フォト
無料ブログはココログ

2017年8月21日 (月)

ふたつともクリアして(はないけど)何が悪い。

【DQXIネタバレあり】
 PS4版だけ「エンディング」を観た。3DS版は、あそこで停車したまま進んでいない。休み中にすれちがい通信だけ必死にやったので、例のあれの在庫が溢れそうになってる。
 これ以上引き伸ばしていると、また次の出張時期が来てしまう。国民の三大義務のひとつを、いつまでも未達成で終わらせるわけにはいかない。なんとか休みの間に終わらせようと、PS4に特化してガリガリ進めた。
 
 ゲーム内時計は100時間(寝落ち込み)、主人公がレヴェル62(出てきて63)、他は50代でばらつき。
 ちょっと調子にのって鍛治やり過ぎた。それとマップ別のモブ・リストが埋まらないと気になってしょうがない血液型A型なので、必死になって探してしまった。そこら辺でかなり時間がかかりました。
 鍛治については、体感で言うとPS4版のほうが簡単な気がする。「仕様」に差があるとも思えないけど、「実装」レヴェルでは違うものになってるのかな。
 
 あたしの場合、この手のゲームは一般で言われている時間の倍かかるのが常なので、標準は50時間あたりということでしょう。
 
 しばりプレイを設定し忘れたけど(というか最初何言ってるのか意味がわからなかった)、「逃げない」と「装備を店で買わない」は実は達成しているはず。達成したからなんだっちゅう話ですけど・・・。
 
 クリア時間も昭和回帰(FC当時のRPGクリア時間は標準40時間といわれていた)かな、結局どうってことない予定調和的なエンディングだけど、エンディング・ロールのデザインも原点回帰でいいかな、と思った。ところが、途中からずっと気になっていた例の一点だけが、ほったらかしのままだ。
 
(以下、エンディング、ポスト・エンディングのネタバレがあります)
 
 ちまたのRPGでも横行していて、DnDファンだった身としてちょっと許せないのが、Wizard(ウィザード、Wiz)が魔法使えるだけのバカ、魔法脳筋キャラというやつ。DnDでは、生まれつき「血」(大抵はドラゴンの末裔だったりする)のおかげで、野性のままでも考えなしに魔法が使えるSorcerer(ソーサラ―、Sorc)という似て非なるクラスが設定され、区別されている。
 たとえば、DAシリーズのMage(メイジ)はこちらに近い。一種の特異体質扱いで、ドラゴンの「血」は関係ないけど。
 
 DnD魔法の源は、Sorcが「カリスマ」、Wizが「インテリジェンス」。
 ここで、「カリスマ」を「魅力」に訳するとちょっと語弊がある。たしかにドワなど一部種族は、見かけがあれなんで元々カリスマが低く(マジ)、美形がふつうのエルフなどと大きな差がある。これは「魅力」でいいかもしれない。クラスで言えば、バード(吟遊詩人)には高いカリスマが必要だったりするので、これもアイドル性、スター性という意味で「魅力」でしょう。
 DnD世界ではその他にも、パラディン、クレリックなど「神々など超越的存在に祝福された」(悪魔にもカリスマがある)とか、(トールキン・ホビットが明らかに原型である)ローグの「幸運に生まれついた」という意味も付されている。当然、逆の意味で「悪い星の元に生まれた」とか「カルマを背負った」などもある。
 
 ところで、「神に祝福された」者は、「見かけも優れている」。「見かけが優れている」者は「超越的な存在に魅入られている」に違いない。「PならQ」、「QならP」。逆も真なり。DnDに限らずファンタジー世界には、真・美・善という三幅対に基づく西洋哲学の発想が染みついているので、カリスマが高い場合の姿は、やはり美形、偉丈夫、恰幅がある偉容ということになる。
 なお、カリスマの低いドワが「ダメ」だとは一言も言っていない。「PでなければQではない」、「QでなければPではない」(「PならQ」、「QならP」それぞれの「裏」)が真だとは言ってないからね。
 
(余談:とはいえ、とあるDnDのMMO/MOで、カリスマを下げる毒液(つまりかぶると「ブサイク」になる)を浴びた脳筋ドワ専(ファイター)が、半笑いのまま立ち往生していたことがあるので注意が必要だ。当時のDnDでは、(腕力とか知力とか)どのアトリビュート・スタッツでも修正後ゼロを下回ると身動きできなくなるルール。パラディンだったあたしは、クレ様ほどではないが低位の治療魔法が使えたので治してあげた。(思い出すに、そのドワ専は治療用のスクロール(巻物)をわざわざ携行していた。もちろんファイターの自分はスクロールが使えない。クレ様がいない場合でも、スクロールが読めるメンツ(例えばバード、一部ローグ)がいたら渡して読んでもらう、ということだったのだろう)
 
 それでもカリスマが「20」を優に超えている(Palにしたらごく普通)こちらからすれば、ちょっと被ったくらいで一体どうしてそんな事態になるのか、皆目見当がつかなかった。ドワ専がこっそり教えてくれたことには、あらゆるスタッツをDPS向上に回すため、カリスマは許される最低の「5」にしたのだという。毒液一回被ったらおしまいじゃん(笑)。つうか、最初からDPSのためなら「ブサイク」上等ということじゃん(笑)。しかも身動き取れなくなることを想定してスクロールまで準備しているという、まるで陸上イージスのような変な意味での周到さ。「カリスマなんて飾り。脳筋には捨てスタッツですよ!」というプレイヤーも決して許さない、いやらしいデザイナーの作ったゲームでした。余談終わり)
 
 Sorcが、超越的な何かの力を得た存在であるのに対し、Wizはと言えば、ガキの頃から師匠(とかアカデミーの教授)に弟子入りし、頭割れるほど勉強と研究を重ね、じじい(不思議とばばあはいない)になる頃にようやく「何もかもわかった」感じになる。
 
 若いWizが白亜の塔にこもって、埃臭い書庫でカビ臭い書籍に頭を埋めてうんうん唸っている頃、同世代のSorc男女は渋谷あたりでみんな一緒にういーす、ちゃらちゃら、青春を満喫、謳歌している。たまにはやんちゃもやらかすので、ウエポン・プロフィシエンシーには、Wizの使えないショートソードあたりは最初からついているほどだ。
(ちなみに、DAのサークル・オヴ・メイジャイ(Circles of Magi)、あの「制度」は見た目そう装っているような白亜の塔、大学組織ではない(本来の意味での「大学」はオーレイなどに別に設置されている)。あれこそが、フーコーいうところの「学校」、もっと言えば「監獄」である。そこで教えられるのは「規律」(discipline、「抑制」という意味が近い)であり、植え付けられるのはメイジに生まれてしまったことに対する「罪の意識」(a sense of guilt)であり、目的は「去勢」(castration)だ。という深淵な、哲学的なモチーフをDA世界に持ち込んでくれたゲイダーさんも、もういない)
 
 でもって、社会に出てからのできあがりは、実はあんまし変わらない。むしろちゃらちゃらしてたSorcは、読モとかにスカウトされてずんずん有名になったり、見た目だけでジャ☆ーズに入れたりして、生涯年収では平均よりはるかに上に行ったりして。一方Wizは、頭割れるくらい勉強して大学に残ってみたけど、狙っていた教授ポストは有名人にとられ、収入はまるであがらず、声さえゼッタイかけるはずのないブス大生にセクハラ呼ばわりされ騒がれ、妻も子も去って職も追われ、あげく路頭に迷うという、世の中の不公平を体感できるクラスとなっている。
 
 話が長くなった。この手の話ならいつまでも長く書けるけど・・・。
 
 DQXIをプレイしている間、ちょっと感動していたのは、魔法使い(いやジジイじゃねえよ)が本当に「賢い」ということ。敢えてそう描いているのは、DQに限らず珍しいことなので、個人的にはうれしいのだけど、どうしちゃったの、堀井さんと思っていた。案の定、ああいうことになるわけですけど。ああなること自体が、あたしから言わせれば「賢さ」の証明なわけなんですけど。
 
 それでも、「大事な仲間が・・・。そのほうが感動的だから」という手塚ワールドが大嫌いなあたしでも、不思議と腹が立たなかった。そこまでの持って行き方がうまいというのもあるし、そのことを「これでもか」というくらいはあんまし掘り下げないから、んまあ、きっと何らかの方法で救済すんじゃないの、という読みもあった。元は結局「ジャンプ」だし、絵柄は「Dボール」だし。
 それがエンディングまでなかった。
 
 ポスト・エンディングでやるのか。というか、まだ途中までですけど、エンディングって「エンディング」でもなんでもなかったんだね。
 「エンディング」までの前期DQ(昭和回帰)とは打って変わって、ポスト・エンディングは、あのよくわからん(あたしはあんまし良いと思っていない)後期DQ世界がカンペキに戻ってきた。
 
