく、鬘職人はクリスピンの片手を掴んだ。アンブロウズが彼の前腕に親指の爪を押し付ける間、若いメイジは顔をしかめ、腕を引き抜こうとした。爪の下から、深紅色の濃い血がにじみ出す。
「クロウは生身の存在。それだけのこと」。彼は即座に傷口を塞ぐ呪文を呟いた。「展示会は開催する」
 クリスピンは跳び退き、治癒されたばかりの腕を自分の胸に押し付けた。
 アンブロウズは部屋を横切り、小さいが品揃えの豊富なバーに近づいた。アンティヴァの話を聞かされて、彼は喉の渇きを覚えた。
「依頼を受けた男はただのクロウではないの」、フェリシアが注意深く声を抑えながら説明した。
 アンブロウズは、片手の一振りでワインの栓を抜くと、水晶のデカンターに注ぎ始めた。
「ルカニス・デラモルテ(Lucanis Dellamorte)よ」
 ボトルが水晶にぶつかり音を立てた。ガラスに裂け目が走る。
「ああ」
 鬘職人の頸筋に鳥肌が立った。彼はデカンターをカウンターの上に戻すと、溜息をついた。
「くそ」

 目立たない通りの目立たない宿屋で、ルカニス・デラモルテは砥石を手に、彼のお気に入りの剣を膝の上に置いて座っていた。石で金属を研ぐ単調な動きが心を落ち着かせる。彼の足元の粗末な毛布には、様々な大きさと形の七本の磨き上げられたダガーが並べられ、ギラギラした輝きを発している。
 音楽が、笑い声や噂話とあいまって床板の隙間から漏れ聞こえてくる。
 ルカニスは両眼を閉じた。彼の心の中で、それらの音が一枚の絵画を描くようになるまで聴き分けた。
 一人の給仕女が厨房から急いで出てくる。 
 恋人たち二人は、暗がりの席をいいことによろしくやっている。唇同士が濡れたみだらな音を立てている。
 一人の男はウィッキド・グレイスのゲームでいかさまをやっている。袖に隠した札が、糊付けされたシャツの繊維に擦れる音がする。
 どれも脅威ではない
 彼は気を緩めた。
「それを身に着けるんじゃないだろうな?」 そう尋ねたイラリオ(Illario)は、自分自身の上手い物言いに感心もしていた。
 ルカニスは自分の衣服一揃いに目を落とした。漆黒色の革の長外套と黒づくめのスーツは、日中であれば人目につくかもしれないものの、夜の仕事であれば戦術的選択だ。彼は自分の衣装と、彼の従兄弟の、襟の高い濃紺色と金色の衣装とを見比べた。ヴィント(Vint; テヴィンター人の略称、時に蔑称)がよく身に着けていると、アンティヴァンが思いがちな類だ。
「少なくとも、自分は観光客には見えない」、彼は応え、唇を歪めて微かに笑った。
 イラリオは自分の髪に油を振り掛け、両手で後ろに梳いた。
「そうだな、葬式に出るように見える」
「面白くもない」(Very funny.)、ルカニスは単調に言って、再び剣を研ぎ始めた。
「これは仕事だ。パーティーではない」
「実のところ、パーティーでの仕事だ。それらしい見た目であるに越したことはない」、イラリオは折りたたみ式の剃刀の刃を開くと、夕方には濃くなり始める見事な鬚を台無しにしてしまう、飛び出した毛を剃り始めた。
「めかし屋の言い訳だ」
「おい、俺はただお前のためにここにいるんだ」、イラリオが不平を言った。「俺たちは今頃家に帰る途中のはずだった。一の爪(the First Talon)の、彼女自身の召喚に遅れていいのは『偉大なるルカニス・デラモルテ様』だけだ」
 ルカニスは剣を脇に置いた。イラリオはいつもはずぶとい男だが、祖母のこととなると話は別だ。「キャテリーナ(Caterina)が不平を言えるはずがない。彼女こそが、私に契約遵守を口うるさく言うのだから」
 食料も水も与えられず、汗にまみれた日々の記憶が思いがけず蘇ってきた。身を守る構えを怠ったとき、脚さばきを間違えたとき、祖母の杖で剥き出しの肌を打擲された辺りの、ルカニスの背中が疼いた。
 長年の間、彼は彼女を嫌っていた。だが、彼がマスター・アサシン(Master Assassin)として過ごした日々は、キャテリーナの容赦のなさが、この人生を送るための準備を確かなものとするためだったのだと教えてくれた。そして生き残るための準備だったのだと。
「俺たちにあれだけの稽古と仕込みを施しておきながら、あの老女はなお道を譲ろうとしない」。イラリオの辛辣な口調の裏側には、何か不快な感じがあった。
「そのうちお前の時代が来る」、ルカニスが彼に請け合った。
「本当に?」 イラリオの刺すような視線が、鏡の中のルカニスを捉えた。「皆噂している。お前が常に彼女の一番のお気に入りだ」
 彼も噂を聞いていた。秘密と陰謀に満ちているとはいえ、アンティヴァン・クロウはお喋りな連中だった。
「私の才能は別のところにある」、ルカニスが言って周囲の武器の山を示した。「弁が立つのはお前だ」
「ならば彼女がデラモルテ家をお前に継ぐと言ったとしても、断るのか?」
 ルカニスが応えようとして口を開いたとき、誰かが忍び足で階段を登ってくるのに気がついた。
 彼は聞き耳を立てた。酔っ払いの足どりにしてはあまりに静かで、あまりに確かだ。給仕か? 疑わしい。この階を丸ごと借り切った時、ルカニスは宿屋の主人に、他の者たちを階下に留めておくようにとはっきり指図を与えていた。
 残るのはヴェナトリか・・・、彼の敵の長いリストの中の誰かが、彼を見つけたのでなければ。
「ルカニス?」 イラリオが答えをせがんだ。
 彼は片手を挙げると、彼の剣の使い古した革の握りを掴んだ。 
 イラリオの人好きのする仮面が剥がれ落ち、顔つきに冷酷さが満ちた。彼の袖の中に格納されていたダガーが勢いよく飛び出した。
 侵入者は階段の天辺にいて、近づいてくる。
 ルカニスは、再び話しはじめるようイラリオに合図した。
「これはカチョ・エ・ペペ(Cacio e Pepe)じゃないぞ」、イラリオが不満を言いながら、ダガーで食べ残しの皿を突くふりをした。
「お前がテヴィンターでアンティヴァン料理を注文したんだ。何を期待していた?」 ルカニスが応えた。今や会話は、侵入者がこの先どんな目に会うのか知らないままにしておくことを意味する。
「何か食べられるものだ」、イラリオがはぐらかした。
 素早く静かな三歩で、ルカニスは部屋の入口の傍らに位置を取った。扉の向こう側で誰かの息遣いが聴こえる。手袋をした指が、身を隠すために壁を掴んている。
 ルカニスは、違う場面なら笑っていただろう。誰もがあまりに壁に頼りすぎる。 
 一旦身体を引くと、彼は剣を突き出し、木材と漆喰を貫き、骨に当たってもさらに押し込んだ。
 廊下に悲鳴が響き渡り、それからドスンと言う音がした。
 ルカニスは立ったまま、扉の向こう側を覗き込んだ。血だらけの男、痩せて髭を生やした男が、刺されたままの腕を引き抜こうとしている。彼の傍らにはメイジの杖が転がっている。ルカニスを見ると、彼はそれを手にした。剥き出しで強力なエナジーが空中に満ちる。ルカニスの眼玉の裏側が疼いた。それは誰かがフェイドに触ろうとしているときの身体的直感で、彼が自分で身に着けたものだった。
 彼は片手でメイジの口を叩き、彼の頭蓋を壁に打ち付けた。「やめておけ」
 メイジはふらつき、杖を取り落とした。エナジーは消散した。
 ルカニスは男の襟元を掴むと扉の方に引き寄せ、そのため剣が彼のねじ曲がった掌にL字型の切れ込みを入れた。
 イラリオは、椅子とロープを用意して待っていた。
「座れよ」、彼が満面に笑みを浮かべて言った。「アンティヴァンのささやかなもてなしを味わうといい」
 彼の従兄弟が捕虜を縛り付けている間、ルカニスは壁から剣を取り戻した。
 メイジは意識を取り戻した。焦点の定まらない目が自分の置かれた有様を吟味している。
「喋りはしない」、彼は吐き出した。「拷問されようとも」
「お前を拷問するほど暇じゃない」、ルカニスがそう言うと、剣で彼を突き刺した。
 メイジの痩せこけた顔に驚愕の表情が走った。震える鬚の下で、彼の唇が血で濡れた。彼は喋ろうとしたものの、言葉は喉に詰まった。彼の身体は前かがみに崩れ落ちた。
 イラリオが顔をしかめた。「ただ殺すだけだと知っていたなら、ロープの結び目にこんなに労力をかけることはなかった」
「ポケットを調べろ」
「ああ」、イラリオが言って、メイジの上着から巻物を取り出した。「何か見つけた」
 封は破られていたが、封蝋には二匹のドラゴンの刻印がまだ読み取れた。「ヴェナトリ」
「そうだろうと思った。何が書いてある?」
 イラリオは巻物を拡げ、内容を眼で追った。「気高き兄弟姉妹たちよ・・・、我らの血管に流れるは真のテヴィンターの血、夢見し者らから受け継いだ・・・」。ルカニスがメイジの胸から剣を抜き始めたとき、イラリオが頭を持ち上げた。「気を付けろ! 革屋の仕事のときを忘れたのか。お前は俺の最良の上着を台無しにしてくれた」
 ルカニスはニヤリと笑うと、剣を抜き続けた。
 イラリオは用心深く二歩下がって、それから読み続けた。「警戒の重要性・・・、我らがメイカーより賜りし権利・・・、などなど・・・、ああ、ここにあった。ヴェナトリは外国の傭兵どもを恐れはしない」
 違う、奴らはその手に掛かって死ぬのだ。 剣は傷口から綺麗に抜き去られた。
「他には?」
「クロウの翼を折る者は誰であれ、我々がブラック・シティ(the Black City;注)に入り、帝国の栄光を取り戻すとき、我の傍らを歩くことになる」。イラリオは巻物を持つ手を下げると、困惑した。「うーん、それに価値があるとは思えないが」
「なぜなら、お前は真の信奉者ではないからだ。金銭となれば話は別だろうが」
 イラリオは肩をすくめ、変わらず平然としたまま、ルカニスに巻物を渡した。「署名はA。俺たちの標的は、お前にパーティーを台無しにされたくはないようだ」
 ルカニスは、巻物を死んだメイジの胸に突き刺した。「彼はがっかりすることになる」

***

注:ブラック・シティについては諸説あり、詳細に説明すると長くなってしまうので手短に。一説によれば、遥か昔にテヴィンターのマジスター七人(オールド・ゴッド七柱の司祭たち)が、ブラッド・マジックを用いてフェイドに侵入し、メイカーのおわしますゴールデン・シティ(the Golden City)の奪取とメイカーの座の簒奪を試みた。そのときメイカーは不在で、ゴールデン・シティはメイジたちの悪行のため汚染され、ブラック・シティとなってしまった。弾き出されたマジスターたちが現世に戻ったのが、ダークスポーンのはじまりだとか。

 ヴェナトリが信奉するコリフェウスは、その七人のマジスターの一人だったとか。コリフェウスは現世で復活後(DA2:Legacy)、ブラック・シティへの再侵入を目指すもインクイジターに打倒された(DAI)。ヴェナトリはその「遺志」を引き継いで活動している(コリフェウスの再復活を信じているのかもしれない)。
 なおヴェナトリが「夢見し者ら」(dreamers)と呼ぶのは、フェイドに侵入した七人のマジスターを指すらしい。後に、意志の力でフェイドと往来できるメイジのことをドリーマーと呼ぶようになった。

2020年9月23日 (水)

Streets of Minrathous (5完) (#TevinterNights)