 なんだろう、「クロノトリガー」の成功が忘れられないんだろうか。「いや、もうその手は古いよ」と思いつつも、イタレーション(iteration、一般には「反復」)とか、リカージョン(recursion、一般には「再帰」)とか、あたしらにしてみれば「もう見飽きた、聞き飽きた」というネタであっても、受け手の世代が変われば新鮮な感じがするのかしら。それこそ「回帰」(リカージョン)、またはニーチェが語ったのとはまるで違った意味での「永遠回帰」(eternal regression, eternal recurrence)ということか。
 
 とにかく、100時間でようやく終わったと思ったのは浅はかであった。あとどのくらい続くのか、ごり押しパワープレイが必要であると容易に予想されるので、また100時間くらいかかるのか。鍛治とかモブ・リストのコンプ目指してのんびりやろうとしていた目論みもまた後回しとなってしまうのか。
 それよりも何よりも、ほかってある3DS版どないしよ。
 
(おまけ)
 イタレーションでもリカージョンでもいいけど。

Dqxire1
 ・・・。

Dqxire2
 ・・・。

Dqxire3
 ・・・。

Dqxire4
 ・・・。

Dqxire5
 このネタまで律儀に繰り返すのやめてもらえませんか?

Dqxire6
 スパンク・ミー! ヒット・ミー! ビート・ミー!

Dqxire7

 ま、あたしはこれが見れただけで満足かな。

(「女子豹変」ネタにはもれなくハマるくらい弱い)

2017年8月18日 (金)

ふたつとも昭和で何が悪い。(2)

 さすがに毎回タイトル考えるの億劫になった。
 つうか、すでに「ふたつとも」は進めていないし。3DS版は、あそこでずっと停車中。すれちがい用に特化しつつある。
 
 大方の予想に反して(といっても、検索ロボット以外、読者はほとんどいないと思います)、あたしはこのパレードのネタはわりといけてると思います。 
 
 どっかに元ネタあった気がするなあ、と頭割れるほど脳内サーチかけたけど、「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る」(1964)しか思いつかなかった。なんでかな。

Dqxiak1
 これもれっきとした「昭和」です。

 浅草です。

 ファンクぢゃなくて、ブラジリアン・サンバだけど、まあ許そう。

 ちなみに「サンバ」のリズムに、これといって決まったものはない。あの四分の二拍子のノリであれば、たいていサンバに含まれる。

 あと、「マツケンサンバ」はあれぜんぜん「サンバ」ちゃうから。四分の四拍子ぽいし、なんでサンバなのに、コンガとかボンゴとか登場するのか不明。これはタモリも半笑いで指摘していた。「お嫁サンバ」も似たようなもの。「テントウムシのサンバ」とか、さらに微妙です。

 大場久美子の「スプリング・サンバ」(1979、昭和!)はリズム的には合ってる(YouTubeは下)。ドラムはシャッフルだし、とってもいい感じで夏にぴったり!(「スプリング」言ってるだろうが)。
 でもって、やたらフルート絡んでくるじゃないですか。こいつが当時の「ファンキー」の正体なんすね。なんかスナフキン的なとっぽい感じを出そうとしてんでしょう(ところがあいつはギター、ハーモニカ、アコーディオン、クラリネットとか、ありとあらゆる楽器を弾けるみたい)。当然、ファンクとは似ても似つかない別物。

https://www.youtube.com/watch?v=gM1MOaO9lZ8

 いやビキニ関係ねえから。歌が下手とかいうな! 勇気出して生で歌ってんねん! 「キラキラ星あげる」(コメットさん、1978、昭和!)なんてもっとすごいねんぞ!

 あたしも調べて驚いたんだけど、浅草サンバカーニバルの発祥は昭和56年(1981年)。実は、もっとずっと前かと思っていた。バブルにはちと早いけど、第二次オイルクライシス(イラン革命)の影響も軽微ですんだ。島国がだんだん浮かれ始めてくる頃だったんでしょうね。

Dqxiak2
 主人公をあからさまにイケメンにしちゃったから。

Dqxiak8
 同じ格好で、こうなっちゃうのは必然。

Dqxiak3
 昭和バブルを彷彿とさせるのは、このファンのせいではないかな。

Dqxiak4
 リーダー、リーダー、ちゃんと後ろ見ねえと!

Dqxiak9
 おまんら、エレクトリカル・パレードみたくちゃちゃっと来いや!

 ちんたらやっても残業代でーへんで!(ディスニーと一緒)

Dqxiak12

 このおっさんは誰かっちゅうとNPC(笑)。

 ゲーム中最悪のむさい野郎パーティー。

 と思ったら、実はあたしはロウ(爺)をリクルートするの後回しにしちゃってた。
 悔しい。四人そろってこそ、正真正銘の最悪パーティーだったようだ。 

Dqxiak5
 ほんとにこの格好で戦うんだ!

 PS4開発チームの情熱。ゲーム・クオリティへの並々ならぬこだわりに、プレイしているこちらの胸まで熱くなってきてしまいます。

Dqxiak6
 昭和バブルは、やっぱねーちゃんが踊らないとね!

 ボディ・コンシャス(死語)で。

Dqxiak7
 てめえ、どこに目つけてんだよ。(て、出っぱってますがな)

 他人を評価する資格一切ないだろ。

2017年8月16日 (水)

ふたつとも昭和で何が悪い。

 正直、こんなこと書いている場合ではないのだ。

 休み短し ゲームれ おとな。
 
 DQXI、ようやくあそこまで行った。もう、プラットフォーム同時並行プレイなんて続けていたら、いつ終わるのかわからないことがわかった。3DSのほうはあそこで一旦お休み、PS4のみ進行中。
 
 昭和の香りが息苦しく、もはや酸欠レベルにまで達しているのではないかと思われる。その絶好の証拠となるネタもあるのだけれど、あまりに強烈なネタバレとなってしまうので、しばらく取っておく。
 PS4オンライン(トロフィー)統計によれば、あたしの進捗状況まで進んだプレイヤーは、全体の40%くらい。あたし自身が出張のせいでカンペキに出遅れたとはいえ、途中リタイア組が続出するのはゲームの常。まずまずの数字と言うべきか、DQなのに、発売から半月経過しているのに、ちょっとこの数字はひどいとみるべきなのか。
 
 ところが、3DSすれちがいで経験したのは、犬食いのためには、さらりまんのあんちゃんねえちゃんが多い通勤時や盛り場が狙い目ということ。ガキはダメ。プレイしてないもん。
 よって、発売から半月経過といっても、ブラック国家のブラック企業勤めご苦労さんですな労働者諸君は、会社のトイレでこっそりすれちがい状況を確認する以外、プレイしている暇などないのだ。ってあたしはトイレにこもってやったりしてねえよ、「し、心外であります! いや皆無とは言えませんが。なによりも、さらりまんのすれちがいの実力に驚きました」(定番引用句の最後まで言わせんなよ)
 
 あたしがガキつうか前途有望な青年の頃は、この島国にはビニ本なるものが存在していた。 ビキニ本ぢゃねえよ、勘違いすんなよ。おいおい、今井とか上原のやつ、今ごろオクに放出すんなよ、節操ねえな。ひとえちゃんどこ行った、とか今関係ねえから。

Dqxibb20
 そそそ、こやって取引をね、ってそれ別の違法なやつ。

 街の片隅に、ふつうのエロ本(どんなんだよ)を売ってる狭苦しい本屋がある。そこの店番のばばあに、てきとーに見繕った一冊を渡すじゃないですか。そうすると、無言で店の奥のピンクの、でも薄汚れたカーテンの中に呼びこまれるのね。いや、ぱふぱふぢゃないからね。ばばあがぱふぱふ呼ばないからね。
 
 カーテンの奥の小部屋には、前途多難ちゃうわ、前途有望な青年に道を踏み外させるだけに十分な質と量の「ビニ本」が、すなわち一冊づつ「ビニール袋」に封入された「無修正」なブツが、所せましと並んでいる。んー、ぶっちゃけ違法なんだけど、なぜかケーサツはこないんだよね。たぶん、カーテンがものすごく重要な意味を持っていたのかな。街の〇チンコ屋と同じメカニズムだったのかなあ。
 そのお値段はといえば、ネットでほとんどなんでもすべてが観れる今の時代にしたら「お前アホちゃうか」いうくらい結構しましたね。といっても今でも、諸般の事情でおうちでネットを自由に観ることができない人たちが頼る、リアルの本(DVD付?)もおんなじくらいするかなあ(ずっとデフレだったんでインフレは考えなくていいでしょう)。
 
 あたしが若い頃に、社会勉強の一環として視察に行ったお話でした。
 今どき「エロ本」なんて、あたしらの頃のものよりはるかにレヴェルアップしたものがコンビニでふつうに売ってるし、いたいけなお子ちゃまだって買えるんだし(今それが問題になってんだよ!)、無修正観たけりゃカリブ行けばいいんだし(摘発されたけどね)、DMMでVRだってあるし(3D酔いで嗚咽しながら観るらしい)、ビニ本なんつうものは破綻ビジネスなわけじゃないですか。
 だから、下のネタなんて、いったい何が面白いんだろうと思っちゃうわけなんですよね。
 もうしわけないけどあたしは、ニコリともクスリともせず、「あー、これ昭和だ、ダメなやつだ、外したネタだ」と思って、ただマシンのようにスクリーンショットを取り続けてしまいました。

Dqxibb1
 ・・・。

Dqxibb2
 ・・・。

Dqxibb3
 ・・・。

Dqxibb4
 ・・・。

Dqxibb5 
 ・・・。

Dqxibb6
 ・・・。

Dqxibb7
 ・・・。

Dqxibb8
 ・・・。

Dqxibb9
 ・・・。

Dqxibb10
 ・・・。

Dqxibb11
 ・・・。

 それからどうした。

Dqxibb13_2
 セーニョん、やっぱさいこー。

 嫁にするなら女学校出たての手垢のついてない、もとい無垢な娘。
 その発想自体、ザ・昭和。

Dqxibb14
 マルちゃん、やっぱさいこー。

 こちらはもはや徘徊老人のお孫さんのような感じ。
 「レミゼ」のコゼット色がつかないように、堀井さんも必死ですね。

Dqxibb15
 ひろたんかい。

 懲りねえな。
 団塊の世代、くだらねえことにしか金使わんのなら、はやく死ねばいいのに。

 【追加】 リアルタイム・ライヴプレイでお届けしています(笑)。

Dqxibb21
 貴様もかい?!

2017年8月13日 (日)

Ghost in the China Shell

 アホみたいにPS4版と3DS版両方でDQXIをまぢめにやっているので、それぞれ時計は50時間を刻もうとしている(寝落ち込み)のに、どちらもさっぱりエンディングに近づく気配がありません。

 おかげでネットも見れず、ツイッターも見ず、幸い身近にプレイしている人はいないので、移動時やサテンで茶してるときにお子ちゃまたち(あとにいちゃんねえちゃん)たちの会話が入り込まないように、ウォークマンでファンクを聴きながら、ノイズキャンセリング・イヤフォーンでブロックする必要があるくらい。

 つうか、土曜日に意を決して、衝動買いしたもののこれまで全く出番のなかったDAエンブレム入りのショルダーバッグ(メッセンジャーバッグのほうは使い倒して、ショルダーバンドなどパーツもかなり交換したし、もう見る影もなくぼろぼろ)にこっそり3DSを忍ばせて駅前まで歩いてみた。ステーション・モールもしばらくほっつき歩いてみた。すれちがわない。ほっとんどすれちがわない。申し訳ないがそれなりにでかい駅だよ、なんでだよ、そこら中にがきんちょいっぱいおったぞ。
 国民的ゲームでもなんでもなくなっちゃったのかなあ。

 女子キャラクター三人に女学園の制服着せて、おたきも顔でにやにやしながら喜ぶんだー、だめぢゃん堀井さん。発想がもろ昭和バブルぢゃん。と言いながら、あたしもやってみましたけど・・・。にやにやはしていない。

Medajo  
 ダメな大人とかいうな。
 田舎の成人式DQNとかいうな。
 ローカルヤンキーの卒業式打ち上げとかいうな。全部あっとるけどね。

(と書いて、ふとブログ編集画面横のNiftyニュースのヘッドライン観たら、セーラー服着たキチ外国会議員が登場している・・・。あー、ダメなおとなの水準が一緒だわあ)

 その他、団塊の世代を彷彿とさせるくそじじいキャラとか、このどうしようもない強烈な昭和臭を、どうとらえるかによって興味の有無がわかれるのだと思います。

 でも普通に考えたら、あの舗装もへぼくてやたら埃臭いくせに、一体いつ降ったか覚えていないくらい前の雨の時できた水たまりがいつまでも残る街角で、「ランニング」(笑)シャツに短パン姿で青っ洟垂らしながら、自分とは圧倒的に身分の違う近所とかクラスのお姫様に一方的にあこがれて忠誠を誓った(いや自分の中だけでね)ことのない、「昭和」を生きていない若者たちに、これっぽっちも受けるはずがないではありませんか。

 なお、「ファンク」の語源とは、なにを隠そう、この強烈な「臭い」、「臭さ」のことだそうです。もちろん、あたしが「ファンク」というときは、JB以降のあの「強烈な、どぎついまでの臭さ」、それを一切隠そうともしない「どファンク」ぶりを言っています。目いっぱい脱色して、オシャレにしようと必死に頑張っても、灰汁が抜ける水準はようやくブーツィー・コリンズ程度です。そらPファンクなんだから、ぜんぜん垢抜けしてませんよね。

 そしてごらんなさい、ホッカイドーやトーホグなどでは、とっぽい奴とかへたれのことを「ふぁんか臭い」と言うではありませんか。(言わねえし、「はんかくさい」だし、それって「生半可」というときの「半可」で、意味は「半端もの臭い」だから)

 出張機内で、ようやく"Ghost in the Shell"(2017)を観た(流した、×)。

 中身については語る言葉があまりない。押井さんてば試写会でこれ観た後に、よく毒舌を我慢したなあ・・・、だいぶお金もらったんだろうなあ。お金もらってないMr.Annoにはボロカス言ってたくせに。

 スカヨコ、ちゃうわスカヨハ・ファンとしては人後に落ちないこのあたしが、途中で飽きました。たけしが苦手な英語を用いない決断をしたのはよかった。でも、だからなんなの。桃井さんどうしちゃったの? ハリウッドからオファーがあったら、なんでもかんでも出ればいいってもんじゃないよ。 

 もっとも、キャスティングの白人化、いわゆる「漂白」(white-washing)問題であちらの一部エイジアンが騒いだらしいが、押井さんは「スカヨコ以外、ありえねえだろ」とキャスティングについては絶賛していた。島国人としてその発言をとても誇らしく思う。つうかあれ義体だし。自由に選べるし。なにが悲しくて、誰がこ汚いエイジアンの顔使うか。

 押井さんアニメへのオマージュらしきものが、当然そこここに登場するのだけれども、どれもがさっぱり効果的ではない。逆にそれだけ、あちらのアニメの壮絶な水準の高さが際立っただけという結果とでも言いましょうか。排水路での光学迷彩を用いた追跡・格闘シーンとか、ラストの「戦車」との対決とか、これはアニメ映画版からではなく「イノセンス」かOVAシリーズへのオマージュのはずですけど、ゲイシャ・ロボットのテロとか、そういうシーンの映画版のクオリティが、比較するに値しないほど低い。

 予告編でもイラついたのは、あのこ汚い街並み。ブリティッシュの監督だから、リドリーのオオサカにならって、おおかたホンコンあたりを手本にしたのだろうけど(imdbで調べたところ、100%ホンコンだそうだ。またリドリーへのオマージュとして、「パンナム」の広告塔が登場するらしい)、あれはどーみても半島あたりのどぶ臭さ。作中の電脳空間、どんだけ解像度低いねんという感じ。トウキョウとは言わないけど、せめて(今現在の)シャンハイでも手本にしたらどうだったんだろうか。

 制作資本も中華が参加、俳優こそ上述のふたりは客寄せとして登場するけど、基本中華。もはやハリウッドにおける島国の扱いは「レガシー」(遺跡)、存在感はゼロに等しい。

 頭にきて、酒かっ食らっても眠れなくなったので、"Guardians of the Galaxy Vol. 2"(2017、居眠りした、〇)を観た。なんだかんだ言って一作目よりはるかに面白くなっていて、一層腹が立った(笑)。
 やっぱ、このくらいデタラメやらんとダメですわ。しょーもない繰り返しギャグのオンパレードにも関わらず、随所で思わず笑ってしまう。

 ただし、一作目でも重要な役割を果たしていたソニーのウォークマン(カセットテープ仕様)が、二作目では悲惨な運命を辿ることになる。元がマーヴェル・ディスニーなんで、「ソニー死ね」ということだろうけど、乾いたアメリカン・ジョークなんだろうけど、笑えない。ひたすら物悲しくなった。
 正直最後どうなったかよく覚えていない。まあどうせ想像はつくけど。結構笑わせてもらったので、途中から心地よい眠りに入ることができました。つか、スタローンてば、ダチのマイケル・ルーカーが出てくるからノーギャラで登場したんでしょうかね。調べるとクレジットされてるので、そうではないかな。場違いすぎて、これも笑いました。

***

 You shouldn't have killed my mom and squished my Walkman!