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 騎士団長は、レディ・ヴァランタスの邸宅の外に彼自身の部下たちを配置していた。ヴァランタス家の者たちは、自分たちが相続する遺品を整理する前に盗賊たちに荒らされるのを恐れている、というのが彼の言い分だった。むしろ一家の者たちは、ヴェナトリとの関係を示す証拠を葬り去るまで、誰にも立ち入らせたくなかった可能性が高い。
 団長の言い分を信じているのか、それとも真実などどうでもよいと考えているのか、外の立哨たちは揉め事を予想していなかった。裏口に配置されているのは一人だけで、ちょっとした物音を立てて気を逸らせると、中に忍び込んだ者に気が付かなかった。
 レディ・ヴァランタスの遺体は書斎から運び出され、床は綺麗にされていたものの、迷信まがいの気持ちから、私は最後に彼女を見た場所をどの道避けて通った。大きな大理石の蛇を月明かりが照らし、その金メッキの両眼は私の闖入には興味がないようだった。
 私は暖炉に近づき、飾りの炉棚の下の石を急いで調べた。一番右端に、ラナが言った通りに四つの翼のドラゴンの彫物があった。石を軽く押すと手ごたえがあり、私はさらに強く押した。カチッという微かな音がして、空っぽの暖炉の前に地下墓地に降りる階段が開いた。自分でも止めていたとは気が付かなかった息を大きく吐き、私は慎重に降りて行った。
 ミンラソウスの街路が本当に寂れることは決してなく、それは地下に続く通路でさえも同じだった。地下墓地は、ミンラソウス自体と同じくらい古いものだった。公式には、そこは一年はもつほどの食糧や備品の保管場所であり、ブライト(blight;ダークスポーンがもたらす汚染の蔓延)やクナリの侵攻に対して、街が生き残るための備えだった。非公式には、多くのいかがわしい隠し場所、忘れ去られた場所、世をはばかる秘密が潜んでいることは、想像に難くない。
 蒼白い魔法の灯り(wisp-lights)が地下通路中に照らされており、薄暗いとはいえ、私自身で灯りを創り出す必要はなかった。高い天井は頭上の暗闇の中に消えている。壁の大部分は平らのままだったものの、ここでも地上の建物で見かけるような装飾を真似ているものがあった。一本の柱がドラゴンに似せて彫り込まれ、ほとんど誰も目にすることがないはずのフレスコ画もあった。私が立ち止まって芸術を鑑賞していると、私の足元には下の方から微かな震動が伝わってきた。
 頭上のオレンジ色の点滅に気がつくまで長くはかからなかった。石の壁の向こう側から声がこだまするのが聴こえてくる。再び地面に震動が伝わり、私の頭の中では奇妙な耳鳴りがしていた。それは私には理解できない感覚と、空虚さを求める高まりとで満ちていた。
「コリフェウスを失ったのは試練だ」、アエリアの声がした。彼女は緊張しているように聴こえたが、断固とした決意は損なわれていない。「我々は、テヴィンターもまた失うのか? その再興を否定するのか? 我々の答えは?」
「我々の命は、テヴィンターの栄光の再興のために」。私一人で立ち向かえないほど数多くの声が答えた。
 脳裏の不気味な感覚を無視して、私は灯りに近づいた。近づき過ぎないうちに柱の影に身を潜め、目前の光景を見て取った。
「封印は解かれた」、アエリアが言った。「裏切り者は血の代償から逃れることはできなかった。自らの血を差し出した忠誠の徒らはやがて報われる。ミンラソウス再興のときは今ここにあり」
 ヴェナトリの少人数の群れ、三十人かそこらがアエリアの前に立っていた。彼女の声が緊張している理由がその時わかった。封印を解くことは儀式のはじまりに過ぎなかった。これがコリフェウスの計画だったのだとしたら、そしてディーモンがフラヴィアンが言うほど邪悪な存在だとしたら、神が、または彼自身がそうであった何物かが、最後の段階を執り行うべきであったことは十分あり得る。
 アエリアは、それを理由に諦めることはなかった。
 方尖柱(オベリスク)の下には、照らし出す灯りと無関係に影が動いている。それを見ているうちに、私の頭の中の耳鳴りの音がさらに大きくなっていった。私が見ているものが何であれ、それは何かより深いものの周縁なのだ。それがディーモンそのものだとしたら、それは私が知る限りの他のどのディーモンよりも古く、大きく、名は知られず、ずっと邪悪であることは言うに及ばない。それが復活すれば、ミンラソウスは影も形も残らないだろう。
 私は呪いの言葉を吐いた。一体全体、私は何をしようとしているのか? もし私が立ち去っていたのなら、他の者たちと一緒に死ぬことになったのだとしても、ベッドの上で寝ている間に死ねたのかもしれない。もしかしたら面白い本を読みながら、あるいは美味しい夕食を摂りながら、そうなったのかもしれない。しかし、私は今ここにいる・・・。
 アエリアの足元の男はすでに死んでいる。素早く動くと、私は男に氷の魔法を浴びせた。
 アエリアは、彼女の力の源が文字通り凍り付くと、忌々しげな叫び声をあげた。
 彼女は即座に私の姿を見て取ったものの、方尖柱の傍を離れなかった。私を追えば儀式が中断してしまう。そして彼女が私を憎む気持ちよりも、彼女の偽りの神とその狂った夢を愛する気持ちのほうが強かった。それでも彼女の邪魔をすることはできた。
「ここに連れて来い!」 アエリアが叫び、そのことが私にツキを呼んだ。
 死に至らしめない攻撃を選び、私は最初の一団を食い止めた。地下墓地の石の床に氷を張り、何人かのヴェナトリをよろめかせ、別の一人は氷で釘付けにした。私は集中し、カルティストの周囲の空気を引き寄せて足止めした。しかし三十人を相手に、たった一人きりでいつまでも持ちこたえることはできなかった。とうとうふたりのヴェナトリに捕まえられて、石造りの方尖柱の前まで引きずられて行った。
「ミンラソウスは堕落している」、信者が私を傍らまで連れて行くと、アエリアが言った。影の放つ波動が不快なほど近い。それが私を傷つけることができるとはまだ思っていなかったものの、同時にそれから逃れようと身をよじってもいた。
 ミンラソウスは日々、人々を葬り去っている。権力争いと政治のせいで街が滅びることはないと、眼を塞ぎ、あたかも彼らが存在していなかったかのように振舞っている。そして街は、そのために今滅びようとしている。
 心地良いベッドと美味しい食事に再びありつけないことを後悔し始めていたとき、私の視界の端、灯りの輪の外にちらりと動く姿が見えた。
 騎士団員ラナ・サヴァス。
 闇の中を探すと、騎士隊長ジャーヴィスと目が合った。彼は私に素っ気なく頷いた。 彼の左手ではブロムが包囲の別の端の方に向かっている。
 人には驚かされることがある。テンプラー三人全員が、メイジ鎮圧用の魔法を施した武器を手にしている。ジャーヴィスとラナは剣を、ブロムはヘヴィー・メイスを。一見すると普通の武器に見えるものの、私にはフェイドに触れた(Fade-touched)金属の微かな輝きが見え、サークル・オヴ・メイジャイの紋章が付されている類だということがわかった。メイジたちの機嫌を損なわないようにするために、ミンラソウスのテンプラーがそれらの武器を携行するのは特定のかつ認定された場合に限られており、そのための許可を得る必要がある。騎士隊長ジャーヴィスはその手順を省略したのだろうと、私は薄々気がついた。
 アエリアは私のほうに頭を傾げ、私はテンプラーの準備が整うまで彼らの存在が露呈しないように、視線を落とした。
「貴方は、何を復活させようとしているのかわかっているのか」、私は話し始めた。
「ミンラソウスの救済だ」。アエリアの声は以前よりもさらに緊張していた。彼女の力を引き出す血がなければ、彼女が自分で儀式を続けることは難しくなる。
「そうでしょうとも、でも」、私が言った。「貴方の手に負えるはずがない」
「目的は果たされる」、アエリアが言った。「ミンラソウスは以前の栄光を取り戻す」
「栄光などあったのかしら?」 私が尋ねた。彼女が儀式に集中する必要がなかったのなら、私はその言葉のせいで間違いなく死んでいた。
 地下墓地に再び震動が走った。天井から塵が舞い降り、影の波動がさらに広がった。それが何であれ、栄光だの何だのを気にかけてはいなかった。
「お前と私が封印を解いた」、アエリアが言った。「お前と私で終わらせる」。彼女は腰のナイフを抜き、私を抑えつけているヴェナトリの一人に渡した。
「貴方や私よりも、終わらせるのに相応しい者たちがいるわ」、私が言った。
 ラナの剣から発せられた光の束が群れを撃ち、撃たれた誰もが麻痺した。まだ動ける者たちは自分たちの身を守るため、新たに出現した攻撃者たちに殺到した。私を抑えつけていたヴェナトリの一人が動転して握っていた手を緩めると、彼の相棒は自由になった私の拳で力いっぱい打ちのめされた。私は強く引いた肘を最初のヴェナトリの腹にまともに打ち付け、氷の一撃をお見舞いしてふたりとも押しのけた。
 テンプラーたちがヴェナトリと戦っている間、影がうねっていた。より黒く、濃くなってきたものの、まだ形はなかった。鉄灰色の髪のヴェナトリがのたうつ闇の近くでよろめいた。彼が立ち直る間もなく、影がその両手を包み込んだ。カルティストは膝をついた。彼の身体が激しく震えた。突然、敵味方ともに静寂が訪れ、視界から沈んで行く老いた男の悲鳴がそれを打ち破った。
 私がそれ以前に混沌というものを知っていると考えていたなら、それは間違いだった。何人かのヴェナトリは戦い続け、他は逃げ出した。またしても地面が揺れ、ブロムが態勢を崩した。彼はメイスで地面をガシャンと叩き、三人のヴェナトリに取りつかれた。私が動き出す前に、彼のメイスから光の束が発せられ、彼らを弾き飛ばすとともに、別のカルティストを影の中に送り込んだ。よろよろと立ち上がったブロムの片腕はだらんと下がり、ヴェナトリが放った魔法のせいで動きは緩慢だった。ラナが彼に駆け寄り、巨漢のテンプラーが影の中に引き寄せられるのを食い止めた。
 その間ずっと、アエリアは儀式を止めなかった。彼女の片腕から鮮血が流れ出ている。彼女は自分一人だけで魔法の力を注ぎ込んでいた。
 私は駆け寄り、彼女の手首を掴んだ。振りほどこうとする彼女を私は離さず、彼女の出血を遅らせ、傷口をできるだけ塞ごうとして意識を集中した。
「お前に邪魔は・・・」、彼女が言い終わる前に、私は彼女の顔面に拳を一発お見舞いした。アエリアは後ろにのけぞり、それで連結が破れた。 
 儀式が即座に途絶して、私たちは二人とも驚愕した。アエリアは影が消えてしまったのを見て悲鳴を上げた。私は方尖柱に向けて氷の壁を噴き出した。それだけで大惨事を食い止めることはできないとしても、ジャスティカーが私よりも賢い手練れを送り込み、事態に対処するまでの間、持ちこたえるには十分だ。
 ラナが私たちに加わり、アエリアを立たせた。
「騎士団長には、首尾良く行ったと言うのかしら」、私が冷たく言った。
「そうだ」、そう言ったラナの声には、規則を曲げてここにやって来たことに対する、刺激的な感動と、愕然とした思いの両方が滲んでいた。
「レディ・ヴァランタスの調査で来たのではない」、騎士隊長ジャーヴィスが言った。「行方不明のメイジの足どりを追っていたのだ。ニーヴ・ギャラス」。私の笑顔は嘘偽りのないものだった。彼は疲れ切っているように見え、私は同情を覚えた。
「今夜の仕事ぶりは上出来だった」、ジャーヴィスが部下のテンプラーたちに言った。ラナは微笑んだ。ブロムは肩をすくめただけだった。二人のうち、私はブロムの側についた。 
 次に何が起きるかはわかっていた。ディーモンか何かわからないものが封印される。それについては誰も口にしない、なぜならヴェナトリが依然強大すぎる力を有していることを認めることになるからだ。ヴェナトリの何人かは罪に問われ、他の者たちは、自分はブラッド・マジックの影響下にあった犠牲者だと弁明する。十分に金のある者たちはそれだけで容赦される。
 地下墓地から外に出ると、まだ暗かった。街は眠ってはいないとしても静まり返っており、何が起きたのか知る由もなかった。
「ミンラソウスは堕落している」、アエリアが私に向かって吐き出した。
「そうね」、私が言った。「でも、それを正すのは貴方じゃない」
 私はアエリアをテンプラーの手に委ねた。何よりも眠りたかったとはいえ、あともう一か所、訪れるべき場所があった。

 深夜に部屋の扉の前に現れた私を見たラナ・サヴァスが驚いたのだとしたら、翌朝まだ日が昇る前に家の扉に現れた私を見たオットー・カラーは困惑した。そしてそれは、私のせいで召使いに起こされたために軽く苛立っているだけではなかった。
「何が望みだ?」 彼は言って、私の血だらけの外套と塵まみれの髪を目にとめた。「ヴェンヘディス。厄介事を持ち込む気なら・・・」
「慰めにならないかもしれないけど、貴方がクエンティンにやり直す機会を与えたことは間違いではなかった」、私は言った。「彼はヴェナトリから足を洗った。彼の最期の日々に不穏当なところもなかった」
 オットーは、くたびれた手で顔を撫でた。「今更、何の意味がある?」
「貴方には意味があるかも。貴方が決めること。貴方は真実を求めた。これがそれ」
「金はすでに払ったぞ」、彼がそう言ったとき、私は立ち去り掛けていた。
「そうね」
 私の背後で、カラーの邸宅の重い扉が閉じ始める音が聴こえ、それから止まった。
「なぜ、あいつ自身の口から言わなかった?」、オットーが私の背中に呼びかけたが、彼の声に含まれた懇願は、すでに死んだ者に向けられたものだった。
 私は立ち止まり、オットー邸の正門に彫られたドラゴンに片手を置いた。朝の光が街を端から徐々に照らし始めており、人々はすでに私の目の前の通りを行きかい、一日を始める支度をしていた。
 クエンティンはなぜ彼に言わなかったのか? 簡単な答えは、そうできなかったから。でも、彼はそうすることを望んだのだろうか? そうしようとしたのだろうか? それに何の意味があるのだろうか?
「わからない」、私はそう言うと、歩み去った。  

***

 結局、主人公の片脚が義足だった理由は語られず。往年のハードボイルド、名無しの探偵ものを彷彿とさせる作りですので、やばい橋は何本も渡ってきたということなのでしょうか。堅物だと思われていた法執行者(テンプラー)が、最後にはわりと粋な計らいをするところも、ハードボイルドだど(あまり知られてないか)、ていう感じかな。
 プロットのほうは地下墓地とカルト、ディーモン召喚といったオーソドックスなもので、DA風味はブラッド・マジックが醸し出している。割かし癖のある原文を訳すのが大変でしたが、物語自体は楽しめるのではないでしょうか。先のウェアウルフのお話同様、作者はシニスターな(禍々しい)状況とシニカルな(乾いた)笑いが持ち味のようです。

 次はコートニーの、これもドリアンのカードゲームの場面でちらりと出てきた鬘屋のお話。暗殺者ギルド、アンティヴァン・クロウが登場するようです。

2020年9月21日 (月)

Streets of Minrathous (4) (#TevinterNights)

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 あの店の男が話すのを拒んだとしても、あの首飾り、あるいはアエリアが呼んだようにあの「封印」、について知るもう一人の人物がおり、私は彼を追い詰めた。
 彼は旅行鞄を通りに投げ出すと、私に背を向けて逃げ出そうとした。私は魔法で彼をその場に釘付けにした。 
 どうやって見つけた? フラヴィアン・バタリス(Fravian Bataris)が尋ねた。以前会った時のように、喉元で白鷺のピンが神経質に揺れている。彼の名前と、彼が借り出した船の名前を調べるために、私はその晩の残りの時間と、一週間分の魚の夕食代に相当する金を費やした。
 夜遅くに場末の市場をうろつくような者たちは、金の刺繍を施したローブなど身に着けない。私は彼の周囲を注意深く歩き回って、顔を見合わせる場所に立ち、白鷺を指差した。そして家の紋章を見せびらかしたりしない。
 フラヴィアンの顔が紅潮した。恥ずべき失策だったが、一番悔いるべきはそれではなかったのかもしれない。私は彼が良く見えるように、半分になった四つの翼のドラゴンを掲げた。もう半分はアエリアが首飾りの残りと一緒に持ち去っていた。
 貴方は私を殺させようとしてしくじった、私が静かに言った。
 大事なのはそこではない、フラヴィアンが言った。自分がそれを始末できたことのほうだ。
 そして貴方は、然るべき者たちに、自分がすでにこれを持っていないと知らしめた、私が言った。
 フラヴィアンに良心の呵責というものがあるのだとしても、私のために無駄に費やすことはしなかった。
 誰かが死んだのだ。それが壊されたならミンラソウスの大部分も同じように破壊され、どの道お前もそこに含まれる。あるいはお前はアエリアを食い止めることができたかもしれない。自分たち二人なら、お前の方が勝ち目があった。
 私はフラヴィアンを釘付けにしていた魔法を解いた。フラヴィアンは腕組みし、また解き、両手を組み合わせた。
 私がアエリアに勝ち目があるとは思っていなかっただろうに、私が言った。
 フラヴィアンは私の腕に目を向けた。それが間違っていたか? どのみち、自分は誰の勝ち目であっても信じない。
 まるでそれを支持するかのように、二人の足元の地面が揺れた。波止場にいた若いカップルが互いに身を引きはがし、困惑して周囲を見渡し、それからまた抱き合った。
 あの首飾りは何のためか? 私が尋ねた。
 コリフェウスはテヴィンターの再興を望んでいた、フラヴィアンが言った。彼は、ミンラソウスが自分の新しい世界を飾る宝石になると信じていた。彼は南方で勝利した後、ここに舞い戻るつもりだった。
 首飾りは何のためか、フラヴィアン、私が言った。
 この街の下にはディーモンが封じられている。もしそれが解放されれば・・・。彼は、まるでミンラソウスを放り投げるような仕草をした。そしてコリフェウスが再建する、それが計画だった。
 ミンラソウスは以前にもディーモンどもに打ち勝っている、私が言った。
 今度はそうはならない、フラヴィアンが言った。ディーモンと呼ぶのが相応しいかどうかさえ知らない。神のみが召喚できる何かだ。私の顔つきを見て彼が付け足した。神ではなかったとしても、コリフェウスはそれに十分近かった。
 再び足元が揺れ、私は身体がぐらつかないように片足を踏み出した。波止場の周りにいた者たちは不安げな顔をしはじめた。倉庫の方に駆け出していく男が見えた。若いカップルは急いでその場を去った。
 続けて、私が言った。
 自分たち八人が、その牢獄の封印を持っていた。ブラッド・マジックで束縛されていた。それについて語ることはできなかった。他の者たちが殺されて動揺し、自分の分を誰かに渡そうと思い始めた。
 それだけの長い間、誰にも知られずに束縛する。誰かが実際に束縛を更新しない限り、そんなことができるのは・・・。
 コリフェウスは十分に近かった。フラヴィアンが言った。もしミンラソウスが屈しないのなら、ディーモンが間違いなくそうさせる。「ミンラソウス復活のとき」だ。
 コリフェウスは死んだ、私が言った。
 そして計画も。アエリアが引き継ぐまでは。ヴェナトリは、今でもコリフェウスが約束したミンラソウスを、彼がいようがいまいが欲している。彼女に必要なのは封印だけだった。
 貴方たちの全てがそう望んでいたわけではない、私が言った。
 レディ・ヴァランタスはコリフェウスの最も敬虔な信者の一人だった。彼が倒されて、彼女は「良心の危機」を迎えた。彼女の慈善活動とチャントリーへの没頭? それが贖罪のためでもあるなら、偽らざる思いだ。パクサス? 彼はアエリアにとって代わりたかっただけだと思う。
 貴方はどうか? 私は尋ねた。
 フラヴィアスの顔つきに弱々しい笑いが浮かんだ。自分はもっとだめな奴だ。より悪しき死に甘んじることにした。いっそのこと、他所の地で暮らすとか。
 クエンティンは?
 フラヴィアンは噴き出した。カラー? 彼はそもそも、辛うじて自分たちの一員と呼べるに過ぎない。彼は、ヴェナトリが奴隷制を終わらせるという話を聞かされた。彼がそれ以外のことを知ったとき、自分の家に対するいくつかの脅迫を受け、それによって十分長い間、言うことを聞かされた。彼が封印で束縛されたのは、その時分、カラー家を操ることが都合が良かったからだけだ。結局、彼がインクイジションに情報を送っていたのだと思う。その頃までには、自分はコリフェウスの計画に従って生きるのが良いと思っていた。
 それ見たことか。私は答えを見つけた。クエンティン・カラーが何者だったのか、なぜ死んだのか。
 旅行鞄を拾うために動こうとして、私に再び釘付けにされたフラヴィアンが懇願した。アエリアは待たない。「とき」はすぐそこだ。自分を行かせてくれるなら二人ともここから逃げ出せる。代金は自分が払う。
 彼女はどこか?
 もうすでに始まっている、彼は言って、動けない身体のまま眼で私の動きを追いかけた。私が答えないでいると、彼は降参した。好きなように死ねばいい。地下墓地(catacombs)だ。隠されているやつだ。入口はいくつもある。自分が知っているのは、レディー・ヴァランタスの書斎にあるものだけだ。
 私が呪文を解くと、フラヴィアンは旅行鞄を掴み、波止場を引き摺り始めた。桟橋の途中まで行ったところで鞄が壊れると、彼はそれを置き去りにして、自分の脱出手段に向かって駆け出して行った。
 
 騎士団員ラナ・サヴァスは、テンプラー本部の彼女の部屋に私が夜遅く訪れることは、あるいは私が血だらけの姿で現れることは、予想していなかった。傷口は十分塞いだはずだったのに、私の外套にはまだアエリアから受けた攻撃の血が染み出ていた。手には四つの翼のドラゴンの、半分になった欠片を握っている。
「身に着けるには前よりひどい有様になったのは認めるけど、返してもらえなかったとは言わせない」
「何が起きた?」、彼女は私が差し出した片腕の様子を確かめつつ、壊れた封印を断固として奪い取った。ラナ・サヴァスには私の傷の心配をさせながら、同時にテンプラーが主張する押収物を引き渡す。儲けものだ。 
「殺し屋はヴェナトリだった」。もうすでに十分長すぎると感じていた一晩をさらに費やして、私は彼女に事の顛末を話した。
「手を打たなければ」、ラナが言った。彼女は間違ってはいなかったし、私もそのつもりだった。だが彼女は続けた。「これだけの大ごとは、騎士団長に知らせる必要がある。直ちに報告する」
 私はラナが何をしでかそうとするのかわかっていなかった。いや、そうではない。私はこうなることが確実にわかっていたし、まるで間抜けみたいになって、結局いらついていた。
「『とき』は今なのだ、ラナ」、私は言った。
「わかっている。だからこそ・・・」
「騎士団長に報告すれば、彼は友人のジャスティカーの助言を求め、彼らがヴァランタス家の意向を確認するために、私たちは明朝まで待たされる」、私は言った。「街が崩れ落ちるかもしれないのに、彼らはまたしても愚直にその命令に従う。しかもそれは私たちが幸運な場合の話であって、彼らは一家が何を隠しているのかさえ、まだわかっていない」
「貴方もわかっていない」、ラナはそう言ったものの、騎士団長を擁護するというよりも、私の話に難癖をつけているのだった。
「私がテンプラーと一緒に仕事をするのを嫌っている理由を知りたい? 貴方たちの規則でも、フェアプレイ精神でもない。貴方やジャーヴィスのように、それに従おうとする人たちがいるから。それとも、貴方たちがそれを望んでいるから。そして十中八九、然るべき者の手に間違った硬貨が渡るせいで、手出しができなくなるから」
「これはそうではない」、ラナが言った。そして私が答えられない問いを投げかけた。「そう思っているなら、貴方はなぜここに来た?」
 私は溜息をついた。「たぶん、今回は十中八九に入らないと思ったからかもしれない。手遅れになっているときは大抵、自分が当てにする誰かが、何が間違っていたのかをわかっている。フラヴィアンが言っていたことが正しいなら、先手を打たなければならない」
「誰かが耳を貸す。体制を組む必要がある」
 私は頭を振った。何をか言わんやだ。
「貴方一人で何ができるというのか?」 ラナが尋ねた。
「わからない」。腕が痛み、何もかもがしくしく痛んだ。頭は睡眠を求めている。「それでも行けるところまで辿り着ければ、ここがそうだとわかる」
 今回に限って、彼女は外までついてこなかった。扉のところに立つ彼女を残し、私は夜の中に戻った。

***

 テンプラーとは仕事したくない理由の部分、作者の気合が入っているのか、それともそういう事態は(もちろん普通に仕事をしたことがある人ならおわかりのとおり)余りによくあることだからなのか、イディオムが頻発。いちいち確認するのが大変(笑)。

 「またしても愚直に命令に従う」は、”jump through the same hoops”。サーカスの熊が、けもの使いに命じられるまま延々と輪っかくぐりをするイメージらしい。「彼(女)のためならたとえ火の中水の中」的な意味にも使う。裏返しは、かぐや姫が求婚者たち相手にした仕打ちですね(笑)。 
 「然るべき者の手に間違った硬貨が渡る」は、”the wrong coin in the right hands"で、これは見つからないので直訳。「善悪(正邪)は硬貨の裏表」からの連想で、「然るべき(権限のある)者に正しい話(情報・指示)が伝わらない」と取りましたがどうか。

 「十中八九」は、"too many times out of ten"で、これは普通、”nine times out of ten”と言いますね。両言語ですっかり同じです。江戸時代にはあったと言うから翻訳語ではない。似たようなもので「二度ある事は三度ある」は、”Letters from Iwo Jima”(2006)では、”Everything comes in threes.”と言ってました。言語の違いの前に、皆ヒトであることがわかって好きな話です。

 

2020年9月16日 (水)

Streets of Minrathous (3) (#TevinterNights)

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 翌朝、私はテンプラー本部の外でラナを見つけ出した。二晩で眠った時間を数えたら、片手で済んでしまうとはいえ、何かを見つけたら知らせると言ってあった。だからやって来た。
 何か見つけたのか、ラナは前置きを省いて言った。
 おはよう、騎士団員サヴァス、私は首飾りを渡した。どんな意味があるのかわからないが、ヴェナトリを狙っている者が誰であれ、とりわけこれを手に入れたがっている。
 カルトの特定の分派のものか、ラナが考え込んだ。私の最初の考えもそうだった。
 もしかしたら殺人者を不当に扱ったとか、私が示唆した。
 ラナは四つの翼を持つドラゴンに指を這わせた。これは見たことがある。
 どこで?
 レディ・ヴァランタスの暖炉の前飾りの隅に彫られていた。戻らなければ。何を探すべきかわかったのだから、その意味もわかるかもしれない。ラナの自信満々な態度は、テンプラーに許される程度を越えていると私は思った。
 そして私は正しかった。
 レディ・ヴァランタスの一件は解決済みで、これ以上我々が関与する必要はない。騎士隊長ジャーヴィスの喋り方からは、伝言を引用しているにも関わらず、彼が違う考え方をしていることがわかった。私たちは、サークル・オヴ・メイジャイの隣の、漆黒色の建物の中にある彼の部屋にぎゅうぎゅう詰めになっていた。狭苦しい部屋の中で愉快な気分の者は誰もいなかった。
 しかし、我々は手掛かりを・・・、ラナが言った。
 ヴァランタス家はテンプラーの助力に感謝し、そして彼らの母親が自ら命を絶ったことを残念に思っている。ここから先は彼ら自身で差配する。ジャーヴィスは引用を続けた。彼の後ろでブロムが馬鹿にするように鼻を鳴らした。
 自ら命を絶った? ラナが食い下がった。呪文の跡、争いの痕跡は・・・。
 昔からあった傷跡、彼らの母親の今際の際の狂気。好きな方を選べ、ジャーヴィスが言った。ヴァランタス家はお詫び申し上げる。
 などなど・・・、ブロムが付け加えた。
 ヴァランタス家は、貴方たちが彼らの周りで他のヴェナトリを見つけることを恐れている、私はやんわりと言った。これがミンラソウス。なにも驚くべきことではない。
 お前たちも、私もそれはわかっている。彼らにはジャスティカーの友人がいて、彼が個人的に介入してきた。そして騎士団長の完全な支援を得ている、ジャーヴィスが言った。
 これを手に彼らの元に行けば・・・、ラナが首飾りを示した。
 それだけ? ジャーヴィスが言った。ヴァランタス家はうやむやにしてしまうだろう。
 それか、彼らのために貴方たちの騎士団長がそうするのかも、私が呟いた。
 サヴァス、お前は命令に従え、そうジャーヴィスが言って、次に私の方を向いた。ニーヴ、ヴァランタス家をつつき回るな。私に考えがある、だが別の方法が必要だ。
 私はそんなつもりはないという風に両手を掲げて、テンプラーたちを狭苦しい部屋に残して立ち去った。古びれた廊下を通り、玄関から外に出て、サークル地区の喧騒の中に入った。マジスターたちや学者たちが、慌てて付き従う助手や見習いたちの列を引き連れて、おぼろに浮かぶ塔に出入りしている。
 二日のうちに二度、私は手を引く理由を手に入れた。ここで立ち去っても誰も気にしないだろう。正直に言えば、最初から誰も気にもしていなかった。家に帰ることもできた。だがそうしなかった。
 ニーヴ、どこに行くのか、ラナが尋ねた。
 ご親切にどうも、でもいつもいつも私を送り出してくれる必要はない、私が言った。
 ニーヴ、ラナが再び言った。
 ヴァランタス家には近づかない、私は言った。それは貴方たちの問題。私はまだカラーの件を追っている。私は首飾りを指差した。そしてこれにはまだ使い道がある。
 そして下手人はメイジ、ラナが言った。私たちの管轄だ。その件を追うのも私たちだ。騎士隊長は待てと言った。
 記憶違いでなければ、私は命令を受けていない。
 権限によって、私はそれを取り上げることができる、ラナが言った。
 それか、これが貴方たちのものだとして、私が使い終わったら返すと約束するのではどうか。
 ラナは不満そうだったが反論もしなかった。私は首飾りを腰の物入れにしまい込んだ。ラナは命令に従うため建物の中に戻った。

 場末の市場の路地裏を進んだところに店があった。夜にその狭い路地を照らすのはいくつかの篝火だけであり、昼であっても薄暗い。日中そこを訪れる者は誰もいない。店そのものは正午過ぎまで錠がかかっている。そしてそこに品を見に来ることを誰にも知られたくない者は、それよりも遅い時間にやって来る必要がある。
 ブツは何だ、私が望みを口にする前に男が尋ねた。彼の名は知らない。彼が私の名を知っていたとしても、知らないふりをするだろう。
 何かを探しているのかもしれない、私が言った。
 男は片方の眉毛を釣り上げた。そうは見えない。ブツは何だ?
 私が傷だらけの木の机の上に首飾りを置くと、男が掬い上げた。四つの翼のドラゴンに掛かっている魔法の性質を調べるため、彼が魔法で探っているのを感じことができた。
 ブラッド・マジック、彼が言った。
 そう、それはわかった。
 いや、これは違う。コリフェウス以来のものではない・・・。
 何が・・・? だが私は質問を終えることができなかった。
 出て行け、彼はそう言って紋章を机の上に置くと、私の方に滑らした。
 待って、何が・・・、私は再び問いかけたが、彼は相手にしなかった。
 知らん、関わらん、見もしなかった。
 しばらくして私は通りに戻っていた。店の男は、私が想像できないくらい邪悪なものをこれまで沢山見てきたのは間違いないはずなのに、これはその彼を怖がらせた。そして彼が話すのを恐れるなら、他に誰が話してくれるというのか? 私の手立てはなくなりかけていた。首飾りのことを知っているのはあと一人だけ。問題は再び会えるのかどうか。
 店から場末の市場への狭い通りを曲がったところで、青銅の仮面を付けた姿が待っていた。
 本能的に私は氷の一撃を放ったが、相手は当然予期していた。
 その姿は横向きに身をかわして攻撃を避けると、突進してきた。ダガーを抜き、低くかがみ、私に向かって長い刃先を振り抜いた。鋼の刃先は私の金属製のふくらはぎに当たって跳ね返り、相手は身を翻した。だがそれは私にとって幸運すぎるミスであり、相手が間違いを繰り返すとは思えない。私たちはしばしの間立ち留まり、睨み合った。
 封印を持っているな、その声は低く、憎悪に満ちていた。
 アエリア? 私が尋ねた。
 彼女は穏やかに笑った。仮面の表情は変わらなかった。私はそれが与える印象を気にしなかった。
 私はヴェナトリではない、私が言った。
 誰もそうではなかった。
 闇のエナジーの波動が私の方に向けられたが、今度は私の方が早かった。私は身をかわし、片腕を上に突き上げ、彼女の足元に創り出した氷の槍を同じように持ち上げた。
 アエリアの動きは間に合わなかった。氷が脇腹に当たった彼女がよろめき、隙が生まれた。私は彼女の周囲の空気の動きを緩め、それから解放した。勢いの差に弾みがつき、態勢を崩した彼女は、壊れかかった長屋のへこんだ煉瓦に激突した。
 態勢を立て直すと、アエリアは顔の仮面を投げ捨て、短い赤毛と予想以上に怒りに満ちた顔を曝した。
 仮面は反対側の壁に当たって音を立てた。
 ほんの僅かの間を稼ぐ目くらましが功を奏した。アエリアのもう一方の手にはまだダガーが握られており、仮面を放り投げた方の手の掌を引き寄せると切り付けた。
 彼女が私のエナジーを吸い上げはじめ、私は眩暈を感じた。アエリアは拳を握りしめ、自分自身の力をさらに引き出し、私は仮面が転がっている方の壁によろめいた。
 彼女はダガーを手に素早く駆け寄り、私は片腕を上げて最悪の一撃を防いだ。彼女は刃先の向きを変え私の筋肉に切り付けたが、少なくとも首ではなかった。それでも私は悲鳴を上げた。彼女が私の腰から、首飾りが入った小物入れを引きはがすのを感じた。
 我らのいのちはテヴィンターの栄光の再興に捧ぐ。
 貴方はヴェナトリ、私が言った。なぜ・・・?
 ミンラソウスは道を忘れた、アエリアが言った。それを正すのが我らの役目。高みに上らせるために。
 アエリアが紋章を私の腕の傷に押し当て、私は息を呑んだ。彼女のもう一方の手が、ダガーを私の喉元に押し当てる。私は再び眩暈を感じた。彼女の魔法のせいか、出血のせいかわからなかった。
 裏切り者の血が正義をもたらす。お前たちと私の血によって。
 私は彼女が首飾りに魔法を送り込んでいるのを感じ、私の力を奪って首飾りに掛かっている魔法を解除しようとしていることがわかった。鋭い音がして紋章が壊れ、地面がぐらぐら揺れた。彼女の顔に愉悦の微笑みが浮かんだ。
 次は私の喉が切り裂かれるはずだったが、彼女が一瞬動きを止めただけで十分だった。何とかして風の一撃を食らわせ、彼女を私の上から吹き飛ばした。ダガーが敷石の上を転がって行く。私は氷の結晶を身に纏った。正確に当てることができるとは思わなかったが、彼女がはったりに引っかかってくれればそれでよかった。
 アエリアは距離を取った。「とき」は今。お前たちの最後の「とき」を生きるがよい。それがお前の務めに対する謝礼だと思え。
 彼女の足音が聴こえなくなると、私は壁をずり落ちた。氷の結晶が周りの地面に落ちてきた。
 出血を止める必要があった。魔法を引き出すには苦労を要した。私は癒し手ではないものの、なんとか傷口を塞ぐことができた。出血を抑え、上着の袖を引き千切って、できるだけ傷口を覆うように巻きつけた。見栄えは悪いが、その「とき」が来るまではもつだろう。

***

 第一回目かな、ニーヴの片足の膝から下がドワーフ製らしい金属の義足だという部分、間違っていたので修正しました。
 ここにも出て来てようやく気が付いた。まさかそうとは思わなかった。説明してよ・・・。

2020年9月12日 (土)

Streets of Minrathous (2) (#TevinterNights)

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 ミンラソウスの富がどこにあるのか知りたければ、古いメイジの家を見ればよい。
 レディ・ヴァランタスは古い家の出だった。彼女の書斎の床から天井まである窓はオリージャンの絹で覆われ、両眼に金めっきをあしらわれた大きな大理石の蛇が入口でとぐろを巻いている。頭上のシャンデリアは豪勢で、自然に吊られているはずのない重さが、この手の家ではよくあるように、魔法か何かで支えられている。確かに見事な眺めだが、誰かの祖祖父あたりがブラッド・マジックを用いて成し遂げたことは、皆忘れている。
 レディ自身は、部屋の隅にある繊細な彫物が施された机の前にうつ伏せに倒れていた。巻物、インク壺、小さな縞瑪瑙(オニクス)の本立てが床に散らばっている。扉の框(かまち)に焼け焦げた跡が残り、机の上には酸でえぐりとられたいくつもの傷があることから、メイジ同士の戦いがあったことが伺えた。だがレディ・ヴァランタスの頸元には深い切り傷が残っている。
 二人が部屋に入るとき、ラナが敬礼した。騎士隊長ジャーヴィスは、机の向こう側、大理石の暖炉の前に立ち、継ぎはぎだらけの鎧を着て、寝不足の眼をしている。私は同情した。私の家族も、メイジよりテンプラーのほうが多く、そのため私がどう見られているのかは知っている。つまり私は古い家の出ではなく、ジャーヴィスがそう見えるのと同様、レディ・ヴァランタスの邸宅で居心地の良い思いはしない。
 わざわざ手助けにきたのか、ジャーヴィスの言葉で、私の同情は消し飛んだ。
 必要ないなら呼ばないでしょうに、私は愛想良く言った。
 ジャーヴィスは無視して話を続けた。何年もの間、レディ・ヴァランタスにはヴェナトリだとの疑いがあった。彼らの「神」がうろついている頃、何かを企んでいるのはわかっていたものの、それ以上は不明だった。今や証拠を手に入れた。救いはそれだけだ。それから、とてつもなく太い腕をした、そばかすの残る別のテンプラーに言った。ブロム(Brom)、ただほったらかしておかずにきちんと中身を読むように。
 ブロムは溜息をつき、レディ・ヴァランタスの身の回りの品の仕訳け作業を続けた。
 私は問題の女性の傍に近づきながら言った。レディ・ヴァランタスは、ここ数年慈善活動に精を出していると聞いたことがある。
 ヴェナトリのやることに理由なんかあるのか、ブロムが呟き、レース飾りのついた結婚式の招待状を書類が積まれた不安定な山に載せた。
 レディ・ヴァランタスの死体の下の床は黒い染みになっていた。クエンティン・カラーも刺された、私が言った。
 襲撃者はメイジだ。なぜここまで近づく? ジャーヴィスが尋ね、別の角度から死体を見るため、机の傍を離れた。
 逃がさないようにするためかもしれない。不意を突こうとしたのかもしれない。私は思いつきを数え上げた。それとも、そうする必要があったのかもしれない。
 ブラッド・マジックか。ラナが尋ね、三人のテンプラー全員が私を見た。
 ブラッド・マジックには、この世界と彼方の世界フェイドとの間のヴェイルを薄くするという、質の悪い習性がある。私は両眼を閉じ、ごく少量の魔法に触れ、それがどう反応するか感じ取ってみた。それはあまりに即座に、あまりに速く、あちらの世界から流れ込んできた。レディ・ヴァランタスの邸宅のヴェイルは薄かった。ただ単に元々そういう場所もある。ここがそういう場所だというのは、あまりに都合が良すぎるだろう。
 その通り。でもなぜここで。私は周囲の、戦いの傷跡が残るとはいえ、裕福な佇まいを漠然と示した。下手人が血だけを望んでいたのなら、レディ・ヴァランタスよりも目立たない源があったはずだ。もしヴェナトリを狙ったのなら、彼女らを用いてどんな儀式を施しているというのか。
 どの道、碌なことではない、ジャーヴィスが言った。依然として我々がつけた目星は、カルティストを狙った正義気取りの輩(an anti-cult crusader)だ。ブラッド・マジックを用いたのは、彼らなりの罰なのかもしれない。
 誰かがヴェナトリを殺しているのなら、その分我々の問題が減る、ブロムが言った。
 カルティストであること自体は、法に触れてはいない、ジャーヴィスが言った。
 何をするかによる、ブロムが不満げにつぶやいた。
 誰かを生贄にするならそうだ、ジャーヴィスが続けた。ブロムは嘲りを隠そうともしなかったものの、言い返さなかった。
 誰を狙っているにしろ、連中は殺しの咎から逃れることができる、とこのメイジは思っている、ラナが言った。そして我々は役立たずだと。
 私は思わず、元々そうではないのかと言いそうになった。私はレディ・ヴァランタスを見た。入念に結われた巻き髪が半分崩れかかっているものの、蒼白いうなじが見えていた。剥き出しの肌には細い弧の形の傷口の線が残り、一旦細い鎖が巻きつけられ、無理に取り除かれたことを伺わせる。クエンティン・カラーにも同じ印があったことは賭けてもいい。
 では物取りなのか、私の指摘を聞いたブロムが言った。
 ラナは重たい財布を取り上げ、ブロムのほうに放った。他には何も盗まれていない。
 聞き込みをはじめる、私は言った。何かわかったら伝える。
 ジャーヴィスは無表情だった。テンプラーの仕事に興味がないのかと思っていた。
 もちろん興味はない、私が言った。始めた仕事はやり遂げるのがの流儀。
 その日のこれからの出来事を暗示するかのように、私が扉から出ようとすると冷たい小雨が降っていた。レディ・ヴァランタスの玄関からの階段を降りる間、私は足下に気を付けた。雨が金属に当たる音が、ラナが外まで私についてきていることを告げ口してくれた。
 我々はレディ・ヴァランタスの人脈や親族については調べてあり・・・。
 きっとそうだろうと思っていた、私が言った。そちらから手掛かりが得られるよう祈っている。
 それが通常の手順だ、ラナが言った。
 通常の手順は気にしていない、貴方は呆然とするだろうけど。
 テンプラーとの仕事を嫌うのはそれが理由か、ラナが尋ね、その声にはとうとう何かを見つけたという勝利の響きがあった。
 いや、私は何気なく応じた。それが理由ではない。
 彼女は眉間に皺を寄せ、唇は不機嫌な感じに軽く歪んだ。彼女はまだ追及を止めるつもりはなかった。カラーのことでまだ何か隠しているのか。
 私は微笑んだ。これから何か見つける。