――――― Guardians of the Galaxy Vol. 2 (2017) 

2017年8月 8日 (火)

怒りとはすべて義憤リターンズ(2)

 なんか、自分で納得してしまって、終わったつもりになって(終わったんだけど)、そのうち出張とか入ってDQXIとか来ちゃって、後半を書くのを忘れていた。
 実はもう、本当に書きたい話題は「怒りについて」の先に行ってしまっているし、またしても出張なんでちゃちゃっと終わらせます。
 

 「すべての怒りとは義憤である」の答えが見つかったわけではない。前回書いたように三木清氏のこのエッセイ(ご本人は、受け手の発想を触発する意味で、これに限らず他の著作でも「ノート」という呼び方にこだわっていたようだ)では、「気分的な怒り」が「名誉心からの怒り」と「神の怒り」と区別されてしまっている。「気分的な怒り」が「義憤」であるというのは、どうひねってもこじつけに感じてしまう。家具に足の指をぶつけたときの「きしょうめっ!」という怒りは、「怒り」じゃないことになる。

 ちなみに、先日不肖あたくしも、DQXIで頭いっぱいのとき、自宅で家具に足をしたたかぶつけ、思わず「きしょうめっ!」と言いそうになった。ところが、むこうずねに傷が残るくらいのひどさだったにも関わらず「はて、これは怒りだろうか?」と考えたら自然と平静になりました。「怒り」について考えることの効用が出た。まあ、その怒りを鎮めることが是という発想自体、怒りが「悪」という「思想」にとらわれているのかもしれないけど。少なくとも「やり場のない怒り」(unfocused anger)は、「やつあたり」(misdirected anger)と同じくらい不毛ですからね。ちなみに逆ギレは"misplaced anger"。

 「生理的な怒り」については他にも、「社会と文化の現状は人間をはなはだ神経質にして」おり(この著作が戦前のものであることに注意)、怒りが常習的になり、「本来の性質を失おうとしている」。怒りと憎しみの区別が曖昧になっているように、「怒りと焦燥とが絶えず混淆している」ことも指摘されている。「すべての怒り」の定義が、周辺部分で揺らいでいる、異なっているとしておこう。もっとも、「すべての怒りとは義憤である」と書いた永井均氏の立脚点は、「私憤なんてものは実はない」ということだったのだろうから、考え方の方向が反対なのかもしれない。
 
 また前回、不用意に「『神の怒り』は(人間の怒りではないので除外します」と書いていた。アホですね。「神の怒り」といえども人間が思いついたものであるので除外しようがない。それどころか「神の怒り」は「正義の蹂躙された時」に現れる、「正義」そのものを示しているのだから、その怒りは義憤以外のなにものでもない。単に人間には計り知れない「啓示的な深さ」がある、というだけのことだ。

 最後の区分である「名誉心からくる怒り」については、長々とした説明は不要だろうか。三木氏は、この「怒りについて」のエッセイの前に、「虚栄(心)」と「名誉心」についても書いている。それらも記事何本か書けるおいしいネタなので、本当はここで放出したくない。とはいえ、怒りについて考える一助になる(だからそういう順番で載っている)ので、くやしいけど記しておく。

 「虚栄」とはもちろんフィクショナルなもの。ところが虚栄とは人間の存在そのものであるというから、人間の生活がフィクショナル、人生がフィクション(小説)であることになる。すべての人間的と言われるパッションはヴァニティ(虚栄心)から生まれる。ヴァニティの実体は虚無である。人間は虚栄によって生きるからこそ、知慧が必要だ。人生の知慧はすべて虚無に到らなければならぬ。  虚栄心とは、自分があるよりも以上のものであることを示そうとするパッションだ。そのことは人間の高い性質を示している。それは仮装に過ぎないかもしれないとはいえ、一生仮装を通した者の本性と仮性とを区別することはできないだろう。道徳もまたフィクションではないか。
 人間が虚栄的であるということは、人間が社会的であることを示し、つまり社会もフィクションの上に成立している。そうした社会においては信用がすべてである。あらゆるフィクションが虚栄なのではなく、フィクションによって生活する人間が虚栄的であり得るということだ。

 「名誉心」と「虚栄心」とほど混同されやすいものはない。また、この両者ほど区別の必要なものはない。
 虚栄心はまず社会を対象としている。名誉心はまず自己を対象としている。自己の品位についての自覚である。名誉心と個人意識とは不可分である。個人であろうとすること、それが人間の最深の、また最高の名誉心である。
 
(もうここで、答が出てしまっていると思います。取り敢えず続けます)

 名誉心も社会に向かっているといわれるかもしれない。それでも、虚栄心においては相手は「世間」というもの、アノニムな「ひと」であるのに反し、名誉心においては相手は甲であり乙であり、それぞれの人間が個人としての独自性を失わないでいるところの社会である。
 虚栄心の虜になるとき、人間は自己を失い、個人の独自性の意識を失う。自身がアノニムな「ひと」になり、虚無に帰する。流行はアノニムなものである。
 名誉心をもっている人間が最も嫌うのは流行の模倣である。名誉心というのはすべてアノニムなものに対する戦いである。

 この後も、読んでいると思わず唸ってしまう記述が続きますが、当面の「答え」はすでに出たのでしょう。「すべての怒りとは義憤である」とすれば、怒りとは、あくまで個人であろうとする、自己の名誉心に対する挑戦に向けられるものだ、ということになります。「怒りについて」の中から関連部分を引用します。

「特に人間的と言われ得る怒りは名誉心からの怒りである。名誉心は個人意識と不可分である。怒りにおいて人間は無意識的にせよ自己が個人であること、独立の人格であることを示そうとするのである。そこに怒りの倫理的意味が隠されている。
 今日、怒りというものが曖昧になったのは、この社会において名誉心と虚栄心の区別が曖昧になったという事情に相応している。それはまたこの社会において無性格な人間が多くなったという事実を反映している。怒る人間は少なくとも性格的である。」

 付け加えることはないでしょう。最後に、まさに「流行の」言説を鵜呑みにして、あたかも虚栄はいけない、名誉心(島国人は誇りと混同しやすいが、それこそ虚栄であり虚勢、ひいては傲慢)を持つべきだ、という杓子定規な道徳に希釈してしまって、思考停止することのないよう、以下を引用しておきます。

「人に気に入らんがために、あるいは他の者に対して自分を快きものにせんがために虚栄的であることは、ジュベールのいったごとく、すでに「半分の徳」である。すべての虚栄はこの半分の徳のために許される。虚栄を排することはそれ自身ひとつの虚栄であり得るのみでなく、心のやさしさの敵である傲慢に堕していることがしばしばである。」

「...そして名誉心というのはすべて抽象的なものに対する情熱である。」「抽象的な存在になった人間はもはや環境と直接に融合して(引用者注、模倣と流行に)生きることができず、むしろ環境に対立し、これと戦うことによって生きねばならぬ。名誉心とはあらゆる意味における戦士のこころである。」「名誉心において滅ぶ者は、抽象的なものにおいて滅ぶ者(である)。」「愛は具体的なものに対してのほか動かない。この点において愛は名誉心と対蹠的である。愛は謙虚であることを求め、そして名誉心は最もしばしば傲慢である。」

 虚栄を排すること、名誉心にのみ生きること、そういった軽々しい物言いが、いずれも人間の最大の悪である傲慢に行き着くところにこそ、生きることの面白さを感じていただければいいんだと思います。 

2017年8月 7日 (月)

ふたつとも進めて何が悪い。

 だって倍の時間かかるでしょ。あなた、そんなに時間ないでしょう?
 なんのこれしき、アリサちゃん、エマちゃん、ラウラさんとの腐れ縁が切れない何とかの軌跡が10月発売で(間違い、9月末。10月はDSJ)、それまでは、天気晴朗、視界良好、順風満帆。(つか、これまでに取りこぼしてるのいっぱいあるけど気にしない。P5USもFFXIIもYsVIIIも結局一度はオリジナルやってるしね)

 ただしどう考えてもおっさんなので、ここのところ寝落ちの危険がかなり高まっている。DQXIのPS4版プレイ時間は今のところ40時間なのに、物語はまだおそらく中盤に差し掛かったところ。間違いなく数時間以上の寝落ちロスタイムが入ってる。情けないけどこれが現実。

 途中よく見かける、なにこのうろうろしてるちっちゃい白いの? 近寄れば消えてしまうしといぶかしく思っていた。すれちがい関係であることは容易に想像がついたが、大前ケンイチでもなければ移動時にPS4を持ち歩けるはずもなく、すれちがいって3DS版にしかないに決まってるのに、これってただの飾りなのかしら、それとも3DSの復活の呪文ではじめると何かあるのかしら、と思った以上、特に気にしていなかった。
 