 もしこの世界が公平であったなら、私は即座に、自説が正しいという証拠を何か見つけることができただろう。だが、その日の残りを波止場で働く者たちとの会話に費やしても、カラーの名前こそもちろん皆が知っていたものの、クエンティンを知る者は誰もいなかった。誰かがヴェナトリの宝石を狙っているのだとしても、帝国街道(the Imperial Highway)のこちらの端の最良の買取り屋であっても、そんなものは知らなかった。青銅の仮面の者が潜んでいるとしても、夜警は眼にしていなかった。彼は私もクエンティンも見ていなかったので、驚くべきことでもなかったが。
 波止場から戻るとき、私は街角に立つヴェナトリの預言者を見た。彼のローブは古びれてはいても清潔で、髪は丁寧に梳かれていた。彼は行ったり来たりしながら、通りすがりの者たちと目を合わせようとしてしくじり続けた。彼が手にした紙切れの束を取る者は誰もいなかった。
 テヴィンターにはかつて栄光があった、彼は言った。見よ、今このミンラソウスを、我々はこれでいいのか。我々の神は我々が高みに上るのを目にするだろう。我々にはまだその望みがある。コリフェウスの企みは我々の中に息づき・・・。
 預言者は街の喧騒に負けじとばかりに声を張り上げた。波止場から積み荷を運ぶ汗まみれの労務者たちの唸り声、罵声、遣い走りたちのじれったそうなお喋り、食べ物売りがパン生地を売りつける声、汚れた兵士の服を着た男が憐れみを乞うて、金属の器の中で硬貨をじゃらじゃら鳴らす音。誰も兵士を見ていない。誰も預言者のことも見ていない。たとえ自分で認めたくはないとしても、預言者の言葉を気に入っている者は多いだろうにも関わらず。私はより良いミンラソウスを欲している。だがヴェナトリ? そのカルトの死んだ神は、テヴィンターを在りし日のままに戻そうと、その「栄光」を取り戻そうとしていた。もちろん馬鹿げた戯言だ。いつものように。コリフェウスを描いた絵画がどれだけ小綺麗だろうとも、古き帝国は今よりずっと腐敗していたし、ずっと冷酷だった。預言者が演説を続ける間、クエンティンとレディ・ヴァランタスが狙われて、なぜあの預言者が狙われないのか私は不思議に思っていた。首飾りが犠牲者の目印のように思えたものの、あの装飾品の何が特別なのか、そしてそもそも、二人ともどうしてあれを持っていたのだろうか。
 私は答えを探していて、手掛かりはなくなりかけていた。私の最良の情報源であるエレック・テイヴァー(Elek Taver)でさえ、大したことは知らなかった。彼は一年前に私が捕まえた詐欺師だ。公平を期すために言っておくと、彼は一年前に私を殺し掛けたので、おあいこだ。
 言うべきことはあまりない。夕暮れ時、街のもっと上品な辺りから大通り三つも隔てたところにある居酒屋、点灯夫亭(the Lamplighter)で出会ったエリックがそう告げた。天井から青銅のランタンがいくつも下がっていることと、店主の口が堅いことで知られている店だ。無口なドワーフが私たちの前に二杯の飲み物を音を立てて置き、それから「自分たちが酒を盗んで捕まってしまう前に、早く酒をよこせ」と言っている汚れきった連中に呼ばれて離れて行った。隅っこのアンティヴァン訛りのカップルはひそひそ声で話し続けている。
 カラーが波止場で誰と会うつもりだったのかは知らない。エレックが話し続けた。だが理由は知っている。彼は何度か姿を現して、偽造書類とか、誰にも気づかれずに馬を買う場所とか、船を雇う場所とか、そんな感じのことを尋ね回っていた。
 数は? 
 一頭、一艘、ひとつきりだ。
 私は机の上に硬貨をいくつか滑らせた。面倒に巻き込まれないように、エレック。
 エレックは硬貨を一つ投げ返してきた。そこまでの価値はない。それは夕食を奢る分だ。
 私はその硬貨を手に、どの時間帯であっても最良の食事を手に入れることができる場所に向かった。場末の市場で、ハロス(Halos)という男がやっている小さな出店だ。
 お前か、私が近づくとハロスが吠え、注文も聞かず、じゅうじゅう音を立てている油の中に魚の切り身を落とした。彼は支払いを促すように片手を差し出した。この魚は自分で自分は食えないからな。
 それならば、私がいて貴方はついている。
 自分がいなければお前は飢えている。ハロスは油の染みがついたエプロンで両手を拭い、塩辛くてやたらと熱い、いつも通りに完璧な食事を私に手渡した。彼は列に並ぶ次の客の方を向き、別の魚を揚げ始めた。
 私は食べながら歩き、心は今日と昨夜のことに囚われていた。エレックは多くを語らなかったが、語ったことは私を悩ませた。クエンティンは誰か一人の人物を街から外に連れ出そうとしていた。反奴隷制運動に紐づけることができるかもしれない・・・、それとも彼自身のためだったのかもしれない。クエンティンは完全に不意を突かれたわけではなかった。彼は波止場で誰かを待っていた。「他の者たち」に伝言を残したかった。彼が首飾りの鎖を弄ぶ様子・・・、彼は何かが迫っていることを知っていた。レディ・ヴァランタスも知っていたのだろうか。彼女の書斎の様子から見て、彼女は争っていた。二人は事前に言葉を交わしたことがあったのだろうか。何か他のことが警告をもたらしたのか。
「ニーヴ・ギャラス(Neve Gallus)」、低く切羽詰まった声がした。暗い通りは人通りが途絶え始めているものの、家路を急ぐ者たちや、家に帰るつもりが全くない者たちでまだにぎわっていた。私は振り返り、声の出所を探し、ラジケイル(Razikale;古の神の一柱、ドラゴン)のくたびれた神殿のところから見つめている男の姿に目を留めた。彫像の脚の造作は擦り切れており、拡げられた翼の片方の先端はもげている。男は落ち着かなげに首をぐいっと引くと、ドラゴンの影の中に再び身を潜めた。
「ニーヴ・ギャラス」、男が再び呼び、私は神殿の裏手まで後を追った。
 彼の眼は血走り、両手のやり場がわからないかのように、腕を組んだりまたほどいたりしていた。ローブは良質のもので、袖口に金の糸があしらってある。首元の銀の白鷺のピンが、彼が頭を動かすたびに同じように跳ねたり揺れたりしていた。
「クエンティン・カラーについて聞き回っているな」、彼が言った。「レディ・ヴァランタスにも会っただろう」
「何か知っているの?」
 彼のたてた声は、笑い声と言うよりは悲鳴に近かった。「二人は死んだ」
「へえ、洞察に優れているのね?」 男が応えないので、話を先に進めることにした。「もし貴方の知っていることがそれで終わりなら、私は夕食を済ませたいのだけれど。つきがあれば、食べ終わってから今夜はぐっすり眠れるかもしれない」
「あの時間(とき)は迫っている」、彼は吐き出すように言った。それからまた悲鳴のような笑い声を立てた。
 彼の言葉の中にクエンティンの声が響くのが聴こえ、敷石に拡がる血の海の匂いを嗅ぐことができた。彼は私の注意を引きつけた。「何のとき? 何を知っているの?」
 男は首を振った。「先週、パクサス(Paxus)が殺された。誰も気づいていない。まあ、ほとんど誰も」
「そのパクサスはヴェナトリ?」、私が尋ねた。
「そうだ」
 昨夜、クエンティン・カラーは私自身の問題だった。今日、テンプラーとレディ・ヴァランタスが加わった。そして今、この不思議な男と、また別の死んだカルティスト。
 問題はひとつづつ。私が好むのはそれ。これは立ち去ったほうが良かったのかもしれない。
「アエリア(Aelia)が何を奪ったのか知りたくないか?」 彼は再び話題を変え、新しい展開を強調するように、今度は私の手に丸い粘土板を押し付けたものの、それに繋がっている鎖の方は放さなかった。
「アエリアという者が、皆を殺したのか?」
 男は頷いた。「皆ひとつずつ持っていた。お前が持っているのが良い。それが助けになるなら尚のこと良い」
 私が鎖を引っ張っても、言葉に関わらず男は手放したくないようだった。
「これは何?」 私は問い詰めた。「ときとは何?」
人には驚かされることがある。ミンラソウスでは、それらの驚きは本物の驚きを指すことが多い。君に花束を買ってきたよ、よりも、あなたの叔母はブラッド・メイジなの。
 男が身を翻してラジケイルの影に隠れ、答えの代わりにアーケイン(魔法)の光の輝きを呼び出して私を驚かせた。
 私は彼に対してよりも自分自身に対して罵りの声を上げた。私の眼が視界を取り戻した頃には、男は消えていて、揚げた魚は食べかけのまま地面に落ちていた。私の胃袋と頭は、どっちがより怒りを呼ぶべきか争っている。
 彼は私の手に首飾りを残して行った。粘土板は私の掌にしっくり嵌り、それが取り付けられている磨き込まれた黒い貝殻が金の鎖に繋がっていた。表面には長く薄い四枚の翼を持つドラゴンが、黒い海から現れる様子が彫られている。ヴェナトリに出くわしたことは以前もあったものの、このようなものを見たことはなかった。魔法の力を感じたものの、それが何のためかはわからなかった。これが何であっても、クエンティン・カラーはこれのために死んだ。レディ・ヴァランタスも同じく。そして何者かはわからないが、パクサス。私が知っていることは今朝よりは増えていたのと同時に、それらは意味をなさなかった。私にはまだ理由がわからなかった。

***

 DA本編にも以前の小説にもあった”crusader”。クリスチャニティの存在しない世界で、「十字軍」とやるのは抵抗がある。
 魔法全部がチャントリーの管理下にある南方では、ブラッド・マジックはもちろん禁止。用いた場合は重罪。(ところがチャントリー・テンプラーが用いるメイジ追跡用のギミック(phyractery; フラクタリ)は、実はブラッド・マジック由来だったりするというチャントリー堕落ネタが仕込まれている)
 魔法使用が原則自由の帝国でも、ブラッド・マジックは「推奨されない」。とはいえブラッド・マジックを「発明」したのが帝国であることから、公にではないものの頻繁に用いられている。
 作中にもあるように、通常の魔法はフェイドの力を源にしている。一方、ブラッド・マジックの力の源はこの世(具体的には血)にあるので、通常の魔法とは異なるらしい(ヴェイルに影響が出るというので、完全に別物でもないようだけど)。

 

2020年9月 7日 (月)

Streets of Minrathous (1) (#TevinterNights)

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Streets of Minrathous


ミンラソウスの街路

 

 

Brianne Battye

 


 ミンラソウスの街路が本当に寂れることは決してないとはいえ、深夜を過ぎればそう言えないこともない。だからといって、クエンティン・カラー(Quentin Calla)の気が休まるわけではなかった。静かな路地を小走りに急ぎながら、まるで誰かに追われているかのように彼は首をくるくる回していた。
 私は彼を追っていたが、彼が怯えているのは私が理由ではなかった。その男は私がいたことを知らなかった。私は、彼が路地を十分遠くまで進むのを待って尾行していたから。
 クエンティンの叔父、オットー・カラー(Otho Calla)は、甥がヴェナトリの仲間に戻ったのではないかと危惧していた。あのカルトは、彼らの自称神が、「栄えある」インクイジションに打倒されてから力を失っていた。それ以降、カルト・メンバーの多くは、そもそも自分がヴェナトリの一員だとは決して認めなかったものの、騒動の一切合財から身を遠ざけていた。もちろん、だからと言って残りの忠誠を誓う連中が、妄想まがいの思いに取りつかれ、その思いに火が付けば面倒を引き起こすことを止めはしなかった。狂信者とはそういうものだ。
 クエンティンは路地の途中で立ち止まり、ぶつぶつ呟きはじめた。彼の左手は首に巻いた金の鎖を握りしめている。彼が次に何をはじめたとしても備えるため、私は魔法を少しばかり呼び出したが、それもやがて消し去った。彼は自分自身を叱咤激励していた。街のここら辺りは、彼が出入りするようなところではなかったのだ。
 クエンティンの両親は、何年も前に彼を勘当した。オットーは、クエンティンが何かを企んでいると考えていた。カルトのマントラ(真言)を長々と吟じる以上の何かを。彼は、クエンティンに再び機会を与えた自分が、間抜けだったのかどうか知りたかった。だが「しかるべき」筋に申し出れば注意を引くことになるし、もし自分が間違っていたら? 彼は何を得ることもなく、ただ醜聞に巻き込まれるだけだ。オットーは情報を欲していた。そこで私の出番となった。カラーの仲間内からの仕事を引き受けたことは滅多になかったが、申し出を拒むことはできなかった。クエンティンの叔父が間違っていたのなら、ミンラソウスのゴシップの種になる気まずさから救ってやれる。彼が正しければ、私の情報は、彼が受難者の役を演じつつ、しかるべき筋の者たちに賄賂を支払って、甥の身柄を目立たず拘束するための十分な時間を与える。そう考えれば私は、叔父をクエンティンの背中から引きはがすか、または危険なヴェナトリを私の街路から駆除しようとしていることになる。どちらでも私には構わなかった。
 叱咤激励が終わり、クエンティンは開けた場所に向かった。路地は波止場に通じていた。クエンティンは倉庫のひとつ、周囲のものと変わりない茶色の煉瓦造りの建物のほうに歩を進め、落ち着かなげに左右を見渡した。ここまで来る間、彼が物取りに襲われなかったのが不思議なくらいだ。私は出荷用の木箱の山が造り出す影の中に入ると、そこに立った。夜の空気は暖かく、水が岩を打つ音が聴こえた。私は指を曲げると、冷たい空気の流れを生み出した。目立ちすぎず、私の居場所を隠すには十分なほどの薄い霧が造り出された。クエンティンは目ざとくはないかもしれなかったが、運任せにはしたくなかった。私が見ていると、彼が懐から小物入れを取り出し、篝火の中に中身をばら撒いた。炎が燃え上がり、蒼白い色に変わった。合図だ。
 白とベージュのローブを身に着けた姿が、影の中から近づいてきた。クエンティンとは異なり、波止場も、遅い時間も気にしない類だった。
「ここにいたのか」、何事も滅多にうまくいかない男の安堵した顔を見せながら、クエンティンが言った。「他の者たちに伝えてくれ・・・」
 だが、クエンティンが「他の者たち」に何を聞かせたかったのか、私にはわからずじまいになった。
 灯りの中に歩を進めたそのローブ姿は、磨き込まれた青銅の仮面で顔を完全に覆っていた。
「誰・・・?」 クエンティンが言いかけた。
 その時、彼の首にダガーが突き刺さった。
 それがどこから現れたのか私には見えなかった。
 クエンティンが倒れ、ローブ姿が彼の身体の上にしゃがみ込んだ。私は、あたりでブラッド・マジックが用いられたときに、胃の最奥部に感じる不快な気分に襲われた。足下の地面がぐらつき、私は態勢を崩さないようにするため木箱を掴んだ。それから、始まった時と同じくらい素早く、揺れが収まった。
 考えている暇はなかった。私は木箱の陰から歩み出すと、ローブ姿をその場に釘付けにするための魔法を紡いだ。私の魔法で相手の四肢の動きは緩慢になり、しばしの間、私は相手を捕まえたと思った。
 だが、ローブ姿の両腕はクエンティンの血で濡れていた。
 ローブ姿の両の拳が閉じられると、クエンティンの血を用いて押し返してきた。その速度と自分の魔法が打ち砕かれた勢いで私はよろめいた。なんとか身体を立て直し、次の攻撃に備えようとしたがそれは来なかった。
 ローブ姿は、すでに波止場を駆け出していた。私は片手を掲げ、逃げ足を遅らせようとしたが、依然として不意を突かれていたために魔法は的から大きく外れた。私の片足の膝から下は、ドワーフの手になるらしい金属製だったが、それで追うのを止めるわけには行かなかった。だが私が追撃を開始しようとしたとき、クエンティンが呻いた。
 私は彼の方を一瞥しただけだった。再び視線を戻すと、仮面の姿は消えていた。
 クエンティンも私から逃げ出そうとしていた。夥しい量の血を流し、夥しい量の血が地面の敷石に染み込んでいた。私は彼の傍らに膝をつき、彼の頸筋に刺さったダガーの辺りに片手を掲げた。私は金の鎖がなくなっていることに気が付いた。ローブ姿が持ち去ったに違いない。私の魔法の冷気が出血を抑えている間、彼の眼が大きく見開かれた。出血を止めることはできなかったが、痛みを和らげることはできた。そして彼に少しの間長く話をさせることも。
「何が起きた?」 私は尋ねた。「ここでなにをしていた?」
「私は抜けた」、彼が何とか答えた。「なぜお前は・・・?」
「貴方の叔父」、私は応えた。それだけで彼には十分通じた。
「私はヴェナトリではない」、彼は言った。それからまるで私が考えていることを心配しているかのように、再び言った。「私は抜けようと・・・、彼らの仲間ではない」
「わかった」、わたしは言った。
 彼は手を伸ばし、そんなにも残っていたとは思えないほどの力で私の袖を掴んだ。「程なく『あの時間』(the Hour)がやってくる」、クエンティンが言った。言葉は、まるでローブ姿がナイフ以上の痛みを与えたかのように、絞り出すようだった。彼の片手が再び落ちた。
「何の時間?」 私は尋ねたが、彼は答えなかった。
「私はもう・・・、仲間じゃない。すまない。誰・・・?」、彼は次に何がやって来るのかわかっていた。
 彼は、誰であっても後に残すことになった連れを探し求めていた。
「ニーヴ(Neve)」、私が言った。
 彼が最後に耳にしたのは、私の名前だった。