 そういえば、5から6時間プレイしたきり中断したままの3DS版では、すれちがいも始まっていなかった。夏休み期間といえば稼ぎ時じゃないか。これって本体持ち歩いても何の意味もないじゃないか。いつからはじまるんだよ、とふと気になって久しぶりに再開し、主人公が一歩踏み出したところで突然始まった(笑)。なんつうキリの良いところで中断していたんだろう。

 期待していなかったとはいえ、内容はあんなもんでしょうかね。すみませんがあたしには奴らがちっとも「かわいい」とは思えないんです。なんでああしちゃったんだろう。

 すれちがいオンになったので持ち歩くことにして、初めて朝電車に乗ったら釣れる釣れる。さすが国民的ゲーム?
 つっても、各プラットフォームともイニシャル発売数ワン・ミリオンていうのは「馬力落ちたなあ」と思っちゃいました。それぞれ倍はいかないといけなかったのではないのか。コンソール機、ハンドヘルド機自体の戦闘力が落ちちゃってるってことなんでしょうね。

 3DSってターゲットはもうしょうがくせーなわけでしょうし、「昭和の香り」がむんむんしているこのゲームがヒットする世代はずっと上でしょう。PS4もコアユーザーとのミスマッチ感漂ってるし。すれちがってるのは、結局さらりまんのおっさん、おばはんたちっていうことなんでしょうかね。次はスマホゲーになっちゃって、どんどんダメになっていくというのも、避けてほしいとはいえ予想の範疇。

 コメントにも書いたとおり、「永遠回帰」も「昭和の香り」も悪くない。DQといえばファンク。そのファンクなノリが戻っているのは個人的にはうれしい。「ファンキー」ぢゃねえよ、「ファンク」だよ、一緒にすんなよ。

 PS4版については、とにかくやれること、やりたいこと、過去やったことは全部ぶちこむという贅沢なノリのつくりで、他には真似できない王道だなーとは思います。ボウガンみたいに余計なものまで入っちゃったのはご愛嬌ですけど。つかあれ"Fable"シリーズに同じのあったし、そこだけはあっちのほうが面白かったし、こっち時間ばかり食って面白くないし。

 問題は、もう受け手側が「王道」なにそれ?という世界になってしまっていることでしょうね。看板だけでは食えない、むしろ看板が邪魔になって身動きとれなく(飛べなく)なっていく。手塚シンドロームに陥る危険が心配です。ちうか、なんでもそうなっていくのは必定、世の理なんでしょうけど。だからと言ってホストクラブに飛ぶのもどうかと思うけど。

 そういえば、こちらの「女学園」にはさすがに苦笑するしかなかった。やっぱほぼ同世代のあれ(あっちのほうがちょい若い)に嫉妬してたんすね、堀井さん。ヴィデオゲームでは完勝(あっちは「恐怖のエクソダス」)したのにねえ。わかります、悔しさがとってもにじんでます(笑)。

 ともかく、他ではお目にかかれないファンクなノリだけは失わずに、この先も進んで行ってほしいものです。だからファンキーぢゃねえから。わからなきゃどこぞのチ●玉ブクロにでもきいてくれ。  

2017年8月 4日 (金)

【ME:A】Leave Me Alone (Just stop doggin' me aroung: M.Jackson)

 下のネタの英文探すときかな、どっかのサイトで読んだんですけど、島国語さっぱりわかんないガイジンのガキ・・・、えーとお子ちゃまが島国小学校に通ってまっさきに覚えちゃう言葉が、「きもい」と「うるさい」なんだそうです。ホントのガキの話ですから、「むかつく」はまだ登場してないんでしょうね。

 まあ、そこで「きもい」って英語でなんていうのー?みたいなネタに行っちゃうわけで、ガキですから"Disgusting!"なわけなく(むしろあたしなんかは大人なので「朝貢新聞がきもい」というときはこっちを使うべき)、"Creepy!"も「きもおた」ならわかるけど他はちょっと違うし、"Gross!"は、むしろ「さいてー!」だし、"Yucky!"とか"Yuck!"は間投詞だし、オノマトペ(擬音語)ぽいので反則くさいし、匂い、味、色、光景などが「おえっ!」とか「うわっ!」とかいうときでしょ。

 とまあ、いまいち納得できる答えは書いていなかった。書いてるのがガイジンで、「きもい」の本当の意味がわかっていないせいもあるかもしれない。ま、"cool"はどう訳してもクールじゃないのと一緒ですね。

 どうして島国語できないガイジンのお子ちゃまが島国小学校に通っているかというと、これってそっち業界では教師の労働がブラック化している一因ともなっている、相当へヴィーな話題なんで、こんな場でするのはやめておきましょう。

 随分昔に、(記憶では島国に住む)アメリカンのおっさんが、オーストラリアかどっかに親戚を訪ね、まだ学校行く前の小さな姪っ子を連れて散歩することになったときの話を読んだ。年端もいかない女の子が「(あれが)欲しい」と「(それは)いや」と、あともいっこ忘れちゃったけど(文脈上「ありがとう」ではないはず、「プリーズ」だったかもしれない)、たった三フレーズだけで、世間を渡っていけることを知って、おっさんが心底驚愕する話です。だから、ガキの話してんじゃないから。女が(もしかしたら男も)全部そうだと言ってるわけだから。

 最初のネタが、「恐怖」(キモイ)とか「不快」(キモイ、ウルサイ)、「怒り」(ウルサイに、やがてムカツクも入ってくるだろう)という、ヒトの基本的感情に関連しているのに対し、後のネタは「欲望」、(求めるものがほとんど食べ物・飲み物だから)「飢餓・飽食」とかに関連してくるんですね。前者が自己防衛的で、後者が生命維持的。両者の年齢を考えると、まず生きるための意志ありきで、次に外敵から身を守る術を身に着けるという物語。「欲しい」が単純な衝動なのに対し、「キモイ」や「ウルサイ」は文脈というかその「場」、さらにはすでに「文化」までしょっていることになります(「怒り」も当然そう)。

 ここまで↓に書くことの前フリです。自己弁護とも言います。

 人様のツイートって古いものから知らないうちに消えちゃう(読み込めなくなっちゃう)んですね、知らなかった、ってお前どんだけリテラシー低いんだよ、つう話ですけど。
 世界には、10億フォロワーとかいらっしゃる方もおわしますので、当たり前っちゃ当たり前なんでしょう。

 今までほとんど読むだけ、ものぐさすぎてさっぱり発信しない自分のツイートが消えている節もないから心配する必要もなかった。ところが、ここにきて(自分にとっては)ちょっと深刻な問題が起きてきた。

 フォロワー数えるほどのツイートで、今取り敢えず欠かさずやろうと思っていることはふたつあって、ひとつは10月発売予定の「メガテンDSJ」公式から、「悪魔全書」のアクマ紹介ツイートが来るたびに、しょーもない駄洒落をひねり出すというやつ。(アトラスから送られてくる)ツイートがほおっておくと「消えてまう!」と心配したほうがこっち。

 ちょっと考えて見ればおわかりのとおり、サクッと駄洒落が浮かぶものなどほとんどなく、毎日、二、三アクマ分が送られてくるので、ひとつに引っかかってうんうん唸っているうちに、どんどん次が来るという、「わんこそば地獄」状態(いや、あれは食い終わってからしかこねえだろう)。何にも思いつかずにとりあえず後まわしにしたもの数知れず。
 この後回しにした公式のツイートが「あれ? 消えてしまっている!」と恐怖したのでした。どうやら消えてはいないらしいけど、もはや過去分を探すのが超大変になってきた。さすがにアトラスも、公式サイトに「悪魔全書」を一覧として載せることにしたらしい。
 
 もうひとつは、さらにひたすらしょーもないやつ。ME:Aの轟沈を目の当たりにして、とうとうBioWareに愛想を尽かしてしまった(元)亡者として、送られてくるME:A関係ツイート(ほとんどがBioWare発)にネガティヴィティ全開のコメントを基本一行だけで返すというやつ。
 こちらの方の心配は、一言コメントのヴァリエーションがさすがに枯渇してきたということ。よって気がつかないうちに過去用いたものと「被る」危険が出てきました。
 被ってしまったら芸人の名折れ(誰がだ)。メモ代わりにまとめておこうと思い立った。

 まあ、ぐだぐだ説明するよりお見せした方が早い。本来はリツイートしたオリジナルのツイートを載せればよいのでしょうが、こんなしょーもないことでブログ容量を使うのもあほくさい。一部を除き、基本テキストだけとします。また、島国語訳はツイートにはつけていなかったのですが、ここでは入れておきましょう。( )内は島国時間の日付。

@gamespot Mass Effect: Andromeda reportedly not getting Single-Player DLC(7/2)

Who cares?   知らんがね。

@pcgamer BioWare's Dragon Age team is currently "hiring a lot of people", according to its creative director. (7/2)

Again, so what?   これも、だから何?

@masseffect Which Combat Profile is your go to during a fight? (7/5)

Never mind.   ほっとけ。

@bioware Tune in tomorrow at 10am PT to find out what's in @masseffect's Patch 1.09. (7/5)

No can do.   やなこった。

@bioware  Find out what's new in @masseffect Multiplayer in Patch 1.09(7/7)

No way!   いやっ!

@masseffect Breach hostile terrain with APEX in Firebase Magma. Jump into the fray for a chance to unlock the new Batarian Scrapper.(7/7)

No way, no how!!   なにがなんでもいやっ!

@masseffect Are you just waking up from cryo? Get the lowdown on combat and gameplay before you set off in Andromeda(7/9)

Why now?   なんで今さら?

@masseffect What are your favorite moments in Mass Effect: Andromeda? Share your screenshots and tag them with #masseffectandromeda!(7/12)

Hardly any.   まずない。

@bioware What's better than one cosplayer? Four of them. Meet Drack, Jaal, Peebee, and Ryder(7/13)

Dejlpkzuwaapiug

No cosplayers at all.   ゼロ、コスプレイヤー。

@masseffect How are those jokes coming, SAM? (7/13)

How were those stupid scinarios coming, Mac?   あのアホみたいなシナリオどうやって思いついたの、マック?

@masseffect Set a trap for the enemy in an abandoned kett facility. Join the fight with APEX in Firebase Vertigo this weekend. (7/14)

The enemy is within the gate, already.   敵は身中にあり。

@masseffect Fight for a new home in a dangerous galaxy. The Mass Effect: Andromeda Trial is now available on all platforms! (7/14)

Why so serious?   なんでそんな必死?

@bioware Make games with us. We're hiring. (7/14)

Hell no!   やだよ!

@masseffect Who did your Ryder romance? (7/16)

Stay out of my business!   口出ししないで!

@masseffect Last chance to jump into Firebase Vertigo with APEX this weekend. Grab your friends and join the fight! (7/16)

Not for me, sir.   遠慮しときます。

@masseffect In 2819 you woke up in Andromeda. What does your Ryder look like? (7/17)

With a tired face.   「疲れた顔」で。
 
@Aaryn Flynn Thank to you everyone for an unbelievable 17 years! (7/19)
 
Not caring, here.   気にもしない。        
 
@bioware Welcome back, @CaseyDHudson (7/19)

About time.  待ってました。
 
@masseffect The Pathfinder is ready to embark on her next adventure. Get your Sara Ryder Limited Edition Lithograph now!(7/20)

Dfhpeykumaaaum1  

Who, did you say?   え、誰って?
 
@bioware Hey #SDCC, here's how you can catch up with us this weekend.(7/20)
 
Yeah, whatever.   へえ、知らんけど。
 
@bioware July 20th, 1969. The first of many giant leaps.(7/20)

Dfl9lntwsaabdrt

Sorry, but it's American's.   でも、それアメリカのだから。

@masseffect Enemies are attacking Firebase Nimbus. Can you survive until extraction? Grab your friends and join the fight in APEX Multiplayer. (7/21)

Not my circus.   関わりのねえこって。

@masseffect What do you get when you mix an asari and an elcor? (7/21)

An Asari character with almost no facial animations.   フェイシャル・アニメのほとんどないアサリ。

@masseffect Test your mettle against outlaws on Firebase Nimbus. Last chance to grab your friends and join the fight. (7/24)
 
Spare me.   あたしはいいや。
 
@bioware We teamed up with @corn_maze to help you get lost this summer. (7/24)
 
Dfhn5gfxuaqqbcp
 
Don't bother. We've been lost in Andromeda already.     無駄なことを。こっちアンドロメダですでに迷ってるんだけど。 

@masseffect Who did you assist on the Archon's flagship?(7/25)

Dfmkv1vxcaymqet

Did it matter, anyway?   これって、どのみち意味あったっけ?

@bioware ICYMI, gather around for the tale of Corsa the Jackal, an animated short from @DragonAge (7/26)

This is the stupidest story I've ever heard! Also, extremely boring.   今まで聞いたお話の中で一番バカバカしいわ! しかも、とってもつまらないし。

Are you new to the Andromeda Initiative? Visit the Tips Hub to learn about Combat Profiles, exploration, and more. (7/26)
 
Stop bothering me!   もう、構わないでくれ!

Following a lead to Omega, Tiran Kandros is one step closer to uncovering the Andromeda Initiative's biggest secret.

Dfxupoau0aet_1k

That's enough! もうええちゅうねん!

@masseffect What was your favorite Loyalty Mission?(8/1)

Dgfcyrtxoaa9m8c

Aaryn Flynn's. But mission failed!   アラン・フリンのやつ。でも、失敗しちゃったけど!

@bioware We've made some minor changes to @masseffect multiplayer with update 1.10. (8/1)

Suit yourself.   好きにしてろ。

@bioware Tomorrow the Batarian Vanguard joins the fray. Catch us at 10am PT. (8/3)

Why so persistent?   なんでそんなしつこいの? 

Let the Pathfinder find his way onto your desk. We're giving away two signed Scott Ryder action figures from @Todd_McFarlane. RT to enter. (8/3)

Dgpx8_tumaew2fz

No room! No room!   満員! 満員!

Head out on a daring salvage heist with APEX, but don't let the enemy get too close. Jump in for a chance to fight as the Batarian Vanguard! (8/4)

Leave me alone. ほっといてくれ。

@bioware Hey @NASA, we heard you’re hiring. We know somebody who's qualified.(8/4)

Dguvzzuiaa613p

2017年8月 2日 (水)

化石化するポストモダン

 石原教授の文芸時評8月号(産経新聞)が面白かった。

http://www.sankei.com/life/news/170730/lif1707300027-n1.html

 文中、「この40年ほどの思想的な流れ」についての東浩紀氏のまとめについて、石原教授が「実に見事というほかない」と書いている。
 「真実などない」というポストモダン的な言説への反動として、90年代、2000年代には「真実」や「エヴィデンス」を求める理性主義と実証主義に回帰したはずなのに、現実にやってきたのは、実にポストモダン的なネーミングの「ポスト・トゥルース(真実)」の時代だった、というのがその「まとめ」だ。
 ところが、これについてはあたし個人は「まあ、そうでしょうね」と特段感動することもなく、(この鼎談の三人は当たり前のことしか言わないから面白くない)、むしろ、これを受けた石原教授の「このまとめ方に納得することが『近代の終わりという大きな物語』の中にいる証拠」という部分に引きつけられた。

 「大きな物語の終わり」という「大きな物語」に対する、石原教授のこうした冷たい見方にはとても共感する。そういう石原教授もあたし自身も、「大きな物語」の中にいることは否定できないのかもしれないけど。

 「大きな物語」とは、哲学者リオタールがポストモダンにおける知のあり方を考察する著作(注)の中で用いた言葉。この著作によれば、真なるものを探究する「科学」は、自らのステータスを正当化するための言説、「哲学」と呼ばれるメタ言説を必要とした。このメタ言説が、「自由」、「革命」、「人間の解放」、「精神の生」などの「大きな物語」に依存している場合、自らの正当化を示すため、そうした物語に準拠している科学を「モダン」と呼ぶ。(物語には、もちろん他に伝統的知を運搬するための物語もある)

(注)邦訳は「ポスト・モダンの条件」(1986、水声社)、この著作が入手困難になっているところが、島国ポストモダンの寒風吹きすさぶ現状を示しているのかもしれない。あたしは運良く、職場付近の書店に埋もれているのを発見してゲットした。こういう誰もが口にしたがる言説が書いてあって、でも実際は誰も読んでいないに違いない著作というのは必ず読んでおくことにしている。だって、偉そうに不用意に口走るやつとか一発ノックアウトできるじゃないか。

 「科学」(科学的知)は、自らが「真」であることを自ら示すことはできない。非科学的知である「物語」(物語的知)を必要とする。例えば「啓蒙」という物語では、すべての理性的精神(人間のこと)の合意(コンセンサス)の可能性がある前提で、倫理・政治的に「良い」目的、すなわち普遍的平和のため、知(という主人公)が尽力する。すなわち「真理」に加えて、「正義」もまた大きな物語に準拠するようになる。
 つまり、知と権力は表裏一体。科学的知(真理)の正当化と政治的(為政者の)知(正義)の正当化は関連していて、同じ「選択」から生まれたものであり、それこそが「西欧」と呼ばれるものだ。