 その夜の出来事の手掛かりは、その場では見つからなかった。
 私を残してクエンティンが逝ってしまってから、私は急いで近くの路地を探した。仮面の姿が近くにいる望みはなかったものの、タール塗れの外套を着た、居眠りしているエルフを見つけた。私は彼を優しく起こしたが、結局彼はものの見事に跳び起きて、親方からここで寝ていていいと言われたとぶつぶつ呟き、私の服に着いたクエンティンの血を見て黙り込んだ。彼はもちろん何も目にしていなかったが、揉め事には巻き込まれないと約束して、テンプラーに伝えるように告げて幾らか金を渡した。私は、着替えと十分ではない休息を取るために自分の部屋に戻り、それからオットー・カラーの邸宅に、私が部屋を借りている三流書店から程遠い住宅地に向かうことにした。
 私が知る限り、クエンティン・カラーは恩義に厚い献身的な甥だった。ほとんどいつも寡黙だったが、ミンラソウスの反奴隷制運動のことになると、大きな声を上げた。過去の過ちから訣別して、より善き存在になろうとしていた男。そんな彼の身の上に何が起きたのか?
 オットー・カラーは気にもかけなかった。
 私が彫物で装飾された扉の前に現れたとき、彼は朝食を摂っていた。彼が私を素っ気なく「若いレディ」と呼んで挨拶したことから、私の名前を忘れているのだろうと思った。
 クエンティンが最期に何を言ったかに関わらず、彼がローブ姿と会ったことだけで、オットーには十分だった。クエンティンは「何事か救い難い」ことに手を染めていて、それがヴェナトリと共にかどうかに関わらず、それから足を洗おうとしていた。オットーが気に掛ける限りにおいて私の仕事は完了し、彼は青銅の仮面の者たちが誰であるか知らなかったし、知りたいとも思わなかった。私が立ち去るとき、オットーはどでかい応接室から窓の外を見つめていた。テンプラーは襲撃のことを知っていた。今やこれは彼らの仕事であり、私も彼らに任せておこうと思えばそうできた。クエンティンの叔父が直ちに金を送りつけ、カラーの名前を出さないように口止めすることは間違いなかった。
 不快な夜は不快な朝を呼ぶものだから、テンプラーが現れたのは驚くべきことでもなかった。いつもの面倒以上のことでもなかった。
 ミンラソウスは、テンプラーがメイジを管理する南方とは異なる。テヴィンター、とりわけミンラソウスはメイジが大好きだ。ここではテンプラーは違法な魔法しか取り締まらない。特別な場合は、例外としてメイジからなるジャスティカー(justicars)が介入する。または適切な賄賂を手にすることによって、彼らが「特別な」場合とみなす。ジャスティカ―の注意を引かないような仕事なら、または権限を踏みにじられることなくメイジの助言を求めるなら、テンプラーは外部の助力を得る。自分自身で充分な仕事を見つけるようになる前は、私もそうした仕事を幾つか引き受けていた。テンプラーの仕事よりも稼ぎが悪いものの、私は自分自身の仕事の方を好んだ。
 騎士団員(Knight-Templer)ラナ・サヴァス(Rana Savas)の鎧は高価な銀食器のように光り輝いており、黒い髪は完璧な三つ編みからほつれもしていない。彼女は、その朝二度目の帰宅をする途中の私を部屋の外で呼び止めた。
「貴方の騎士隊長(Knight-Captain)には言ってある。私はテンプラーの仕事は求めていない」
「クエンティン・カラーが昨夜死んだ」、ラナが言った。
「おかしいわね、私もそれは聞いた。実際、私が貴方たちに伝えるように言ったのだけど」
「彼がヴェナトリだったという噂がある。それが本当なら、今朝死んだカルトの一員は彼だけではない。レディ・ヴァランタスが・・・」
 殺されたとは言わないで頂戴。
「殺された」
 一晩にふたり。私は溜息をつき、部屋に戻って眠ることを考えながら扉に寄りかかった。「誰かがヴェナトリを狙ってる」
「そうかもしれない・・・」、ラナが話し始めた。だが何のために?
「偶然ではない」、私が言った。
「違うでしょう」、ラナが同意した。「通りで青銅の仮面の人物が見られている。時刻は合っている」
 私は一人の男の真実を探し求めていた。一人の男、それならなんとかできた。私は陰謀を探し求めていたわけではない。そうかと思えば、私はヴェナトリかもしれない者を探し求めていた。私は何を望んでいたのだ?
「騎士隊長ジャーヴィス(Jahvis)は貴方に、カラーとレディ・ヴァランタスの間の類似点について意見を求めている」、ラナが言った。彼女の口調は事務的なように聴こえたが、私がテンプラーと共に働いたことがあるので、招待するのがうれしそうだった。
 私は微笑んだ。「私が手助けするとは思っていないのでしょう?」
「私が聞いた限り、貴方は殺人者が逃げるのを見ていた」、彼女が言った。
 私は外套のカフスをいじった。「ミンラソウスには、もっと悪質な犯罪から逃げ出した連中がいるでしょうに」
「これは命令ではない」
 放っておくこともできた。仕事は単純だった。クエンティン・カラーがなにをしていたのか探すこと。彼の叔父によれば、私は答えを見つけた。または十分なだけの答えを。だが私は殺人者が逃げるのを見ていた。クエンティンが死ぬのを見ており、その理由を知らない。とても満足な幕切れとは言えなかった。そして、それを胸に抱いたまま過ごしたい幕切れでもなかった。
「お先にどうぞ」、私は言った。

*** 

 帝国テンプラーの階級は南方と同じと考え、訳語(私訳)を当てています。
 Knight-Commander :騎士団長(南方では国家・地方ごとに一人)
 Knight-Captain:騎士隊長
 Knight-Lieutenant:騎士副長
 Knight-Templer:騎士団員

 ジャスティカ―(Jasticar)はちょっと見当たらない。上の階級とあわせ、テヴィンター・テンプラーの職制が出てきたのは、はじめてではなかろうか。
 もちろん、ゲーム開発者が共有している設定集(笑)はあるはずなので、もしかしたらそれからの初出?

2020年9月 3日 (木)

Murder by Death Mages (5完) (#TevinterNights)

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「私の妻だと、サイロス? 私のだと?」
 不安げな声が、シドニーの頭から徐々に晴れつつあるもやを貫いた。彼女が両眼を開けようとしても言うことをきかなかった。
「そうだ、貴方の妻だ、ニコラス。そして申し訳ない」、サイロスの声と、一人の男がもう一方を乱暴に押しているときの衣服の擦れる音が聴こえてきた。「だがその手を離してもらえないと、貴方も彼女の仲間入りをすることになる」
「今度はを脅すのか?」、ラインハートが笑った。「私はどれだけ馬鹿だったのか・・・」
「これをやったのが私だと考えているなら、とてつもない馬鹿だろうね」
「どうして信じられる?」 ラインハートが吠えた。「政敵を殺し、ついでにモータリタシも貶めるためにお前を雇ったのに、自分が雇った殺し屋に私のが殺されているのを見つける羽目になった。それと忌々しい死のメイジのひとりも一緒にだ!」
 シドニーはその告白にぎくりとし、無理やり両眼を開いた。部屋には馴染みがなく、十分な家具が整えられている・・・。だが、彼女はドレイクストーン(drakestone;架空の宝石)のような真っ赤な色の磨き上げられた床が、サイロスの顧客が倒れていた床と同じものであることに気が付いた。ラインハートの妻
 彼女は何とか身体を起こし、両手が身体の後ろで縛られていることに気が付いた。
「その男が貴方の妻を殺したのなら、どうして私に彼女を生き返らせようとしたのか?」 彼女の声は自分で望むよりも弱弱しく響いた。
 二人の男は、驚いてシドニーのほうに向き直った。ラインハートはすぐに自分を取り戻し、彼女の方に近づき、非難の指先を突き出した。
「なぜなら、この男はお前を利用していたからだ、この薄気味悪い魔女め! この男の仕事は、ネヴァラン王家の後継者の系統を台無しにし、その罪をお前のような連中に擦り付けることだった!」
 ラインハートはサイロスの方に振り返り、責め立てた。
「なぜなら、この男は殺し屋だからだ。こいつは殺ししか知らない。標的のリストを渡したのに、それだけでやめようとしない。自分を抑えることができないのだ」
 シドニーはサイロスを見た。彼は否定しなかったが、その表情から、彼は口に出さずにいる何かと戦っているように見えた。
 彼自身をこの窮地から救うために言うべき正しい言葉。
 彼女は床を見た。自分が阻止するために送り込まれた、まさにその相手の手助けをしてきたことを思うと、彼女の顔は熱を帯びはじめた。
 ニコラスは、辛辣な、挑発するような声で笑った。「知らなかったのだろう? この男が誰だと思っていた? お前が手助けしていたのは誰だと思っていた?」 坊やを静かにさせるためなら昼日中でも殺す男。犠牲者たちとその家族に容易に近づける人脈がある男。ネヴァラ・シティの最も力のある者たちが恐れ、畏怖している男。
 頭の痛みは耐え難かったが、シドニーはそれを心から追い払い、集中した。
「お前が以前の雇い主にこしらえた借金を私が支払っただけでは、十分ではなかったのか? やつらの絶え間ない追跡から私がお前を守ってやっただけでは? それ以上に一体何を望むというのだ?」、ラインハートは、彼の全ての憤怒を再びサイロスに向け、問い詰めた。
「ニコラス、黙って私の説明を聞いてもらえないか」
「こんなことになってしまって、私の宮廷での立場はどうなると思う? 私がようやく前に這い出してきたと思ったら、お前は玉座からさらにずっと遠くまで私を吹き飛ばしてしまったんだぞ!」
 二人の罵り合りに気を散らされるのを避けるため、シドニーは両眼を力いっぱい閉じて声を締め出した。彼女は自分の魔法に手を伸ばし、ラインハートに妨害された呪文を最後まで唱え終えることに、全精力を傾けた。しばらくすると彼女は感じた。ラインハートの妻を発見した部屋の方からする手ごたえを。
「メイカー、この男を救い給え。ニコラス、もし黙らないのなら・・・」
 彼女はそれを感じることができた。自分たちが発見した部屋から離れ、玄関を通り過ぎ、応接間に近づいてくる・・・。
「いいや、もう私たちの関係はおしまいだ、サイロス。お前をこのモータリタシと一緒に狼たちの群れの中に放りださなくてはならないとしたら、私は・・・」
 扉の外まで来たそれを、シドニーは部屋の中に招き入れた。
「貴方の妻も、貴方が殺すために私を雇った他の野郎どもも、私は殺してなどいない。全部誰かが先回りしてやったんだ、ニコラス! 貴方の企みを間違いなく知っていた誰かが。このメイジと私は、それが誰なのか探ろうと・・・」
 ニコラスの悲鳴が部屋中に響き渡ると、サイロスは驚愕の叫び声を上げたが、どちらの男の声も、爪と歯が肉に食い込んてたてる不気味な音をかき消すことはできなかった。
 シドニーが両眼をさっと見開くと、ラインハートの妻が夫に襲い掛かる瞬間だった。ラインハート卿は苦痛と混乱の喚き声をあげ、その両腕は妻の狂気じみた姿を引きはがそうと徒労を繰り返し、死んだ妻につけられた体中の傷口から血を垂れ流していた。
 サイロスはナイフを手にすると、急いで壁を背にした。
 ラインハートの悲鳴は、ほとんど始まった途端に止んだ。彼の生気のない身体が崩れ落ち、レディ・ラインハートだったものがサイロスの方に身体を回した。
 彼の両眼が素早くシドニーの方に向けられた。
「教えて」、シドニーは苦労して身体を持ち上げた。「モータリタシの足元にどれだけの数の貴族の死体を転がせば気が済んだの? の足元に? 他にどれだけの数のネクロマンサーを利用する計画だったの? メイカーそのお方が自分に微笑みかけたとでも感じたのに違いないでしょうね、昨晩、メイカーが自分の前に死のメイジを二人も遣わされたときに」
 レディ・ラインハートは一歩前に出た。
「本当のことを言ってるんだ、メイジ。自分はやっていない」、彼は歩く屍のほうを示した。「誰ひとり」
 ナイフの柄を握りしめている彼の拳は蒼白に変わっていた。
「でも今、メイカーは私に微笑みかけている。私は暗殺者を探していた」、シドニーが言った。彼女がレディ・ラインハートの屍の方に頭を突き出すと、それは音を立てて床に崩れ落ちた。紫を帯びた白い炎が、シドニーの開いた掌から発せられる。
「そして、見つけた」
「メイジ! やめろ!」 サイロスが壁の前から踏み出し、彼女に向かって突進した。
「私の名はメイジじゃない!」
 彼女が片手を突き出し、絆を解き放ち、吸収の呪文を投げつけると、それは彼の胸の真ん中に命中した。彼の四肢の肌が濃い紫に変わり、それから黒になり、呪いが彼の身体から生命そのものを奪い去った。

 彼女は、夜のとばりが完全に落ちるまで、邸宅から立ち去るのを待った。召使たちは誰も戻らなかったので、外の注意を引くことなく抜け出せるようになるまで、彼女は死体たちと一緒に中に残った。
 月のない秋の夜を隠れ蓑に、誰にも気づかれることなく裏口から滑り出た。
 影のような姿を除いては。死のように動かず、その死のオーラは彼女を骨の髄まで凍えさせ、通りの端で待っている。見つめている。
 ペンタハーストには面白い報告ができそうだ、彼女はそう考えながら向きを変え、反対側に歩き始めた。

 ヘンリックの遺体は、彼がモータリタシの一団に加わったときから彼を待っていた墓地に移された。彼の歪んだ屍の恐ろしい見かけにも関わらず、他の死のメイジが彼のためにしつらえた絵画の中では居心地が良さそうに見えた。ネクロマンシーの書籍に囲まれて机に座っている姿。ひとりきりで。
 モータリタシによる貴族の暗殺計画は、彼の間違いだった。彼もまた、サイロスの情報網が巧妙に広めた噂と醜聞の犠牲者だった。そして彼の間違いが、彼女が軽蔑する人々を救うために、彼女の嫌いな街に連れ戻したことについて、彼女は憤っていた。しかしその憤慨のずっと奥底では、あれだけの時間を経た後でも、彼が依然として彼女を信頼していたからこそ、彼女に便りを送ったこともわかっていた。彼女が彼を見放した後でさえ。
 そして彼女は、彼を守ることには失敗した。ネクロポリスの霊廟の外でネヴァラの他の者たちが繰り広げている悪意に満ちたゲームから、彼が彼女を隠し通していた頃から何年も経った後であるとはいえ。
 彼女は、自分がモータリタシに加わるように彼が強要していたことを恨んでおり、ネヴァラ・シティの外の世界のいかなることも学ばせまいと抵抗したことを嫌っていたものの、彼がこのような目に会うことは決して望んでいなかった。彼女がインクイジションに戻る(そしてどんな手を使っても二度とネヴァラ・シティには戻らない)前に、少なくとも彼女ができることは、彼が安息の場所に辿り着くのを見届けることだった。
 彼女がネクロポリスに戻ったとき、先日の振舞いについての彼女の謝罪を、他のモータリタシたちが受け入れるとは思っていなかったにも関わらず、彼らが受け入れてくれたことには恩義を感じた。彼女が驚いたことには、死のメイジのひとり、口髭をはやした銀髪の老人が彼女をヘンリックの墓地まで喜んで案内してくれた。
「いとしのヘンリックに、さよならを言いに来たのだと聞いたけれど」、彼女の後ろで明るい声が響いた。
「いいえ」、墓地に入ってくるアントニアの方に顔を向け、シドニーが言った。「ただ・・・、彼が望んでいた場所にいることを確かめたくて」
「まあ」、アントニアの唇の端がねじれて持ち上がった。「暖かい感傷的な気持ちが、本当にあったのではないかと、少しの間思っていたけれど」、アントニアはシドニーの胸の真ん中を指差した。
 シドニーは鼻を鳴らして応じた。もうすぐ、この女の愚弄からも自由になる。
「貴方が私たちをまたしても置き去りにしようとしているということは、貴方が探していたものを、サイロスが見つける手助けをしてくれたということなのでしょうね?」 アントニアが尋ねた。
「そうよ」、シドニーが応えた。貴方が知る限りは。
 アントニアが微笑んだ。
「上出来だったわね」
 シドニーは片方の眉を上げた。
「ラインハート卿とその子飼いの暗殺者を殺した」、アントニアが微笑んだ。「彼らは王国に混乱をもたらしたことでしょう、もし彼らの計画が日の目を見たのなら」
 シドニーは顎を食いしばった。
「失礼を許して頂戴」、彼女は話し始めた。「でも、どうしてラインハートとサイロスのことを知っているなんて言うの? 私はそのことを、インクイジションにさえまだ知らせてもいないのに」
 アントニアは、あたかもシドニーが何も言わなかったかのように話し続けた。
「あの貴族たち・・・、国を導く責任があるというのに、これが彼らのそのお手本? 権力を必死に恋しがる思いが募るあまり、お互いの屍を踏み越えてでも玉座に辿り着こうとすることが?
「あまりに多くの人々が私に語る。変化を求めていると、王国は新しい方向に向かうべきだと、古い貴族の不安定な血統や、支配のための絶え間ない闘争などに頼らずに。王位継承順位がこうまで混乱しているのなら、モータリタシが介入すべき時なのかもしれない・・・」
 シドニーの身体を突き刺すような冷気が駆け抜けた。彼女の周囲には何の影響も及ぼさない悪寒。
「以前にも言ったでしょう、シドニー。ネヴァラの人々は、貴族であれ庶民であれ、私たちの価値を知っている。モータリタシによる助言に重きを置いている。もちろん、私が親たちに、メイカーそのお方が彼らの娘が窓から飛び降りることを望まれたと言えば、彼らは私を信じる。それによって心の平安を得る。私が、彼らの兄弟を毒殺したワインの箱を調べても何の意味もないと言えば、皆が私の知恵を信じる」
 彼女はヘンリックの方を指差した。
「もし私が、この足腰もおぼつかない老いぼれた世捨て人が死んだのは、実験の最中に酒を飲むのが好きになり過ぎたからだと言えば、誰も私に反論などしない」
 彼女はシドニーの方を振り向いた。
「そして私が、辛辣で不機嫌な娘を、三下の暗殺者とその思い上がった雇い主を私の目の前から排除するため、彼らの元に送り届ければ、彼女は私のために彼らの鼻をあかしてくれる。彼女は、何の疑いも持たずに彼らを亡き者にし、ネヴァラの他の者たちに、権力を手にするためなら貴族がどんなことまでやるのかを知らしめる」
 冷気がシドニーの骨の髄まで深く染み入った。アントニアの言葉の重みが、静寂の中で重く圧し掛かる。
 静かな微笑みがアントニアの顔を照らし、彼女の眼がシドニーの片手に向けられた。
「まあ!」 彼女は大声を出した。「私の指輪。まだ持っていたのね」
 彼女はシドニーの方に片手を伸ばした。
 眼はアントニアから決して離さず、シドニーは自分の指から指輪を外した。その指輪を待ち受けている掌に落とすとき、彼女は感じた。死と腐敗の、冷たい虚無の波動が、角のところに立つ影のような姿から発せられていることに彼女は気が付いた。
「そういえば」、アントニアが、シドニーが見つめる屍のほうを目で追いながら言った。「ヘンリックが貴方に便りを出したと知った時、私は逆上した。私が一番望まなかったのは、モータリタシから逃げ出した、ぶっきらぼうでちっぽけな裏切り者の姿をした、脇腹に刺さる棘だった。
「でも、最後には貴方が役に立つことがわかった」、彼女は、同じ静かな笑顔のままで言った。
 アントニアは墓地から立ち去った。至るところでシドニーに付きまとった屍は、彼女の全ての動作を模倣しながら、闇の中に消えた女主人の後を恭しく追いかけて行った。
 墓地に一人残され、シドニーはヘンリックの生気のない遺体に見つめられて凍り付いていた。彼女が知る全てのことを教えた男、何年もの間反抗していた男が、安息の場所から虚ろなまなざしで彼女を見つめていた。
 サイロスは彼女を利用した。たとえ貴族の死を彼女になすり付ける機会がなかったとはいえ、彼女をネヴァラ・シティ中引きずり回し、彼の仕事を台無しにし、その評判を曇らせた殺人者を追いかけるために利用することはできた。サイロスとニコラスを殺したことを考えると、彼女の中に激怒が燃え上がった。彼女はインクイジションの名のもとに政治的破滅を防ぐことができたと考えていたが、アントニアの駒以外の何物でもなかった。
 ペンタハーストでさえ、彼女なりのやり方で彼女を利用した。シドニーが祖国の命運に関わることなど何一つやりたくなかったことを、彼女は気に掛けるだろうか?
 インクイジターは、ネヴァラがそうなる事態を見るのは望まない。
 それとも、インクイジターが喜ぶことだけを気に掛けているのだろうか?
 シドニーは、ヘンリックの虚ろな歪んだ表情を見据えた。彼は決して彼女が望んだ人物でも、彼女が必要とした人物でもなかった。彼女の半生のほとんどの間、彼は父親ではなく、教師でさえなく、看守のように感じられた。彼は彼女に世界から隠れているよう強制し、死の魔法の教え以外のことを学ぶ気持ちを挫いた。だが、彼が彼女を利用したことは、ただの一度もなかった。
 そして今、彼女が何をなすべきか、彼が語る言葉を聞くためなら、彼女は何であっても差し出すだろう。
 彼女は、他のモータリタシにアントニアの所業を告げることができる。だが、彼らの間のシドニーの評判は、おぼつかないものであるのがいいところだ。名声のあるモータリタシの一員を非難する彼女に対し、間違いなく相手は、ネヴァラの貴族を殺害したインクイジションの密偵だと糾弾するだろう。アントニアがその状況を彼女にとって有利な材料に使うことは疑いない。
 そしてもし、シドニーがアントニアを彼女自身のゲームから排除したとしたら、その駒である自分は今度は何になるのであろう? アントニアの地位を埋めるため、誰が舞台のそでで待っているのだろう? ネヴァラでは、落ちた誰かの代わりに登ろうとする別の者が必ずいる。
 ヘンリックの墓場の静寂は息苦しく、死者のまなざしが耐え難いものになってきた。
 アントニアの身に何かが起きて、誰かが得をするのだとしても関係ない。シドニーは、彼のためにまた別の失敗を犯すことはできなかった。

 その夜、彫像たちは活気づいていた。台座に置かれた、または崇拝者たちが手にする蝋燭の数えきれない灯りが、全ての石の顔の全ての裂け目を、石の身体に纏わされた織物の全ての皺を、足下に散らばる全ての花を照らし出している。
 ネヴァラ・シティ全体が準備していた秋の祭典が今ここに始まり、街の住民たちは一人残らず通りに繰り出し、笑い、踊っている。人ごみは大通りを歩くシドニーの姿を隠すのには完璧だったが、彼女が探す相手を危うく見つけ出せなくなるところだった。
 だが予想した通り、真鍮色の髪の、明るい表情の死のメイジは、群衆の中にあっても灯台の灯りのように輝いていた。彼女は、助言や、導きや、ただ笑顔だけを求める信奉者たちに囲まれており、アントニアはそのすべてを惜しげもなく与えていた。
 シドニーは、彼女が沢山の金貨を与えた少女が、シドニーが預けた手紙を持った小さな手を差し出しながら、アントニアに近づくのを見守っていた。アントニアが笑顔を見せながらそれを手にすると、少女は反対の方向に駆け去った。
 くしゃくしゃの羊皮紙の内容を読んだアントニアの笑顔が消え去った。
 ヘンリックの手、シドニーがこのために容易に呼び起こした彼の手になる言葉を読んだとき、彼女は何を感じていたのだろう? 困惑? 恐怖?
 初めて、シドニーはアントニアの表情が曇るのを見た。彼女は祝福された観衆たちに暇を乞うと周囲を見回したが、シドニーの顔は苦も無く群衆の中に溶け込んでいた。
 アントニアが振り返り、廃れた裏通りへの道を見守る二つの彫像の間に姿を消すと、シドニーは後を追った。
 路地裏の暗闇が周囲の眼から二人のメイジの姿を隠し、群衆の立てる騒音がアントニアの悲鳴をかき消すだろう。そしてモータリタシの屍を誰かが見つける時分には、シドニーはとっくの昔にネヴァラ・シティから遠く離れていて、彼らの悲鳴を耳にすることもないだろう。
 二人はかつて路地裏で出会い、また路地裏で、二人は別れるのだ。

***

 前に紹介したモータリタシ(ネクロマンサー)の話とは打って変わってダークな内容でした。以前のものも「動き回る死者」の話なんでダークと言えばそうなんですが、かなり意図的にユーモラスな部分が散りばめられていた。こちらの方は救いがあまりない。
 ゲーム本編でネヴァラ・シティが舞台になることはこれまでなく、DAIの主要人物であるカサンドラ・ペンタハーストの他には、ネヴァランは傭兵とか賞金稼ぎとかほとんど碌でもない連中しか登場しない(DA2メリルが生まれたのはネヴァラなのですが、放浪の民デーリッシュ・エルフは「ネヴァラ生まれ」とは言わないでしょうね)。オーレイの貴族も大概な連中ですが、こちらは死のメイジが関わっているので、禍々しさが強烈です。
 主要人物の陰謀貴族、エルフ、女性モータリタシそれぞれの顔がまざまざと目に浮かぶ一方、主人公の顔は捉えどころがないまま終わるのも、仕掛けなんでしょうか。

 次は、ブライアンネの二作目、舞台は再び帝都ミンラソウスに戻ります。トレジャー・ハンターの物語の中で、ドリアンがカードゲームに興じるときに出ていた噂話と関係しているみたい。独立した短編同士が楽屋ネタで関係するという趣向。

2020年9月 2日 (水)

Murder by Death Mages (4) (#TevinterNights)

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 大通りの中で後を追いかける間、二人は男から距離を取った。
 芸術家と様々な芸人たちは依然として仕事に励んでおり、数多くの彫像に季節の支度と飾り付けを施していた。 二人の獲物は騒々しい人混みの中を縫うように進んでいく。
 何を待っているのか? シドニーが尋ねた。彼はあそこにいるのに。
 人が多すぎる。サイロスが応えた。静かな場所に連れ出したい。他の者を巻き込む危険を冒したくない。日記が再びよからぬ者の手に落ちるのは避けたい。
 その後は歩みを進める間、二人とも黙りこくっていた。シドニーが両手を握りしめると掌に馴染みのないものが当たった。見下ろすと、昨夜アントニアが彼女に渡した指輪の怒りの紅い宝石が、依然として燃え上がっている。ラインハート家の者たちがパーティーから皆を追い出した後の混乱の中で、彼女を見つけることはできなかった。
 教えてくれ、サイロスが話し始めた。レディ・アントニアとはどうやって知り合った?
 シドニーは彼を見て溜息をついた。
 彼は身を守るように両手を挙げた。聞かざるを得ない。それも仕事の一部だから。
 彼女のことは知らない。彼女が応えた。
 面白い。
 二人が追っているつけ上がった召使は、もはや正面を見つめてはおらず、いくつかの方向を見た後で脇道に滑り込んだ。
 こっちだ、サイロスが彼女を掴んで最寄りの通りに連れ込んだ。
 通りの別の側から出て、やつの不意をついて捕まえる。後ろから追いかけると気づかれてしまうから。
 ふたりは人気のない通路を進む間、歩みを速めた。
 全く見ず知らずの者の宝石を身に着けることはよくあるのか? サイロスが彼女の指を示しながら尋ねた。その見ず知らずの者が、たまたま非常に卓越した影響力のあるネクロマンサーの場合でも。
 そして貴方は、どうしてアントニアとそんなにも馴染みなのか?
 個人的には彼女のことは知らない、仕事を通じて細々した事を知っただけだ。彼女は多くの交友関係の仲間内で人気があり、非常に好かれている。
 サイロスはしばらく考え込んだ。昨晩、貴方のことを指し示してくれたとき、彼女は愛すべき女性に見えた。貴方のことをとても気にかけていた。
 シドニーは呆れて目を回した。彼女は自分が知っていた人の友人だった。ずっと昔に。繋がりはそれだけ。
 繋がりはそれだけ・・・、二人とも高い能力を持つ死のメイジだということを除いては?
 シドニーは首を振った。自分は彼らの一員になるはずだった。モータリタシ。アントニアの友人だったヘンリックが、自分が子供頃引き取って、ネクロマンシー、死の魔法を教えた。ネヴァラの風習や歴史も教えた。それ以外はほとんど何も。
 シドニーは、ネクロポリスに閉じ込められ、外の世界の魔法についてもっと知りたいと渇望し、セダスの他の地を夢見ていた時代のことを思い出し、顔をしかめた。ヘンリックは、ネヴァラ・シティだけでも十分危険であり、他は言うに及ばないと言って、そうした考えを彼女の心から閉め出した。
 ヘンリックとアントニアは、いつか自分も二人に加わることを常に期待していた。それでも・・・
 それでも? サイロスが尋ねた。
 シドニーの我慢は、まるで転げたグラスのように堰を切った。でも自分はごらんの通り、そうはならなかった
 サイロスは口を開いたが、話し始める前にシドニーがシッと言って黙らせた。なぜなら自分は貴方ここにいる。自分の指先からすり抜けて行くモータリタシの暗殺者を捕まえる代わりに、つまらない質問に悩まされている!
 サイロスは口を閉じ、微笑んだ。二人はまた黙り込み、間もなく通りの反対側に出た。
 待て。サイロスは片腕で彼女の行く手を遮り、二人の獲物が姿を消した方角の通りを角から見やった。
 ここは十分静かだ、彼はそう言って、ほとんど人気のない通りを見渡した。やつがこちらに向かってきたら引きずり込もう。
 別の小路の出口から召使が姿を現すのを二人が待つ間、時が流れた。
 ヘンリック、彼に何が起きたのか・・・
 やめて。シドニーが吠えた。
 何をやめる? 
 自分は、貴方が取引したがるような、噂を広めるのが大好きな類ではない。自分の過去が暗殺者を見つけるのに関係があるとでもいうのか。貴方が貴族との間で繰り広げている馬鹿馬鹿しいゲームに勝つ助けになるのか。自分に尋ねるのはやめて・・・。
 彼女の言葉はそこで終わった。彼女の眼は、サイロスの肩越し三十ペースほど先に見える、また別の極めて誇張された彫像に惹きつけられた。ペンタハースト家の公爵か誰か。両腕を嘆願するように掲げて、周囲の通りに影を落としており、彼女が昨夜感じたのと同じ魔法、同じ冷たい死の印象を放っている動きのない姿をぼんやり霞ませている。
 彼女がそちらの方向に足を踏み出そうとする前に、手が肩を掴み、振り向かせた。
 あそこだ! サイロスが彼女の耳に囁いた。
 二人が追っている召使が通りの向こう側を遠ざかっていく。
 シドニーはサイロスの手を振りほどくと、男に向かって突進した。召使は、自分の方に駆け寄ってくる断固とした顔つきの女に、彼女が片手を突き出す直前に気が付いた。紫と白の魔法の光が男の背中を辛うじて外すと、男は逃げ出した。
 彼女が追いかける間、サイロスが叫び声をあげ、彼女の後ろを追ってくる足音が聴こえた。彼が彼女を止めるつもりなら失望するだろう。彼女は、また別のパズルのピースがすり抜けていくのを許すつもりはなかった。
 彼女が別の呪いの魔法を放つ前に、召使は急な角を曲がり、二つの店先に挟まれた狭い路地に入った。
 彼女はすぐ後ろでサイロスが叫ぶのを聴いた。肩越しに見ると、彼女に召使を追うように指図し、十ペースほど後ろの狭い道に滑り込んだ。
 彼女は路地に駆けこんだ。召使は路地の別の端に近づいている。
 彼女は立ち止まると、ありったけの力を集め、逃げる男の姿に集中した。サイロスが路地の別の端に現れたとき、彼女は左手を身体の前で弧を描くように振った。
 呪いの魔法で前向きに打ち倒された召使は悲鳴を上げ、路地から飛び出した。男は両手で頭を抑えつけ、シドニーの恐怖の呪文が植え付けた化け物の幻想を振り払おうとしていた。
 サイロスが崩れ落ちそうになっていた男を捕まえ、悲鳴をあげている男を路地に引き戻したとき、シドニーが駆け寄ってきた。
 召使の顔は、彼女が見たヘンリックの死体の顔と同じように、恐怖が一杯に拡がっていた。
 悲鳴をあげるのをやめさせるんだ。サイロスは二人の獲物を抑えつけながら命じた。
 彼女は自分の魔法を引き上げ、男の心から呪文を消し去ろうとした。彼女は自分の身体からエナジーが枯渇するまで、歯を食いしばりながら何度も何度も試みた。だが彼女が試みれば試みるほど、男の叫び声は大きくなり、ますますヘンリックの顔になった。
 メイジ! やめさせるんだ!
 できない! シドニーが唸った。うまくいかない。
 召使は手足をじたばたさせてサイロスの両腕から抜け出した。男はシドニーに突進し、叫び声をあげる顔が彼女の目前まで迫り、その歯は剥き出しになり、眼は荒れ狂っていた。突然、髪を掴まれた男は後ろにのけぞり、叫び声は喘ぎ声になった。男のわき腹から血が噴き出したところに、サイロスが手にしたナイフが突き刺さっていた。
 サイロスが手を離すと、召使は地面に崩れ落ちた。彼女がようやく落ち着き、近づいてみると、男は二十歳にもなっていないようだった。そしてその男の死を、彼女はまたしても食い止められなかった。
 一体、シドニーは息せききって言った。なぜこんなことをした?
 叫ぶのをやめさせろと言った。サイロスはそう言うと、ポケットからハンカチを取り出して両手を拭った。叫び続けていたら、どれだけ注目を浴びたかわかりはしない。とりわけ貴方が、何発かの魔法を公然と使った後では。
 自分は・・・、シドニーは口ごもった。自分は・・・。
 彼女は、自らの血に塗れた死んだ男のほうに手を振った。
 これは貴方が自分に頼んだことではない。彼女は責めるように言った。なぜこんなことをした?
 彼は何も言わず、彼女は彼がナイフを死体から引き抜いて拭うのを見ていた。彼が召使の外套を探り、探していた日記を見つけるまでの間、彼女は何も言わなかった。そして二人の間の沈黙は、彼が彼女を路地から外に送り出し、日の当たる大通りに出るまで続いた。