 西部邁氏いわく、「モダン」(英:modern)とは「ほぼ最近の時代」のことであり(ラテン語では「ちょうど今」を意味するからかな)、これを「近代」と訳した奴は、小さな声でいうと「バカッタレ」なんだそうだ(笑)。また、西部氏によれば「モダン」は「モデル」(英:model)、「モード」(英:mode)と語源を共有している。「近代」(仕方がないからこの訳語を用いると)とは、「模倣(模型)」と「流行(様式)」の時代、「型」の時代ということだ。いや西部氏の言わんとしていることは、「『いつの時代』であっても、人は模倣と流行で生きている」ということだろう。ちなみに西部氏は、変わったことしか言わないので面白い。

 ポストモダンとは、科学を正当化していたメタ物語に対する不信感、「大きな物語」の失墜であり、おそらくは大戦後の資本主義の再興と繁栄(共産主義への選択の排除)と、科学技術の進歩の結果だとされる。上述の著作は、70年代までにおける科学技術に基づいての考察であるものの、21世紀の今読み返せば、情報通信技術の進歩、情報の流通すなわち「知の商品化」の重要性はさらに説得力を増すだろう。

 「ポストモダン」は、それ自体そうなりきれなかった「物語」といえるかもしれない。自ら物語になってしまえば、それは「大きな物語」(モダン)の一部でしかないのであるし、「モダン」という価値の否定でしかないのなら、語るものが何も残されないニヒリズム(虚無主義)に容易に陥ることになる。

 もっとも、そんなことを言う前に、科学が自らの正当性を自ら示せない時点で、「真理という科学の要請を、この要請そのものに自己遡及的に適用する」点で、ニーチェの言う「ヨーロッパのニヒリズム」に陥っていることは、上述の著作で指摘されているとおりだろう。
 西部氏に倣って、モダンが「人が模倣と流行で生きている」時代というのであれば、平等を保証された個々人には平等に何の価値もなく、均質化されたそれらの人生には何の意味もなく、それこそニヒリズムそのものが実現しているのではないか、とも言えるだろう。

 石原教授によれば、島国におけるポストモダンは、資本主義の恩恵、高度消費社会を満喫したバブルの産物であった。ドルゥーズ・ガダリの「リゾーム」(中心を有する体系の比喩「ツリー」に対する地下茎)も、バルトの「読者の誕生と作者の死」(ここでも何度か話題にした「作品は誰のものか」、"authorship""ownership"の関係に通じる)も、社会(生活)に多様な選択肢があってこそ、この絶東の島国においてさえも(西欧文化圏の端パイには違いないので)実感され、共感を呼んだというのはそのとおりに違いない。

 一方、(島国では)長い間デフレが続くことによって、「正しさ」(political correctness)の時代になったというのは、どういうことだろう。豊かであれば人はおおむね利他的(寛容)になり、貧しければひたすら利己的(偏狭)になる。社会(経済)が停滞するにつれて、勝ち方は決まり、勝ち組も固定される。トリクル・ダウンなどという胡乱な眉唾(おそらく虚偽)のセオリーを持ち出さなくとも自明の話だ。こういうわりと安直な答えでも、それなりに人を騙して信じ込ませることができるし、浅い部分では大して間違っていないのかもしれない。でも、これはあまりに面白くない。

 おそらく、「大きな物語の失墜」はたしかにあったのだとしても、その「終焉」はないのだろう。

 社会正義、「正しさ」を標榜するカルチュラル・スタディーズ、国民国家論、ポスト・コロニアリズム、フェミニズム、インクルーシヴィティ(島国では性的少数者のみ取り上げられ、教授も文中ではそちらを言っているが、あちらでは本来は、すべての少数者を「包含する」意味)などの「流行」が、あたかも百花繚乱の様相を呈しているかのように見えたとしても(都内の大規模な書店の棚を見渡してみても、とてもそうは見えないけれども)、結局はみな同じひとつの「真理」に寄りかかり、ひとつの「正義」を実現しようとしている点で、まさに生物学でいう「ニッチ」の「すみわけ」でしかないのだろう(書店で「主流」分野の横にこじんまりと並ぶ関連書群の印象がまさにこれだ)。

 

 そしてその「真理」も「正義」も、喪われたはずの「モダン」からの借用にしか思えない。もっとも、「大きな物語」が喪われたというのなら、ただ形骸化(骸骨化)した「真理」と「正義」だけが、彷徨っているだけなのかもしれない。

 

 それとも、もっと下世話に考えて、バブル期に目いっぱい稼いだポストモダンの主流派たちも、デフレ期ではお座敷がかからなくなり、またはご本人たちが疲弊してしまい、あるいは単に本書いても儲からなくなり、ずっと安い予算、稿料で働くベンチウォーマーというか二軍にお鉢が回ってきたということでしょうか。

 こうした「流行」も、「均質を基礎としてきた近代」(別の言い方をすれば、人が模倣と流行で生きてきた社会)にくさびを打ち込む点で、やがては「大きな物語」の一エピソードとして回収されてしまうだろうという、石原教授の予想にも深く頷いてしまうところだ。

 

 最後に、「ポスト・トゥルースの時代」というネーミングは、まるで「トゥルースの時代」があった、現にあることを前提としているのでそれ自体「反動的」である、と力説している点には、違和感を抱いた。「真実などないし、あったこともなかった」ことなどは、このように縷々書き連ねる必要もないくらい自明であると思われるので、いったい何を恐れているのだろう。ましてや、今騒がれているそれは、ブリックジット、ドナルドなどの「印象操作」、「フェイクニュース」程度の問題でしかなく、問題となっているのは「真理」でも「真実」(truth)でもなく、ただの「事実」(fact)の有無だ。「偽」(false)ではなく、「嘘」(fake)だ。
 
 なにかアイデオロジカル(イデオロギー的)な危険を念頭に置いているのだとしても、ちょっと想像がつかない。旧来型プロパガンダで何かのっぴきならない状況になるというのなら、すでにマスメディアが悪質極まりないプロパガンダ機構として成立しているではないか。あれ以上質が悪くはなりようがあるまい。
 「トミファ」がその証左(エヴィデンス)というなら、ひねもすTVばかり観ている団塊の世代は間もなくいなくなるので、あまり心配するにはあたらない。残念ながら、ネットには言うほどの力はない。つうか(あたし含めて)見ている連中に力も金もない。って、まあ「動物のお医者さん」で国滅んだら笑っちゃいますけどねえ。
 
 ただし、この言葉がもともと欧米発であることは注意が必要かもしれない。「大きな物語」の拠り所を、「哲学」になど頼らなくとも、クリスチャニティ世界には依然として「真実」があるからだ。資本主義と科学進歩の象徴であるUSD札一枚一枚に、"In God We Trust"と記されているように。
 
 「フェイク情報」のせいで、イラクという地域大国一国が軽く消し飛んでしまい、その空白には自称国家勢力が猖獗を極めることになってしまったのだから。

2017年7月31日 (月)

ふたつとも別々で何が悪い。

 無理を承知で言えば、そりゃあやっぱ悪いでしょ。
 
 期待したあたしがバカだった。
 DQXI、3DS版をすでに数時間プレイしていた後に、7時間遅れで到着したPS4版を一目見て、「こりゃ別ものだわ」と思いました。
 
 3DS版の、開発がいかにも苦労しまくったとわかる窮屈なつくりに対して、Unrealエンジンを用いたというPS4版は、ヴィジュアル的にもゲームプレイそのものも水準的に別世界、別次元に行ってしまっているし、それこそあちらの主流オープンワールド系ゲームにだって、やろうと思えばきっと遜色ないレヴェルで伍するようになるほどだ。
 すでに忘却の彼方な某B社のあれなんて、完成度から言ったら比べるのもおこがましいでしょう。恥を知れ。
 
 Switch版が出れば、また話は違ってくるだろうし、3DSとの連携も依怙贔屓しまくるのでしょうけど、まだいつ出るのかもわからないし、いかんせんリリース・タイミングのずれは致命的だと思う。個人的には、まだ転売屋さんたちが、手持ち在庫を売り逃げようと必死に頑張っていらっしゃるので、本体も入手していません。一台づつ丹精込めて手作りしてんじゃねえだろうな、ビッグN。
 
 調子にのってふたつのプラットフォーム版を同時に購入してしまったあたしは、「3DS版ってすれちがいとやら以外に何か意味あるんだろうか」と、かなり深刻に悩むことになった。
 ただでさえプレイ時間が限られているのに、ふたつをとっかえひっかえやっていると、あたり前のように倍の時間かかるわけですし、両者のあまりの違いを見せつけられた以上、「復活の呪文」でスキップ(というか正しくは「バトンタッチ」か)しつつ進むなんてことは、PS4版のヴィジュアル・シーンの一部を見逃すことになるわけだから決してありえない。3DS版はもはやサンク(埋没)コスト、失敗投資、買ってしまったあなたご愁傷様と割り切って、PS4版だけで突き進むべきかどうか、「復活の苦悶」中であった(笑)。