 ここで待て。二人が優雅な邸宅の玄関の外に立つと、サイロスが言った。
 嫌だ。シドニーが言って、サイロスの手から日記を奪った。
 その女性が知ってることを聞く必要がある。彼女は日記を自分の胸に押し当てた。
 その女性から聞く必要がある。貴方からではなく。
 サイロスは頭を振った。
 それはできない。彼女は貴方を知らないし、貴方が来ることも知らない。サイロスは日記に手を伸ばした。
 彼女は後ずさりしてその手を避けた。日記を片手で握りしめ、もう一方の手を突き出して開いた。
 貴方がわき腹を刺す前にあの坊やが見たものを、貴方自身で見たいのか? 彼女は警告した。 
 彼は手を降ろし、溜息をついた。
 来るがいい。彼は言うと、彼女のために扉を開けた。
 お先にどうぞ。彼女が応えた。

 昼日中だと言うのに、邸宅の中は薄暗かった。このような豪勢な場所ならきっとあるはずの、召使や客人のたてる音はなかった。
 玄関からの通路を歩く二人を迎える者もなかった。
 日記を届ける先は間違いなくここなのか。シドニーが尋ねた。
 そうだ。サイロスが言った。彼女は日記を見つけたらここに届けるように言った。午後は外出しているのかもしれないが、家じゅうの者たちが付いて行ったわけでもあるまい。何かが変だ。
 シドニーは、魔法のちくちくする感じが腕に走るのを感じた。
 二人が部屋に入り、四股が全て萎び果て、肌に生気のない死体を彼女が目にしたとき、彼女の魔法は燃え上がった。
 サイロスの顔は、憂慮でしかめ面になった。
 ああ、畜生。彼は言って、片手で髪を梳いた。
 畜生とは、どういう意味? シドニーは思わず取り乱して言った。
 サイロスがにやりと笑った。大丈夫か、メイジ? 貴方の能力なら、このようなものを目にして気が動転するとは思えないが。
 まさか、これが手掛かりだった相手だとは言わないのだろう?
 もしそうだったら? サイロスはそう言うと、玄関ホールの奥に消えた。
 シドニーは、また新しい彼女の失敗の証拠である死体を睨みつけた。また別の目撃者の口が封じられた。また殺人者に一歩先を越された。
 一歩進むごとに暗殺者に先を越されるのは、もううんざり。サイロスが応接間に戻って来ると、彼女は食いしばった歯の間からそう絞り出した。
 まだ先を越されたわけじゃない。サイロスが言った。貴方の出番だ、メイジ。
 何を言っているのか? シドニーが冷笑した。
 ここには誰もいない! 自分たちを追い払う者もいない。モータリタシを呼んで死体を運び去らせる者もいない。死の魔法が必要だ。
 シドニーは死体を覗き込み、眉間に皺を寄せた。貴方が求めることを自分にやらせるなら、綺麗ごとでは済まない。
 死の魔法だ。綺麗ごとは期待していない。
 彼女は彼を睨みつけた。
 この死体が何を見たのか、自分たちに話ができるだけの間、生き返らせることはできないのか? サイロスが申し出た。
 そうはいかない。死体に語らせることができる才能はモータリタシの間でも稀だ。
 何か他に試せることがあるのだろう。
 シドニーはしばらくの間、彼を見つめた。モータリタシの方法は団員以外に知られてはならないし、彼女がうまくやれるかどうかはメイカーのみの知るところであるものの、これは誰にも邪魔されずに犠牲者の一人を検分できる、彼らの唯一の機会かもしれない。
 自分は、フェイドからスピリットを呼んできて死体に憑依させることができる。スピリットが死者の最後の瞬間に入り込むという話は聞いたことがある。彼女はそこで話を中断し、ヘンリックがかつて彼女によく見物させていた、古い儀式の記憶を探った。
 死体にスピリットを呼び寄せる際に、モータリタシはある種の道具を用いるが、自分は持っていない。そして自分が正しくない方法でスピリットを死体に招き入れた場合、結果は予測できない。スピリットが話の分かる相手だと望むことはできるけど、貴方の質問に答えてくれるか、襲い掛かってくるかはわからない。
 今になって選択の余地はないと思う。サイロスが念を押した。
 シドニーは息を吐き出し、目を閉じた。彼女は魔法に集中し、フェイドを探った。スピリットたち、ディーモンたち、そして旅立った魂たちが棲むあちら側の世界。ほんの少しの間だけでもサイロスの顧客に憑依して、自分たちに死んだ彼女の記憶を打ち明けてくれるスピリットを探した。
 サイロスは、死体の手袋をした片手が動き出すのを目にして悲鳴を上げた。シドニーは自分自身に意識を集中し、スピリットを死者の方に強く引き寄せた。彼女は宙に浮いた手袋に刺繍が施されてるのに気が付いた。羽根。
 彼女の頭蓋の後ろ側で苦痛が爆発し、全てが闇に包まれた。

2020年8月28日 (金)

Murder by Death Mages (3) (#TevinterNights)

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 彼は、誰もいないアルコーブ(壁のくぼみ)に彼女を導くと、パーティーを背にして彼女の前に陣取り、彼女が逃げ出せないように腕を伸ばして壁に手をついた。他の客人たちからは、誰からも話が聴こえないアルコーブを利用しているカップルのように見えたはずだった。
 さっき窓のところにいた貴方を見ていた。誰かを待っているようだった。サイロスが言った。ニコラスであるはずはなかった。彼の自惚れた尻に、今にも指をパチンと鳴らして火を放ちそうだったから。
 どうすればそんなことができるのか、シドニーはできるだけ平板に応じた。
 ネクロマンシーの技倆に長けたメイジならわかるはずだが。おそらく炎などよりもっと面白いものを思いつくのだろう。
 シドニーは口をすぼめた。アントニア。 
 サイロスが笑った。メイジとは何人も一緒に仕事をした。皆同じように見分けがつく。隠しようのない、ある種の引きがある。
 一緒に仕事をしたメイジにはモータリタシも含まれるのか。
 彼は目を細めた。楽しかったとは言えない、他のメイジたちとは違って。だが彼らの仲間内の情報を、毎日沢山聞かされる。
 二コラスがしていた話を聞いただろう。ネヴァラの阿呆どもには一人残らずモータリタシに一言ある。半分は、王国を内紛から救うためにメイカーご自身が遣わしたのだと言う。残りの半分は、彼らの秘密の儀式精神操作の実験について教えてくれるだろう。
 シドニーは呆れて目を回した。とても面白い。でも自分は、ある特定の死のメイジを探している。
 サイロスは片方の眉をあげ、待った。シドニーは息を吐き出した。
 グランド・ネクロポリスのある者が自分に手紙を書いた。彼は、別のモータリタシに対してある激しい糾弾を行っていた。彼はすでに死んでいる。自分はそれが誰の手によるものか知りたい。
 それならどうして、彼らの巣窟に乗り込んで、探している者が誰かわかるまで一人づつ問い詰めないのだ。
 そうしようとしたが・・・。ヘンリックの歪んだ顔が心に浮かび、言葉が続かなかった。それは関係ない。それが誰の仕業であれ、その人物を阻止しないといけない。
 阻止する? 何から?
 シドニーは冷笑した。彼女は、アントニアに告げた以上のことは、彼に話さずに済ませたかったが、それには選択が必要だった。そして彼は彼らの一員ではない。彼女が正しくカードを切れば、彼女が探す暗殺者に警戒させることなく、彼に真実を伝えることができるかもしれない。
 そしてもしかしたら、彼の雇い主である人々の生命が危険に曝されてることを把握したなら、彼が救いの手を差し伸べてくれる可能性はさらに増す。
 モータリタシのひとりが、ある貴族の暗殺を企てている。
 サイロスは何かを言いかけて、やめた。
 企てている? 彼は尋ねた。彼は口を一文字に結び、首を傾げた。阻止するにはもう手遅れだと思う。もうすでに何度か起きている。
 何ですって? シドニーは思わずそう言うと、じれったさが身体中に渦巻いた。
 貴族が四人死んだ、先週だけで。サイロスはそう言って腕組みをした。陽気な振る舞いは消え、厳しい、瞑想しているような表情が取って代わった。
 苛立ちが彼女の中に沸き上がり、それが怒りに変わった。彼女が一歩進むたびに、任務をしくじったことをいちいち思い知らされる。
 彼女は目を細めてサイロスを見ると、言葉を吐き出した。それで? その貴族たちがモータリタシに殺されたという証拠でもあるのか?
 ない、彼が臆面もなく応えた。彼は指折り数え始めた。彼らが死んだのは・・・、狩りの最中の事故、転落死が二件、そして哀れな男の場合はワインの飲みすぎ。ネヴァランの裕福な家系ではそれらは変死とは言えず、一家が事故だったと信じるのなら、街の衛兵たちは捜査もしない。
 彼は客人たちのほうを振り返り、ラインハートが、パーティー好きな連中が熱心に聞き惚れている前で演説をぶちながら、杯から中身の何かをこぼしている方を見た。それでもそれらの事故が、それぞれ数日も経たないうちに起きたのなら、王の顧問のモータリタシに対して公然と非難を浴びせている貴族たちの身に起きたのなら、また誰かがじっくり検分することもできないうちに、モータリタシがそれらの死体を持ち去ってしまったのなら、気を引かないほうが無理だ。
 彼は再び彼女のほうを見た。そしてひとりのメイジが玄関口に現れて、自分は貴族殺しのモータリタシを狩り出していると告げたのなら、疑わしく思わないほうが無理だ。 
 どうして彼らが死んだ状況にそんなに詳しいのか。
 サイロスは笑った。自分が何者なのかアントニアから聞いているだろう。自分が知らないことはあまりないのだ。そして誰かが自分の顧客を狙っていると知っているときに、ただ座って再び起きるのを待つことはしない。とりわけメイカーご自身が、こんなにも有能な味方を手助けのためにお送り給うたのなら。
 シドニーが応じる前に、パーティーの騒音の向こう側から、ようやく耳にすることができるくらい微かな叫び声が聴こえてきた。何度も何度も、まるで誰かの生命が身体から少しづつ引きはがされていくように。
 シドニーはアルコ―ヴの出口からサイロスを押し出し、人混みの中に跳び込んだ。酔っ払いやばか騒ぎしている客人たちを掻き分けながら、叫び声のした方向を探した。
 メイジ!
 彼女が正面階段の手前まで辿り着いたとき、サイロスが追いついてきた。彼は彼女の片腕を取り上げ、彼女の顔を自分の方に向き直させた。何か気に障ることでも言ったか?
 ふざけないで。彼女は黙らせるようにシーッと言って、彼の手を払いのけた。聴いて
 二人の周囲の者たちから囁き声が聴こえてきた。皆が音に気づき始め、頭があらゆる方向に向けられた。野次馬たちが手すりから身を乗り出し、下の階を指差している。
 彼女は振り向き、階段を急いで駆け降り、玄関ホールを通り過ぎ、客人たちの人混みの隙間を縫うように進んだ。
 叫び声は呻き声に変わり、客人たちが近づこうとしない暗い廊下の壁に響いていた。シドニーが玄関ホールから角を曲がると、女性を見つけた。恐怖に慄いている若いメイドが自分の髪を引っ張り、喚きながら開いた扉に入って行った。彼女が駆け寄る前に、娘は床に崩れ落ちた。
 シドニーは彼女の身体を踏み越え、磨き上げられた大理石の床の上でブーツを鳴らしながら、部屋の中を見渡した。贅沢な調度品が並べられた居間の中は暗く静かだった。暖炉の炎がパチパチ音を立てている以外に人がいた気配はなく、真ん中には、死んだ男がうつ伏せに倒れていた。

 哀れなニコラスは、我を忘れていたに違いない。
 シドニーは水面に映る陽の光の眩しさに目をつむり、二人でまた別の波止場を通り過ぎながら溜息をついた。あそこにいる鼠を食べるか、ニコラス・ラインハートの感情を想像するか、どちらか選べと言われたら、自分は鼠を食べる。
 よせ、サイロスが笑った。少しは同情しろ。昨晩、男が自分自身の家で殺されたのだから。
 その通り。シドニーがぴしゃりと言った。死体も、どんな状態だったかも見たではないか。
 ヘンリックの死体を不気味に歪ませたのと同じ何かの仕業だ。
 そして彼女が死体をもっと詳しく見ようとしていたとき、ラインハート家が、他の野次馬たちと一緒に彼女も邸宅から放り出した。彼女が続けた。彼を思いやる気持ちを抱くことができないとしても、許してほしい。
 ラインハート家の者たちが皆を無造作にパーティーから追い出した後、不機嫌な客人たちを通りまで案内して行った召使たちが、単なる不運による死だと強調していた。ただの事故、他の貴族の家族たちが、必死に皆に信じ込ませようとしていたのと同じ
 彼の見かけは自然なままだった。まるで彼女の心の中を読んだかのように、サイロスが言った。ネヴァラの最も力のある連中が、彼が自分の鼻先で暗殺者に殺されることを許したと考えるなら、ニコラスにとって良い話ではない。むしろ老いたヒルデブランド卿がメイドとの間で精を出しすぎただけだと連中が考え、醜聞の後始末を彼自身の家にやらせるほうがまだましだ。
 昨晩、ラインハートがモータリタシについて喋るのを、自分は止めさせることができなかった。彼の自尊心の産物だったのに、突然彼らを阻止することの興味を失ったとでも言うのか?
 連中はそれをやるのだ、メイジ。サイロスが彼女の隣に歩み寄り、横目で彼女を見た。
 ずっと以前、ネヴァラの玉座が誰の手に落ちてもおかしくなかった頃、ここからカンバーランドまでの間の全ての貴族の家系が、自分たちにもチャンスがあると考え、そのチャンスを増すためなら何でもやった。今では、この王国で貴族でいることは、対抗勢力を貶めるためのあらゆる手段に通じていることを意味する。だがより重要なのは、対抗勢力が自分たちのことをどれだけ知っているのか、制御することのほうだ。
 それに加えて、ニコラスはモータリタシについて口を極めて罵っていたので、背中に標的が描かれていたようなものだ。彼が貴族の一人が暗殺されたと言い始めてから、その標的がよりでかくなった。だが彼の妄想は彼のために置いておいて、自分たちはこの背後に誰がいるのか探ろう。こちらの顧客への仕打ちがただで済むと思ってる、この野望を抱いたクソ野郎どもを見つけることから始めよう。
 前夜、サイロスはパーティーから追い出された客の中からシドニーを探し出した。好奇に満ちた耳目を集めることを避けるため、彼は彼女を夜の闇の中に連れ出し、取引を持ち掛けた。モータリタシの暗殺者について彼が知り得たことを彼女に告げる代わりに、彼女は殺人者の最初の手掛かりの身を守る手助けをする。
 サイロスの顧客には、最近殺された貴族の一人の愛人だった女性がいる。彼女たちの逢引きの証拠である日記を手にした犠牲者の召使は、途方もない金額を支払わない限り、醜聞を暴露すると彼女を脅迫している。
 二人はその朝、つけ上がった召使が良く訪れるとサイロスが聞いていた場所を探して、川沿いの船着き場を虱潰しに歩いたものの、見つけることはできなかった。この時期にしては異常に暖かい日で、休息のため低い壁に腰掛けた二人の真上から陽が照り付けている。
 暗殺を阻止するのに手を貸してくれるのは有り難いけれど、シドニーが溜息をついた。サイロスのお気に入りの貴族のために自分の貴重な時間を割くことが、この馬鹿げたごたごた騒ぎを収めるためにどうして役に立つのかわからない。
 言っただろう、サイロスが意味ありげに笑った。もし彼女の日記を手に入れることができたなら、自分の顧客は代わりに情報を提供すると言っている。
 そこは理解している。それでも彼女が自分たちのために役立つ何を知っているのだろうか。
 犠牲者の死の状況に疑わしいところがあるのに、これまでのところ家族たちは事故だったと言い張っている。恥を隠すために言っているのか、誰かがそう仕向けているのか、これまで自分は決めかねていた。いずれにしろ、モータリタシの誰かに責任があると主張して、彼らの不興を買うような危険を冒すことは誰一人しない。
 自分の顧客は、日記を取り戻したら、彼女の愛人だった男の転落死の状況について知っていることを話すと約束した。彼女は公式な物語を信じてはいない。彼女は事故死だとも自殺だとも思っていない。他の貴族たちを餌にしてパーティーを開いて待つよりも、彼女がましな手掛かりをもたらしてくれると信じている。
 シドニーは川を見つめていた。貴族の軽薄さについてもくだらない争いについても、我慢の限界ぎりぎりまで近づいているので、貴族を餌に仕立てるほうが上手い話であるように思い始めた。
 その顧客の女性とは誰なのか。どうして信じることができるとわかるのか。
 サイロスは再び笑った。尋ねるのを止めてくれというときの顔つきらしかった。
「それは私たちの取引には含まれてないぞ、メイジ。私は、貴方の追っている秘密を自分の顧客に話すこともしなければ、彼女の秘密を暴露して信頼を失うようなこともしない」
メイジと呼ぶのはやめて頂戴」、シドニーがぴしゃりと言った。「それとも、イライラさせるフラフラしたエルフとでも呼んでほしい?」
「もっとひどい呼ばれ方をしたことがあると請け合うよ」、サイロスが笑った。
「あなたのやり口の一部であることはわかる」、シドニーが続けた。「だけど私がいつも仕事をする相手は、私から知識を隠さないくらいの良識は持っている。貴方が期待するような盲目的な信頼を求められたことはない。私は楽しんでやっているわけではない」
「ああ、やつはあそこにいた」、サイロスは目を逸らし、市場の出店の前を通り過ぎる若い男の方を示した。ぼさぼさの黒い髪が外套のフードからはみ出しており、暖かい日差しの中ではまったく場違いに見えた。
「完璧だ」、彼はそう言うと、立ち上がってズボンから埃をはたき落とし、彼女に片手を差し出した。「貴方の特殊な魔法を使うようお願いするつもりだったが、その顔つきなら、哀れな坊やをびびり倒す(put the fear of Maker)ことができるだろう。行こう」  

***

 サイロスがシドニーをアルコーヴに押し込めるときの姿は、いわゆる「壁ドン」なんですが、まさかそう書くわけにもいかず。分解するとこんなにも描写が面倒くさい動作になる。まあラノベでもなければ、どの道「壁ドン」とは書かないでしょうね。
  ”put the fear of Maker”などは、”Maker”を”God”に読み替えれば普通の慣用句。

2020年8月26日 (水)

Murder by Death Mages (2) (#TevinterNights)

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 シドニーが、タイラス・ヴァン・マーカムの聳え立つようなレリーフの陰からようやく姿を現したのは、太陽が川の反対側に沈んだ後だった。
 フードで顔のほとんどは隠れていた。彼女は、大通りの向こう側の滑らかな石造りの邸宅に、続々と訪れる客人たちを観察していた。宴会に訪れる男女は高級な衣服に身を包み、最も裕福なドワーフの商人よりも数多くの宝石を見せびらかしている。
 シドニーは邸宅の正門まで歩み寄ると、顔からフードを外し、喉元まである茶色の髪を整えた。ローブの皺を伸ばし、外套から街の汚れを叩き落としても、他の客ほど贅を尽くした身なりには程遠かったものの、正門からなだれ込んでいく騒々しい客の一団の後ろに音もなく滑り込む分には、少なくともそれほど目立つことはなかったはずだった。
 彼女は、立派な玄関通路の周囲を見渡す暇もほとんどないまま、黄色い髪のぼやけた姿によって、隣にある部屋に引きずり込まれた。
 身を守る呪文を頭に浮かべ、指先に伝わるよりも前に、アントニアが彼女の腕をつかんだ。
 自分だ、とアントニアが黙らせるように囁いた。
 シドニーは魔法の火花を押しとどめ、後ずさりして、アントニアの手から腕を振りほどいた。
 アントニアは謝罪の言葉を述べたが、シドニーを見て笑いを抑えつけようとしているのが見て取れた。扉から入ってきた途端に、シドニーがあまりにも目立っていたものだから、周囲の気を引かないようにしたのだ、と彼女が言った。
 アントニアの血のように濃い赤色のコートは、身動きがしやすいように短く切り詰められ、黒い革のレギングと黒いブーツが露わになっていた。銀色の腕輪が片腕に巻き付けられ、実用的な品質の品物の組み合わせにも関わらず、彼女は他の貴族たちと変わらず、至るところまで優雅で洗練されていた。彼女は酒場にいたときと同様、ここでも居心地が良さそうに見えた。
 スピンドルウィード(spindleweed;架空の薬草の一種)の束みたいな格好をしたモータリタシに私室に連れ込まれるのは、周囲の気を引かないとでも言うのか、シドニーが尋ねた。
 よくある事。この手のパーティーでは皆慣れっこだ。アントニアの顔に、まるで聞き分けのない子供に世間の道理を諭しているだけのような、あの静かな微笑みが戻ってきた。
 シドニーは呆れて目を回した。パーティーは好きではないと言ったし、楽しむために来たのではない。貴方が言った秘密の売人とやらが、どこに行けば見つかるのか教えてくれ。
 アントニアは溜息をついた。彼は上の階にいる。人混みから人混みへ蝶のように舞い移り、話を聞かれていることには誰も気づかない。彼が厚かましく聞き耳を立てているところでは、紳士淑女が対立する相手が信じるような嘘をでっちあげるのだから、誰も彼に話し掛けさえしない。
 彼らのゲームに興味はない、シドニーが鼻を鳴らした。彼女は、両手を何度か握りしめたり開いたりしていた。
 それも一部なのだ。彼らは、誰も聴いていないことが間違いないとき、振り返って彼に噂話を囁く。ネヴァラの貴族の家系が記された本を開いて、どれでも指差してみればいい。その夜のうちに、彼は様々な話の断片からその家系を貶めるのに十分な醜聞を仕上げる。彼はやろうと思えば、マーカス王(King Markus)の宮廷全体を脅迫することさえできるし、王自身でさえ、彼が自分が揺すられてると気づくほど頭脳明晰なら、脅迫することができるかもしれない。ヘンリックの身の上に何が起きたのか知ることができる者がいるなら、それは彼だ。
 シドニーは思った。それとも、貴方たちの誰が殺害者で、どの役立たずの貴族が獲物なのか、私に教えてくれることができるのだろう。
 アントニアは、指の骨のように見える銀の台座に大きなルビーが乗っている指輪を自分の指から外し、シドニーの指にはめた。少なくとも、ここにいるのが相応しいように見せかけなさい、彼女は再び笑った。
 指を曲げ、馴染みのない重さを試しながら、シドニーは唇を真一文字に結んだ。
 しょっちゅうこんなことをしているのか、彼女が尋ねた。研究中に酒場で酒を飲む、偽善者ぶった貴族たちや情報屋と飲んだくれる。このような社交のためにネクロポリスを離れるモータリタシは、多くなかったと記憶している。
 ここ数年、あそこは自分にとって少し静かすぎる。アントニアの笑顔が広がった。最近は・・・、もっと賑やかなほうを好むようになった。
 真面目な答えではないのだろう、シドニーは思った。彼女は振り向き、彫物が施された扉を開いた。音楽と、付近にいた客人たちの賑やかな議論の声が漏れ伝わってきた。
 自分たちのところに死者がもたらされるとき、アントニアが言った、自分は・・・、後悔する。
 シドニーは扉の枠に足を踏み出し、彼女の方を見た。アントニアの顔から笑顔は消え、遠くを見るような顔つきになっていた。その人たちが生きている間に出会わなかったことを後悔する。何を追い求め、何を恐れ・・・、何が彼らを死に至らしめたのか。ネヴァラの人々は、モータリタシを高く評価し、尊敬している。自分たちの知識と助言を尊重し、この国で果たしている重要な役割に敬意を払っている。自分の同僚たちのあまりにも多くが、彼らの信頼に対し、忌避で応えている。
 アントニアは、数歩進んでシドニーの顔を正面から見た。自分は、生者をもっと多く世話して、彼らを知り、彼らに自分を知らしめようと心掛けている。いつの日か彼らの死体に手を触れることだけが私の興味ではないと、信じるだけの価値が彼らにはある。そのことを確かにするためなら、自分はできることをする。たとえそれが、貴方が言ったように、偽善者たちと飲んだくれることであっても。
 彼女はシドニーの横を滑り抜け、玄関ホールに出た。
 上の階で待っているように。彼が貴方を見つけられるように手配する。彼女は言うと、パーティーの人混みの中に消えた。
 シドニーは、ネヴァラ・シティの人々に取り入れられたいという、アントニアの望みが理解できなかった。彼女のやり方でやるなら、死者たちは自分自身で面倒を見るように置き去りにされ、彼女のいるところから何マイルも彼方のネヴァラの外まで行ってしまうだろう。だが、彼女がアントニオの感情を理解していないと言えば、それは嘘になる。やり遂げなかった任務への後悔、自分の手からすり抜けてしまう暗殺者、あるいは、ネクロポリスの地下で死んだ者に対して、かけることのできなかった言葉。
 彼女は、パーティーの場に加わるときに扉を力一杯閉めようと思ったが、それではあまりに注目を浴びてしまっただろう。

 シドニーが広い階段を登る間、男女が足早に追い越していく。二階はさらに賑やかで、彼女が聴いたこともない類の音楽を奏でる楽器の音が、通り過ぎるそれぞれの部屋で鳴り響いている。笑い声と歓声がいくつものカードゲームの卓上から沸き上がる。カップルたちが踊り、男たちは互いの背中を叩き合い、彼女が見やるあらゆるところに、また別の豪勢な食べ物と飲み物が選り取り見取りに並べられていた。
 シドニーは、酔っ払いの群れの端に歩み出た。壁際近くに留まっていた彼女の周囲には、金枠に飾られた大きな肖像画が見降ろすようにいくつも並んでいる。彼女は誰もいない目立たないところに、事態が手に負えなくなった時の逃げ道に使えそうな、枠で繊細に区切られた窓ガラスの付いた出窓を見つけた。
 そこは、アントニアの言う醜聞仕立て屋を待つには完璧な場所だった。騒ぎ立てている客たちは、他のことに気を取られるあまり、連れのいない女性がお愉しみから距離を置き、踊り、抱き合い、歩き回る連中を睨みつけ、彼女が探している相手のどんな徴でも見つけようとしていることに気が付かない。
 秘密の売人の徴も、アントニアさえも見つけることができずに、彼女はその部屋の外れに何時間も留まっていた。探索のため自制し続けていた彼女は、またしても苛立ちで息が詰まりそうになっていた。
 鋭く息を吸い、振り向いて眼下の通りを見降ろしながら、彼女は次にどうするか思案していた。嫌気が差すほど豪奢なタイラス・ヴァン・マーカムの彫像の台座では、何十本もの蝋燭が燃えており、今夕の早い時間に彼女が隠れていたあたりをぼんやり照らし出していた。そこに、蝋燭の灯りがちょうど届かないあたりに、彫刻と同じように身動き一つしていない人影が、辛うじて見えた。
 彼女はその暗い姿が放つ魔法の放射を、冷たい死の感覚を感じることができ、それらはその距離からでも彼女の髪の毛も両腕の毛も逆立たせた。彼女はその影が潜む闇を見つめながら、それが動き出すのを待っていた。
 具合でも悪いのか。シドニーが目を逸らして振り向くと、凝った模様の装飾が施された上着を着た若い男が、彼女の脇から通りを見降ろしていた。彼女がしかめ面をすると男が笑った。
 驚かすつもりはなかった、と男が言った。あの腹立たしいほど仰々しい彫刻のことを話していた。賭けてもいいが、タイラス・ヴァン・マーカムがあんな仕草をする場面など、決してなかった。
 シドニーは背中を向け、もう一度見降ろした。暗い姿は消えており、彼女は苛立ちで身体が強張るのを感じた。彼女の後ろの男は気づいていないか、気にかけていないようだった。
 あのこれ見よがしの祭壇を見ると本当に虫唾が走る。ヴァン・マーカムの一家はお前たちなど及びもつかない高い地位にあると、絶えず必死に訴えかけられることなしに、通りを平穏に歩くことさえできやしない。もし彼らが、自分たちのように今の時代に生きていたなら、飲んだくれて路地裏で諍いに巻き込まれてないときには、他の貴族の家系ひとつ残らずに陰謀を企てていたことなんかよりも、お国のためにもっと貢献できただろうに。
 自分はヴァン・マーカム家のくそったれなんて言わない。シドニーは振り向きもせずに言った。彼の声にうんざりした響きが生まれた。ペンタハースト家の女か。
 シドニーは突然大声で笑い出した。彼女がここにいる原因を作ったペンタハースト家の女に見せてやりたかった。
 そうではない。ペンタハースト家の女ではない。そしてヴァン・マーカム家の女でもない。自分は何世紀にも渡るブチ切れ合戦(pissing match;注)なんかよりも、ずっと重要なことを気にかけている。
 面白い、男がニヤリと笑った。今貴方は、そんなことよりもっと重要な何かを考えているネヴァラの誰かを探し出そうとして、切羽詰まっている。
 彼は顎を撫でながら尋ねた。病弱な王が逝去し、継承者がいないとして、ペンタハースト家とヴァン・マーカム家は、密室の中で正規の後継者を選ぶ活発な議論の最中でも、くだらない口論を繰り広げると思うか。
 彼の声明に嫌気が差してきていると言おうとして、彼女の眼は彼の深紅色の手袋を捉えた。彼の衣裳の他の部分と同様、誰が見ても高級そうな造りだ。羽根の形の凝った刺繍が、縫い目から花のように開いている。
 ヘンリックは、彼女を直接会わせることは決してなかったものの、自国の王家についての知識を学ばせることはとても重要視していた。動乱の歴史、痛烈な敵対関係、宮廷内で絶えず移ろう地位。その授業には抵抗したものの、彼女は多くの細部をまだ覚えていた。少なくともその羽根が、小さいがネヴァラでは最古参に属するラインハート(Reinhardt)家の紋章であることがわかるくらいは。彼らの分家は隣接するフリー・マーチズやオーレイにまで広がっているものの、自国で影響力を得たことはなかった。
 男は彼女の沈黙に気づかず話し続けた。そうじゃない。彼らは自分たちの争いを街角に持ち込むのだ。他の者たちの声など聞くつもりもない傲慢な両家のため、善良な者たちが戦って死ぬのだ。
 アントニアの畜生。シドニーは人混みを見渡し、このお喋りから逃れる隙間がないかどうか探った。余りに長い時間を無駄にした。醜聞仕立て屋抜きで、探索を前に進める道を見つけなければならない。
 そして口論が長引けば長引くほど、世継ぎ不在の期間も長くなり・・・、くそったれのモータリタシどもが、禿鷲のように王の周りを飛び回り、その耳に囁き・・・。
 シドニーはラインハート卿を一瞥した。ひどく酔っているのか、ひどく馬鹿なのか、死のメイジたちが陰謀によって王国を支配すると大声で糾弾し始めた男は、彼自身が標的ではないとすれば、貴族の一員を取り除くモータリタシの暗殺計画の噂について口を滑らすかもしれない。
 世継ぎがいなければ、玉座に座る者はなく、くそったれな死のメイジたちがそこに滑り込むのをただ待つだけで・・・。
 二人の傍らを急いで通り過ぎようとした男がラインハートにぶつかり、彼の論評を遮った。男が手にしたグラスが床に落ちた。給仕がいずこからともなく現れ、グラスを拾うと素早く姿を消した。
 モータリタシだって。我慢の限界にあったシドニーは、彼の注意を再び惹きつけようと素早く言った。
 そうだよ、ニコラス(Nicolas)、その恐るべき死のメイジについて、どうやって王宮に影響を与えるのか、どうやってネヴァラの影の支配者になるのか教えてくれ。からかうような声が響き渡り、優雅な両手がラインハートの上着の埃を払い、シャツを正した。
 今言うところだった。ラインハートは顔をしかめて男の手を振り払った。だがお前がばらしてしまったから、もう言うべきことも尽きたようだ。サイロス(Cyrros)。
 サイロスは笑い、シドニーは邪魔者を睨みつけた。男は周りの貴族たち同様、ラインハートとほとんど同じくらい豪奢な身なりをしていた。彼の太い蜂蜜色の巻き毛は後ろに撫でつけられ、耳が先細る辺りまでほとんど覆い隠している。それだけ豪勢な格好をして、ネヴァランの旧家の貴族をからかい、その身体を触るエルフに対して誰も目を向けない。これが、心から歓迎され、秘密と醜聞を糧にして、金貨の山が周りに積み上がる類の人物だ。
 ニコラス、君は他の客人を無視している。サイロスはラインハートを叱るように指を振った。ネヴァラの将来の展望を披露するなら、他の者たちを無碍にすべきではない。
 彼はシドニーの方を向いて片手を差し出し、微笑んだ。彼女が腕組みで返すと、彼の微笑みは不穏な満面の笑みに変わった。
 お気に召さないか。彼は手を引っ込めた。
 そうしたければ、ラインハート卿の魅惑的な意見を拝聴し続けても全く構わない。だが、貴方と自分の間で話し合うべきことがあると、ある人物に言われている。
 ラインハートは、自分の飲み物がないと呟きながらその場を立ち去った。
 サイロスは再び片手を差し出し、今度はシドニーがそれを取った。アントニアから渡された指輪の紅い宝石が、曲げた指の上で燃えるように光った。
 二人は、他の者たちがうろつき回るよりも速い足取りで、人混みを掻きわけながら進んだ。彼らの顔はサイロスが近づくと明るく輝いた。多くの者たちが彼を見つめたまま頷き、何人かはお辞儀までしていた。
 シドニーは彼の晴れやかな顔つきを横目で見た。二人が通り過ぎる一人残らず全ての人物に対して、彼は秘密を共有している同類としての心持ちを示す、訳知りな笑顔で応じた。彼はこの人たちの何を知っているのだろう? 何もかも全て? 彼らは単なる潜在的な顧客なのか、それとも潜在的な標的?
「貴方はネヴァラの貴族のことを、誰でも名前で呼ぶことが許されているの? それとも、貴方とラインハート卿との間に特別な関係があるの?」、シドニーが尋ねた。
 サイロスは、クスリと笑いながら、シドニーが見たこともないような高い髪形の女性に挨拶をした。
「そうしたいときは、誰であっても名前で呼ぶことが許されているよ」、彼は言った。「もし私が誤っていても、誰も正そうとしない。皆そうすることを恐れている」
 シドニーが他人を怖気づかせる理由は沢山ある。なぜなら彼女は、インクイジションの密偵だから。なぜなら彼女は、もはやどのサークル・オヴ・メイジャイにも鎖で繋がれていないメイジだから。なぜなら彼女は、とっつきやすいと呼ばれることから程遠い女だから。だが、彼女の誤りを正すことを恐れるほど、誰かを怖気づかせたことなどない。このエルフは、彼がいるだけで、何も恐れる必要のない人々を震え上がらせる力がある。
「こんなに開けた場所にいるべきじゃない。熱心に聞き耳を立てる者が周りに大勢いる。私以外にね」、彼はそういうと片目をつぶった。

(注)ネヴァラ王朝はペンタハースト家が創設。第四のブライトとの戦いで名を挙げたヴァン・マーカム家出身の将軍タイラスは、当時一都市国家に過ぎなかったネヴァラの玉座をペンタハースト家から簒奪し、隣接する大国オーレイに伍するまで勢力を拡大。四代後の同家最後の王が男子を欠いて没しため、その娘がペンタハースト家に嫁ぎ、再びペンタハースト家の治世が続く。

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