 ところが、お盆前に予想外の出張予定が入った。こうなるとがぜん携帯機に活躍の場が生まれる。大前ケンイチではないので、PS4本体に加えてIT/AV機器フルセット搭載したチャーター機で出張に行けるはずもなく、「これこそ3DSの出番だ」とちょっとだけ期待に胸を膨らませた。
 
 だがここは、いのちだいじに、慎重に。すでにPS4版のプレイは、数時間先行していた3DS版をあっさりパスしてだいぶ先まで進んでいる。出張直前のその進行状態を「復活の呪文」で3DSに移し、そんでもって出張の空き時間に再開して進んでいこうと目論んでいるわけだ。本日その予行演習をやってみた。
 
 そのおかげで、説明文の「教会で聞くことができる 『ふっかつのじゅもん』を 入力すると だいたい同じ所から 冒険を始められます。」の意味がわかった。
 
 「だいたい同じ所」の「所」は、ロケーション(場所)の意味ではなかったのだ。たしかに両者のマップの風景は、互いに似ても似つかない姿かたちをしているし、移動の体感速度が大きく異なるくらいサイズ感も違うが、トポロジー的(位相的)には同一で、たとえば教会と他のランドマークとの位置関係は、(トポロジー的には)3DS版でもPS4版でもおおむね一緒である。(一部、宝箱の置き場所などは、主に3DS側のつくりが窮屈なせいで若干変更されている)
 「復活の呪文」で呼び出せば、同じ教会(などセーヴ地点)から再開できるので、「だいたい」どころか「同じ場所から再開」できることになる。ここに問題はない。
 
 問題は、主人公たちのステータスのほうが「だいたい同じ」にされてしまってることだ。
 いや、申し訳ないけれど「だいたい同じ」でさえない。
 例えば、あたしはPS4版である街までたどり着いている。主人公はレヴェル17で、他のパーティー・メンバーはそれ以下のレヴェルでばらついていた。
 「復活の呪文」で3DS版に移行し、同一の教会から再開すると、全員レヴェル14になっている。装備関係については、いかにも標準的なものに変えられており、ポケット一杯に詰め込んでいたはずの「やくそう」などのコンジューマブルはきれいさっぱりなかったことにされている。錬成して"+"がついた武器など装備も「ちゃい」にされる。
 それだけではない。インヴェントリーには、一度も見たこともないようなアイテムが勝手に加わっている。「はやてのリング」なんて、DQH2でお目にかかって以来だぞ。(たしか、あったよね?)
 つまりアクセサリーは全部消されてしまっていて、それではあまりに申し訳ないから、ちょっと高めのもので代替されているということだろう。
 
 容易に予想できるように、「復活の呪文」は、ある進捗状況に対応する標準的なパーティー編成を返してくるだけなのだ。クエスト達成リストや討伐リストなどスタティスティクスもまるで反映されていない。

 これじゃあ、プレイを続ける気が起きないねえ。逆に言えば、いったいどういうニーズの人たちだと、こうやってプレイして気が済むのだろうか?
 
 そこまで確認したあたしは、胸いっぱいの失意を振り払いつつ、こう決意した。「出張中にプレイ再開するのは、3DS版ではじめて、その後も初日にずっとプレイしていたジェニュインなセーヴファイルにしよう・・・」
 ふたつのプラットフォームで、別々にゴール目指して邁進していって、何が手に入るのか、その果ての地平に広がる世界には、いかなる意味があるのか、あたしには皆目見当がつきません・・・。
 
 (以下ツイートでメモ代わりにアップしていたネタ)

Dgd36ehuqaaxjew
 さらに言ってしまえば。

Dgd4umuvwaaezwd
 こういうの見た後に、ちっちゃーい画面の3DS版なんてプレイする意味あるんだろうか?

Dgd6u3xumae6mak  
 堀井さん、「永遠回帰」はいいけど、昭和ネタをリユーズするのやめてください。

***

"My, my, my. What a mess."
"It's a circus."

 おい、おい、おい、こいつはひどいな。 
 しっちゃかめっちゃか。

The Fugitive (1993)

 

 

2017年7月29日 (土)

ふたつとも一緒で何が悪い。

 3DS版から遅れること7時間。"bloody seven hours"遅れて、PS4版が到着。

Slime2
 一緒かい!

 まあ、読み筋どおりだけど。

 しかも夕方から都内はパラパラと雨(今では篠突く雨になった)。開封前ですが、臨場感あふれるショットとなってしまった。

 んまあ、「どーせおんなじパッケージ使いまわして撮影してんだろ」とか言われると思ったんで、一回目わざわざ開封し、かつ太陽光の感じも変わるだろうと思って、玄関の外で撮影したんですけどね。恵みの雨まで降るとは思いませんでした。

 さらに、当然とはいえ、二回目の佐川のあんちゃんも一回目と一緒の人。

 まるであたしが宅配業界、3PLの長時間労働を助長している、悪辣な野郎みたいな話になってますけど、同じ住所に同じ日に届けるのにバラバラに出荷処理かけてる方が悪い。あと、そこらのアホ主婦と違って、こちとら二回とも買い物も行かずにちゃんと在宅してっからね!

 こんなしょうもないブログ書いていないで、早いとこPS4クオリティの映像+音源を確認しよう。

 ・・・。んー、やっぱ別のものです。

 だって3Dモデルのねえちゃんたち、まぢで色っぽいから!
 (これはDQH2のときも、VitaとPS4の差として、似たように感じました。あちらはスクエニのインハウスメイクぢゃないんだろうけど。

 正直、3DS版の2Dプレイは相当プア。3Dプレイのほうもカメラワークがかなり窮屈で、開発大変だなあという第一印象。あの取り回しのしづらいカメラに慣れるまでは、相当時間がかかりそうな気がする。

 おっと、やっぱPS4にも「復活の苦悶」ちゃうわ(笑)、「復活の呪文」が登場している。

 では、試しに、このときのためにスマホでいくつか撮影していた3DS版の「復活の呪文」を入力してみっぺが。 
 (あの、いつもバカみたいなブログ書いてるんで、こいつほんまアホちゃうかと思われてるんでしょうど、こういうところは用意周到なんざマスのよ、奥様) 

 ん、なに? スマホ全盛時代に手で書き写している? 今時しょーがくせーでもスマホもってるがに。書き写し間違えたことが判明して、コントローラーを叩きつけた遠いあの日のおもひでも、今は昔。

 しかし、説明文の、「教会で聞くことができる 『ふっかつのじゅもん』を 入力すると だいたい同じ所から 冒険を始められます。」の「だいたい」って。

 「だいたい」ってなに。

 「あいまいな島国のだいたい同じくらいな私」かい!

 すみません、「だいたいやね」の人はもうかなり古いし、こないだ死んだんちゃうか(死んでないから)。あと、このご時世、ハゲネタはやめて。政権倒れるから。

 「だいたい同じ所」ってのは、一体どういう意味なんだろう。所持アイテムとか違うんだろうか? さすがにそれはおかしいので、単にGPSの精度レヴェルで、大将軍様の脳天にカンペキに直撃できないというレヴェルの話なんだろうか。

 あ、しまった、カットシーン直前の「復活の呪文」を撮影してしまっていて、「だいたい同じ所」というか、ドンピシャ同じところから(つまりカットシーン前の「これまでのあらすじ」から)始まってしまった・・・。

 あー、でも野郎には一切興味ないとはいえ、主人公相棒の3Dモデルなんか、すさまじいクオリティやなあ。こらまいりました。全国のJS、JCが萌えまくってんではないだろうか。あたしがすでに某女子キャラに(PR映像だけで)ハマりまくってるのと同様に。

  3DS版に引きずられたせいか、PS4にもVOついていないのがもったいなさすぎますね。
 あと、このクオリティのキャラが「ツボ割り」する姿とか、ちょっと無様(笑)。みっともなさすぎる。

 クロス・プレイが可能なことが判明しましたので、とりあえずPS4版もオープニングからひととおり始めたいと思います。
 外出時に3DS版でプレイしない人には、おそらく両方買う必要がないんではないでしょうかね。なに、自分の外出時には、運転手つき専用の改造バンにPS4ごとIT/AVセットをフルで搭載してプレイしながら移動するって?
 お前は大前ケンイチか。
 たら3DS版いらんがね。

 (あ、そういえば、上述のハゲは別のほうの「ケンイチ」でした)

«ふたつとも買って何が悪い。

ウェブページ

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31